Studio Born Conduction
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Born Conduction Life in 軽井沢
避暑地軽井沢で骨に響く豊かな生活を目指して奮闘中。Yuuko のつれづれ日記。

2009年07月02日

七十二候 半夏生づの5日間

車を運転していると、木の幹に絡みついた白い葉を目にすることが多々ある、今日この頃。これが、半夏生(はんげしょう)という名の植物だと知ったのは、信州を旅した二十代はじめだったと思う。しかし、”半夏”がテンナンショウとよく似た”カラスビシャク”のことと知ったのは、ごく最近。カラスビシャクが咲く頃だから、半夏生。いやはや、なかなか難しい。

軽井沢を降りていくと、信州の米どころ 佐久平である。ここには見渡す限りの空と水田が広がり、田植えを終えてからすくすくと育つ稲穂が風に揺れている。そうして思う。日本の夏を象徴する清々しい風景は、この”梅雨”という天からの恵みによってあるのだと。一年のうちで、とても大切な節目の時期なのだとも。昔の人は、農作業の手順をよりわかりやすくするために、既にある(二十四の)暦をアジェンダのように細分化していた。それが、七十二候である。今日(7月2日)から7月7日の七夕までの5日間は、”半夏生づ”の期間。つまり、カラスビシャクの花がいたるところで見られる頃である。私も、今年から探してみたいと思う。同じ日本と言っても地域によって季節の訪れは様々。だが、農作業は7月2日までに一旦終えるのが良しとされ、関西では”水田の稲穂が蛸のようにしっかりと根をはるように”との願いをこめて、7月2日に蛸を食べる習慣もあると聞く。

さすがに軽井沢で稲作は難しい。ここでは風に揺れる稲穂はないけれど、地面いっぱいに葉を広げる緑の野菜畑を見ることができる。これが、来る夏の風景だ。浅間山の存在をも隠し続けるどんよりとした梅雨空の下で、レタスやキャベツが山の裾野を緑色に染めていく。

09.06.28.雲の下のレタス.jpg

time : 18:43 | コメント (0)

2009年06月27日

真夏日 亜高山帯を歩く

今日は軽井沢もかなり暑い一日になりそう。こんな休日は、まだ行ったことのない長野へ足を運んでみたい。向かった先は、麦草峠を走った先にある白駒池だ。腕には今日も高度計を着けている。レンゲツツジのことは書いたばかりだから、白樺が混じりはじめた峠道ではオレンジ色の花のかけらがないものかと期待が高まる。笹が地面を覆い隠すエリアに入った。すると、笹の中からこんにちは!といった様子で優しいオレンジ色の花が開いていた。ここでは、すべてが共生の道を歩んでいることがわかる。笹の繁殖力はかなり強いなと感じられたが、きっと大丈夫。標高1600mでは花も残り僅かとなったが、今の時期は1800m付近が見頃。ここは、レンゲツツジという花の前線が北上する最後の地ではないだろうか。

09.06.27.麦草峠のレンゲツツジ.jpg

白駒池の駐車場に到着した。ここに車を置いて池まで歩いていくのは、なんと今日が初めて。
「いつでも行けるのだから...」そんな風に思っていると、同じ長野にあっても縁がない。歩き出すと、あまりの暗さにびっくり。いきなり、針葉樹の森であった。そびえ立つ巨木は、ここが亜高山帯であることを教えている。標高は2000m、トウヒやオオシラビソといった木の姿に親近感を覚えるのは、日頃見慣れているマツ科だからだろう。白樺をグッと大人にしたようなダケカンバやコメツガもそこかしこに立ち並んで、みんなで一つの森を形成している。地面を絨毯のように覆う針葉樹の落ち葉に光はほとんど届いていない状態で、倒れていった木にもそれは雪のように隈なく降り積もっていた。そこに苔が生え、土の代わりを一任されたように水分を蓄えている。ドウダンツツジや、それに似た落葉樹が根を下ろしているが、みな人の背より低いまま。大きくなることを阻まれているようにも見えてくる。次第に落葉樹が葉を広げるようになって、重たい空気は乾燥したものへ、木々が明るさを取り戻していく。池はすぐそこなのだ。コメツガの名の由来を見ることとなった。なるほど、この木の新芽は米粒にそっくり。

09.06.27.白駒池 コメツガの芽吹き.jpg

コメツガの芽吹きを見る。春は訪れたばかりなのだと知る。冬だって瞬く間に忍び寄るというのに。

09.06.27.白駒池 コメツガの芽吹き2.jpg

池のほとりで、幾つかの高山植物に出合った。そのどれもが、池に向かって気持よさそうに咲いていた。日本語には名詞に男女の区別はないけれど、この花たちにつけるとしたら、間違いなく女性名詞をあげる。

09.06.27.白駒池 池を向いて咲く花たち.jpg

肌寒いだろうと覚悟してきたのだが、ひんやりとした空気は半袖でも過ごせるほどの心地よさ。今日の下界はどんなに暑い一日だっただろう。標高1600m地点で喉とお腹を潤したら、のんびりと帰路につこうか。駐車場では、若草色をした柔らかそうな松ぼっくりを見つけた。木々の若い芽を見た日に、こんどは若い実をつけた木々を眺める。季節のいろいろな過程を垣間見た楽しい一日だった。

09.06.27.八ヶ岳ロッジ 柔らかい松ぼっくり.jpg

time : 19:01 | コメント (0)

2009年06月26日

ふたつの ” 鳩 ”

梅雨前線は、本州の南に南下して停滞。今日も朝から真夏の日差しが照りつけている。紫外線対策は、標高1000mの高地に暮らしていれば一年中のことだから、特別なこともしない。だが、それでも、いつも以上のことをしなければ!と思ってしまうようなジリジリと肌を焦がす陽気となった。明日の午後から天気は下り坂である。今日のこの日差しは、貴重。

キッチンのブラインドを開けると、そこにはすっくと育つコブシが心地よい木漏れ日を作っている。さりげない透け感が、ご近所さんにも好評だ。リビングで目覚めのカフェオレを飲んでいると、部屋の中に鳩が暮らしている!くらいの迫力で、リアルな声が響いてきた。テーブルの上には鳩の形をしたベースがあるが、まさか...。声の主は、もちろん生きた鳩である。ふたたび、ポーロ、ポロッポポーというような、低い鳴き声が聴こえてきた。北の窓からである。いたいた、コブシの枝に。

09.06.26.窓辺から リアルな鳩の声.jpg

ふたたび、テーブル上の鳩型ベースに目をやる。なるほど、鳩は幸せの象徴かもしれない。あの鳴き声、ふっくらとした容姿、不幸な空気はどこにもない。

私は、ドイツ Rosenthal社の磁器が日本の有田焼と同じくらいに好きである。特に、1961年から続いているStudio Lineは好きの上に”特に”がつく。この鳩型のベースもStudio Lineのもので、スカンジナビアデザインの巨匠 タピオ・ヴィルカラさんによるデザイン。2011年には、Studio Lineも記念すべき50周年を迎えるはずだったのだが、Rosenthal社自体が今年初めに破たんしてしまったというのだ。この続きは?果たしてどうなるの?と気がかりでならない。消えてしまうには、あまりに惜しい窯元。かつての日本の道具のように、美しいものを日常的に使う喜びをくれた素晴らしい食器や、そのまま置いてオブジェになるような粋なベースが数多くある。

09.06.26.ローゼンタールの鳩 pollo.jpg

time : 11:40 | コメント (0)

2009年06月25日

すこしでも 涼感の演出

まだまだ梅雨なのだが、ここ数日は真夏の暑さ。雲は多いながらも、日差しが戻れば強烈な紫外線が降り注ぐ。16:00の気温は25℃!裾野で暮らす私たちのもとに、(山からの)ひんやりとした空気が流れてくるのは17:00を過ぎてからだろう。いやはや、正真正銘 夏の陽気。、ノースリーブでも過ごせる。

こんな日は、すこしでも涼しさを演出したい!そう思って、ホサキナナカマドを投げ入れしてみた。リビングではなく、デッキテーブルの上に置く。窓越しに眺めるためだ。ナナカマドの花の強烈な匂いは、この春すでに体験済み。小空間に飾るものではないと、身を持って知った。花を飾る時は、その匂いにも注意が必要だ。香水を付け過ぎた人が周囲に及ぼす影響は、本人が思っている以上にエスカレートすることに似ている。

09.06.25.ホサキナナカマドの涼感.jpg


time : 16:16 | コメント (0)

2009年06月21日

梅雨時期 ムラサキ

台風3号は熱帯低気圧に変わるようだ。その影響もあるのか?今日の軽井沢は梅雨の最中とは思えぬほど蒸し暑く、霧に包まれても肌寒く感じることがなかった。この時期になると、庭のあちこちで紫色の花ばかりが咲きはじめるから楽しい。春は黄色とともにやってきて、次は幾つもの白色。そして、木々の緑と同じくらいに鮮烈な印象を残す、紫色の菖蒲の花が閉じた。今の時期は、同じ紫と言ってもひっそりと咲くものが多いような気がする。ツユクサはその名の通りで、この季節を象徴する瑞々しさ。スラッと伸びた葉から、雨の滴が楽しそうに滑り落ちていく。昔、この花をインクにして遊んだ。

09.06.20.ツユクサ.jpg

ユニークな姿に惹かれて、思わず石垣に植え込んでしまったタマシャジン。「今年は出ないかなー?」と半信半疑だったが、さすがは宿根草。きちんと芽を出して、愉快な花を咲かせてくれた。

09.06.20.タマシャジン.jpg

山萩は、蕗と同様もともとこの地にあったものなのだろう。半日蔭のような場所を上手に見つけて、ぐんぐん背丈を伸ばしている。庭の片隅で一足早く咲きだしたのは、紫色が爽やかな仙台萩。地物ではないので、山萩のように増えることはなさそうだ。萩の花は、これで全開なのだろうか?豆の花に似て。

09.06.20.仙台萩.jpg

time : 18:43 | コメント (0)

2009年06月20日

頑張れ!マルハナバチ

我が家のデッキ下には、ミントが植えてある。そのミントと競うように、ここにきて急に背丈を伸ばしてきたのがクローバー(アカツメクサ)だ。デッキまで頭を出して、ポンポンと赤い花が咲いていたから驚いた。日当たりの良い場所に根を下ろした この草は要注意である。タンポポと同じで植えた覚えなどないのだが、油断していると辺り一面にはびこる。ミントの生命力も凄いけれど、こちらは更に上をいく。

09.06.20.デッキへ乗り出す アカツメクサ.jpg

小さい頃、小屋で飼いはじめたばかりの小さなパンダウサギを自転車の籠に入れて、蓮華畑で遊ばせたことがあった。その時のウサギの、なんと嬉しそうなこと。ウサギにとって、蓮華やオオバコの葉は御馳走であるらしかった。口のまわりの白い毛を緑色に染めるまで食べ続ける姿を見て、もう少ししたら飼うのはやめようと思った。ウサギは大きくなると、子供には素手で触れないほど強く逞しく怖いものになって、間もなく子供を産んだ。当時の私には、子供が子供を産んでしまったと思え、いつまでも子ウサギのままでいる願いが消えたことが残念でならなかった。小屋も増えて、餌やりからベッドの交換まで世話は増えていく。当時は、どこで情報を得るのか知らないが、ウサギなどの小動物を引き取っていく人が現れていた。私のウサギもそうして、どこかの家で飼われていったことと思う。

蓮華畑にはそんな思い出があるのだが、果たして今でも故郷にあるのだろうか?蓮華畑がそこにある意味を知ったのは、恥ずかしながら、つい最近のことかもしれない。近くには、苺を栽培するハウスがあった。そう、つまり蓮華畑は苺を栽培する家のものだったのだ。天気のよい日にはハウスのビニールは開けられていたから、半分が露地ものと言っていいような、しっかりとした歯ごたえを持つ、美味しい苺だった。ハウスの中は甘酸っぱい香りに満ちた幸せな空間で、いつもブンブンと蜂が飛んでいた。蜂は蜜集めに夢中だったから、刺された記憶はない。

09.06.20.マルハナバチ.jpg

目の前のマルハナバチも、花の中に潜り込んで忙しく飛び回っている。マルハナバチは、英語名でbumble bees 。映画 トランスフォーマーにも、バンブルという名のロボットがいたと記憶している。ハチは、動くことのできない多くの植物にとって欠かすことのできない重要な送粉者である。我が家では、数年前から極力 虫を殺すことをやめている。この時期、楓の新芽にビタリと張り付くアブラムシは、育ち盛りの鳥やそれより大きな虫の食糧である。暫くすれば、その新芽からアブラムシの姿は不思議なほど自然に消えてしまう。

湿度の高い軽井沢で虫と言えば、通称 シケ虫(カマドウマ)。今でも、彼らといかに会わずに暮らせるかを理想の家とする傾向が根強いと思う。私もそうだった。実際、この家でシケ虫を目にするのは年間を通して50匹くらいだと思うが、だんだんと、この虫に対する考え方を改めるようになってきた。私たちに何の害を及ぼすわけでもないのに、その姿・形だけで嫌ってしまう理由は、遠い昔の記憶にあるのではないかと。人は、38億年も生きながらえてきた生物だから、きっと小さかった頃に”黒い虫”の大群に襲われたりして、嫌な記憶が焼き付いているんじゃないかと思えるのだ。そうでなければ、なぜ、コオロギと変わらぬこの虫を「特別に怖い!」と感じるのだろう。我が家では蜘蛛の姿をよく目にするし、それで床に小さな虫の死骸がないのかなと思う。無理なくバランスが取れていれば、外でも内でも、虫が大発生することはないのだ。殺虫剤は、家の外でも中でも要らない。我が家では午後4時をまわると、”ブヨ・タイム”。そう、呼んでいる。虫たちの夕食時間は早い。それにこちらの行動を合わせる努力をすれば、刺されて嫌な思いをしないで済む。今年も、頑張れマルハナバチ!花は君の到着を待っている。

time : 19:21 | コメント (0)

2009年06月19日

更紗灯台と蓮華ツツジ

標高1600m付近の高原では、白い木の花が姿を消して、代わりにオレンジ色の花がそこかしこに見られるようになった。オレンジ色とは、サラサドウダンツツジとレンゲツツジである。サラサドウダン...なんて響きのいい名前なのだろう。名の由来は、室町時代末期にインドやジャワから伝わった、”更紗染め”からきているらしい。つり鐘状の小さな花には繊細な赤い模様が入っており、それが更紗染めに似ているというわけだ。目を凝らして眺める。うーん、素敵!

09.06.18.サラサドウダンツツジ.jpg

それではレンゲツツジの名の由来は?というと...こちらは花でなく蕾が”蓮華”に見えることからだそう。山スキーでよく訪れる湯の丸高原 地蔵峠周辺もレンゲツツジの群生地であり、その数は60万株というから驚きだ。既に天然記念物にも指定されている。山の斜面が爽やかなオレンジ色に染まった風景は美しいというより、私にとってはオレンジ色の淡水パール(天然色)のように愛らしいもので、何度見ても心が癒される。

09.06.18.満開のレンゲツツジ.jpg

高原と言えば牧場。そこで放牧される牛や馬がレンゲツツジを食べ残すことから、ウマツツジ、ベコツツジという別名まであるという。食べ残す理由は、レンゲツツジに含まれる痙攣毒。それによって、この木の群生地となった牧場も多いと聞く。猛毒を持っているのだから、さぞ強靭な山の木だろうと思ってしまうが、絶滅が危惧されるほど自然の中ではとても弱い存在。過去に、レンゲツツジの群生地を守ろうとフェンスなどで囲ってしまった場所も多いようだが、そんな場所ほどこの木は姿を消しているそうだ。野生動物が共存する山であれば、そこに自然と生える様々な草木は動物にとって豊かな餌場となり続ける。檻の中で、動物との接点も断たれ、無菌室の中で生きることを余議なくされたドウダンツツジにとって、そこにはびこる笹は自然の脅威でしかなかったのだ。弱いからこそ、毒を味方につける。自然界には、毒を持った植物がなんと多いこと。そして、同時に薬となる植物も無数に存在していることに気づく。今年も、庭の片隅でゲンノショウコが立派なグランドカヴァーとなりつつある。

time : 15:31 | コメント (0)

2009年06月18日

ふわふわのスモーク!

先週に引き続いて、先生がスモーク・ツリーを持ってきた。それを見た私は大感激!一週間前に見た時は、「若いかなぁ...」という印象を受けたのだが、今日は明らかに違っていた。スモーク・ツリーのふさふさは、小花が終わった後にあることを目の当たりにしたのだ。またその美しさは、ごちゃごちゃした葉っぱをすべて摘み取ってきた下準備の賜物であることを知った。

09.06.18.ピンクのスモーク.jpg

色合いだけでない、軽やかで瑞々しい質感が生み出す魅力は”生花”だからこそ。生花を飾ることは、材料の調達から下ごしらえ、運搬、水の管理と大変な努力を必要とする。だが、季節の花の最も美しい時は一週間にも満たないのだ。だから、この目にしっかり刻んでゆこうと思った。それから、どんなに雨が降っていても、億劫がらずに外へ出て一歩を踏み出していきたい。そうすればきっと、いや必ず、植物との一期一会が待っているはずだ。

09.06.18.スモーク・ツリーの投げ入れ.jpg

time : 12:58 | コメント (0)

2009年06月17日

蝉の雨宿り 巣立ちの時

時刻はもうすぐ10時、ようやく日差しが木々を照らしはじめた。地面も、そこに生える草木も、建物も、すべてが雨を浴びた後で水気を帯びている。窓を開けると、デッキ用の椅子に蝉がはりついていた。僅かな窪みを見つけて、いつから雨宿りをしていたのだろうか?それとも、孵化したばかりで黒い椅子を木と勘違いしているのかもしれない。いずれにしても、「どうしてここに?」。

09.06.17.蝉の雨宿り.jpg

暫くすると、よたよたと椅子の角まで歩いてから、ニレケヤキの幹へ飛び立っていった。飛び方が何ともぎこちなかったので、やはりまだ地上の暮らしは始まったばかりの様子。蝉は羽が命である。今日一日、彼らの大合唱が一度も聴こえてこなかったのは、空気が湿ったままだったからだろう。野生で生きるものは成長の過程がびっくりするほど早いので、見ている私達はとても楽しい。先週まで、野鳥の雛の鳴き声(ピヨピヨという)が一日を通してひっきりなしに耳に届いていたが、ここにきて急に静かになった。もう、雛ではなく子供と呼べる大きさに育ったようである。この時期は、景色の映り込んだガラスに野鳥の子供がよく激突して脳震盪を起こしている。正面から減速せずに突っ込んできた場合は、まず即死である。手に取ってはじめて知る、命の重さ。いろいろ対策をとっても、霧の出ている日などは特にわかりづらいようだ。透明なガラスは、建物の中で暮らす人だからこそ望み、この世に生まれた人工物だろうと察する。室内で暮らしていても、自然の織りなす姿・空気・風を取り込みたいと思ってしまうのだから、やっぱり人は自然のなかで共に生き続けることを望んでいる。

この春、リョウブの下に地植えした山紫陽花 七変化。ガクアジサイのような花は木にも多く、見上げていた高所から腰の下へと、同じ花が目線まで下りて来てくれたように思えて嬉しくなる。

09.06.17.山紫陽花 七変化.jpg

time : 18:35 | コメント (0)

2009年06月14日

木の花の終わり 近づく

たった一日のうちに、晴れ・曇り・雨・雷...と、空の様子が目まぐるしく変化する日々が続いている。梅雨時は冬の日と同じで、空模様に自分を合わせていくのが、自然。

午後は真夏の日差しが戻ってきたことが嬉しくて、家じゅうの”布団”と名のつくものに次々と掃除機(ダニを退治するため)をかけ、順番に外へ干していった。晴れ間が出るのとほぼ同時に広がる蝉の音は、とてつもない勢いで空気が乾燥していく証拠に思える。だが、空から雲が消えることはない。梅雨時は限られた晴れ間をいかに有効に使うかである。サンサンと降り注ぐ太陽の光の下で午後の転寝を終えた布団たちを室内に運び入れたら、思わず「ふぅ」と一息。額に汗をかいている。リビングの床にペタリと座り、庭のミントをたっぷりと入れたソーダ水を喉に流し込めば、東西南北に開けた窓からひんやりとした風が頬を伝った。蝉の音は知らぬ間に消えて、代わりに聴こえてきたのはカッコウの透き通る鳴き声。山からの水気を蓄えた空気が、幾つもの木々に触れながら降りてくる。

6月の中旬となれば、花をつけた木は僅かだ。山の木に咲く花は不思議と白いものが多く、それが景色をいっそう清々しいものにしている。香り高いウツギの花は終わった。ガマズミはずいぶん長いこと咲いているが、そろそろ色褪せる頃だろう。庭のヤマボウシの白いガクが際立ってくると、軽井沢じゅうの紫陽花が咲き始める。花屋には、軽井沢に春がやってきた頃(4月下旬)から園芸品種の紫陽花が並んでいたから、この目はもう何ヶ月もの間 紫陽花という花を見てきたことになる。

衣装でも野菜でも何でもそうだが、少しだけ季節を先取りすると特をした気がするもの。だが、ここでは旬は旬のままで良い気がする。野菜も果物も露地で育ったものでよく、それが一番美味しい。旬とは、一年ぶりの再会のようなものだろうか。その時期は毎日同じものばかりを食べていても、後で振り返れば最も美味しかったことに気づくからだ。

木の花は時代がどんなに変わっても、純粋無垢な旬を守り続けることと思うが、そうであって欲しいと願う。一年に一度きりの眺めだから、今日も私は”木が一年ぶりに咲かせた”花をじっくりと眺めている。

time : 17:11 | コメント (0)

2009年06月13日

スモーク!

昨日は、煙の木(スモーク ツリー)を見に行って来た。前の日に、この木の投げ入れを見ていたので、元の木がどのような姿をしているのか?そして開花のピークは2、3日と聞いていたから、花のついた状態をじっくり観察したいと思っていた。

09.06.13.先生の花材畑 けむりの木.jpg

遠くから眺めると、モクモクとピンク色の煙を上げる不思議な木だったが、真下から見上げるとこんな感じ。スモークの部分は空にとけこんで透明感があった。枝先を覆った長い毛は、小花が咲いた後に雄花の花柄が糸状に伸びていったものだというから、何ともユニーク!白い煙になるものと、このようにピンクの煙になる品種があるようだ。手に取ると、煙と言うより何かの毛である。調べてみると、スモーク ツリーは別名”白熊の木”と呼ばれるらしく、「なるほど、白い熊か...」と思わず納得しそうになった。だが、ここでいう白熊とはハグマ”ヤク”を指し、その尾っぽに似ていることから、この名がついたのだという。軽井沢でも5メートルくらいに成長して、ものの見事に”煙っている”のを見たことがあるから、寒さにも強いのだろう。ウルシ科なので独特の匂いがあり、手荒れに注意。私は素手では後が怖いと思い、手袋をして葉を間引かせてもらった。白壁をバックにすると、一気に存在感が出て華やか。お祝いムードが漂う。

09.06.12.八ヶ岳高原ロッジ けむりの木投げ入れ.jpg

time : 17:00 | コメント (0)

2009年06月12日

どこか懐かしい 千鳥草

梅雨であることを忘れてしまいそうな、爽やかな夏日。リビングに生けた千鳥草が、緑を濃くする庭をバックに、なんとも涼しげな雰囲気を醸してくれた。

09.06.12.チドリソウの投げ入れ.jpg

千鳥草(別名 飛燕草)はヨーロッパ原産 キンポウゲ科の一年草で、小花が千鳥の飛ぶ姿に似ていることから名づけられたという。遠目から眺めている分には透明感のある清楚な花だなと思うが、近づいてみると本当にユニークな姿をしている。初めて我が家にやってきた来た(飾った)花なのに親近感が持てるのは、コスモスとよく似た葉に懐かしさを覚えるからだろう。

09.06.13.チドリソウのアップ.jpg

千鳥草は夏の季語でもある。この花の名が、これから自然と頭に浮かぶようになったら嬉しい。

time : 17:55 | コメント (0)

2009年06月07日

楽しい 夏の庭

09.06.07.夏日の南原 緑の天井.jpg

一気に7月下旬の陽気となった今日。辺り一面に響き渡るカッコウの囀りと蝉の合唱が、夏気分をいっそう盛り上げてくれる。今日も、ヤマガラがニレケヤキの苔を取りに来るのを ひそかに楽しみにしていた。だが、その気配はなさそうだ。彼らが忙しく往復していた先へ行ってみると、落葉松の幹に提げられた(ご近所さんが作ったらしい)巣箱があり、そこからピヨピヨという雛の鳴き声が聞こえてきた。苔はこれから巣を作るためのものと思っていたが、それでは遅すぎるというもの。雛のためのベッドとして、苔を使っているようだ。シーツを頻繁に交換する、綺麗好きの親たち。

家のまわりを歩いていると、時折 その美しさにハッとさせられることがある。自然が作り出す風景こそが、庭づくり最高のお手本。ただ日を求めて枝葉を伸ばしていった結果なのだろうが、こんなにドラマティックな植栽の配置となるのだから、頭が下がる。

09.06.07.自然がお手本.jpg

日が傾いて、心地よい木漏れ日に包まれるデッキで夕涼みをはじめた旦那さんが、リョウブの根元の草が小刻みに揺れているのを見つけた。二人ともかがんで、ふかふかの地面という同じ方向をジーッと見つめ続けて数分、モクモクと地中を動き回る小動物の存在に気がついた。「もしかして、庭に同居している蛇のジムグリ?」と思ったが、それでは動きが小さすぎる。暫く目を凝らしていると、彼らに捕まらんと逃げるミミズの姿が。ミミズを追うようにして、枯葉の間から「しまった!」と言う感じで一瞬出てきたのが、小さなピンク色の鼻と特徴的な手を持つ小動物 モグラであった。それも二匹だった。時刻は午後4時、ちょうど夕食の時間なのだろう。小動物が何かを知って、旦那さんもご満悦の様子だ。

今日は月のある夜でもある。夜になれば、昼間は寝ているムササビとフクロウの行動時間。ここの夏は儚いほど短いが、心を揺さぶるような楽しみをくれるには充分な時間と言える。

time : 17:16 | コメント (0)

2009年06月06日

鳥と木の いい関係

梅雨の最中に訪れる晴れ間はありがたい。浅間山は裾野まですっぽりと雲で覆われているけれど、雲間から日差しが差し込めば、雨に濡れた木々はキラキラと輝いて眩しいほど。窓を開けて、新鮮な空気を部屋の中へ取り込もう。家の中の空気は”排気ガスに触れないから、それほど汚れない”と思いがちだが、こうして星が常に循環させている空気に触れると「明らかに、清らかで、違う」ことを知らされる。デッキの表面にできた水溜りを、太陽の熱が蒸発させている。窓から流れ込む空気は梅雨時特有の重さを持っているが、様々な草の香りが鼻腔をくすぐって楽しい。

今日一日、雲が完全に消えることはなさそうだが、少しの晴れ間も無駄にはできない。洗濯物を外へ出したり、引っこめたりを繰り返す合間に近くを散策したり、庭の手入れをする。雲行きに合わせるという表現がぴったりな午後である。

珈琲で一息つくと、私と似たような過ごし方をしているものを見つけた。野鳥である。晴れ間が出てから、ひっきりなしにニレケヤキを訪れているが、その理由は何だろう?デッキに腰かけて眺めてみると、常につがいで行動していて、巣づくりの真っ最中であることがわかった。ニレケヤキの幹についた”苔”を嘴で集めているのだ。器用である。以前、雨戸の戸袋にシジュウカラが大量の苔を集めて巣にしようとしていたことがあった。その時も、ここの鳥たちはなんて山国らしい家(名づけて モス・ハウス)を作るのだろうと思ったものだ。一人では、どうしたって動きことのできない木にとっても、ありがたい共存の関係。湿度の高い土地では、風通しのよさが心地良さや健康に繋がっていくように思う。苔蒸す...という現象を日常的に感じる環境で暮らしているから、なおさらかもしれないが。

09.06.06.ニレケヤキの苔で巣作り.jpg

デッキから地面へ降りると、見憶えのある穴を幾つも見つけた。写真を撮ろうと思って穴を覗き込むと、まさかのタイミングで長い舌を出したからびっくり!ジムグリという名の蛇である。高原の夏は、生き物が命を紡ぐための季節。様々な生き物と、共に生きていることを実感する日々が続く。

time : 21:00 | コメント (0)

2009年06月05日

薔薇よりも...素朴が今の気分

リビングのテーブルに置くなり、凛とした空気を放ちはじめたシャクヤクの花。同じ白どおしで爽やかにまとめてみようと、梅雨を彩る山の木 カンボクを合わせている。薔薇も好きだと思ってきたけれど、シャクヤクの方が自分好みなのではないか?と最近になって思う。

09.06.05.カンボクと芍薬 白の共演.jpg

コーナーを彩るのは、サラサドウダンツツジと艶やかなピンク系のシャクヤク、牧草地に紛れてひっそりと咲いていそうなムギナデシコの組み合わせ。直射日光の入らない夏の室内だが、花本来の色を引き立たせるには、このくらいがちょうどいいのかもしれない。灯りの必要な夜になれば、草花の影絵がくっきりと浮かび上がって、白い壁ははしゃいでいるかのように躍動的で華やかに。

09.06.05.ムギナデシコとサラサドウダン.jpg


time : 17:46 | コメント (0)

2009年06月04日

コナシで お花見

海の口自然郷のなかにある、八ヶ岳高原ロッジ。標高は1600メートルほどあり、コナシの白い花がようやく満開の時を迎えた。雨上がりの翌朝、窓からの眺めはこんな感じで、うっとりするほど綺麗。廊下を歩く誰もが立ち止まり、息を呑むような光景に目を奪われてしまう。花だけを先に咲かせる初春の木とは違い、コナシはまず瑞々しい葉を茂らせてから、愛らしい薄紅色の蕾をつける。この葉っぱと蕾が織りなす数週間の色のグラデーションがなんとも素敵で、好きな風景だ。

09.06.04.八ヶ岳ロッジの窓辺から満開のコナシ.jpg

音楽堂まで足を伸ばし、木陰を見つけて優しい草の地面に腰かけた。ここで、ハムとチーズのお手製サンドイッチでランチをとろう。軽井沢とは一味も二味も違った高原の空気に心地よさを感じて、立ち上がったところで、また見憶えのある葉っぱを見つけた。もう、葉だけでその木の名を当てる自信がある。間違いなく、ウリハダカエデである。だが、その幹の姿に仰天!私が木陰に選んでいた木が偶然にもウリハダカエデであることにも驚いたが、一週間前に見た木とは似ても似つかぬ立ち姿であったのだ。白樺のように色褪せた幹からは、お歳をめした老木であることが伝わってくる。楓でも、どんな木でもそうだが、時を経たものだけが見せる繊細で深い表情をしていた。所々に青さが残っているのは、私たちと同じように”幾つになっても気持ちだけは若い時のまま”の現れなのかも。

09.06.04.ウリハダカエデの大木 音楽堂にて.jpg

time : 18:26 | コメント (0)

2009年06月02日

アリウム・シューベルティ

教室の玄関に飾られていたのは、花火のようにユニークな形の花だった。さっそく名前を聞いてみると、”アリウム・シューベルティ”というのだそう。思わず舌を噛んでしまいそうな名前である。先生はこの花が最近のお気に入りらしく、球根を50本も買ってしまったというから、驚きだ。

09.06.02.アリウム・シューベルティ.jpg

巨大なネギボウスのようなアリウム・シューベルティは、果たしてどのように育っていくのだろう?と興味は尽きない。ドライフワラーにすれば、こんな感じで色を纏うことも可能だ。

09.06.18.アリウムとスモークのドライ.jpg

新たな世界は、出会いと発見に溢れている。一週間にわたって身の周りを飾る花の名を、覚えないまま終わることはないのではないだろうか。


time : 16:10 | コメント (0)

2009年05月31日

見えないものが見えてくる

白樺まじりの標高1600メートルの高原を散策していると、同じ葉ばかりが群生している場所にでくわした。葉っぱには三本の切れ込みがあり、カエデに似ているのだが、木の名前がわからない。ここに暮らしていれば、きっと誰もが自然と知ることになるほど特徴のある木にも思える。やはり、植物の名前は日頃から頻繁に目にしているものでないと覚えることは難しいようだ。暫く歩いていくと、運よく木の名前を知らせてくれる親切な名札を見つけた。名札を提げた木は瓜のような木肌をしていて、”ウリハダカエデ”と明記してある。言われてみればその通り!わかりやすい名のついた木であった。まわりを見渡せば、あるある、ここにもあそこにも。さっきまで全く見えていなかったものが、自分でも驚くほど鮮明に浮かび上がってきた。「この雑木林は瓜がいっぱいだ」そう思って視線を枝先へと移していけば、最初に見ていたカエデに似た葉っぱを再び発見。ウリハダカエデの特徴が、木肌から葉から記憶されていく。気づくことは喜びだ。

09.05.28.八ヶ岳ロッジ ウリハダカエデ.jpg

山の近くに池はつきもの。今年は見納めたと思っていた新緑にまた出合うことができて嬉しい。水面に映り込んだ木々は小刻みに揺れ、太陽が顔を出したら、どんなに綺麗だろうと想像した。この日の気温は10℃以下。雨は降ったり止んだりを繰り返し、山を象徴するような空模様である。このような高地の池に魚などいるはずがないと思いながらも、先入観のない子供のように水の中を覗いてみたい。すると、いたいた!小さいけれど、魚は元気いっぱいに泳いでいる。

09.05.28.八ヶ岳ロッジ 鈴池?.jpg

日曜の午後、仕事に追われる旦那さんの気分転換にと、ゴルフ場にあるような大きな傘をさして家の近くを歩くことにした。緑はさらに色濃く、艶やかな葉っぱは目にも眩しい美しさ。雨の日だからといって家の外に一歩も出ないのは、とても残念なことだと知らされる。瑠璃草が終わりを告げる軽井沢に姿を現したのは、パッと見がなんとも不気味なマムシグサ。緑が溢れて擬態することも簡単なこの季節だが、ウリハダカエデと同じで、一つ見つけてしまえばこちらのもの。次から次へとマムシグサばかりを見つけて、その多さに驚く自分がいる。

09.05.31.まむしの草でいっぱい 南原.jpg

移住して間もない頃、これを茶花としてリビングに生けたのは懐かしい思い出だ。自宅の前にさしかかると、旦那さんはもう少し外にいたいようだった。激しい雨である。だが、傘もささずに軒の下で緑をじっと眺めている。見えないものが見えてくるのを待っているのか、ささくれだった気持ちを落ち着かせたいのか、私には察することしかできない。自分にしか解決できないことは、意外と沢山あるものだ。今はただ、自然の中に静かに身を置いていたいだけ。彼の背中から感じた言葉は、そのようなものだった。

time : 17:22 | コメント (0)

2009年05月29日

非 日常的な 白い箱

今日は珍しく夫婦連れだって病院に来ている。それぞれに別の用があるから、同じ建物の中に居ても別行動。これって何だか不思議な感じだ。

待ち時間は、長い。科にもよるが、8時30分に自動受付機で”チェック イン”をして、フルネームをこの耳で聞くのがだいたい11時くらいになる。比較的すいている日でこうである。混雑した日なら、「いつものことだから...」のような暗黙の了解で、午後へ突入していくこともある。こうなると、いざドクターの前に置かれたスツール(待ちわびた割に、頼りない家具だなぁなどと思いながら)に座る時がやってきても、既に身体のことは二の次。「先生、本当に大変ですね・・」とまずは労いの言葉をかけたい心境になっている。両者(ゲストとドクター)の需要と供給のバランスが、うまい具合にとれた状態になってはじめて、いのちに関わる診断や処置は受けたいものである。

長い待ち時間をどこで過ごすか?私は日々の暮らしの延長線上にある日の光を求めて、天窓の真下に配置された椅子を見つけて腰かけた。病院は”白い”。白い建物に白い内装、そこを白装束の人々が行き交っているのだ。非日常的な空気は、時として心地良さをもたらしてくれる。柔らかな光のシャワーが、読みかけの単行本を瞬く間にあとがきの項へと導いていった。

time : 12:35 | コメント (0)

2009年05月27日

貝ボタンでリメイク

ただ一点を挙げるなら、付いているボタンが気に入らない...お気に入りの洋服に出合った時、「惜しい!」と思ってしまうことが、ごくたまにある。プラスティックのボタンに特別な違和感をおぼえるのは、夏が近づいたためだろうか。

飾り気のないシンプルな白いボタンを外していくと、そこに小さいながらもしっかりとブランド名が入っていることに気がついた。「こんな所まで主張しなくてもよいのにな、頑張っているなー」と感心。白いボタンの代わりに縫い付けるのは、着古したシャツにあった天然貝のボタンだ。シャツは捨てたが、ボタンは健在。貝ボタンは洗濯の度にくたびれていくが、そこがまたいい。角が取れて、薄くなって、丁寧にボタンホールをくぐらせることも、一つの楽しみになっていく気がする。

09.05.27.貝ボタンでリメイク.jpg

海から生まれたアクセサリーを身に纏うのが、心地よい季節となった。昨年の夏に、南の島でお土産に買ってきたのが、写真にもある夜光貝のネックレス。いま思えば、貝の魅力にとりつかれた”オーナーの人柄”に惹かれて買ってしまったような気がする。山の力も凄いなと日々感じ入っているけれど、これだけの厚みを蓄えて、なおかつ鉱物のように美しい”生き物”を作り上げる海の力には及ばない。首から下げるだけでホッとしてくるのは、私たちの故郷だからなのだろう。中尊寺の金色堂の柱にも、緻密で眩いほどの螺鈿細工が施されていたことを思い出した。美しいと感じるものは、昔から何も変わっていないのかもしれない。

time : 20:36 | コメント (0)

2009年05月25日

白い妖精 あらわる

09.05.23.木漏れ日を浴びる ヒメシャガ.jpg

木漏れ日の下で風に揺れるヒメシャガを眺めていたら、視線の先にもっと涼しげな花を見つけた。苔に覆われてゆく石垣で、ようやく一輪の花を咲かせたのは西洋オダマキ。姿形は紛れもなくそうなのだが、このような清楚な白い花に見覚えはない。

09.05.25.突然変異?白いオダマキ.jpg

昨年までは、淡いライラック色に中が黄色という、華やかで”しっかりと顔を上げた”花だった。それが、今年は突然真っ白になって、ミヤマオダマキのように少しだけうつむき加減になっているではないか。まったく、信じられないことが目の前で起きている。様々な緑がうごめくこの季節、白は緑にとけ込みながらも特別に際立った存在となることを知ってのことなのだろうか。それとも...。

植物は、私達ヒトが気づくより遥かに早いスピードで、自分が置かれている状況を察知する。そうして、あるべき姿へと変化し淘汰を続け、あり続けていくのだと思う。我が家に根を下ろすものと、そうでないものがあるように...。だから、庭とは尽きるところ そこに暮らすひとが”理想とする環境”を生もう、育てようと試行錯誤する、ひとつの空間なのだと思えてきた。どんなに小さなスペースでも、この星の一部分を構成していることに変わりはない。表面だけを所有して、借りているだけでもない。そこにあるのは、たったひとつのものを皆で共有しているという事実だ。左右に歪んだ地平線を見て、まあるい星の一部分に小さな自分が立っていることに気づいた時の、初めて地面を意識した感動は今も心のどこかに残っているはず。目の前で日々繰り広げられる自然の営みを、これからもずっと感じとっていけたら、嬉しい。

time : 22:49 | コメント (0)

2009年05月23日

ピンクのオオデマリ

華道の先生から譲り受けたピンクのオオデマリ メリーミルトン。紫陽花を小型にしたようなボール状の花は、何度眺めても造花のよう。葉っぱも薄っすらと赤く色づくのが、またいい。風の吹き抜けるリビングのテーブルが、彼女の特等席だ。

09.05.20.オオデマリ メリーミルトン.jpg

軽井沢でも、オオデマリ・ヤブデマリ・カンボク・ガマズミなどといった、ビバーナムの仲間が庭に植えてあるのをよく見かける。我が家も、もう木など植える場所はないとわかっていながら、この春にはカンボクを二株買い求めて植え込んでしまった。どうしようもなく木の花を魅力的に感じてしまうのは、いったい何故なのだろうか。

09.05.23.ななかまどの花.jpg

これは、秋の上高地を真赤に染め上げることで有名なナナカマドの花のアップ。小さな虫が花の中に埋もれているので「どんなにいい香りなのだろう?」と今日はじめて鼻を近づけたら、嗅いだことを後悔するくらいにガックリと落ち込んだ。

time : 13:30 | コメント (0)

2009年05月19日

風に乗る 綿毛

朝10:00、窓の外を見て驚いた!借景の林は光を浴びて眩しいほどだけれど、そこに無数の綿毛が舞っていたのだ。外へ飛び出して、綿毛の正体を突き詰めようと試みる。だが、そんなことより何より、今はこの幻想的な風景に立ち合うべきと思った。綿毛は、目には見えない緩やかな風の存在を教えていた。下の写真に映り込んでいるはずなのだが、なぜか綿毛のかけらも見つからない。雪虫よりずっと繊細な存在なので、光の加減でしか見えてこないようだ。

09.05.19.借景の林 光り輝いて.jpg

この時期の軽井沢は、あらゆる植物の開花がラッシュである。我が家の地面には、ニレケヤキの種という絨毯が敷かれたし、無数の綿毛が宙を舞って着地の時を待っている。さっき見た綿毛はどこから来たのだろう。家の近くを少し歩いてみる。大本命は、やはりこのタンポポだろうか?飛び立った後もある。

09.05.19.たんぽぽの綿毛.jpg

いや、違う。こんなにハッキリとした種はついていなかった。自宅に近づいて林の淵を見上げると、風に吹かれて、例の綿毛がどっさりと頭上に降ってきたではないか。凍てつく寒さの中で春を知らせにきた、ネコヤナギである。芽吹きも早ければ、種になるのも早い。生命力溢れるこの木はいたる所に根を下ろし、数年のうちにネコヤナギの林を作ってしまう。注意してみていないと、大変な木のひとつだ。

09.05.19.宙を舞う綿毛はネコヤナギ.jpg

散歩コースの中にある、私のとっておき。それが、この緑の天井だ。見上げていると、首が痛くなるほど高い木ばかりが立ち並ぶ、小人になれる通り。

09.05.19.いつもの散歩コース 緑の天井.jpg

視線を落としていくと、溢れんばかりの木漏れ日の世界が広がる。この時期、この空間を飾っているのがツリバナだ。こんなに愛らしい花が、この世に存在していることを知れただけでも嬉しくなる。

09.05.19.南原はツリバナでいっぱい.jpg

何層もの木々の間を通過した日の光が、ようやくたどり着くのが林床と呼ばれる場所。グランドカヴァーだ。光に乏しい場所でも、若葉の今ならこんなに明るい。マイヅルソウやユキノシタといった湿度を好む野草が、肩を寄せ合って生きている。

あるべき場所に、あるべき姿で...植物のなかに身を置いてみれば、多種多様なものと共存していることに気づかされる。複雑なことは美しいなぁと思う。複雑だからこそとれている絶妙なバランスに、これからも注目していきたい。

09.05.19.マイズルソウとユキノシタのコンビ.jpg

time : 12:02 | コメント (0)

2009年05月17日

朴はバレリーナ?

恵みの雨が続いて、日を重ねるごとに緑が濃くなってゆく。雨という錘を纏った木々の姿はこんもりとして、小さな庭を林に、すでに林である借景を森へと変えた。地面から、渦を巻く新芽をニョニョキと伸ばすシダからは、今にも深い森の匂いが漂ってきそうだ。

玄関を開けると、イロハモミジが深々とお辞儀をしていた。瑞々しい葉の塊。その隙間から、朴(ほお)が「見て見て!」と言わんばかりに葉を広げていた。

09.05.17.雨後の朴.jpg

一週間前の姿はこうだったのだから、植物の成長は早くて頼もしい。朴の芽吹く様子はバレリーナが踊るよう。衣装の色合いや質感も、真似ができないほど素敵だった。

09.05.09.朴はバレリーナ?.jpg


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2009年05月13日

花の居心地

09.05.13.ウワミズザクラ 一週間早い満開.jpg

高原に初夏が来たことを告げる清楚な山桜(ウワミズザクラ)が、例年より一週間ほど早く満開に。初々しい葉とともに、桜とは思えぬ白いブラシ状の花が光輝いている。夏が終わり、秋の気配が漂う頃に庭を彩るサラシナショウマにもよく似ている。ウワミズザクラは、我が家にも株立ちの大木があり、それを毎朝眺めながら顔を洗うのが日課である。山桜に限らず、山で咲く落葉樹が「私は○○です」と主張するのが、花を咲かせる時。その一週間と言っても過言ではない。花が消えれば、それは山肌や雑木林を構成する緑の一部分となる。だから、落葉樹の花はじっくりと、目に焼き付けるように眺めてしまう。ここが、草花とは違うところだ。

石垣で逞しく生きる、蝦夷チチコグサの花。散策を楽しむ人が、よくこの花の前で立ち止まっている。地を這うように咲いていたこの花も、今シーズンはずいぶん背丈を伸ばした。日当たりの良過ぎた我が家の庭が、木陰に変わってきた証拠でもある。

09.05.13.背丈を伸ばすエゾチチコグサ.jpg

ここ数日は、朝晩の冷え込みが厳しい。今朝は、氷点下1℃の朝だった。日中の最高気温も15℃前後だから、そこに流れる空気は精涼感たっぷりのもの。肌寒いが、大陸を渡ってきた空気はカラリと乾燥しているので日の光の下ならすこぶる快適だ。この一日の気温差こそが空気をより澄み渡らせ、新緑をこれでもか!という光で包みこんでくれる。あまりの心地よさに、デッキで華道のおさらいを始める。しかし、眩しすぎて集中できない。目の前の花より、その先で風に揺れるカツラをずっと眺めていたい気分だ。

09.05.13.デッキで生け花.jpg

この花の居心地を考えてみると、やっぱり室内。一度切られた花に直射日光は似合わないようだ。

09.05.13.生け花は室内のもの?.jpg


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2009年05月12日

今こそ新鮮な お下がり

デッキに並べたこれらの花器は、およそ40年前のもの。ご近所さんに華道を習い始めたことを話すと、「私も、むかーし習っていたのよ!」と急に笑顔になった。偶然、流派も同じことがわかって意気投合。「そう言えば...」と言って、地下室へ姿を消した奥さんが腕にかかえて”上げて”来たものが、これらの花器だった。「全部あげるので、使ってもらえないか」と言う。こんなに古いものでも役に立てるなら、これまで捨てずに来て良かったとも。基本の水鉢や剣山など、今から揃えようと思っていた矢先のことで、とても嬉しい。地下の暗がりで眠りについていた花器が、まさに日の目を浴びた瞬間だ。

09.05.12.長谷川さんから譲り受けた花器.jpg

すべてのモノは、少なからず当時の流行をくみ取ってこの世に存在していると思う。最新のデザインだけに囲まれた暮らしは豊かかもしれないが、それらが放つ空気感に(精神面の)裕かさは感じられない。何か、とても大事なものが欠如している気がするのだ。

究極にシンプルだったり、普段使いする道具の割には意匠美に長けていたり、軽くすることや小さくすることが最優先でなかったモノに出合って、感動することがある。古いモノも新しいモノも、時代を吹き込むのは、いつの時代も手にした者次第なのだと教えられる。

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2009年05月10日

山菜とムササビ 夏の夜

朝10:00の気温は、なんと25℃!朝から、不意打ちをくらったような暑さに見舞われる。こんな日は洗濯物を干して、かねてからの懸案事項である山菜ツアーに出掛けよう。腕には高度計のついた時計、これが実は大いに役立つ。桜前線の報せが無くなる頃、私のなかでは早くも”山菜前線”(と勝手に名付けている)が浮上しているのだった。

山菜ツアーは、長野の老舗旅館の知人に連れていってもらったことがあった。その時に教えてもらった知恵やルールを、今日は旦那さんと二人で再確認していく。山菜は、”山からお裾わけしてもらう”というスタンスが大切だ。根こそぎ取ってしまえば、トゲだらけでいかにも丈夫そうなタラの木も簡単に枯れてしまう。毎年 一番芽だけを収穫していけば、その下の新芽を生かすことができ、高木になり過ぎて手が届かなくなることもない。そして、自分たちが”春の息吹を味わう分だけ”をいただく。山菜はまさにエネルギーの塊、過剰摂取は身体にとって危険に違いない。

09.05.10.タラの芽 収穫シーン.jpg

今夜は紛れもなく真夏の高原の夜。夕暮れ前からデッキにスタンバイして、冷えたスパークリングワインで喉を潤そう。メニューはもちろん、今日収穫してきた山菜がメインの天ぷら。山からお裾わけしてもらったタラの芽に、コシアブラを一枝。それから、今年も庭のあちこちに出てきたミツバに、植木屋さんの奥様が畑で育てたという鮮度抜群の行者にんにくだ。どれも収穫して数時間のものばかり。香り高く、軽く、とても美味しい。

09.05.10.峰の原高原のタラの芽.jpg

食事を終えると、静かに夜の帳が下りていった。上着を羽織って涼しい風を浴びていると、落葉松のてっぺんからカサカサッと懐かしい音が響いてきた。今年もムササビとの再会だ!暗がりに目を凝らすと、再びカサカサカサと木登りをはじめた音。そうして数秒後には、夜空に音もなく白いマントが舞うのだった。ムササビが行動する夜は、月がある日と決まっている。今日の午後 山で見たムシカリの白い花もいまごろは月光に照らされて輝いていることだろう。そんな神秘的な光景に想像をめぐらせれば、無性に見てみたい衝動にかられていく。しかし、夜の山は野生で生きるものたちだけの世界だ。

09.05.10.熊笹街道のムシカリ.jpg

今日の日中、足を踏み入れた山はまだ目覚めたばかりで、林床までさんさんと日の光が差し込んでいたっけ。それこそが、山菜という恵をくれたのだった。

09.05.10.峰の原高原 熊笹街道.jpg

time : 20:34 | コメント (0)

2009年05月08日

水の滴 ユニークな朴

白っぽい花びらの山桜が、新緑の山肌に彩りを添える。日の光に乏しいことが残念でならない、厚い雲。季節が逆戻りしたかのような冷たい雨が、3日間に渡って降り続いた。葉っぱを伝って地面へ落ちてゆく滴の様子は、まるでピアノの鍵盤が叩かれるよう。新緑と雨が、何かの曲を演奏しているかに見えてくる。昨日(7日)の晩は肌寒さに耐えきれずに久しぶりに薪ストーブを焚いたが、薪のはぜる音や、煙突へ立ち昇る炎が出す音が複雑で、予想もできないところが楽しかった。自然はいつも唯一無二の存在、だから心地よい。

今日は、午後になって一瞬だけだが曇間から太陽が顔を出してくれた。待ちわびた日の光。雨が上がったことは、誰よりも早く外で暮らす鳥たちが知らせてくれる。私も続いて外へ出る。小さな赤い花をいっぱい咲かせた玄関先の楓、その花を上手に包み込んだ雨の滴が光を浴びて輝いていた。

09.05.08.五月雨のあと 玄関の楓.jpg

一雨ごとに芽吹いてゆく、朴(ほお)の傍へ行ってみよう。植えてから、もうかれこれ5年は経つだろうか。朴の芽吹きは、何度見てもユニークだ。バナナの皮を、風や雨や太陽がむいているように見えるのだから。

09.05.08.朴の芽吹き.jpg

time : 16:57 | コメント (0)

2009年05月05日

ゆっくり ゆっくりの新緑

09.05.05.ゆっくりペースの芽吹き.jpg

刻々と変化する新緑に出合うのが楽しい朝。一ヶ月前まで、この眺めに緑という色はただのひとつも無かった。

09.05.05.リョウブの芽吹き.jpg

芽吹きの遅いリョウブの葉が、少しづつだが開きはじめた。まだまだ見通しの良い木々。その間を優雅に飛び交う野鳥も、いつもの顔ぶれに夏鳥が混じるようになってきた。冬の間は群れで行動していた鳥も、この時期になれば、上手に伴侶を見つける。悪戦苦闘しているのは、いつも庭にやってくる山鳩たち。三角関係に終止符が打たれるのはいつ頃になるだろう。

今夜から、まとまった雨が降るのだという。まとまった休日の最後を飾ることが多い雨には、きっと大きな役割があるような気がする。次第に減ってゆく、車の音。霧こそ出ていないが、そこかしこを満たしていく湿った空気。静けさが支配する林では、鳥たちの会話も、緑も、鮮烈。

time : 18:46 | コメント (0)

2009年05月01日

高原のハンバーガー

最高気温は23℃まで上がり、一気に7月中旬の陽気となった軽井沢。サクラソウが咲きはじめたこの町は、今が春!暦の上では早くも夏に入るが、山肌を見る限り、紛れもなく訪れたばかりの春である。そんな控え目すぎる風景に、今日は夏を思わせる軽やかな空気が流れている。

こんな日は車に乗ることをやめて、歩いて買い物へ行こうと思う。車で移動している人たちも、みんな窓を開けずにはいられない様子。目的地に着いたら車は休ませて、ぜひ徒歩での散策を楽しんで。自転車でも発見は多いけれど、やはり一番は歩きかなと私は思う。石垣にひっそりと咲く野生のすみれにも様々な種類や色合いがあり、それを楽しめるのが歩きの速度だと思うから。

09.05.01.白銀亭のクレソンサラミ バーガー.jpg

銀亭で見つけた手作りハンバーガーは、北軽井沢の沢どれクレソンとサラミがサンドされた、高原らしい素敵なパンだった。晴れた日は外で食事をする...書いてみると、いつでもできるようなことだが、この地では年に30日もあるかどうかなのだ。

別荘があったり観光で来たりした人々が、朝から屋外で食事をとる気配が感じられる時がある。その後も午前中の早い時間からサイクリングを楽しんだり、積極的に歩いて買い物に出かけたりするのを見ていると、「あぁ、住んでいる私たちは、もっともっと外で、この素晴らしい高原の空気に感謝しながら過ごさなければね」と教えられる。自然から学ぶことも多いけれど、外から来た人々に影響を受けることもしばしば。

time : 15:14 | コメント (0)

2009年04月30日

新緑にからまる綿毛 

09.04.30.シャラの若葉にたんぽぽ.jpg

シャラやコナラの芽吹きは銀色が際立って美しいことから、この時期のささやかな楽しみのひとつ。シャラの淡い若草色の葉がようやく開きはじめ、中から黄色い葉が顔を出したのはここ数日のことだろうか。春はやっぱり黄色!庭に嘴の黄色い珍しい鳥が来ていて、いそいそと調べてみるとクロツグミという鳥だった。黒光りするボディに対して、お腹はツグミのようにまだら模様。ルックスはアカハラという形で、我が家には一度も来たことがなかったと思われる。

シャラの葉にかかった蜘蛛の糸は、小さな生き物が活動を開始した証拠。そこに偶然引っ掛かった綿毛を、西日が教えてくれた。たんぽぽの綿毛のようにも見えるが、軽井沢のたんぽぽは咲きはじめたばかり。すでに綿毛となっているのは、庭を見渡す限り蕗の花だけだ。今年も昨年どおり、庭に決まって現れる蕗の薹(ふきのとう)で苦み走る春の息吹を味わった。そんな蕾も花となり、ぐんぐん首を長くして種となったようだ。地下茎で繋がる蕗は、今ごろになって丸い葉をポンポンと地上に出すのだから面白い。蕗の薹から始まって、つくし、蓬、花わさび、菜の花、タラの芽、こごみ、わらび、コシアブラ...山菜に舌鼓を打つ季節が訪れる。

time : 17:12 | コメント (0)

2009年04月28日

動かぬ桜に考えさせられて

明け方の気温は-4℃。霜注意報が大袈裟でないと知らされた朝だった。この時期の我が家に窓から差し込む日の光は高く、しっかり”日向”と感じられるのは午前中の数時間だけ。だから、窓を開けて外の暖かさにびっくりすることがある。特に午前中は、室内より外の空気の方が各段に温かく、やわらかく、やさしい。温度だけでは作り出せない、日だまりの成せる技だ。

今日は車にノーマルタイヤを4本積みこんで、タイヤ交換にでかけた。何かと忙しく、今シーズンは履き替えが連休の始まる前日である。雪の少なかった今年は乾いたアスファルトを走り過ぎてしまった。路面に吸いつくように音をたてて走るタイヤに「ごめん、ごめん!」。浅間山は今日も雪化粧、裾野を彩る若葉の緑色もゆっくりペース。

09.04.28.薄すらと雪の浅間山.jpg

満開の桜は見逃した佐久市の長野牧場。ピンク色の花は残すところ僅かとなったが、その代わりに薫風というべき清々しい風が桜並木を駆け抜けていた。

09.04.28.長野牧場の桜並木.jpg

足元の緑も鮮やかとなり、上からも下からもみんなで春の訪れを歓迎しているかのよう。葉桜となった老木の幹は木と思えぬほどゴツゴツとして、色合いといい まるで噴火によって生まれた浅間石そのもの。地面に目を向けるとそこには、散った桜の花びらが敷きつめられていた。花吹雪もあったのだろうなと、その様子を想像してみる。根を下ろした樹木はひとりでは何処にも行かない、行けない。終の棲家は此処だ。

09.04.28.長野牧場の葉桜.jpg

現在、人はあらゆる手段を使って移動ができる生き物となっている。
今日、新型インフルエンザ(豚インフルエンザから変異した)の警戒レベルは3~4へと引き上げられた。火山活動を示すレベルと同様に、3と4の違いは大きい。鳥インフルエンザと比較してみると致死率ははるかに低いと言われているが、ウィルスというものは目に見えない分、どの程度まで感染予防をしたらよいのか?その判断が難しいところだ。日本には花粉症という特異な現象がある為、幸いマスクを着けることもマスクをした姿が街に溢れた風景にも慣れきってしまっている。しかし、これは全世界的に見ると、やっぱりおかしなこと。こんな時こそ、簡単には風邪にかからないような体の持つ免疫力という力を信じて、食べ物に気を遣って暮らしていくことが大事だと思う。桜の老木を見ていて、動かぬものと動くもの どちらが良いのだろうと考えさせられた一日だった。

time : 19:43 | コメント (0)

2009年04月26日

光のなかで過ごす 一時間

ふたたび寒気が入って、山は荒れ模様。軽井沢も、台風が来たかのように朝から強風が吹きつける危なげな一日となった。雲間から顔を出した浅間山を、これぞとばかりに眺めてみれば、こちらも薄っすらと雪化粧。今日 黒斑山へ登った人の報告によると、一番深いところでは1mの積雪があったというから驚きだ。

夕方、水辺鉢の水面が小刻みに揺れていたので、「浅間山からの吹き下ろしか、小雨なのだろうな」と思っていた。山の天気は変わりやすい。だから、今日のような日に雪が舞ったとしても、それほど不思議ではないのだ。しかし、今日は違っていた。空から断続的に降っていたのは、”落葉松の若葉”だった!

09.04.26.春の嵐 落葉松の若葉.jpg

デッキの上には、小さな小さな緑色の、秋から比べたらはるかに短くて柔らかい落葉松の葉が無数に舞い降りていた。中には、枝ごと落ちてきてしまったものもある。そこには、松ぼっくりの赤ちゃんもあった。ミニチュアのパイナップルのようである。そう、松ぼっくりは、まさにパインのアップルなのだ。

目を見開いていられないほどに眩しい西日も、この時期ならでは。午後4時半からの一時間は、西日の真っ只中で過ごすのが何よりの楽しみだ。友人が、庭から切って持たせてくれたクリスマスローズを西の間へ持っていくと、瞬く間に暖かな光に包まれて、見ている私も幸せな気分に。

09.04.26.ゆりさんのクリスマスローズ.jpg

「庭に沢山あるから...」とはいえ、美しい枝葉や草花を切ることは なかなかできないもの。友人のあたたかい心づかいが嬉しい。

time : 17:27 | コメント (0)

2009年04月25日

リビングの紫陽花

芽吹きや開花を後押しした初夏の陽気から一転。今日は朝から冷たい雨の降る一日だ。数日前に広がったばかりの、まだ柔々とした若葉に容赦なく雨が叩きつけられていく様子は、窓越しであってもなんだか痛々しい。だが植物は、どんな”雨にも負けず”の精神であるらしい。昨日よりずっと生き生きとして、喜んでいるかのようだ。米を主食とする日本において今は、種撒きの季節。雨は、必要な時に必要な分だけ降ってくれたなら、これほど嬉しいことはない。

今日の軽井沢は、一日を通して5~6℃の気温にしかならないそう。しかも、この雨、この湿度。どおりで寒く感じるはずだ。こんなジメリとした日は、リビングに飾った玉紫陽花が大喜び!

09.04.25.リビングの玉紫陽花 スターライン.jpg

ゴールデンウィークと言えば5月。辛夷や桜で春の到来を歓迎しているうちに、花屋には早くも紫陽花が並ぶようになるのだから、春が来てからの月日はあっと言う間だ。我が家にとってこのような玉紫陽花は、もっぱら室内で楽しむためのもの。庭に根を下ろしても、花を咲かせることはない。

time : 10:55 | コメント (0)

2009年04月23日

林で見つけた 赤い耳飾り

早春に咲く花はなぜか黄色が多い。マンサクの花もそうだ。しかし、錦糸たまごのような花が散った後のマンサクに、再び目を凝らすことは少ないかもしれない。この時期、マンサクには樹脂でできたような赤い花らしきもの(もしや雌花?)が出現する。「この正体が何なのか?」である前に、私はそのデザインに懐かさを覚えた。一昔のイヤリングやピアスには、こんな意匠や質感のものが多かったから...。

09.04.22.マンサク 黄のはなびら落ちて.jpg

そして、雑木林の赤という共通点でユニークな存在をもう一つ。4月12日に見た、ツノハシバミの赤い雌花だ。林の中の赤い花は意外と目立たないので、歩きでないととても見つけられないと思う。虫のように無数に垂れ下がっているのが雄花で、秋には、これまたユーモラスな愛らしい角状の実をつける。

09.04.12.垂れ下がる虫の木と赤い花.jpg

こんな感じで植物に近づいてみると、自然界は、紛れもなくデザインの宝庫だと再認識!興味を持ったら写真におさめ、自分の感覚を頼りにしながら調べるようにしているが、その過程がとても楽しい。ひとつの木であっても、冬芽の時・開花の時・展葉の時と別人のように姿を変えていくから、全体像を掴むのは至難の業。いつも見ている木なのに、その花にまったく気づかないでいることも多いのだ。

季節は巡る...年に一度という、それぞれのチャンスを運悪く逃したとしても、こちらが気づこうとしていれば、その時間は巡り巡ってやってくる。南北に長く、標高差にも富む日本という土地だから なおさら。

time : 18:38 | コメント (0)

2009年04月22日

魅惑のカタクリ

この春は、ご近所さんのカタクリが当たり年だ。

「あの辺りよ」と指をさされて眺めてみると...

09.04.22.井出家のカタクリ 遠景.jpg

さらに近づくと、カタクリの群生が出現!こんな風に寄り添って咲くなんて。

09.04.22.井出家のカタクリ 群生.jpg

よく見ると、不思議な咲き方をしている。下を向いて、花びらはチューリップが反り返ったような。花粉をつけた雄しべがマッチ棒のようで楽しい。そして、何よりも色合いが美しい!多くの人々を惹きつける理由が、ようやくわかった気がした。
周りを見渡せば、木々の芽吹きはもう少し。今なら、下草に目を向けた方が良いというわけなのか?カタクリの種は蟻が運んでいると、いつか何処かで聞いたことがある。この咲き方を見る限り、本当なのかもしれない。
いつの日か、ソーダフォンのロケットのような蕾が開く瞬間を目にしてみたいものです。 ↓ が蕾。

09.04.22.井出家のカタクリ アップ.jpg

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2009年04月19日

コブシの香りを嗅ぐ

満開のコブシの”白”に見惚れているうちに、早咲きの桜も咲きだしていた。雑木林の下草は、日を追うごとに若草色を濃くしている。こうなれば、落葉松もいよいよ目覚めの時。5月まであと10日間という、この時期の軽井沢はまさに芽吹きのラッシュ。「この黒い地面が、草に覆われる日など来るのだろうか...」と錯覚していた長い冬は遂に終わった。窓から微かに見える浅間山に根雪は無いに等しく、ここ数日はコブシの花を通して、その山を眺めていることが嬉しい。

今日はいつもの散歩コースを延長させて、少し遠くまで歩こうと思う。お目当てはコブシである。私の手の届く位置で花を咲かせる大木があるのだ。眺めるばかりだったこの花の香りを、今日はじめて嗅いでみる。すると...甘くてスッと心地よい、それでいて上品な、そのまま香水になってもいいような素晴らしい香りがした。

09.04.19.南原の辛夷 いい香り.jpg

コブシはモクレン科だから、「もしかすると、甘い香りがするのかもしれない」と思ったこともある。だが、漢字の”辛夷”という字から連想するには、ずいぶんかけ離れているような気がしていた。スエードのように贅沢な蕾がしっかり閉じ込めて守り抜いていたのは、花の中のこの香りだったのかもしれないと、香りを知ってしまった今は思える。やはりコブシは、北国の春を告げるに相応しい存在。 日当たりの良い場所では、早くも散り始めている。

09.04.19.バイパス 辛夷のから.jpg

一年の半分以上が冬に支配される土地の花は、みな急ぎ足だ。梅も桜も、ごく僅かな時間差で咲きはじめ、花と同時に葉を広げていくものも多い。それもこれも短い夏を生きる為と知れば、ますます植物から目が離せなくなってしまう。デッキの下では、ツクシやヨモギがぐんぐん成長しはじめた。草に逢うと書いて、蓬(よもぎ)。草を摘むことが楽しい、嬉しい季節の到来だ。若葉に包まれていく日々が、私達にもたらす力が計り知れないことを知らされる季節でもある。

time : 15:22 | コメント (0)

2009年04月15日

一雨ごとに 緑

まとまった雨は何日ぶりだっただろう。雨降って地固まると言うように、昨日の雨は、鉛筆だけのスケッチが確実な一枚の画へと仕上げられていくように感じられた。

私はゴルフをしない。親戚にはレッスンプロもいて、いつ手を染めてもおかしくない環境だったと思うが、興味の対象にならずに今に至っている。ゴルフ場の整然と管理された芝や木々が嫌いなわけでもない。そこに土地の木が残されていれば、素敵だなとも思う。軽井沢の入口、浅間プリンスホテルは高台にあって、ガラス張りのラウンジからの眺望は見応えのあるものだ。激しい雨にさらされているはずなのに、ここのコブシはスポットライトを浴びたように凛として、花の”白”を浮き立たせていたっけ。咲きはじめたばかりの花は、色褪せることを知らないように思えた。

今日は、昨日の雨が芽吹きを後押ししたのかもしれない。クロモジのコロンとした蕾が今にも開こうとしていた。植物から目が離せない日々のはじまり。無彩色が続いた窓ガラスに、緑色が映り込む日も間近。時刻はもうすぐ18:00、外はこんなに明るくなった。

09.04.15.クロモジの芽吹き.jpg

time : 17:55 | コメント (0)

2009年04月13日

欅のポツポツ その正体

庭に中央にそびえたつニレケヤキの枝先がポツポツ、いやボツボツと膨らんでいくのは、葉っぱが開いていくからだと思っていた。が、それが花であることを、今日になって知った。我ながら恥ずかしい。

この時期に剪定はしないのだが、強風にあおられて太い枝が折れてしまった。「仕方ない、枝うちをしよう」と梯子をかける。そうして、地面に落とした枝を見て開きかけた葉と勝手に決めつけていたボツボツが、花であることを知ったのだ。「春の木は、花だけ最初に咲かせるから...」以前、東京の叔母が発した言葉が脳裏をかすめていった。すべての木は、植物は、花を咲かせるのである。

09.04.11.ニレケヤキのつぶつぶ.jpg

 ↑ 4月11日に撮影したニレケヤキ。

この二日後、ボツボツした枝先が花であることに気づいた。手の届かなくなった木の花を、まじまじと観察する機会はそうそうない。ウワミズザクラのようにわかりやすい花なら良いが、ニレケヤキの花はこんなに控え目で静かなものだった。枝うちの機会をくれた春の嵐よ、ありがとう。

09.04.13.ニレケヤキのつぶつぶは花!だった.jpg

time : 16:53 | コメント (0)

2009年04月12日

満開の桜を愛でるには...

蕾のほころび始めた桜に導かれるように立ち寄った、長野牧場。遠目には咲きはじめたばかりに見えたが、近づいてみると既に三分咲き。ここにきて、ようやく春の息吹が感じられるようになった土地から来た者にとってそれは、無理なく綺麗だ、かわいらしいと思える対象だ。いきなり満開の桜のなかに身を置いたら、きっと刺激が強すぎるに違いない。だからなのか?早咲きのしだれ桜は、作りもののぼんぼりのように見えた。

09.04.13.長野牧場のしだれ桜.jpg

09.04.13.しだれ桜のアップ.jpg

しかし、その一輪に目を向ければ正真正銘の生きた桜。黒々とした樹皮・淡いピンクの花びら・けぶるような春の空という3つの偶然が、極上の眺めをくれるのだから嬉しい。

桜並木を抜ければ、眺めのよい贅沢な牧草地が広がる。艶やかな木の花もいいが、今の私は小さな下草に惹きつけられてしまう。地面にぐっと顔を近づけると、草やその小さな花の香りが鼻腔をくすぐった。土は温かく、草の間を流れる風は清々しく、小さな花は思いのほか甘い。

09.04.13.長野牧場のぺんぺん草.jpg

time : 16:58 | コメント (0)

春霞 目を凝らして

休日の、遅い昼食の後はまさに春眠との闘い。うつらうつらと横になるのも魅力的だけど、いまこそ春を見に行くべきだ。標高1000mの高原は、白い花とともに目覚めた。

09.04.12.咲きだした こぶし.jpg

今日のような空を春霞と呼ぶのだろう。目を凝らして、空のなかにあるはずの山の輪郭を探していたら、偶然 電車が目の前を通り過ぎた。新幹線が走るのが当たり前となった軽井沢だけど、今でもこんなローカルな列車や風景は健在。それは、そのままこの町の姿を現しているように思える。

09.4.12.春霞 浅間としなの鉄道.jpg


time : 14:55 | コメント (0)

2009年04月11日

ペンキ塗り 時々 フレンチ

4月とは思えぬ暖かさ(暑さ)と、今にも土埃があがりそうな乾燥しきった空気。年間を通して軽井沢で暮らしていても、今日のような日は数えるほどしかない。このような条件が揃う日は、私にとってペンキ塗り日和!約一年に渡って、雨や雪や霧や湿り気のある空気にさらされてきた、家の外壁の手入れを思いたつ。

木の外壁が日々くれる、やさしい空気感は計り知れないものがある。だが、ベストな状態を維持するには大変な努力が必要である。我が家の外壁はレッドシダーで着色は施していない。だから、濃い色を塗ることによってカモフラージュされてしまうカビの存在を、(いい意味で)目の当たりにすることができるのだ。私たちヒトの暮らしは、まさにカビとの闘いと言っても過言ではない。なんとしてでも分解して、自然界に戻していこうとする微生物と同居の道を選んでいるのだ。

外壁を着色しなかった理由のひとつが、レッドシダーに限らず”木材が日に焼けて退色した色を、美しい”と感じたことが大きい。表面に浮き上がってきたカビには植物同様に”根”があり、その根を完全に断つことはおそらく不可能。今では、これも味わいと受け止めている。

日中の気温は24℃まで上がっていった。それでも、空気はまだ4月のものだから、ひんやりと心地よい。遅い昼食は、昨年からすっかり行きつけとなっているフレンチへ。店は緑の...という意味のLe vertという。一昨日まで蕾ばかりだったコブシが、白い花を幾つも咲かせていたからびっくりだ。庭では、マダムが同じようにガーデニングチェアのペンキを塗っているではないか!口に出さずとも、急に親近感が湧いてしまう。軽井沢に露地物の野菜はないので、今は静岡から有機野菜を取り寄せているのだという。筍や紫色の珍しいカラシ菜、豚の肩ロースに合わせたフキのソースは、春野菜のエネルギー。一皿一皿をゲストに合わせて丁寧に料理し、サーヴィスしてくれるスタッフの真のもてなしが嬉しい。お腹も心も満たされて...さぁ、今年もカビとのいい関係づくりがはじまる。

time : 14:52 | コメント (0)

2009年04月09日

リネンのシャツで 再会

今週に入ってから、最高気温を更新する日々が続いている。今日は昨日より暖かな、5月中旬の陽気に。明け方は霜注意報が出て-2℃と冷えたが、気温は19℃までぐんぐん上がっていった。

25℃を真夏と呼ぶ軽井沢において、今日は間違いなく夏日であった。冬用のアンダーウェアも、首周りを覆うタートルネックも不要な4月の第二週。私は迷うことなく、リネンのシャツに腕を通した。福島では、開花から4日で桜が満開になってしまったそう。佐久で見た蕾の桜も、この陽気では三分咲きまで進んだに違いない。

ゴールデンウィークを月末に控えた町の建築現場は活気づいている。自宅の近くに、我が家を建てた大工さんが来ていることは、なんとなくわかっていた。しかし、忙しく動く職人さんに声をかけるタイミングを見つけるのはなかなか難しい。完成が近づいてくると彼らの姿は見えづらくなり、ある日を境にパッと消えていくものである。それを知っているから、今日 棟梁と運よく出会えた時は嬉しかった!棟梁も気にかけてくれていたそうだ。今から8年前のこの家は、軽井沢でも数少ない、ひとつの現場であった。日頃は過去を振り返ることの少ない私。だが、当時の職人さんがみんな元気にしていると聞くと、途切れていた記憶が少しずつ繋がって様々なことが思い出された。

庭の中央に根を下ろすアブラチャンが黄色い花を沢山咲かせたことに気づいたのは、大工さんを見送った夕方。「これは、もしや」と思って家のまわりを歩いてみると、ふきのとうがすべて花に変化していた。今からふき味噌にするのは遅いだろうか?いや、苦さこそが醍醐味だ。今夜は芽吹きのエネルギーを、この土地のふきからもらいます。

time : 20:33 | コメント (0)

2009年04月07日

期間限定の楽しみ

日曜に続いて、ホームゲレンデにさせてもらっている馴染みの岩場へ向かった。まだ2日しか経っていないというのに、植物が芽吹きにかけるエネルギーは素晴らしい。アブラチャンが咲きはじめたと思っていた雑木林には、同じく黄色い花のダンコウバイが満開となっていた。ダンコウバイの花はアブラチャンより一回り大きく、しなやかな枝と緑の天井を織りなす葉っぱが、なんとも魅力的な樹木だ。

09.04.07.ダンコウバイ アップ.jpg

葉の落ちた林のことを、悪気もなく”冬枯れ”と表現することが多いのだが、実際に林の中へ入ってみると、いつも思うのだ。”芽吹く前の林は光に満ちて、とても暖かいものだ”と。カサカサと、乾いた枯葉の絨毯を踏みしめて前へ進む...それは、なんとも贅沢な期間限定のアトラクションであることを再認識する季節となった。黄色い梅に目を奪われているうちに、下草が萌黄色に染まっていく。

今日が見納め!ダンコウバイが主演の雑木林。

09.04.07.佐久の岩場 ダンコウバイ.jpg

time : 14:47 | コメント (0)

2009年04月05日

降雪量を予測する 卵

軽井沢の木々が芽吹きの時を迎えるまで、残すところ3週間あまりとなった。この時期に標高を下げていけば、様々な道程の春を見つけられるから楽しい。今シーズン初のクライミングのため、佐久の山里を久しぶりに歩くと、これから軽井沢にも訪れる春への変化を一足早く垣間見ることができた。それは、まさに胸を打つ風景。長い長い冬を過ごしてきた者にとって春は、間違いなく特別な存在となる。

まだまだ冬枯れの雑木林に、ちらちらと光る黄色い花を見つける。アブラチャンだ。

09.04.05.ブッシュにダンコウバイ.jpg

こんな風にして、遅い春は控え目にやってくる。手前ではススキの穂が風にたなびき、ストローのようなその枝に何やら同じ色をした塊が。よく見るとカマキリの卵である。

09.04.05.カマキリの卵で知る雪の量.jpg

カマキリと言えば...冬が来る前に卵を産みつけるわけだが、その場所は”その年に降る雪の量”を予測した高さにするのだ聞く。しかし、見ての通り、ススキについている卵は1m以上の場所だ。「これは、おかしい」と思ってあぜ道に目を向けると、地面から30cmくらいの日当たりの良い草むらの端に、無数の卵を見つけることができた。今シーズンは雪が極端に少ない年であった。だから、きっと草むらの卵が正解。種まきの準備がはじまったこの時期に、ススキが放置されたままの土地というのは、よく考えれば妙だった。ススキは、休耕田の果ての姿なのかもしれないのだ。そして、そこに産みつけられた卵も昨年のものかどうか...。

09.04.05.湖面の桜 もうすぐ開花.jpg

湖面を揺らす、やんわりとやさしい春の風。ここでは早くも鴨が水浴びをはじめている。
開花の時は近い、佐久のソメイヨシノ。

time : 17:42 | コメント (0)

2009年04月03日

渡り鳥が知らせる いま

昨日は、東京のあちこちでソメイヨシノが満開になったと聞く。開花の報せは、かれこれ12日前だったというから、今年の桜はずいぶんゆっくりと花開いた。

今日の軽井沢は、春の訪れを感じる穏やかな一日となった。午前中に忙しく用事を済ませて自宅へ戻ると、気温12℃の麗らかな陽気にいてもたってもいられず、長靴を履いて外へ出た。地面は、連日の霜で凸凹の状態だ。そして、水辺鉢に溜まった大量の水は 紛れもなく”この冬の雪だったり雨だったり”するのだから、面白い。この時期になると、この水は一日のうちに凍っては融けを繰り返すようになる。だから、眺めている方はなんだか痛々しい。日の出ているうちは、鏡のような水面に木々のいまの様子を鮮明に映し、風が吹けばまるで生き物のように水面を揺らしはじめる。

鳥たちは朝と夕暮れ前の二度、乾いた喉を潤すためにここへ立ち寄る。水浴びは、まだしない。一年を通じてここで暮らす鳥たちが、自然と水浴びを始める頃には、きっと夏鳥(キビタキなど)の姿を見ていることだろう。

そういえば...4月に入ってからというもの、庭から冬鳥 ツグミの姿が消えている。「今年こそは、旅立つ時に立ち合いたいな」そう思って頻繁に眺めていた日が最後だったようだ。植物だけでなく、リアルな季節の変化は渡り鳥も知らせてくれる。標高1000mに、今年も春がやってくる!

time : 17:54 | コメント (0)

2009年03月30日

菜の花の蕾

実家の庭に咲き誇っていた菜の花は、あまりに綺麗だった。母に、「切っていいか?」と聞くと「もちろん!好きなだけいいわよ。」と嬉しい返事。酢の物にしても美味しそうだなーと思って、蕾の部分を多めにもらってきたのだが、いざ花瓶に投げ込んでみると目の覚めるように鮮やかな黄色に釘づけに。食べることなどすっかり忘れて、一日が経過した。

09.03.30.実家から持ち帰った 菜の花.jpg

生命力に溢れた春の花である。蕾など、一夜にして開いてしまう。リビングを満たしていく、苦み走った菜の花の香り。その香りの強さに驚いた。「昔は、なたねを持って油屋へ行ったものだよ」とは大正生まれの祖母の言葉。なたね...そうか、菜の花の種だから”菜種”。私たちの暮らしに欠かすことのできない植物生まれの油、その花が一面に咲き、風にたなびく風景いつまでも。

time : 18:32 | コメント (0)

2009年03月29日

季節を旅する

車を運転して実家の家族に会いに行くのは、一年ぶりかもしれなかった。車を長距離の移動手段にしなくても良しとする理由が、この一年のうちに沢山あったからだろうと思う。

新幹線の車窓から流れる季節は、いつも切ないほど早過ぎる。それに比べると、自らがハンドルを握って走る乗り物は、いつの時代も贅沢な楽しみに変わりはない。気に入ったフレーズを自分好みに聞き返せる、アナログのレコードに似ている。

家族全員揃って食事に出かけた先は、以前から興味があったにもかかわらず、これまで機会を作れなかったのが不思議なスペイン料理の店。パエリア世界コンクールで、3回連続で優勝したシェフ率いる店である。彩りの美しいパエリアは、魚介類の旨みがこれでもかと凝縮したサフランライスと白いんげんが絶品だった。

09.03.29.父60歳のお祝 スペイン市場.jpg

寒い日が続いて桜の開花も遅れているというが、私から見たら、どこもかしこも”春が訪れた後”である。景色には緑が溢れ、それは若草よりずっと青い。早々と満開を迎えた枝垂れ桜に目が止まる。

09.03.29.サイボク しだれ桜.jpg

実家からの帰路は、散り始めたコブシの花があったり、匂いたつように妖艶な満開の桜を垣間見たり、素朴だが凛とした梅林に出合ったりと、1時間強で刻々と移ろう季節を見る不思議な体験となる。時刻はもうすぐ18:00。オーロラのように美しい夕日が、信州の山々の輪郭を浮かび上がらせている。白くて丸くて、不自然な煙を上げる独立峰こそが浅間山。芽吹く前の静寂が支配する、その山の裾野までもうすぐ。今日は珍しく、日のあるうちに峠を超える。

09.03.29.一日で季節を旅する.jpg

time : 19:12 | コメント (0)

2009年03月28日

”渡り” の準備 忙しく

毎日が休日のような、連日の静けさは学生が春休みのためだろうか。ふたたび戻ってきた真冬並みの冷え込み(最低気温は-8℃くらい)が、この時期に霞みがちな空を澄み渡らせている。望む浅間山も厳しい表情だ。

ふきのとうが、ようやく目に入るようになった軽井沢に、”花冷え”という言葉は見当たらない。ここ数年は、関東の卒業式の花となりつつあった桜であったが、今シーズンは入学式を演出する花となりそうである。信州では、いずれの門出にも春の花々の開花は間に合わない。しかし、ここ数日の寒の戻りが、満開の桜を彷彿とさせる白銀の世界をくれた。この一週間で、薄っすらと雪の降りた景色を目にしたのは25日と27日の朝。木々に着雪する湿り気のある雪も、芽吹きを待ちわびるこの時期に目にすると特別だ。春への期待が膨らんでいく。

晴れた日中は、小動物の気配を感じることも多くなった。薪の間で越冬した蜂がリビングを飛びまわっていることもあるし、小さな野鳥 シジュウカラやカワラヒワも嘴で枯葉を突いて虫を探しているようである。野鳥の中でもツグミは体が大きく丸々としているので、視界に飛び込んでくることが多い。小走りしたかと思うとピタリと止まって、身を起こしてからジーッと何かを見つめる姿。「彼の視線の先には、いったい何があるのだろう?」と、私は勝手に期待をして眺めてしまうのだが、その動きは習性らしく、特に意味がないようである。日の出から日の入りまで、窓の外に目をやると、そこには決まってツグミがいる。そうして、お腹を空かせた子供のように食べ物を探しているから面白い。

09.03.28.ツグミ 渡りの準備 .jpg

とにかく今は、食べ続けなければならない理由があるのだ。”渡り”である。はるばるシベリアからやってきたこの鳥も、もうすぐ故郷へ帰る時を迎える。そのためには、胸骨の間に厳冬期の3倍、体重の10%前後という脂肪分を蓄えなければならないそうだ。庭からツグミの姿が消えていく瞬間を、私はいつも見逃している気がする。その頃の軽井沢は、思うに芽吹きのラッシュを迎えているからなのだが...。

今年こそ、同じ環境で冬を過ごしてきた別荘友達 ツグミの旅立ちに立ち合えたら!と思う。

time : 11:17 | コメント (0)

2009年03月25日

霧が出た日は ジャム作り

障子からこぼれる白さに、空が厚い曇に覆われていることがわかった。天窓や障子を通して感じる光は、晴れより曇った時の方が強い。今日が雪になるか雨になるかは、気温次第。お昼前から薪ストーブを焚くかどうか迷っているうちに、羽毛のような雪が軽やかに舞い始めた。そして雪は、アッという間に本降りに。白銀の世界が、まるで”映画のセット”のように作り上げられていく。見事としか言いようのないスピードで。 ↓ の写真はモノクロームに見えるかもしれないが、もちろんカラーである。

09.03.25.なごり雪が降る.jpg

茶色ばかりの冬枯れた景色が、木々に着いた雪のおかげで花が咲いたように華やかなものへと変わる。そんな中で、静かに佇む生まれたての薪が頼もしい。

09.03.25.棚に納まった 薪.jpg 

華やいだ雪景色も束の間の出来事。雪が止むとこんどは雨が降りだした。そうして現れたのが、濃い霧。新幹線が警笛を鳴らすか否かで、霧の濃淡を知ることもある。こんな日は、家の中で過ごすのが賢明だ。小さな部屋の薪ストーブを焚いて、ストーブトップで旬のいちごを煮つめよう。楢の香りに慣れてきた鼻に、いちごジャムの甘酸っぱい香りが新鮮。一旦は夏の陽気になった軽井沢だが、やはり春はこうした冬の後に訪れるのが素敵だ。

09.03.25.霧の日は いちごジャム.jpg

time : 16:31 | コメント (0)

2009年03月24日

ちょっとだけ冬になる

今朝の軽井沢は上空に強い寒気が入ったため、-7℃まで冷え込んだ。庭のあちこちに霜柱ができていたが、今朝は不思議な現象に思えた。なぜなら、連日のように乾燥注意報が出て空気の乾いた状態が続いていたから...。だからなおさら、どんな時も水を蓄える土の地面は「偉大だなー」と感じ入ってしまう。軽井沢の木々の枝先に視線を注げば、そこには決まって葉っぱや花の蕾をギュッと閉じ込めた冬芽がある。芽吹くエネルギーの根源こそ、この霜柱の立つ地面の奥底にあるのだ。コブシの冬芽が朝日を浴びて輝いている。それはまるでネコヤナギと瓜二つ。だが、コブシは北国の春の使者!梅より桜より先に花開く、その冬芽は大きくて存在感がある。

明日は日本列島上空に寒気が居座るため、今日より冬型が強まるらしい。北では雪になるという。しかし、もう軽井沢であっても冷え込みは弱く、日中の気温は10℃近くまで上がる。ふきのとうが先週の夏日につられて顔を出したが、花を咲かせるには至っていない。3月も残すところ一週間だが、4月中旬まで何が起こるかわからないのが標高1000m。ふたたび雪景色になっても不思議ではない。

time : 20:53 | コメント (0)

2009年03月22日

薪割り 10日間でほぼ終了!

春休み中の三連休、町は静かな賑わいを見せていたようだ。景色の中に緑こそないけれど、気温は連日10℃を超え、日当たりの良い場所なら小春日和。春霞が浅間山の輪郭をぼんやりと曇らせ、その山肌には筋状の雪が薄っすらと残っているだけだ。”暑さ寒さも 彼岸まで”今年も厳しい寒さは過ぎ去った。春からの計画に着手するためにも、我が家の場合はまず、薪割りを終わらせないといけない。

楢の丸太5.3tが届いたのは、3月10日。摩耗の激しかったガイドバーとチェーンの交換をして、玉斬り作業を始めたのが3月12日である。比較的好天に恵まれたこともあって、僅か10日間にして今シーズンの薪割りは終了の時を迎えた。例年ならば、夏を過ぎてもずるずると薪割りをしていたのだから、脅威的なスピードである。それを可能にした一番の鍵はソーチェンの”目立て”と斧の”刃砥ぎ”にあったと、いまは思う。薪割りの道具は、斬れ味こそがすべて。旦那さんは、ガイドバーとソーチェンをデッキに固定することを思いつき、ここにきてやっと正確な目立てが出来るようになったと大満足。私も、こまめに斧の刃をダイヤモンドシャープナーで研ぐことでみるみる効率が上がった。斧でも割れなかった丸太はマジック斧の出番が待っているが、マジック斧は体に相当の負担がかかる。だから、今ではできれば使いたくない道具の一つとなってしまった。最終手段は、クサビになるだろう。

デッキの上も薪小屋も、我が家の棚という棚には ほぼすべて”生まれたばかりの薪”が収納された。これだけの薪を作ってくれた私の良き相棒 グレンスフォッシュの斧にまず感謝したい。たった一本をもう何年も酷使しているというのに、これまで一度も壊れたこと(柄が外れる)がないことにもだ。グレンスフォッシュは鍛冶仕事もさることながら、柄との接合部分も精巧な手作業による。ボルト締めの斧も出回っているようだが、付け替えることを前提としたものは弱い気がしてならない。やはり行きつくところ”人の技”手の力なのではないだろうか。

time : 23:26 | コメント (0)

2009年03月18日

夏になる

暖かくなるとは聞いていたけれど、まさかこれほどの夏日になるとは。今日の軽井沢の最高気温は20℃!富山では25℃を記録したというから、驚きだ。空気が乾燥しているとはいえ、軽井沢も汗ばむ陽気である。できることなら、このような陽気の下では思いきり外に洗濯物や布団を干したいと思う。しかし、それはとても危険な行為。肉眼で確認するのは難しいが、今日の空気中には”大量のスギ花粉&黄砂”という黄色い粉が満ちている。

今夜は、薪ストーブの炎とは無縁な夜を過ごしている。寒いと感じることのない、ひんやりと快適な夏の一夜だ。こんな夜を過ごすのは、振り返れば実に8ヶ月ぶりだと気づく。

冬の長さからすると、高原の夏はまさに駆け抜ける一瞬の時間。だから、私にとって夏という季節は、いつしか過ごすこと以上のものへと変化していったようだ。夏は生きるもの 今年も”夏を生きる”。

time : 19:56 | コメント (0)

2009年03月17日

春になる

お祝いとしていただいたブーケに、朝の光が当たっていた。この時期になると、我が家のキッチン(リビングの北面)が太陽光を浴びることはない。暫くして、ふたたびブーケを見ると、中からすっくと蕾が伸びていたから驚いた。切り花だって、もちろん太陽が大好き。

09.03.16.英司君からもらったブーケ.jpg

散歩をしていても、窓辺から空を眺めても、洗い物をしていても、気がつくと木々の冬芽の様子を見つめる自分がいる。現在14:00の気温は10℃、空気が乾燥して花粉だけでなく黄砂も舞い降りているというから、瞳も鼻も喉にとっても厳しい日である。しかし、午前中の軽井沢は霙まじりの冷たい雨が、地面を濡らしていた。それが、今となっては恵みの雨であったと思えてくる。薪割りも順調だ。スカスカだった我が家のデッキや庭が、薪という 美しくも頼もしいエクステリアで彩られていく。

今シーズンの裏庭に、雪はただのひとかけらも残っていない。例年ならば、片流れの屋根から落下した雪や氷で行き先も阻まれ、立ち入るのも危険なエリアだというのに...。昨日の午後、浄化槽の清掃に来てくれたのは、弟のように若いお兄さんだった。この業界も、世代交代の時を迎えたようで頼もしく思う。雪の極端に少ない今シーズンは、何もかもが例年より早く進むようだ。西日に照らされる穏やかな斜面に、ふきのとうをひとつ見つけた。知らず知らずのうちに春は、すぐ近くまで来ていた。

明日は、今日よりも高気圧に覆われてゴールデンウィークごろの暖かさになるのだとか。汗とは無縁のうちに、早春の仕事 薪割りを終わらせたい。

time : 14:27 | コメント (0)

2009年03月13日

意外と大事な 薪の積み方

昨日からはじまった薪割りは、約2年ぶりの作業。だから、「久しぶりだけど、果たして上手に割れるかなー」と不安もかすめていた。けれども、いったん身体に備わった感覚は頼もしい!斧を握った瞬間から、ブランクを感じることはなくスムーズに丸太を”薪”へ変えていくことができた。

09.03.13.近シーズンの薪から 皮を上.jpg

デッキ上の、風通しの良過ぎていた(空っぽの)薪棚が、斬りたて&割りたての薪で埋まっていく。我が家では、チェーンソー担当が旦那さん。薪割り担当が私である。昨日の昼下がり、庭で私が薪割りをしているところへ、ネパール帰りの友人が立ち寄った。家の中でスカイプ会議中の旦那さんには窓をコンコンと叩いて挨拶し、友人は言った。「この家では、逆なの?」と。言われてみれば、そうかと思ったが、薪割りをする女性は当然いる。もう何年も庭で斧を振っているので、ご近所さんや配達の人たちには見慣れた風景となっているが、最初のうちは”女性がやっている”というだけでもの珍しいらしく、声をかけられたり、暫く見学をされていたこともあった。薪割りは、体に負担がかかることは確かだ。だから、今では腰を守るためにコルセットをして作業に臨んでいる。将来的にはきっと薪割り機を使うことになると思うが、いつまでも斧が振れたなら、それは素晴らしいことだなと思っている。

「薪に正確な積み方なんてあるのだろうか?」これは、素朴な疑問だがとても重要なことだったりする。我が家では今まで、割った薪の断面を ↑ にして積み、乾燥を促してきた。どこかの本や人から知った情報だったと思う。しかし、これがベストとは感じられなくなってきたのだ。乾燥させたい断面だが、このような置き方では雨や霧を被りやすい。「皮を屋根のように ↑ にして積んでいったらどうだろう?」なかなか良いのではないか。これを良しとして実践する人々も多いと聞く。よりベストな方法は、経験によってしか得られないと、日々暮らしてみて思う。

time : 16:46 | コメント (0)

2009年03月10日

スキーは体型を変える

山スキーに行かない週末を過ごして、あることに気がついた。体が妙に重いのだ。しかし、パッと見で太った印象はない。太くなっていたのは、モモだけだった。

ある雑誌で、
「スキーをやるとモモが太くなる。クライミングにとって無駄な筋肉をつけたくなかったので、誘われても断り続けていた。スキーでも、なるべく歩かないようにしていた。」と、あるクライマーが語っていたのを思い出した。今シーズン、大活躍をしているモーグルの上村愛子さんも「フォームを変えたら、体型がみるみる変わってしまって...」と言っていたっけ。まさかと思っていたが、本当のことだった。

もともと私は筋肉がつきやすい体質である。それは、言い換えれば脂肪にも変わりやすいということ。春のような陽気(最高気温は、なんと11℃!)に包まれた今日は、朝から体を動かしたくてうずうず。
森林組合から届いた5.3 t の丸太が、鈍った上半身を鍛える救世主となりそうだ。

09.03.10.森林組合より楢5.jpg

time : 18:09 | コメント (0)

2009年03月09日

床下から ハニカム

ご近所さんの家のリフォームがはじまった。昨年から話は聞いていたのだが、「まだまだ先」と思っていた季節が訪れたのだ。職人さんの威勢のいい声が、朝から我が家にも響いてくる。2月の軽井沢で屋外の作業は厳しすぎるが、3月ともなればグッと楽になる。ここでは、たった一ヶ月の間に劇的な変化が起こるのだ。

重厚ながら、オーナーの人となりがにじみ出ている素敵な家である。その家の外壁が剥がされていく様子を、先日(5日)一緒に見学させてもらった。しっかりと断熱材を入れるためとはいえ、やはり間近で見ていると痛々しい。足場の下に転がる不思議な物体に目が止まったのは、目をそらしたその時だった。

「これって、もしかしてアレですか?」
「うん。昨日、床下から出てきてびっくりしたよー。正直 秋でなくてよかったと思ったね」と職人さん。

「ハハ、確かに!でも、よく作るものですよね。芸術品みたい。」

私は、職人さんが偶然 床下で見つけたという”スズメバチの巣”をまじまじと見ていた。巣の大きさは50センチ近くあり、マーブル模様の外壁?は取り出した際に崩壊してしまっていた。その代わりに、アリの巣の断面のような内部を見ることができたのだ。まったく、見事としか言いようのないハニカム構造の部屋。それが、7~8階建のマンションのように作られていた。蜂の巣以外にも、自然界には正六角形のハニカム構造があるが、それらは意外と身近なところにある。例えば、亀の甲羅や昆虫の複眼。岩場では、玄武岩の柱状節理がそうだ。ハニカム構造の特徴と言えば、同一の形を隙間なく敷き詰めることで丈夫な構造を作ることができること。しかも、”最も少ない材料で”その構造を作れる点が素晴らしい。

自然界の仕組みからヒントを得て、生み出された工業製品のなんと多いこと。オーナーも職人さんも、「蜂の巣は怖いから、すぐに燃してしまおう」と言う。だが、私はその巣のかけらをもらって帰った。リビングの薪ストーブの下にそれを置いて、もう一度眺めてみる。すると、ふと昨年の秋の出来事が思い出された。我が家の玄関に作られたジバチの巣 崩壊事件である。ジバチの幼虫を食べ尽くしたと思われるスズメバチ、いま目の前にあるこの巣こそ、彼らの家だったかもしれないと...。

09.03.09.井出家の床下から スズメバチの巣.jpg


time : 17:16 | コメント (0)

2009年03月06日

窓辺のクリスマスローズ

朝からまとまった”雨”の降りつづく一日。いつもの眺めから、白い雪が消えていくのも時間の問題かもしれない。今日の軽井沢の最高気温は3℃。明け方の冷え込みも次第に弱まってきているから、真冬並みの寒さには終止符が打たれたのだろうか。

デッキの表面を、まるで鏡のように満たしていく雨を見ていると、「あぁ、本当に春は来るのだな」と思う。窓辺に置いたクリスマスローズが、首をかしげて咲いている。それは、見方によっては外の様子を覗きこんでいるようで。季節が麗らかな春に移り変わったら、その根をしっかりと地面に下ろしてあげたい。

09.03.06.地植えを待つ クリスマスローズ.jpg

西の空に輝く夕焼けを見つけた。雨はまだ降っているというのに、気が早いな。そして、時刻はもう18:00になるというのに、外の明るさにびっくり。春は近い!

time : 17:48 | コメント (0)

2009年03月03日

氷点下で迎えた 雛まつり

今朝の最低気温は-10℃!再び冬の寒さが戻ってきた。天気予報では午後から大雪になるというのだが...。雲に包まれた午前中のうちに忙しく用事を済ませ、今日は早々と温泉に浸かってしまおう。自宅に戻ると、途端に小雪が舞いはじめたからびっくり。こんなにピタリと予報が的中する日もあるのだ。

今日は3月3日、雛まつりである。だが、軽井沢の最高気温はわずか-2℃。雪の白の他に、芽吹きの緑や花々のピンクを見つけることはできない。

本降りになる前にと、薪小屋から2日分の薪を運び入れた。今シーズンは、出張の続く旦那さんがすっかり寒がり屋さんになってしまったために、例年を上回るペースでしっかりと乾燥させた薪を使いこんでしまったのだ。季節はまだ3月、GWの直前までまだまだ肌寒い日は続くというのに、我が家の薪棚は別荘のよう。「これから暫くは、薪の使用量を節約をしないといけないな」そう思っていたところに、森林組合からタイミングよく電話が入った。どうやら地面が雪に覆われているうちに、薪割りができそうである。薪割りは汗の流れ出る季節にやるものではないと、わが身をもって知って早○年。今日のように、息が白くなるほど寒い日がちょうどよいものだ。

time : 17:01 | コメント (0)

2009年03月01日

日本一高所のパン屋さんで

先週、草津からロープウェイ&ハイクアップした渋峠の斜面に再度リベンジしようと、今日向かった先は志賀高原。我が家からは、信州中野ICから志賀高原有料道路を走り、横手山スキー場までは2時間ほどの距離。渋峠の上部、標高2307mの横手山からのアプローチを試みる。天気予報では高気圧が張り出すため、一日を通して晴れ間が約束されるかに見えた。しかし、到着したスキー場はどんよりとした雲に覆われていた。気温は9時の時点で-6℃と冷えていい感じだが、リフトの足元に広がる樹氷が光を浴びて輝くこともなく、ほの暗い表情のまま山頂に到着した。ヒュッテの横に繋がれたシベリアン・ハスキーを見つけたが、雪景色と一体化するほど自然なたたずまい!寒い土地には、やはりこのような犬種がよく似合う。

09.03.01.横手山山頂ヒュッテの犬.jpg

「ここは標高が高いから、11時を過ぎればきっと青空が広がるだろう」とは軽井沢的な発想だろうか。ホワイトアウトの中に突っ込むのはあまりに無謀なので、以前から一度訪れてみたかった横手山ヒュッテでガス待ちをすることに。

09.03.01.初めての横手山山頂ヒュッテ ガス待ち .jpg

このヒュッテにはドイツ製のパン焼き窯があり、毎日美味しいパンが焼かれているのだとか。正真正銘、日本で一番標高の高い”高原のパン屋さん”である。ここにいるみんなが天候待ちという感じで、多くの人が名物 きのこ雲スープを食べていた。私も、焼きたてのコロッケパンの誘惑に負けてさっそく一つ食べてみることに。こんな山の頂で作られているとはまったく信じ難い焼きあがりに、ただただ感激だ。

09.03.01.横手山山頂ヒュッテ コロッケパン.jpg

ようやく窓の外が明るくなってきたので、渋峠までの平坦な林道を下っていく。先週も見た樹氷と立ち枯れた木々である。ここでも再びガスに巻かれ、しばし小休止。「うーん、困った!」もの凄い勢いで流れていく雲の間から青空がのぞく瞬間もあって、ならば渋峠の西斜面までは行ってみようとなる。リベンジしたい斜面はまだガスの中だが、その上部の斜面なら視界は良好。ノートラックのまっさらな斜面を、ほんの少し滑ってみよう。

09.03.01.一瞬の晴れ間 渋峠 西斜面上部を滑る.jpg

雪のチェックも兼ねて滑ってみたのだが、先週の膝まであった重い雪とはまったく別の質感だ。雪は今朝にかけて薄っすら舞った程度で、表面だけが融けて硬いプレートを作っていた。緩傾斜ならモナカ雪、急傾斜ならおそらくバーンと化しているに違いない。

暫く待っていると、白根山もようやく姿を現した。その山肌には、昨日誰かが滑った跡もしっかりと見えている。

09.03.01.渋峠から白根山斜面を望む.jpg

先週滑った(正確には雪と戯れた?)急斜面には雪崩の跡があり、その隣の斜面を恐る恐る降りていく。案の定、所々がガリガリのバーンである。不用意に加速すると飛ばされて大怪我をしてしまう。やはり、今年は雪が圧倒的に少ないのだ。新雪が20cm以上は積もらないと、この状態はリセットされないだろう。登り返してふりかえると、再びガスに巻かれた芳ヶ平のヒュッテから、牧羊犬のバードとフロールの賑やかな声が聴こえてきた。

今年になって毎週のように山に入っているが、雪質に同じものはただの一度もなかった。同じ山、同じ斜面、同じような気象条件・気温であっても、いつも違う表情がそこにはある。雪はまさに一期一会の出合いだ。どのようなコンディションでも、それなりに楽しめるようになれたら本望。


time : 19:33 | コメント (0)

2009年02月27日

思わず 衝動買い!

今日の軽井沢は、一日じゅう絶え間なく雪の降る一日だった。幸いだったのは、気温がずっと氷点下(-1℃)だったこと。パウダーというほどではないけれど、比較的軽い細かな雪。だから、デッキや私道の雪掻きも、夕方に一度しただけで済んでしまった。2月もいよいよ明日で幕を閉じるわけだが、日差しに乏しかったこの一週間。予定よりはるかに、厳冬期用のプレミアム薪(しっかりと乾燥した 楢の薪を我が家ではそう呼んでいる)を消費してしまった。これはぜひ、弥生3月が日差しに包まれることを期待したい。

モノに溢れたこの時代だが、日々の暮らしにちょっとしたスパイスが欲しくなって思わず衝動買いをしてしまうことがある。中には、「いま手に入れておかないと、もう二度と買えないのでは?」と感じるモノに出合う時もある。それが、この一本一本が人の手によって生まれたチーク材のレードルとトングだった。料理を楽しむ者にとっては、もしかすると一番出番の多い道具。手入れのしやすさや衛生面から、これまでステンレス製や耐熱樹脂製を使ってきたが、「どうしてもそこだけにこだわる必要は、ないのではないか?」と今になって急に思えてきた。長く冷たい冬を乗り越えてきて、ようやく辿り着いた心境の変化といったら大袈裟かもしれない。が、そのようなものだ。

09.02.27.アットシャムサイトのチークレードル.jpg

そして、もうひとつの衝動買いがこちら。世の中にはメンディングテープ好きな人が必ずいる!と勝手に決めつけているのだが、私もその一人である。メンディングテープと言えば、住友3MのScotch。パッケージのデザインからテープディスペンサーのデザイン、カラーまで、まさに私好みのモノを作っている会社だ。先日、偶然見つけてしまったのが ↓ のドーナツ型ケースに入ったユニークなテープ。どうやらこの春の新作らしい。

09.02.27.3Mドーナツ.jpg

接着面が中に入るから、携帯用にとても重宝しそうだ。開発者は、きっとお店のショーケースに並ぶ色とりどりのドーナツからインスピレーションを受けたのではないだろうか。色もチョコレートとかストロベリーとか、まさに美味しそうなドーナツそのものなのだから...。7年くらい前に買った ↓ のテープディスペンサーも、全3色揃えておけばよかったー!と思うくらいのお気に入り。なんと本体には”自然の白砂”がおもりとして入っているのだ。このアイディアとエコな考え方、どんなに月日が経ってもきっと色褪せない。

09.02.27.3M 砂入り.jpg

もしかしたら、いま身の周りにあるものだけで、日本人の生活に不自由はないのかもしれない。けれども、壊れたから買い換えるだけでない”とき”があるし、そんな気持ちがとても大切なのではないだろうか。街(町)を行きかう人々のファッションが、その街(町)の空気を作り上げていると思うし、暮らしに必要な道具が毎日を、人生を楽しませてくれていると実感できるから。世界や日本、自分の暮らすこの町で目にする風景は、ひとりひとりが選んだモノの集合体であることに時々ふと気づかされて、ハッとすることがある。

time : 19:45 | コメント (0)

2009年02月25日

霙 雨 濃霧 底冷えは続く

日曜日の夕方から天気は下り坂で、軽井沢の空も慌ただしく変化した。明け方は薄っすらと粉雪が舞い、気温の上昇とともに雪は霙へと姿を変える。そして、午後には決まって雨になることが多いのだ。そうして湿り気を帯びた路面が、朝の冷えこみによって鏡面のように凍りついてゆく。今日は朝の7時前に車を運転したが、危うくタイヤをとられる個所がありヒヤヒヤした。四駆でスタッドレスタイヤを履いているとは言え、過信はできない。

2つの低気圧にサンドイッチされたような今日の軽井沢は、一日を通して気温が2℃前後という、とても寒い日であった。日差しに乏しい上に朝から濃い霧がたちこめているため、氷点下でもないのに体感的にはとても肌寒く感じてしまうのだ。人だけではなく、この家そのものが霧という水分を蓄えているのだから、カラリと晴れた真冬にはない”底冷え”状態である。こんな日の我が家は、昼間から薪ストーブのお世話になるしかない。そして、「時にはこんな日もあるさ!」と気持ちを切り替えて、家の中でしかできない用事を済ませていこう。

テーブルに飾った淡い色のバラを、朝からもう何度眺めてきただろうか。明日は3日ぶりに太陽の光が期待できるとか。きっと、この切り花たちも自然の光を浴びて、生き生きとした素顔を見せてくれるに違いない。もちろん、私にとっても待ち望んだ晴れ間!である。

09.02.25.底冷え続いて 室内で眺めるバラの花.jpg

time : 18:40 | コメント (0)

2009年02月22日

草津~芳ヶ平 雪との格闘

山友達と向かった先は、草津。今日のツアーの出発点となる草津国際スキー場までは、我が家から1時間の距離だ。まずスキー場のリフトを乗り継いで標高を上げていくが、白根山ロープウェイが風で動かなければ今日のコースは断念するしかない。だから、実は昨日から風のことばかり気にかけていたのだ。今日はラッキーなことに穏やかな晴天!順調に草津白根山の火口までやってこれた。このあたりは素晴らしい湿原で、夏の間は白根山の火口湖を一目見ようと大勢の観光客で賑わう場所。だが、下から見ていると「あの人の列の向かう(吸い込まれていく)先に、いったい何があるのか?」と思ってしまうほどだ。活火山である白根山の噴火によって生まれたこの湖(通称 湯釜)は、世界一の酸性湖だと聞く。あたり一面が雪と氷だというのに凍りつくこともなく、一年じゅう目の覚めるようなエメラルドグリーンを保っているのだ。自然の神秘にしばし見惚れる。

09.02.22.白根山の湯釜.jpg

芳ヶ平にさしかかると、バックカントリースキーを楽しむ人が大勢いた。風光明媚な場所だが、そのぶん風が強く新雪も吹き飛ばされてしまうようで、ところどころがバーンと化している。モナカ雪がそのまま硬くなったような手ごわい雪面もあり、気を抜けない。芳ヶ平ヒュッテに着くと、既にランチをとるお客さんでいっぱいの様子。ならば、予約だけをして、ここで小休止とリーダー。行動食を食べてから一気に渋峠までハイクアップし、渋峠の西斜面を滑ることになった。歩きながら、西斜面を滑降するパーティの美しいスプレーを目にした。素晴らしい斜面であることはわかるが、出だしの傾斜はかなりのもので、雪崩の巣にも見える。果たして私にできるのだろうかと不安がよぎる。そして、標高は2000m近いというのに、いったい今日のこの暑さは何だろう。暑がりな私はソフトシェルをザックに入れた。おとぎの国のような雪深い樹林帯を抜けると、上部からゲレンデのチャイムらしき音が...。気のせいかと思ってきたが、はるばる歩いてきて目の前にリフトが見えると、やっぱり落ち込んでしまう。到着した渋峠は立ち枯れた木々が幻想的な雰囲気を醸し、ここが国道の最高地点でもあることも知った。

09.02.22.渋峠に広がる立ち枯れ.jpg

横手山、草津白根山の火口、遠くに浅間山など雄大な眺めが広がる ↓ の場所が、渋峠の西斜面と呼ばれている場所。既に滑った跡があるが、どれも上手。

09.02.22.渋峠 西斜面を滑走.jpg

ここから滑走するのだが、次々とジャンプしていく皆の後に、どうしてもついていけない。傾斜に気持ちが負けてしまって、真下に降りていけないのだ。下からの眺めよりずっと雪の量はあり、湿っていて重たい。だから、一旦転ぶと起き上がるのに一苦労。5~6回は、雪の中で柔道をしているのか!というくらいに転倒し、私の頭の中は真白になってしまった。これまでの山スキーでは少しずつ上手くなっているなと思えたのだが、雪の状態が悪くなると途端に滑れないことがわかった。実際、本当に上手なメンバーの I さんは、どんな悪雪でもそれを感じさせない滑りを見せている。時刻は既に14:30、芳ヶ平ヒュッテのご夫婦はランチを予約した私達を快く待っていてくれて、山の中とは思えぬ本格的な赤ワインの効いたミートソース(ラグーに近い)を”すぐに”出してくれた。パスタもアルデンテで本当に素晴らしい。

09.02.22.芳ヶ平ヒュッテの本格的パスタ.jpg

食後にいただいた熱い紅茶がまた嬉しかった。人懐こい牧羊犬に、これでもかと吠えられたのもいい思い出(正確には、私達を”逃げる羊”と見てしまう彼らの悲しい習性なのだが)。スキー場までの帰路を急いだ。駐車場に着くなり舞い始めた雪。草津では、はじめて”大滝の湯”へ立ち寄り、眺めたばかりの白根山の湯釜を思い出しながら、酸性度の高い湯に浸かった。心地よい疲労感に包まれながら自宅へ戻ったのは19:00。まだ、19:00と言わなければならないだろう。なぜなら、今日来たみんなには、これから私達が磐梯へ行くのと同じような距離(帰路)が待っているのだ。リビングは、こんな時間だというのに17℃もあってびっくり。どうやら、軽井沢でも日中の気温は10℃を超えていたらしい。次回は思いきり早出をして、今日のリベンジをしたいと思う。スキー上達への道は、長い!

time : 19:56 | コメント (0)

2009年02月21日

家がベースキャンプとなる夜

週末は、久しぶりに山の友達が来宅。横浜や鹿島からと遠路はるばる集まったメンバーだ。今回は、我が家で夕食を共にした後、翌日に草津~芳ヶ沢の山スキーを皆で楽しむ予定。男性ばかりと聞いて「どんなメニューにしようかなー」と悩んだが、やはりこの時期が旬の その日に運よく手に入ったものを料理するのが一番!と思った。朝一で買い物へ行くと、ここ暫く我が家の食卓を楽しませてくれていた鮮度抜群の新潟産ハタハタの姿がない。ならば、先日美味しかったニュージーランド産ラムのスペアリブはあるだろうか。あった!そんな感じで決めていった今宵のメニューは...

・春トマト  天然塩 胡椒 エキストラヴァージンオリーブオイルで
・母の家庭菜園から届いた露地物水菜とブロッコリー&高山村のリンゴ 酸味のきいたドレッシングで
・熾き火で仕上げる 豚肩肉のチャーシュー( ↓ 2日前から仕込み済み)

09.02.20.豚肩肉のチャーシュー仕込み.jpg

・ロール”春”キャベツのスープ

・蓼科牛を使ったトマト風味のスパイシーカレー サフランライス
・栗じゃがいもとラムスペアリブの熾き火オーヴン ↓

09.02.23.ラムスペアリブとじゃがいもの熾き火.jpg

・ストーヴトップで焼くバケット ブルーチーズの盛り合わせ

日本酒に変わり 即興のおつまみとして

・色鮮やかな三浦大根のスティック 梅びしおソース 
・鮭の西京味噌漬け

差し入れにいただいたビールで喉を潤した後は、この日のために何本かセレクトしておいたワインを料理とともに味わっていく。まず、仏の軽快なソーヴィニオブラン~伊の凝縮感あるジンファンデル~伊 バランスのよいサンジョベーゼ~伊 柔らかなアリアニコ。そして、こちらも差し入れていただいた茨城 やまなか酒造の本生吟醸原酒 一郎左衛門。

久しぶりの再会だから何もかもが楽しくて、時間はあっという間に過ぎていく。だが、このまま夜を明かすわけにはいかない。なんといっても明日は”山に入る”のだから!ゲスト用の和室には、いつでも眠れるようあらかじめ布団を川の字に敷かせてもらった。男性陣がゲストルームへ向かったところで少しだけ洗い物をして、薪ストーブにはいつもより多めに薪をくべておこう。すると、さっきまでの賑わいはどこへ。家じゅうが、私しかいない時のように静まりかえっていた。薪のはぜる音だけが耳に届く、こうした静寂も私の好きな時間。明日の天気はどうだろう?と夜空を見上げれば想像を超えて広がる冬銀河。風もない。明日はきっと青空、いい一日になりそうだ。

time : 23:55 | コメント (0)

2009年02月20日

春の雪 儚く

昨夜遅くに降り出した雪が、辺り一面を白く染め上げてくれた。まとまった雪は久しぶりで、私の気分は木々を華やかに飾った雪と同じ。次第に冬芽が目立ちはじめる冬枯れの景色もいいが、地面がぬかるんだ土というのはいただけない。玄関を開けて、デッキに積もった雪を見ると20cm近くはあり、車ももちろんモンスターと化している。気温は9時の時点でマイナス2℃と高い。今日の雪掻きは、早めに済ませないと厄介なことになりそうである。ホーキではとても掃き落とせないその雪に、近づく春を感じた。

09.02.20.春のドカ雪.jpg


雪掻きを終えて、わずか数時間には ↓ の景色だ。シャリシャリという音が聞こえきそうな春の雪は、とても儚い。

09.02.20.春の雪 儚く.jpg

夜の闇が忍び寄る午後5時すぎ、窓の先では氷点下の冷たい風が吹き荒れていた。風はごうごうと音を立て、雨ではなく霰が黒いデッキの上に転がる。山は荒れているに違いない。

09.02.18.嵐の前の空.jpg

time : 17:40 | コメント (0)

2009年02月17日

冬銀河 明けて春の青空

寒暖の差が激しく、いい意味で身体が強くなっていく気がする。月曜から、天気は徐々に冬型へと移行しているが、今朝は昨日より12℃も下がって-11℃の朝。庭の水辺鉢の水面が、ゆらゆらと風に揺れていた数日前が夢のようだ。今朝は、羽毛を膨らませた冬鳥たちが鉢の周りにスタンバイ。朝日で氷が水へと変わる時を、今か今かと待っているのだ。朝起きたら一杯の水を飲みたいのは鳥も人も同じ。

翌日の天気を予測するのに役立つのが、前日の夜空だ。昨夜は、これぞ冬の!という素晴らしい冬銀河が漆黒の闇に広がっていた。だから、明け方の冷え込みが厳しくなる覚悟は夜のうちからできていたように思う。しかし、日中広がった空は明らかに”春の青空”だった。ペールブルーを少し濃くしたような色で、冬のものではない。

09.02.17.冬銀河 明けて春の青空.jpg

冬も春もどちらもしっかりと存在していながら、その時の気圧配置によってどちらかが主張を強める2月という季節。厳しい寒さだけが支配する冬だったなら、私は毎日が辛くてとてもやっていけない。晴れる日も雨の日も雪の日も寒さも暑さも、それだけが永遠に続くことはないという安心感が遠い記憶のどこかにあるのだ。だから、頑張れるのだろうと思う。

time : 13:07 | コメント (0)

2009年02月14日

ほんものの小鴨色を探して

ジビエ料理に舌鼓を打った翌日、春の香りに少しだけ触れたい気分になって湯島天神へ行こうと思いたった。だが、春というより今日の陽気はなんだろう。コートもセーターもブーツもすべてが不似合いな暑さ!氷点下の世界で暮らしている私達には、ゴールデンウィークの最中に訪れる夏日のようだ。できるだけ身軽な装いになって、荷物をロッカーへ預けて歩き出す。湯島天神界隈は、かつての勤務先であったため行きつけの店も多い。親子丼が好きな旦那さんも、鳥つねの味はなかなか気に入っている様子だ。しかし、「八ヶ岳の中村農場の親子丼が、この店と同レベルの割り下を使えるようになったなら、おそらく日本一になるのだろうな」と言っている。実際、私もそう感じる時があるのだ。中村農場は卵もいいが、その肉質にいつも驚かされる。昨夜は、野生の上質なジビエを堪能してしまった。だからなおさら、飼育された肉質に厳しくなってしまうのだろう。

湯島天神には早くも梅の便りが届き、既に三分咲きに近い状態。思っていたよりずっと多くの人で賑わっていた。歩いていると鼻をかすめるほのかな香り。桜にはない、控え目な香りだ。白無垢姿のお嫁さんのいた本殿の裏手で、今日一際美しく見えた、ピンク色のしだれ梅。

09.02.14.梅の便り届く湯島天神.jpg

アスファルトの熱さから逃れようと向かった先は不忍池。ここに足を運ぶのはずいぶん久しぶりだ。桜はまだまだ蕾で一安心。これが2月に咲きだしてしまっては深刻だ。ゆらゆらと水面を進む手漕ぎボート、よろよろと二本脚で前へ進む鴨の群れ。のどかで幸せな空気が漂う。私は気がつくと、そんな風景の中にマガモを探していた。あの青い首輪を。そう、今の季節に大好きな色となる小鴨色の持ち主だ。不思議なことに今日はただの一羽も見つけることができなかった。鴨は愛らしく美しい鳥だ。

09.02.14.不忍池の鴨.jpg

帰りのあさまからの車窓に、冬を見つけることはできなかった。金曜は春一番が吹いたことを今日になって知った。そしてこの気温だ。山は嵐の後の静けさに包まれているのだろうか?それとも、これから雪崩という大嵐を控えているのか。ジビエを味わった翌日に、あわよくば上州へ山スキーに行こうと思っていたが、そんな気持ちは一瞬で消えていった。山スキーも、ジビエのように山の恵みのひとつでしかない。だから、逆らわない。

time : 17:07 | コメント (0)

2009年02月13日

長い冬のご褒美 ジビエ料理

この一週間は、空を見ながら山スキー三昧の日々を送ってきた。そして、久しぶりの長い休みの最後を華やかに締めくくりたいと、実は一ヶ月以上前からあるイベントを企画していた。”ジビエ ナイト”である。立春を過ぎたあたりから、天気は周期的に春へと変化していくが、どうも今年の2月は暖かい日が多い。スキーグッズのメンテナンスやウェアの洗濯を終えて軽装で向かった東京は曇り空。午前中は真冬の寒さで、いつもの格好(スキーへ行くのと同じインナーの上下を着て、タートルネックに薄手のコート)が正解に思えた。しかし、午後になるにつれて嵐のような強風が吹き荒れるようになり、生ぬるいというより汗ばむ暑さに。それでも都会のビル風はことのほか冷たい。髪が風で乱れるなど、軽井沢ではあり得ないことなのだ。風の少ない土地に暮らしていると、風というものの存在にとても敏感になる。

待ち合わせの時刻までに、余計なものは口にしなかった。それくらいに今夜の食事は気合いが入っている。はじめは私達と友人の計4名で行く予定だったが、いつの間にか人数は倍に増えていた。ジビエ料理を味わうなら、真冬がいい。伊那の星野屋に行ってからというもの、ジビエ(山肉)を味わうことは冬の間の大切な行事となっている。しかし、今回は東京でである。伊那でもなく、蓼科でもなく、軽井沢でもなく、東京の目黒に店を構える知る人ぞ知るジビエ料理の名店へ出向く。昨年、旦那さんが食通の友人に連れられて行ったのがきっかけで、シェフと意気投合してしまったのだ。伊那でジビエを食べているというお客さんには初めて会ったのだという。同席する友人やその友人・知人は、今夜が初のジビエ体験となる。「今日は十勝の鹿や猪のいいのが入っているんです。ヘビーなものもご用意できますが、皆さん大丈夫でしょうか?」とシェフが再確認。みなノープロブレムだと言う。ならばフルコースでいこう!

まず、乾いた喉をキリッと冷えたスパークリングワインで乾杯!そう、今日は金曜日の夜でみんな仕事を終えてここへ飛んで来たのだ。アミューズとして出された鰯のマリネも新鮮で、魚料理にも期待が高まっていく。

次はいよいよジビエに入る。ソムリエさんが、あらかじめ料理に合うワインを何本かチョイスして持ってきてくれた。「繊細な味わいの」という言葉が何度も出る。そうか、ジビエといってもこの店で料理されるものは、プロのハンターが肉にとって最良の環境で、最高の技で仕留めたものばかり。とかく臭みや野生的な味を連想してしまうが、繊細な肉質なのだ。「頭の急所に一発で仕留めたもの以外は 買わない」とシェフは断言する。そうして厨房から運ばれてきたのが、↓ の蝦夷鹿のタルタル。ラスクのように焼いたバゲッドにのせていただく。ほんのりとアンチョビの香りをつけているが、肉本来の甘みがストレートに出ている。「これは、美味しい」

09.02.13.鹿のタルタル.jpg

肉ばかりではいけないと思いオーダーした生野菜のバーニャカウダもまた、ソースはにんにく控えめでマイルド。味の邪魔をしない配慮なのだろう。今日は魚も新鮮なクエが入っているとのことで、春キャベツとクエの一皿をいただく。しっかりとした味を持つクエに、甘くて柔らかな春キャべツがベストマッチ。複雑な味わいの白ワインが続いている。そろそろがっちりした赤が飲みたいなぁ。さぁ、次が今日のメイン。鹿の内臓を使った本格的なソーセージ(腸詰め)と猪のソテーだ。

09.02.13.鹿の腸詰と猪のソテー.jpg

合わせる赤ワインはタンニンの利いたものにしようと思っていたが、ソムリエさんの言葉を聞いているうちに従うことにした。この店は、良質なジビエの味わいを最大限引き立てるような繊細なワインだけをセレクトしている。だから、ノン・フィルターで仕上げた まだ酵母の生きているようなワインも多い。この信念には敬服しなければいけない。たしか、これにはMAGIという赤を合わせたと思う。ヘビーだと言っていたのがこのソーセージだったのだが、肉汁とソースが絡み合って、奥行きのある味わい。私にはヘビーでも何でもない。猪も脂身だけでなく赤身も最高の歯ごたえをしていて、噛めば噛むほど味が出てくる納得の美味しさ。付け合わせの野菜もたっぷりで、大満足のうちに食後のデザートと珈琲をオーダー。いつの間にか、店は沢山のお客さんで賑わっていた。スタッフはとても忙しそうだ。気長に待とうかと思っていたところに、運ばれてきたのがこのデザート。ここにあるジェラードやアイスクリーム、プディング、クッキー、ショコラなどは全てが手作りである。どれも本格的なフランスの味わいで、レベルは相当高い。しかも、これで4人前とは。全員が、ただただ感激。

09.02.13.完璧なデザート.jpg

これからは、年に何度か訪れることになるだろう このお店。我が家にとっては、長い長~い冬を過ごしてきたご褒美として味わうのがジビエという一期一会の食材だ。特別な寒さに身をおいてこそ、ジビエの味は引き立つものと私は思う。日本の山々の恵みに感謝したい。


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2009年02月11日

根子岳~草津 仕上げの湯

少しずつ、自然の中へ足を伸ばしていく私のスキー。今日は午後から天気が下り坂ということもあり、朝発で菅平の先 峰の原高原へと向かった。標高2000mを少し超える根子岳の斜面を滑降するためである。歩いている途中で後ろを振り返ると、この眺め。北アルプスの雄大な山稜が朝日に照らされていた。

09.02.11.北アルプスの朝焼け.jpg

根子岳では樹氷も見ることができる。頂上に着いたのは10:30、雲は多いながらも青空が広がって、素晴らしい眺めである。ここでもすぐに見慣れた山を発見!噴煙をあげる浅間山である。軽井沢側からでは見ることのできない様子だろう。

09.02.11.根子岳より浅間山を望む.jpg

そして、風の強い稜線ではこのような雪の造形美も。このようなものに偶然出合う瞬間があるから、自然の世界に惹きつけられてしまうのだ。

09.02.11.根子岳で出合った雪の造形.jpg

登りが終われば、後は下る(滑る)のみ。今日は練習がてら、新雪の樹林帯をルートにとり積極的に入ってみたい。根子岳の頂上までは、ずっと”ダボス→”という看板が立てられている。ダボススキー場からハイクアップする人が多い様子で、今日も私達の後に数々のパーティが来ていた。視界の明瞭な日にこのような看板は不要だが、これが猛吹雪であったなら...と思う時もある。北アルプスを見下ろしながらの滑り出しである。進路をやや東にとって、トラックのない雪面を滑っていく。腰を思いきりかがめて白樺林のトンネルを何箇所かすり抜けていけば、出発した峰の原のゴルフ場は目前だ。時刻はまだ12:00前。だが、お腹はしっかりすいているから頼もしい。落葉松の防風林を背にした絶好のビューポイントを休憩場所にして、コンロに火をつける。下界で食べたら何の感動もないカップラーメンがとにかく美味しい。冬の山では、何より温かいことが一番の御馳走なのだ。さぁ、時間はたっぷり余っている。雪はもう腐り始めているいるから板はしまおう。このまま軽井沢へと急げば、一時間後には我が家に到着してしまうのだ。それではなんだが勿体ないような...今日は久し振りに草津へ立ち寄ってみようか。

浅間山の噴火ですっかり慣れてしまった硫黄の臭いが、この宿場町にはいつも充満している。車を停めて、さっそく西の河原温泉に浸かると、ポツリポツリと空から雪が降ってきた。みんな口々に「あぁ、草津に来てよかったー」と言っている。さすがは名湯である。肌は目に見えるように滑らかになっていき、身体は芯からヌクヌクと温まっていく。上州名物の豚肉料理でお腹を満たしていると、雪はいつしか本降りに。雪が降ることは嬉しいが湿り気のある霙のような雪である。休日の、混雑しはじめた峠をゆっくりと超えれば軽井沢。トンボの湯の駐車場に空きを見つけて、せっかくの機会だから”仕上げの湯”を体感してみようと思い立つ。いつもの温泉の泉質の違いをじっくりと感じたのは、今日が初めてかもしれなかった。七味温泉の強い硫黄泉~やや強い草津の湯~低刺激な星野温泉 トンボの湯。3日間で異なる3つの湯を浴びた感想は、行きつくところトンボの湯のやさしさだった。星野の湯は、昔から草津帰りの仕上げの湯と言われてきたそうで、実際に母もそのようなことを言っていたように思う。成分の強い湯は効能もあるが、肌にとっては刺激が強すぎることもある。だから、たまに入るとその良さがしっかりとわかってとても良いものだ。

また、湯治治療と言われるように、体質や病状によっては、まったく逆効果の泉質が存在していることも事実だ。特に源泉の湯を飲む(飲泉)場合には細心の注意が必要である。私も以前、あまり気にかけずに飲んでいて「どうも自分には合わないな、まずいなぁ」と感じたことがあった。注意事項をよーく読んでみると、○○の方には適さないという文章が。本当に、人の身体は正直だと思う。美味しいと感じるものの多くは、その時の身体に不足している栄養素であったりするのだから...。自分の身体に合った泉質を持つ温泉を、あらかじめ選んで旅に出るのもオススメ。旅の充実感は、更に深まっていくに違いない。


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2009年02月09日

もうひとつのYAMABOKU

再び信州・高山村へ。一週間前にパウダーを楽しんだばかりの山田牧場(YAMABOKU)へ向かう。今回は笠ヶ岳の斜面を滑るのが目的なので、スキー場のリフトを使わずに早朝からハイクアップだ。高度を上げていくと次第にYAMABOKUの全景が見えてきた。粉砂糖を振りかけたように美しかった先週とはまったく別の表情をしていて、「スキーは本当に降雪次第なのだなぁ...」と実感。

09.02.09.山田牧場 全景.jpg

日曜日は天気も良く、多くの人で賑わったのだろう。ゲレンデ全体が板によって圧雪されているのが遠目にもわかる。雪はパラリと舞った程度で、今日のYAMABOKUは、いわゆるガリガリのバーンであるらしい。

笠ヶ岳までの道のりは林道歩き。歩いていると、”牛馬 放牧中”という看板があちこちに掲げられていた。ここは名前の通り、れっきとした牧場なのだと知る。だんだん足元の雪がふかふかの新雪となり、前日までのトレースも消え、期待が高まっていく。平日の朝に笠ヶ岳へ登る人などいない様子だ。遠くの見慣れた山は白根山。この山も今年は雪が少なく、山頂付近はゴツゴツとした岩が見えてしまっている。笠ヶ岳の峠の茶屋を見つけた。滑る斜面はこの上部だ。スキーアイゼンを初めて履いて、急斜面を登っていく。登り20分、滑りは3分といったところだろうか。「たったこれだけの為に?!」という気持が今の私にはあるのだが、自然が作り出した新雪の、それもパウダーを滑るのは病みつきになる楽しさだ。その後は時間がたっぷりと余ったのでタコチコースを滑り、笠ヶ岳へ向かう途中で眼下に見つけた高山温泉郷の秘湯 七味温泉へも立ち寄ってみたい。こうなれば夕食は小布施で行きつけの店 蔵部が自然の流れ。七味温泉の湯は源泉かけ流しだが、私がこれまで出合った温泉の中で一番濃厚なお湯と感じた。例えていうなら、草津の湯畑にそのまま浸かっているような感じだ。白濁して黄色い湯の花がこれでもかと浮かんでいる。温度もすこぶる高さ(47℃くらい)で、皮膚の表面ならず体の芯まで成分が浸みていくようだ。自宅へ戻ってパソコンを開くと、なんと指紋認証ができない!恐るべし泉質である。今日は久々のフルコース、深い深~い眠りにつけそうだ。

どんな山でも、二度目には視野がぐっと広がっていく。これからの山スキーには、今日のような秘境の楽しみも少しずつ盛り込んでいこうと決めた。これからは、ありがたいことに日も長くなる。日の出とともに行動を開始できれば、そのようなおまけも充分可能である。

time : 23:38 | コメント (0)

2009年02月08日

浅間山と桜島

昨日までの小春日和から一転。北西からの強い風が吹く、寒い休日となった。こんな日の空気はどこまでの澄み渡り、浅間山の輪郭が青空にくっきりと浮かび上がって とても綺麗だ。ただひとつ気になる点をあげるなら、そこから流れる噴煙と火薬のような匂いが町に充満していること。北西の風に運ばれた煙が、吹きだまりのように山の窪みに集まっていた。こんな不思議な光景は、今日初めて見る。

09.02.08.噴煙あがる浅間山.jpg

浅間山が小噴火した2月2日、日本の活火山のひとつが同じように火山活動を活発化させていた。九州の桜島である。あちらも少しだけ噴石が降ったそうだが、この星が太陽のようにしっかりと生きている証ではないだろうか。すごいな、地球。

time : 18:11 | コメント (0)

2009年02月07日

この冬は 屋根も歩道も安全

現在16:00の気温 7℃!立春を過ぎて、すぐさま小春日和がやってくるとは思わなかった。窓を開けて新鮮な空気を取り込んで、こんな時刻まで薄着でいられて、髪をばっさりショートにしたように気持ちは軽いのだけれど、庭の片隅でふきのとうが顔を出していないか?ちょっと心配。長野県内全域には、連日”なだれ注意報”が出ていて、スキー場もこの陽気で雪を保つのは大変なことだろうと思う。

この冬は本当に雪が少ない。昨日、浄化槽の点検に来たお兄さんたちに声をかけると、「今年はホント 信じられないくらい楽です」とのこと。そう、昨年は頭上から巻き爪のように固まった氷が、今にも落ちてきそうなほど危険な状態だったのだから。

真冬なのに、誰もが”安全”に自転車に乗って移動している...これも、雪のない今シーズンを象徴する風景。浅間山も小噴火したりして、すこし地面も温かいのだろうか。

冬といっても、必ず春になる冬だから。今日のような穏やかな一日があってもおかしくはない。何と言っても、まだ2月は始まったばかり!いつものように、-10℃クラスの厳しい寒さは再び訪れるはずだ。

time : 16:06 | コメント (0)

2009年02月06日

小鴨色のひろがる

気づいたら、部屋のあちこちにこの色があった。小鴨色(ティール グリーン)は、鴨の首のあたりにある 光沢のある濃い青緑色を言う。以前から好きな色だったらしく、我が家には無意識のうちに集まっていった小鴨色の布類が多くある。そして今日、何か目新しいものを纏いたいなぁと思って買ってきたのが、ウールの薄手のマフラーだ。

09.02.07.小鴨色のマフラー.jpg

どうやらこの時期の私は、”小鴨色が大好き”になってしまうらしい。きっと、青みがかっていることに気持ちが落ち着くのだろう。黄色の入った若草色も、気分がぱあっと明るくなると思う。だが、身に纏うのはまだ早すぎる気がして...。

都会に住んでいた頃のように、季節を先取りした無理なオシャレはしなくなった。つぎの季節へと微妙に移ろう小さな変化に、自然と馴染むように自分を合わせていく。そんな、少しだけ色や素材感で遊ぶ毎日が楽しい。

time : 16:47 | コメント (0)

2009年02月04日

”立春”の響き  

昨日は節分で豆まきをして、迎えた今日2月4日は”立春”。日差しが少しづつ高くなっていくことには気づいていたけれど、これからは穏やかな日がどんどん増えてくる。

春が立つと書いて”りっしゅん” なんて素敵な音感なのだろうといつも思う。旧暦では今日から一年がスタートするわけだから、音の響きだけでなく、初々しい何かを感じずにはいられない。生きているものすべてが無意識のうちに感じ取る、春への小さな変化に、鼓動に。

time : 09:12 | コメント (0)

2009年02月03日

浅間山 小噴火

昨日スキーにでかけていた私は、自宅に戻ったばかりの午後9時のトップニュースで浅間山が噴火していたことを知った。留守電が点滅していることに気づいてメッセージを聞いてみると、「避難しているの?」「大丈夫?」という声。パソコンを開いてメールのチェックをすれば、噴火を知った友人から続々と安否を気遣うメールが届いていた。ニュースでは、千葉の君津で浅間山から噴き出た灰が確認されたとか?町の様子より、世間では都心へ舞い降りた珍しい”灰”の話題でもちきりのように見える。果たして今回の噴火はどのようなものであったのだろう。

5年前に起きた噴火の時もそうだったが、噴火から一日経過すると専門家の分析が進むようである。井の中の蛙であった裾野の住民が、やっと現状を把握するのが今日なのだ。

噴火そのものは、2月2日の午前2時~約20分間にわたって続いたのだという。今回は小規模な水蒸気爆発で、5年前の中噴火と比べるとずっと小さい。しかし、噴火自体が20分間続いたことで火口付近の岩石が非常に細かな灰となり、たまたま南東へ吹いていた強風に乗って、火山灰ははるばる関東へ運ばれたようだ。我が家のデッキに灰らしきものはなかったような気がするのだが、もう一度外へ出て注意して見てみると、塩カルの粒のような灰色の砂が僅かに落ちていることに気がついた。しかし、噴火したことを知らなければ、おそらく気にもとめないものであったと思う。ご近所さんに話を聞いてみると、こうである。「北の窓が小刻みに揺れはじめたかと思ったら、ゴゴーッという音が聞こえてきた。それは、すぐに噴火だとわかるような音だった。暫くすると、屋根に降り出したばかりの雪のような音。窓を開けて掌を広げてみたが特に目立ったものはなく、大丈夫と思いすぐに眠ってしまった。」

この言葉から、家の外へ出て確認する必要を感じなかったことがわかる。5年前に私がたまたま出くわした中噴火の時は、窓の揺れからはじまって爆発音と恐ろしい激震があった。私はいったい何が起きている?と思い、すぐさま家を飛び出した。そして、辺り一面に充満する火薬の匂いの火元を探そうと地下室へ降りたりしていた。

噴火は、その時の風向きが大きく影響するらしい。軽井沢町でも、場所によっては車が走っただけで灰が舞い上がる場所もあるが、何の変化も感じられない場所の方が多いと思う。国道18号に掲げられた電光掲示板に赤い文字を見つける。

浅間山噴火中
火山活動 レベル3
火口4km圏内 立ち入り禁止

time : 22:34 | コメント (0)

2009年02月02日

はじめてのYAMABOKU

久しぶりに気合いを入れて、前夜発で向かった先は小布施町のお隣 高山村。高山という地名を聞いて私の頭に浮かぶのは、山の斜面を削る大きな石切り場だ。その下の盆地には、とても美味しいリンゴや葡萄畑が広がり、山深いというイメージは微塵も感じたことはなかった。だが、この村にはパウダーフリークなら知らぬ者はいないという山田牧場 通称YAMABOKUがあることを、つい最近になって知った。そこは、石切り場を抜けた高山郷の先にあるというのだが...。雪の降りしきる夜中に走っていると、想像外の山深さにすぐにでも引き返したくなる気分に。着雪した落葉樹のトンネンルを、美しいと感じる余裕もないまま通り抜けていく。すると、こんなところに?という感じで宿がひしめくように連なりはじめた。道端に止められた車はどれもモンスター。平日の深夜1時に人の姿を見つけることなど困難なことはわかっているけれど、どこの宿の灯りもついておらず非常灯の緑色のランプがぼんやりと浮かび上がるだけ。だから、「本当に、みんないるの?」と不安になってしまう。引き返してやっと見つけた山田牧場の入口は、案の定 雪で埋まっていた。新雪をグググッと鈍い音を立てて進んでいくと、車が数台とまっている。ここが駐車場と思うが、どの車もワイパーを上げて人の足跡も見つからない。本当にここで良いのだろうか?
と思いながらも、ここしかないという事実。暫くすると、明らかに不審な動きをしている私達の車に気づいたのか?一軒の宿の灯りがついた。アールデコ調のランプに照らされていく暖かそうな部屋が見える。人の気配を感じたことで、私の緊張はようやくほぐれていった。ここは間違いなく山田牧場。雪はまだまだ降り続く様子で、車外に出るのは止めた方がよさそうだ。自宅から持ってきた白ワインを開ける気にもならず、「とにかく今は寝るしかない」とシュラフにくるまり、朝まで仮眠と決めた。

外の眩しさに目覚めて、辺りをぐるりと見渡してみると この眺め。
雪はピタリと止んで、朝から素晴らしい快晴!新雪は20cm以上で無風...これが噂に聞いていたYAMABOKUの晴れの姿だ。

09.02.02.山田牧場.jpg

リフトは全部で3本。ゲレンデは最低限の斜面に圧雪がかけられるだけで、それ以外はどこでも滑走可能という夢のような場所だった。自然の地形をそのまま生かしたパウダー テーマパークという表現がぴったり。今では珍しい一人用のリフトにワクワクしながら乗りこみ、見上げればこの紺碧の空と樹氷。ゲレンデのBGMも一切届かない場所だから、音という音もないガラスのように繊細な世界が存在していた。こんな美しさってあるだろうかと、ただただ感激してしまう。初めてのYAMABOKUでこれほど好条件が揃ってしまうとは...今シーズンの運を使い果たしてしまったようで、怖い。

09.02.02.珍しい一人乗りリフト.jpg

09.02.02.紺碧の空.jpg

そして、待っていた緩斜面がこの ザ・パウダー!!思わず声が出る。前日までのトラックは全てリセットされ、自分たちのトレースだけが描かれていく贅沢さ。磐梯で地元のおじさん達に言われた通り、長野は正真正銘 スキーのメッカであった。そんな場所が、自宅からDoor to doorで2時間かからないことにも驚いて。次回は滑っている間じゅう視界に入っていた笠ヶ岳に登り、全長13kmにもおよぶYAMABOKUが誇るツアー タコチコースを滑りたいと思う。

09.02.02.パウダー!!.jpg

time : 20:23 | コメント (0)

2009年02月01日

浅間山火山活動 レベル3へ

浅間山の火口から立ち昇る白い噴煙に気をとめない日はない。だが、煙は空(くう)のごとく...である。日を追うごとに見慣れた風景になっていく自分が怖いと思っていたところ、気象庁が正式に浅間山の噴火を発表した。火山活動レベルは、2から3へと引き上げられたのである。

偶然にも、浅間山の話題で2月ははじまったことになる。今日の午後1時、私は標高2000mのスキー場(浅間2000)を覆う厚い雲の中にいた。そこは猛烈な強風と雪が容赦なく叩きつける、稜線にいるかのようなスキー場だ。しかし、1000m下ればまるで別世界。雪のかけらを見つけるのも難しいのどかな風景に降り立つ。残念ながら、軽井沢もここ数日の雨と異常な暖かさで、雪の全く無い3月のような風景である。車窓の左手には険しい表情の山々が連なり、中でも際立って白い浅間山からは今日も噴煙がたなびいていた。火薬のような匂いとともに。

長い旅をして帰路に着くとき、そこにはいつもこの山がある。私には、いつしか「おかえり」という声がいつでも聞こえてくるような存在となった。そしてこの浅間は生きている山。だから今日、噴火レベルが3へと動いたと言っても、実のところいつも噴火状態であることを近隣に住む人々は心得ているように思う。日本には活火山が沢山あり、その恩恵である温泉も無限にある。「胸の片隅に、いつも生きる山がある暮らしは怖いのだろうな..」この地に暮らすまで、私もそう思ってきた。しかし、今では毎日が貴重な体験の連続であると言い切れる。この星の息吹を、肌で感じることができるからだ。

time : 16:31 | コメント (0)

2009年01月30日

真冬の ビタミン補給

今日の最高気温 8℃。昨日に引き続き、真冬であることを忘れてしまいそうな外気温だ。しかし、単純に暖かいと感じられるものではないから不思議。天気は今日の午後から下り坂、今まで乾燥しきっていた空気が急に湿り気を帯びてくるのがわかる。気温は高いが日差しに乏しく、厳冬期にはないこの地独特の肌寒さが室内を支配していく。

昨日、奄美諸島から届いた”たんかん”は、蜜柑の王様と呼ばれる果実である。皮は薄いが硬いため、みかんのように手でむいて食べるのはなかなか難しく、口に含むとネーブルオレンジのような果汁がジュワッと出てくる。甘みはしっかりと濃く、それでいて酸味もきいた とても美味しい果物だ。冬の間はとかく不足しがちなビタミン。新鮮なものはできるだけありのままの状態で、この身体に補ってあげたいものである。オスタライザーのブレンダーをカウンターの奥から取りだしたところで、「あっ、これよりいいものがあるではないか!」と気づいたのは、アレッシーのレモン絞り。

09.01.30.沖永良部のたんかん ジュースに.jpg

柑橘系ならこの道具が手っ取り早い。たんかん4個はナイフでそれぞれ半分に切って、後は掌でグリグリと押さえつけていくだけ。果肉をどれだけ入れたいか?そんな調整も力の入れ方次第。下に置いたグラスを二人分のフレッシュジュースがいっぱいにしていくのは、あっという間の出来事だ。そして、使用後はササッと水で洗うだけで、キッチンカウンターのオブジェと化す美しい身のこなし。フィリップ・スタルクのデザインしたものはどれも好きだけれど、このレモン絞りが私にとっては最高傑作!”他の追随を許さない”とは、おそらくこのようなものを言うのだろうと、使う度に感じ入っている。我が家のキッチンでは非常に登場回数の多い、かけがえのない道具の一つである。

time : 19:18 | コメント (0)

2009年01月27日

はじめての磐梯 

今シーズンはスキーに力を入れようと、久しぶりに長野から脱出。高速を4時間走らせて向かった先は、福島県磐梯町 アルツ磐梯(スキー場)だ。磐梯山~猫魔ヶ岳の稜線を挟むようにして、南に幾つもの浜を持つ広大な猪苗代湖。北に桧原湖・秋元湖など複数の湖を望む風光明媚な場所で、一度は行ってみたい場所だった。今回は、レベルアップの為にスクールの予約も済ませている。スキーを本格的に習うのは初めてのことだ。

2kmにも及ぶスケール感いっぱいのリフト。足元に広がる雪は量も質もケタ違いだが、野生動物の足跡は湯の丸の方が多いと感じる。今はすべてが雪に覆われているが、夏になれば”磐梯山ゴールドライン”という素晴らしい有料道路を走ることができるのだとか。ここ磐梯にはブナの原生林もあるというし、冬だけでなく紅葉の秋もぜひ訪れてみたい。長い長いリフトを降りて眼下に広がった景色がこちら。朝の光を浴びてキラキラと輝く猪苗代湖は、どこかの海の”湾”のよう。

09.01.25.猪苗代湖.jpg

午前中は、「習うまでに、少しは上手くなっておきたい」などと思いながら、スキー場の理解に努めた。そしていよいよ、スクールの時間である。「どんな人と一緒になるのかなー」と不安な気持ちでいたら、「このコースはお一人様なので、マンツーマンになります」とのこと。そんな贅沢な!

2時間はあっという間に過ぎていった。しかし、確実に上達していく手応えを感じながら...。やはり、スキーでも何でも基本が大事なのだと知らされた。我流では限界があるのだ。受講して良かった。

夕方になると、朝から穏やかだった磐梯山が突然荒れてきた。風が強く吹雪きになったのだ。みんな、逃げるように建物の中へ入っていく。道路やその先の駐車場を見ると雪が走っている。これが噂に聞いていた地吹雪か。夕食は本場の喜多方ラーメンを求めて、吹雪のなか喜多方市へ車を走らせた。時刻は既に18:00をまわっている。普通なら焦る必要もない時刻だけど、ここでは違う。このあたりのお店は居酒屋を除いて、そのほとんどが18:00に閉まるというのだ。店の灯りを求めて、吸い込まれるように入ったのが駅前の丸見食堂。店構えから美味しそうな予感がしていたが、これが大当たりだった。しっかりとだしのきいた旨みのある喜多方ラーメン。どのメニューもすべてが手作りで、素晴らしい家族経営のお店。また絶対に来よう!

二日目の朝は、雲海に包まれた猪苗代湖を目にした。今日は少しだけ稜線を歩いてみたい。ちょうど知人パーティも猫魔ヶ岳1404mに登りたいというので、私達は磐梯側から、彼らは猫魔(スキー場)側から歩きはじめて頂上で合流することになった。 ↓ は磐梯山を背に頂上まであと一歩の様子。

09.01.26.猫魔ヶ岳へもう一歩.jpg

09.01.26.猫魔ヶ岳を目指す 石打さん.jpg

 ↑ は、猫魔側からスノーボードを担いで歩く知人パーティ。「いい斜面はないかなー」と樹林帯を覗き込んでいる。一面が霧氷した山はまるで絵画のよう。バックカントリーの素晴らしさ ここにあり。

同じ山でも、北と南ではまったく表情が異なる。裏磐梯の木々は見事なまでに霧氷して、遠くに見える湖はすべて凍りついていた。スキー場の雪質も極上のパウダーである。それは、事前に聞いて知ってはいたのだが、稜線でふたつの顔をまじまじと見ると圧巻である。ゲレンデに降りる途中で、地元の山スキーヤーに出会った。「こんにちは」と挨拶を交わしただけなのに、一瞬でよそ者ということがわかってしまったらしい。「どっからきたー?」「長野です」「えー、そりゃそっちが本場だぁ。なんで来たー」「磐梯は一度来てみたかったんです」「そっかぁ。こんど、いいでに行くといいよ。ほんとーにいい山だがらさ。福島で一番!」そう言うと、超一流の滑りで樹林帯のなかへ颯爽と消えて行った。彼らにとって、ここはたぶんホームゲレンジなのだろう。私達の湯の丸のような場所なのかもしれない。

自然のルートを自分で見つけながら滑る楽しみが、今回の旅で少しわかってきたような気がする。
磐梯、ありがとう。


time : 03:28 | コメント (0)

2009年01月24日

雨降って 地固まる

昨日の軽井沢は、最高気温が10℃という春の陽気に包まれた。それは、束の間の休息といった感じで、私は家の窓を次から次へと開けて、室内に新鮮な風を走らせていった。タートルネックの首のあたりがむずがゆい。久しぶりに水だしのアイスコーヒーを淹れた。

09.01.24.暖かそうに見えるけれど.jpg

そして今日は一転して真冬日。穏やかに見える日差しだが、日中の気温も横ばいで0℃~1℃を行ったり来たり。午後3時、空気はすでに夜のものへと変わっていたが、こんな日の散策も楽しいものだ。カメラを持って外へ出る。

09.01.24.落ち葉の絨毯に雪消えて.jpg

今週はまとまった雨も降ったため、日当たりの良い場所ではこのような光景も。落ち葉の絨毯はさぞ暖かいのだろう、なんとこの庭では雪の姿が見当たらない!しかし、この寒さである。1月には珍しく出来た水溜りも冷気に見つかって ↓ の通り。ガラスのように繊細な薄氷ができていた。私が小学生だった頃は、冬になるとよく水溜りがこんな感じに凍っていたものだ。ハラハラどきどきしながら、その薄い氷の上を歩く楽しみ。今の東京でもできるのだろうか。

09.01.24.凍りつく水たまり.jpg

09.01.24.道路 水しぶきも凍りついて.jpg

軽井沢に限らず、凍てつく寒さに包まれる土地の道路は ↑ のような横顔を見せる。南側に大きな木があって日差しに乏しい場所では、晴れていてもなかなか水気が飛んでいかない。車が通り水しぶきも少し上がったのだろう、その輪だちがこれほどリアルな形で凍りついていた。「さすがに冷えてきたなぁー」と思って気温を見ると-4℃である。家に戻ると、ちょうど夕日が玄関前の楓を照らしていた。急に目立ち始めた赤い冬芽。今夜は再び-12℃の世界になるのだとか。この地の寒さは確かに厳しい。しかし、庭ではもの言わぬ木々が静かに芽吹く準備を進めている。そんな現実に気づきながらの暮らしだ。季節は移ろう...だからこそ、どんな時も力が湧いてくる気がして。

09.01.24.玄関の紅葉 伸びる冬芽.jpg

time : 18:35 | コメント (0)

2009年01月21日

薪ストーブ オーヴン化!

昨年12月からはじめた、薪ストーブ内での料理。それは、炉内の”熾き火”を利用した調理法だ。なぜ今までやらなかったのか?と言うと、「もしかすると、炉内が汚れるのではないか」と思っていたから。しかし、実際にやってみたら魚の炭火焼きみたいな調理をしない限り、どこも汚れないことがわかった。

今までやらずにきた理由の二つ目が、道具の不足であった。市販されている五徳のどれもが、ダッチオーブンのような大きな鍋を置くように出来ていて、私にはどうにも大きすぎた。炉内いっぱいに五徳を置くということは、すなわち大量の熾きを必要とすることである。そして、熾きの状態のまま数時間が経過することは、急激に室温を下げることに繋がり(このようなことは、なかなか本には書かれていない)厳冬期の軽井沢では難しい。特に、暖房が薪ストーブ・オンリーの我が家では避けたい行為だ。
我が家では、”熾きは料理のためにわざわざ作るものではない”。だから、「新たに薪をくべるために、コンバスター運転(触媒を介した二次燃焼)を解除する数分間を使って、何か一品できたら嬉しいなぁ」そんなおまけの考え方で充分だったのだ。

そもそも熾きを使って本気で料理をしたい!と思いはじめたきっかけは、通常 電気オーヴンを300℃まで加熱するためにまず数十分かかり、それから一定の温度で保温調理していくのに、かなりのエネルギーを消費していると感じたからだ。同じ空間には、1000℃近い熱源が同居しているのである。ジレンマを感じながら電気オーヴンのスタートボタンを押し続けるより、これを利用しない手は、ない。

というわけで、私が炉内に置く五徳は、”(お茶の世界の)火鉢”のために特注で作られた小さなもの。出合ったのは昨年秋の盛岡。もともと炭の中に沈めて使うものだから、強さはお墨付き。しかし、まさか薪ストーブの炉内で使われているなんて、工房の皆さんも知ったら驚くに違いない。出し入れしやすく、女性にも扱いやすいちょうどいいサイズである。そして、合わせる鍋はもちろん鋳鉄。二人分のオーヴン料理にぴったりなサイズを、同じ時期に水沢で見つけていた。お茶道具は盛岡、生活道具は水沢が得意である。特に鳥肉などは、僅か数分でふっくらとジューシーに焼きあがる。焼きものの調理は短時間に越したことはなく、これからの我が家は、”オーブン料理は薪ストーブを焚いている日だけ”のものとなりそうだ。寒い日には、アツアツのものを食すのが何よりの贅沢。きっと、そんな自然の摂理にそった暮らし方を連綿と続けていくことが、いずれ私達のためになると考える。

08.12.15.初めての 炉内五徳料理.jpg

アメリカ合衆国大統領として今日就任したのは、ケニア系の黒人 オバマ氏。「化石燃料を使い尽くすのはやめにして...私たちは、孫のその孫の代のことも考えて...人を思いやること」演説の中に、そんなフレーズを見つけることができた。エネルギー源の見直しは、過去に起きた革命を読みおこす限り、必ずできるはずである。自然は、これまで私たちに充分な恩恵を与えてきた。今だって恩恵を受けてこの暮らしが成り立っている。だからこれからは、少しずつでもこの星に恩返しをするつもりで、日々の暮らし方を謙虚にしていく必要があると思う。

time : 15:13 | コメント (0)

2009年01月20日

低く暮らす

身体の芯まで温まり、なんともいえない心地良さを感じる薪ストーブ前。そこは我が家の特等席。冬に限らず、薪がくべられていない時も、どの季節も人が自然と集まる場所だ。食事時はガラスのテーブル席に座ることにしているが、食事が終わればスツールという狭いスペースに縛られていることに違和感を覚えるようになる。スルスルと薪ストーブ前のあぐら椅子へ移動していくのは住人の私達に限ったことでなく、ゲストも皆同じだ。

いつの間にか、座るというより ゆったりと腰掛けている感じを好むようになった。視線も、限りなく地面に近い場所に落とすことになる。立った目線より、自然はより自分に近づいて、ガラス一枚を隔てた外界と一体化したような感覚になれるのだ。だから、目に入る色やモノには敏感になる。庭に、変なものは置いていないか?あの誘蛾灯、いつか無くなるといいのだけれど...そんな風に。

どうやらこの地での暮らしは、”快適に低く暮らす”ことを心掛けるといろんな意味で良くなりそうである。ポツリポツリと、もの静かな家が林の中に佇んでいたこの町も、ここ数年のうちに急速に宅地化が進んでしまった。だから、自分は自分という考え方のままでいると、借景の存在しない=借景という どこまでも繋がる素晴らしい共有空間を絶ち切った せせこましい暮らし方を生んでしまう。これから建つ家々がすべて美しい借景になったなら、この地がくれる恩恵は計り知れないものとなる。

time : 16:42 | コメント (0)

2009年01月18日

熊の眠る山で 寒さ中休み

天気図を見て、「午前中いっぱいなら天気はもつだろう!」と思い、再び湯の丸へバックカントリースキーに出かけた。標高は軽井沢より1000m以上高いが、今日は朝靄が立ちこめるほど気温が高い。山の天気は変わりやすいので、この先が雪であっても不思議ではないが、高度を上げるうちに青空が広がっていった。今日が、1月としては特別な暖かさになることはわかっていたが、先週のこの山は-20℃にも達する極寒の地であった。一週間でこの気温差にはただただ驚いてしまうが、今日は新雪が降り積もった直後、楽しめそうである。さっそく、スキーにシールを着けて歩きだす。

暫くして目の前にぐーんと広がる山肌は、まだまだ記憶に新しい風景。だが、「ここは、まさか?」と一瞬自分の目を疑ってしまった。倒木が一本あって、間違いなく先週眺めたばかりの天然落葉松の母樹林である。しかし、今日はまったく別の顔。ありのままの落葉松の姿というか、化粧前のすっぴんの林をしていた。先週の あの素晴らしい”霧氷の風景”は何処へ行ってしまったか。今日の場合は暖かさと引き換え。だから、どんなに待っても出合うことはない。山は、そこに入る度に様々な表情を見せてくれる。同じ冬の一週間でもこれだけ違うことを知り、それはいつか役立つ時がくると思えた。

この暖かさでは、池の平湿原への滑降も期待はできない。ならば天気がもつ限り、雪景色の中を歩きたいと、高峰高原ホテルまでの林道をスキーで歩くことにした。新雪だから鮮明に残る、動物の足跡。お目にかかれないのが不思議なくらいの頻度で、野兎やテンといった小動物の足跡に出合っていく!そして、こうも思った。「雪に包まれた山に安心して入っていけるのは、他ならぬ山の動物”熊”が冬眠中だから。熊は、私達に冬の大自然を見る機会をくれているのかもしれない」と。我が家の玄関には、春までの間 熊除けの鈴がかけられる。

09.01.19.熊鈴は春までここに.jpg

高峰高原までの往復は汗ばむ暑さだったため、この季節にしてはかなりの体力を消耗してしまった。ガツガツと昼食を食べて熱い珈琲でホッと一息つけば、後はシールを外した下りだけが待っている。ゲレンデで何度か滑りの練習をした後、こんどは車でゆっくりと山を降りていく。湯の丸からは、僅か数分のうちに1000m以上を一気に下るのである。気圧の変化に追いつけない耳が、キーンと悲鳴をあげる。

軽井沢に近づくにつれて、路面が黒々と濡れていることに気づいた。かれこれ10日以上乾燥した空気の中で過ごしてきたので、こと湿度には敏感だ。どうやら寒さも中休みだろうか。夜には春のような牡丹雪が降りだし、リビングは1月とは思えぬ暖かさに包まれていった。明日はいきなり3月の陽気になるのだとか。体調を崩さないように気をつけたい。

time : 20:43 | コメント (0)

2009年01月15日

太陽に背を向けて 冬の午後

最低気温が-10℃前後という日が、もう10日ほど続いている。夜はさすがに緊張感が走り、ベッドに潜り込む前には、「朝まで薪ストーブ内に”おき(種火)”を残そう」と、大きめの薪をくべている。その甲斐あってか、毎晩が熟睡である。明け方の6時すこし前に一度目覚めるのは、蹴飛ばした毛布をふたたび体にかけるため。少しずつ日の出が早くなり、7時半のリビングは穏やかな日差しに包まれるようになった。ほのかに火の存在を感じる鋳鉄の塊のおかげで、室温は12~14℃。ブラインドを上げて、このまま日差しが入るに任せてしまってもいい。火は消えても、昼には太陽光だけでこの空間は20℃を超えていくのだから...。しかし、午前中を家で過ごす日は別だ。我慢のしすぎも身体によくない。薪ストーブに薪を3本ほど足して、鉄瓶の湯が湧いたらそのまろやかな湯で珈琲を淹れよう。窓の外に広がるのは、粉雪の舞い降りた静寂の風景。そこで動くものは、ツグミとシメだけだ。冬の青空は、辺り一面を支配するように広がっていく。

午後1時をまわる頃には、薪をくべたことを悔やむこともある。サンルームと化したリビングの室温は30℃近くまで達し、洗濯物は一日で2回分 楽に乾いてしまう。キッチンで洗い物をはじめると、背中は強い日差しを浴びてじっとしているのが辛いほどだ。軽井沢の真冬の午後は、実はこれほど太陽の光と熱に満ちているのである。あまりの眩しさに窓に背を向けて、熟成を終えた4種類の石けんのラッピングをはじめる。贅沢だなと感じながら...。

09.01.15.手作り石鹸をラッピング.jpg

09.01.15.傾きはじめた太陽.jpg

日が傾きはじめたら、まず薪ストーブのガラスを灰で磨いて、今度は本格的に薪を焚いてゆこう!
今夜も引き続き低温注意報。よく晴れた日の冷え込みは、厳しい。考えてみると真冬の高地の家は、”雪というコート”を着たままなのだ。だから、冷えるのは当たり前。日中の暖かさが嘘のように、太陽のいない夜は室温を20℃保つためだけに、ひとかかえもある薪を必要とする。

time : 19:21 | コメント (0)

2009年01月11日

厳冬期に着たい 寒色

1月の三連休は、いつも空とのにらめっこ。今年も厳しい冬型の気圧配置となったため、泊まりの山行は見送った。束の間の晴れ間を見つけて向かった先は、湯の丸高原。雲上の丘から池の平湿原へと降りるフカフカの斜面を期待している。標高は2500mもあり、我が家からは一番近場でパウダースノーが期待できる場所なのだ。

バックカントリーの出発点となるのは、湯の丸スキー場 6番高速カプセルリフトの終着点だ。今朝は、軽井沢でも-12℃まで冷え込んだから寒さは覚悟の上。充分なレイヤリングをしてきたつもりだ。だが、シールを着ける際の細かな作業に一瞬手袋を外すと、指先にあの懐かしい痛さが走った!-15℃以下ともなると、常時指先を動かしていなければ血のめぐりは悪くなり、すぐさま痛みが走るようになるのである。アイスクライミングのビレイに似ている。

それでも、この時期の寒さが見せる自然の表情には目を奪われる。歩きだしてすぐに広がった、霧氷。空も雪も限りなく冷たい色をしているのに、どこかファンタスティックな印象を受ける。日々の暮らしが雪と氷に包まれていくうちに、私は暖色系の衣装より”寒色系の色”を好んで纏うようになった。着ているだけで自然体になれる気がするからなのだが、本質は此処にあったのかもしれない。

09.01.11.湯の丸高原 樹氷.jpg

湯の丸高原の素晴らしさのひとつが、天然の落葉松林。これらの母樹から種子を取って、子孫を残しているらしい。樹林帯に入ると積雪は膝上くらいと深い。そこで、スノーシューを履いたカメラマンとすれ違った。笑顔である。来て良かった!

09.01.11.湯の丸高原 池ノ平へ向かう.jpg

兎平(池の平駐車場)から見晴岳までは、大パノラマを眺めながらのアップダウン。夏はコマクサなどの高山植物が咲き誇る場所だ。稜線に出ると風はかなり強く、気温は-20℃くらいだろうか。いたる所にエビのシッポが出来ていた。小さな雪庇もあるが、想像していたよりずっと雪が少ない。地面から高山植物が顔を出していて「これは、滑れないかもしれない」と思って眺めたのが、↓ の池の平湿原である。湿原の真ん中を走る木道が見えてしまっている。これでは無理だ。

09.01.11.雪の少ない池ノ平湿原.jpg

そして、黒斑山越しにモクモクと噴煙?を上げる浅間山を見つける。依然、噴火レベルは2のままで危険な状態ではないようだが、初めて見た人は何かが”爆発”していると思うかもしれない。青空は次第に薄まって雲行きも怪しげ。やはり天気は今夜から下り坂だ。いま眺めている活火山の裾野に帰る私達がいる。

明日は成人の日。静かな銀世界の町では、今日見た景色のような色の振袖も素敵だろう。

09.01.11.爆発?水蒸気あがる浅間山.jpg


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2009年01月09日

角を取る雪 消えたダウン

雪をふらせる雲が太平洋側を中心に発達すると知って、「今回はすこーし雲がかかるかな?」と思っていた。軽井沢という場所は、日本海と太平洋どちら側の影響を受けるのか?がいつも微妙なのだ。

今日は暖かい朝、いつもより寝坊をして8時に目覚めた。オレンジ色の太陽が頬にあたった記憶はない。しかし、外が妙に明るく、見れば雪が降り積もっていた。積雪は5cmほどだろうか。薪ストーブの火が完全に消えたリビングは思いのほか暖かく、庭の木々は花が咲いたように華やかで、雪は春のように湿った重たいものを想像した。雪は、まだこれからも降るだろう。

早めにデッキの雪を”下ろさなければ”

そう思って外へ出て、試しににブラシで掃いてみると拍子抜けするくらい軽い雪!であった。普通、これくらいの積雪では雪掻きを使わなければ雪の塊を落とせないものだが、一度のブラシであっさりと”掃けて”しまった。降りだした頃は-10℃まではいかないが、氷点下であったのだろう。

09.01.09.軽すぎる雪.jpg

銀世界となった庭を眺めると、これから飲もうとしているカプチーノの泡のようなこんもりとした雪の造形物を、いたるところに見つけることができた。丸太の切り口や植木鉢、鳥の餌台は特に愛らしい。もちろん、車もモンスターと化している。モノから角が取れると、みんな可愛らしくなる。

09.01.09.今日からegoでカプチーノ.jpg

一端雪が降り止めば、ご近所さんが、ぞろぞろと家から出てくる。信号機のように明るい色のパーカーをまとい、手袋、長靴の完全なスタイルである。が、自分の姿をあらためて見て驚いた。ウールのタートルネックにカーディガンを羽織って、家からそのまま出てきた格好なのだ。長靴も耐寒性のあるバフィンではなくごく普通のもの。-2℃という気温は、1月の私にとって既に特別なものではなくなっていたのだ。旦那さんが、「最近、ダウンコートを着ないね」と言っていたことを思い出す。そう言えば、私の冬からダウンが消えた。無意識のうちに...。

time : 10:02 | コメント (0)

2009年01月08日

はしゃぐ ガラスたち

乾ききった空気のどこに水気があったのか?と疑ってしまうほど、今朝の車はガチガチに凍りついていた。霧のように視界を塞ぐガラスの霜、それは朝の通勤には厄介極まりないものだけど、良く見ればこんなに綺麗!寒さを忘れて写真を撮る。

09.01.08.マイナス10℃の車窓.jpg

時刻は7時52分、気温は-10℃。青空が、暮らしを取り囲むガラスというガラスに映りこんでいく。晴れた厳冬期の朝は素晴らしい。眺めも空気も。

09.01.08.マイナス10℃の朝.jpg

time : 08:00 | コメント (0)

2009年01月07日

春の七草 小さな花

今朝の最低気温は-9℃!こんな日の散歩は、いつもよりペースを早める必要があるようだ。手袋をしているのに指先はしびれ、耳は痛いまま。この凍てつく寒さを、雪のない冬枯れの景色から想像するのはなかなか難しい。アスファルト敷きではない昔ながらの土の道に入ると、足元から土埃が舞い上がった。湿り気を帯びた地面は凍りついて信じ難いほど硬くなり、乾ききった空気に息も白くならない。「今朝の散歩は、まるで耐寒訓練のようだね」と言葉が出る。「いつもは雪があることで、寒さはずいぶん和らいでいたのだろうね」とも。

09.01.07.春の七草.jpg

平成21年の無病息災を願って、今日は春の七草をいただこう。
左から、はこべら・すずしろ・ほとけのざ・すずな・なずな・ごぎょう・せり。これら7種の野草は私が想像するかぎり、南フランスのハーブのようなもので、昔から日本の庭先にごく普通にあったものではないかと思う。私も子供の頃に、なずな(ペンペン草)を揺らして音で遊んだ記憶がある。まだ雪の残る日本の野山のあちこちで、畑や田んぼのふちで、さんさんと日差しを浴びて一足早く花を咲かせる小さな草に目を奪われる春。それはまだ遥か彼方の季節と思えるけれど、一歩ずつ確実に近づいている。

過酷な自然環境下で咲く花々は、高山植物に限らず皆小さい。大きくて華やかで、来年咲くかどうかわからないことより、小さくとも毎年確実に花開くことの方がずっと大事なのだろう。小さなものから学ぶことは沢山ある。

time : 18:39 | コメント (0)

2009年01月06日

雪を見てホッとする

昨夜遅くに雪が舞っていたことには気づいていた。しかし、ベッドに潜り込む頃には雲は流れ、夜空には星々が瞬いていた。「あぁ、今夜も降らなかったか...」と少しだけガッカリして深い眠りにつく。

そして目覚めると、外は薄っすらと雪化粧していた。茶色い地面におしろいをはたいたような粉雪だ。道路も白く染まっているが、積雪○○cmなどとはとても言えない微かな量で、午後にはあっさりと姿を消していくようなものである。だが、束の間の雪景色を見た途端に、気持ちはすうっと穏やかなものへ。そんな自分が不思議に思えた。

例年なら、雪を”舞う”と表現することは少ない。最近の軽井沢の雪はだいたいが”降り” ”積もる”ものであり、すぐに雪掻きという重労働を連想するものだった。この冬は極端に雪が少なく、極寒期にはおよそ相応しくない穏やかな日々が続いてきた。だから、雪に対するイメージまで変えてしまったようだ。

「今夜もまた雪にならないかなー。」 「舞うだけでなく、そろそろ降り積もって欲しいな!」
それはもう希望を超えて、願いにも似た感情。

薪と薪との隙間で冬眠していた蜂やカメムシが、まだ1月だというのに空を飛び交っている。そう言えば、冬鳥 ツグミの姿が消えた。何かが変だ。

time : 17:51 | コメント (0)

2009年01月01日

一杯のお茶から

新しい年が幕を開けた。我が家の朝には、東の空から家の中にオレンジ色の朝日が一直線に差し込む瞬間があるのだが、今日という日はその光が特別なものに感じられる。今朝も-10℃近くまで冷え込んだが、青空が広がれば途端に寒さも和らいでいく。日に照らされた一日と、雲に閉ざされた一日では同じ気温でも体感温度にかなりの差が生まれるのだ。そしてどんな日も、我が家では一杯の温かい飲み物から一日がスタートする。夏なら冷たいものだろうか?いや違う。やはり、どんな季節であっても朝は”温かい飲み物”を静かに体にとりこんでいるようである。元旦である今日も同じだ。

近くの神社へ初詣に行って、自宅でつきたてのお餅やおせち料理を味わう。元日だけは、できるだけのんびりと過ごしたいという気持ちがそうさせる。それからも何度となくお茶を飲み、時刻はいつの間にか16:00。特別な想いで眺めていた朝日は、無言のうちに西の空へと沈みゆく。こうした一日の繰り返しが一年という月日の集合体になるのなら、一日をよりよく生きていきたいと思う。


time : 15:40 | コメント (0)

2008年12月31日

炎の前で  ゆく年

今年のクリスマスはいつもよりずっと静かで、年末になるにつれクリスマス以上の賑わいを見せた軽井沢。静寂だけが支配する真冬のこの町で、過ぎゆく年と来たる新年を迎えようとしている方が大勢いることと思う。我が家もようやく31日になって家族が揃い、夕暮れとともに2008年最後の食事(夕食)を迎えた。薪ストーブの炎に時代を超えた確かさを感じながら、誠実に作られたワインで乾杯。北で育った肉や魚の脂分を心の底から美味しいと舌鼓をうてるようになったことも、この凍てつく寒さのお陰と受け止める。

08.12.31.薪ストーブの前で ゆく年.jpg

食べることは、生きること
着ることは、生きること
書くことは、生きること
旅することは、生きること

ひとにとって生きることの表現方法は様々。だからたまに、「私にとっては、何だろうな?」と考ることがある。でも、こうして音楽もTVもなしに数時間を過ごしてみると、自分や家族にとって、いま一番大事にすべきものは何かが見えてくるから不思議だ。最初は春霞のようにぼんやりと。だが、次第にしっかりと焦点が定まってくるのを感じる。窓一枚を隔てた冬の星々のように鮮明にだ。

自然の静けさは偉大だ。知らぬ間にささくれだっていた心が洗われ、修復され、新しい一年を前向きに迎えようとする力が漲ってくる。

time : 17:06 | コメント (0)

2008年12月26日

粉雪 朝10時 -6℃ 

08.12.26.朝10時 -6℃ .粉雪.jpg

さらっさらの粉雪が、平らな場所に舞い降りていた。雪の降り積もった朝は、明るさで目が覚める。10時をまわってもデッキの雪の表面に動きはなく、外はまだまだ氷点下なのだなと見えた。粉雪に触れたい一心で外へ出ると、一瞬で頭が冴えわたるようだ。寒いを通り越して、冷たい。いや、今日の場合は「痛い!」。気温はたったの-6℃!素手のままでは手がどうにかなってしまいそう。手袋を取りに玄関へ戻る。いったん扉を閉めてしまえば、温室のようなリビングの誘惑が待っている。だが、やはり外へ出る。「ここは山の中なんだ。私は今、山にいる」そうやって気分を冬山モードへシフトしていくことで、冷たい空気も風も冬のすべてを前向きに受け入れることができるようになる。デッキに積もった雪は5センチほどで、片栗粉のようだ。雪掻きの道具を使う必要もなく、ナイロンのホーキで掃いていく。黒いデッキの表面に薄っすらと残った雪のかけらは日差しを浴びると瞬く間に凍りついて、さらに日を浴びた後に蒸発していった。

time : 21:04 | コメント (0)

2008年12月25日

少しだけ遅れて 寒波

25日の空は、めまぐるしく変化していた。穏やかな日差しに包まれたかと思うと、厚い雲が次から次へと忙しく流れてくる。太陽は、それらの雲に覆われたり、そこから抜け出したりを何度も繰り返す。当然、部屋の中も明るくなったり暗くなったりで、安定した日差しが得られない。今日のような日の我が家は室温もなかなか上がらないため、久しぶりに午後から薪ストーブを焚いて過ごすことにした。リビングは薪ストーブを焚く前で15℃、寒さに慣れてきた身体には猛烈に冷えるという温度ではない。

年の瀬を告げる使者のような強い寒気 通称”クリスマス寒波”が、どうやらこれからやってくるという。だが、今日明日の軽井沢の天気予報に雪のマークはない。待っているのは、一日の最低気温が-10℃ 日中の最高気温が-2℃クラスの厳しい冷え込みだという。この時期に訪れる強い寒気の下、標高1000mのこの高原が晴れと曇りのマークだけなんて、どう考えてもおかしい。そんな風に感じていたら、19:00をまわってキッチンの換気扇のあたりからチラチラと微かな音が聞こえてきた。見れば昔の紙石鹸のような、繊細な雪。それらが音を立てて降り始めていた。日付が変わる頃には気温もグッと冷えてきたのだろう。雪の表情も刻々と姿を変え、美しすぎる粉雪が強い風に舞い上がっていた。落葉樹の枝にも着雪できないほどサラサラな、真冬の軽井沢を代表するような雪だ。空は、時折恐ろしいうねり声をあげている。今夜のような冷え込みが何日か続くなら、週末に白銀の世界を約束していた友人の期待を裏切らなくて済むかもしれない。こんな言い方をしたらきっと空に叱られそうだけど、”景色のなかに雪がある”たったそれだけで、私はどんな寒さも凌いでいける気がして。

time : 01:13 | コメント (0)

2008年12月24日

淋しげなサンタクロース

昨日の夕方は一時雲行きが悪くなり、空から雪が降ってきたので思わず「やった!」と喜んだのだが、ほんの一瞬舞ったというくらいのものだった。

冬枯れは続く。朝、目が覚めると私は枕を立てて壁にもたれかかる。そこで頭が起きるまで暫く庭を眺めるのだが、景色は今日も茶色一色。目を凝らしてようやく地面に霜柱を見つけたり、車のフロントガラスが凍っていないかを確認する。そして最後に、窓からのぞきこむようにして水辺鉢の水がどれほど凍っているかを見る。薄くシャリシャリとしていれば-5℃もいっていない。プラスティックのプレートのようなら-10℃くらいだろう。今朝もシャリシャリ、この暖かさはどうしたものか。まるで小春日和のようだとリビングから庭の木々を見ていたら、珍しい色の鳥の群れがやってきた。それが、スズメだと気づいてガックリと落ち込む。町の、比較的暖かな場所に生息していることは知っていた。しかし、我が家の庭で餌を探すようになるとは。

午後、ツルヤで買い物へ行くとレジのお姉さんがサンタクロースの赤い衣装を着ていた。例年なら、別荘の方も多く見えて賑やかな空気が漂うのだが、この冬は景気の影響もあってか活気に欠けている。浅間山だけ雪化粧しているのが幸いの、クリスマス。プリンススキー場のある矢ヶ崎山も滑走路だけはしっかりと雪化粧しているので、駅に降り立つと「雪だー!」と思いこんでしまうが、ここは人工的に作られたものだ。そんな景色でさえ、この冬は嬉しく感じてしまう。今年の12月は全国的に雪不足で今現在も”雪待ち”なんてスキー場も多いと聞く。一昔前の軽井沢は-20℃なんて日もざらで、雪もあまり降らなかったというから、昔の厳しさを体感しているのだと思わなければね。

time : 18:18 | コメント (0)

2008年12月22日

内も外も 窓ガラスを磨く

あと10日で2008年が終わるという日曜日、軽井沢は15℃という暖かさに包まれた。まったく信じられないことだが、「この陽気ならできることがある」と気持ちを切り替えて、懸案だった窓ガラス磨きをすることにした。旦那さんは学生時代にビルのガラス磨きのアルバイトをしたことがあり、とても上手い。「コツを掴めば誰でもできるよ」と言うが、使っているのはプロの道具だし、掃除とは思えぬほど楽しそうにやっている。私は、窓枠やペアガラスのゴムパッキンの拭き掃除にとどめよう。

いざ窓の掃除を始めてみると、ガラスというものは”内と外”でかなり置かれている環境が異なっていることに気づく。外側は、直射日光・風・雨・雪・土埃や木々の花粉にさらされ、過酷。そして内側も、衣類や布製品から日々舞い上がる埃を浴びて、想像以上に曇っている。透明だから、片面だけを綺麗にすれば良くなるというものではないので、”内も外も同じように磨く”。そういう意味では、一年を締めくくるに相応しい業と言えるかもしれない。完全にスイッチの入ってしまった旦那さんは、窓掃除が終わると今度はメダカの水槽を綺麗にすると言い出した。時刻はすでに16:00である。だが、気温は10℃を超えたまま。気づけば窓も開いたまま。南風が吹いていた。

08.12.21.英司の窓掃除.jpg

まる一日が経過して、クリアな窓の外には夕暮れが迫ってきていた。ガラスを通して、リビングの白壁が数分間だけピンク色に染まる。空には、まるで大河のように雄大に流れる筋状の雲が訪れていた。どんなに透明感の蘇った窓であっても、窓越しで眺めていることに変わりはない。今日の夕暮れは肉眼で見たい!と外へ出る。肌を刺す冷気は紛れもなく、いつもの冬のもの。日本の気象衛星ひまわり6号が撮影した雲の画像を、この目で、この肌で感じる瞬間だ。今夜は間違いなく冷える。

08.12.22.筋状の雲が運ぶ寒気.jpg

time : 20:38 | コメント (0)

2008年12月20日

小さな変化に敏感でいたい

暖かすぎたり、寒すぎたりすることに不安を覚えるのは何故だろう。11時の気温は10℃もあり、視界に入る景色から白いもの(根雪)が日に日に消えていくのを淋しく思っている。しかし、昨夜は素晴らしい冬銀河を見ていた。朝晩はしっかり冷えているのである。そう、この12月は雪が少ないだけ。

もし、この星に指揮者がいるのなら、雪が少ないことなどとても些細なこと。どんなに過去の歴史を振り返っても私達に想像することは難しい、とてつもなく大きな大きな流れを健全に導くための、ひとつの調整ではないかと思えてくる。たとえそうであったとしても、きっと私達は毎日の小さな変化に耳を傾けていく。他の動物と同じような毛皮をあえて脱ぎ捨てたことも、自然の変化により敏感になるためだったのかと思える時がある。人工的に作り出した自然の模倣物(香り・温度・空気・風)より、本物の自然を快適と感じる五感。せっかく備わっている五感を鈍らせるようなモノが世の中を取り巻いていく必要は、ないのかもしれない。

「お正月用に」と、旦那さんの両親の故郷から航空便で届いたのは、鉄砲百合とグラジオーラス。目の覚めるような青い葉からは、生命力に溢れた南の空気が伝わってくる。アレンジメントが楽しめるようにと長めに茎をカットし、ガラスの器に投げ入れた。暫くは硬く閉じた蕾のままだろうと思っていたが、この暖かさ。冬の間は太陽光の乏しい西の間から、百合の香りがここ リビングへ届く日も近そうだ。

08.12.20.沖永良部の鉄砲百合.jpg


time : 11:33 | コメント (0)

2008年12月17日

ようこそ さよなら 糸

産業革命をこの目で見ることはなかったけれど、”エネルギー革命”には立ち合えそうなこの頃。

毎日の衣・食・住にかかわるエネルギーが、果たしてどのようなものなのか?
自分はこれから、どのようなものを使っていきたいか?
どのようなエネルギーと共に、生きていきたいか?

を真剣に考える時期がやってきた。
私の理想は”自分の暮らしで使うエネルギーは自分の敷地内で作る”である。朝起きて顔を洗うことから始まって、すべての洗い物を水道の真水で済ませている私にとって量は最低限でいい。例えば、どうしても自宅のお風呂に入りたいが、お湯を沸かすだけのエネルギーが得られなかったという日が稀にあるかもしれない。そんな日は、いつもの温泉へ行けば事足りる。幸い、この町にはアイスランドのように地熱を利用した 源泉かけ流しの素晴らしい湯が存在する。

08.12.17.patagoniaつなげる糸.jpg

ここにあるのは、快適に冬を過ごすためのpatagoniaのウェアたち。左の、箱に入って届いたものは今シーズン新調したもの。右は、かれこれ10年以上を共に過ごしてきたお疲れ気味のウェアだ。特に、背中の腰部分にジッパー式ポケットのついた黒いベストは機能的で、素晴らしいパートナーだった。だから、袖を通すことはないにしても手元に置いておいておこうかなと迷っていた。しかし、それが新しいデザインのウェアに生まれ変われるのだとしたら、その方がずっと嬉しいし、有意義なことだ。モノを手元に残すことも大事だが、衣類のように流行や経年劣化の著しいものもある。いや、衣類に限らず、新しいものは素材も性能も明らかに進化しているのだ。その恩恵を日々の暮らしで感じとった時、人は生きてきてよかった!と思えるのではないだろうか。と同時に、一世紀以上経っても古さをまったく感じさせない、モノづくりのお手本のような日用品に畏敬の念を抱くこともある。

patagoniaが2005年に発足させた”つなげる糸リサイクルプログラム”
この活動によって、毎シーズン確実に新たな製品が生まれるようになった。リサイクルした糸から作られたウェアを着てみても、その性能に劣りはなく充分なものであることがわかる。今の世の中には、リサイクルできるものとできないものがあり、できないものは地中に埋められていく。この星から生んだものは、たとえそれが負の遺産であっても同じ星の体内に戻っていくしかない。それこそが現実だ。

ご近所さんを訪ねると、部屋じゅうの大掃除を始めていた。なんでも、「捨てることが一番苦手」なのだそう。どの部屋も、どのテーブルもモノに溢れ、さすがに日々の暮らしが窮屈になってきたから重い腰を上げたのだと言う。モノだらけにしてしまった理由はただ一つ、買うことばかりだったから。いま暮らしている家族に必要な最低限の収納に、最低限の家具、これからの人生にかかわりを持つゲストのための備品とて、年に何回使うだろうか。「入りきらなくなったから...」と、適当な入れ物を幾つも買うようになったら最後。日の目を見ないモノたちは雪だるま式に増えていく。モノに執着することをやめると、身のこなしがグッと軽くなるのだ。それを私に教えてくれたのは山の世界だった。どんな人も、山に入る時は背中にザック一つを背負うことしかできないということ。人の暮らしに絶対必要な衣食住にかかわるモノたちは、”ミニマムで美しく、次の時代に生まれ変われる素材”を基準に選んでいけたらと思う。シンプルに身軽に暮らすことは、何より未来のためになる。


time : 17:41 | コメント (0)

2008年12月15日

標高2000mの散歩

華やかに木々を飾る雪が、今日になってもその姿を留めていることが嬉しくて、雲上の散策を楽しもうと高峰高原へ向かった。自宅から、標高2000mまでは車でたったの30分。思い立ったらすぐに行ける、これが嬉しい。

高峰高原ホテルのすぐ下には、浅間山麓国際自然学校のベースとなるビジターセンターが新設されていた。建物は自然の中にしっくりと馴染む落ち着いたデザインで、薪ストーブのあるカフェ・レストランが心憎い。夏も涼しいこの場所では、何よりの優しさとなるに違いない。

今日は天気が良く、積雪量も(車坂峠から見た限り)少ないと見えたため、登山靴にスパッツをつけて歩き出す。登山道には、スノーシューを楽しむ一行のトレースが既にしっかり敷かれていた。昨日は、自宅近くを歩いただけでおとぎの国のようだと感動していたが、やはりここまで上がるとスケールが違う。黒斑山までの登山道は危険な個所が少ない割にバリエーションに富んでいる。綾線に出れば大パノラマが広がり、さながら雲上の散歩。樹林帯に入れば、北欧の森に迷い込んだような気分も味わえるのだ。高峰高原は天然の落葉松群生地として有名だが、モミ林の広がるエリアもある。少しずつ高度を上げていくと、雪は”質も量”も正真正銘 山のものへ。光を浴びた雪の結晶が、宝石のように輝きを放っていた。

08.12.15.輝く雪の結晶.jpg

08.12.15.北欧の森のような.jpg

今日は軽井沢の最高が4℃というから、そこから1000mの高度を考えると綾線上で-5℃くらい。一番高い2400m地点でも、体感温度は-10℃くらいであった。下の写真はトーミの頭からの眺め。ここは、浅間山を至近距離で眺める絶好のポイントだ。いつも見上げてばかりいる山だから、こうして対面すると新鮮。水蒸気の上がる火口を、そっと見守るような気持ちで眺めてしまうのは”この山(活火山)の裾野で実際に暮らしている”から。もし、これが旅先で見た通りがかりの山ならば、なかなかこのような心境にはならないと思う。現在、浅間山の噴火レベルは2。火口から2km圏内は立ち入り禁止区域となっている。

08.12.15.トーミの頭から浅間山.jpg

冬の山”冬山”と言っても、よく晴れて風も無ければ信じ難いほど穏やかだ。行動中の上着はpatagoniaのR3ジャケット一枚で充分。休憩する時だけフリースを羽織れば体が震えることもない。保温ポットのお茶も、冷める心配なしにゆっくりと飲める。

ここにきて、ようやく町にも冬本番の寒さが訪れるようになった。朝晩の冷え込みは-5℃~10℃くらい。足元を薄っすらと白く覆った今回の雪は、そのまま根雪として残るような気がする。

time : 23:07 | コメント (0)

2008年12月14日

師走の夜桜

08.12.14.雪景色ふたたび.jpg

静かすぎる朝、外の明るさに目を覚ますと白銀の世界が広がっていた。ニレケヤキの幹を一周しながら上へ上へと登っているのは大きなアカゲラ。水辺鉢には、丸々としたツグミの姿も見える。白いキャンバスの中では、どちらもとても鮮明。雪の日は、野鳥のオスが鮮やかな衣装をまとっていることを改めて知らされる時でもある。

午後になると、雪はピタリと降り止んだ。これで、雲間から太陽が顔を出せば枝についた雪の花は呆気なく消えてしまうものだが、今日は違った。気温は最高でも2℃という低さで、風もない。一歩外へ出て歩き出せば、まるで一枚の写真のように静止した景色の中で、雪面を踏みしめる自分の足音だけが耳に届いてくる。今日は、様々な条件が偶然整った一日であるらしい。雪の花は夜になってもその姿を留めていた。静けさと美しさに包まれた今日のような冬の夜を、心のどこかで待ちわびていた。

08.12.14.夜になっても雪の花散らず.jpg

リビングの照明を消して、窓辺にローゼンタールのキャンドルを灯してみる。最初は自分の居場所が途方もなく暗く感じて、手元しか見えていない。だが、人の身体もまだまだ順応する力を持っている。暗がりの中で蝋燭の灯りに慣れて親しんでいく瞳は頼もしい。次の瞬間には薪ストーブの炎も立派な灯りと認識され、「少し前の暮らしは、きっと毎日がこのようなものだったのだろう」などと想像しながら、読みかけの文庫本を開くまでになる。
雪の日は、昼だけでなく夜も明るい。”夜桜”が咲く春の夜にどこか似ている。

time : 01:27 | コメント (0)

2008年12月10日

雪を待つ 北のグラス

先日の冷え込みが嘘のように、朝から穏やかな陽気に包まれた軽井沢。明け方も氷点下ではないため、この時期にしてはぐっすりと眠れ、日中の気温はなんと13℃まで上がってしまった。こんな日はわざわざ車に乗る必要もない。歩いて、郵便局まで年賀はがきを買いに行こう。いつもなら、浅間山からの冷たい風を覚悟しなければならない場所なのだが、今日の陽気では汗ばむほど。粉砂糖をサッとふっただけのような、おそよ12月らしくない浅間から黒斑までの山稜。離山などは、先月の顔をしている。

08.12.10.暖かすぎる日.jpg

「こういうのって、なんだか淋しいな。」ふと、そんな風に思ってしまった。ここは四季のある日本だもの、そして四つの季節をはっきり感じることのできる場所だもの。12月というものは、これから先もずっと真冬のままであってほしい。

実家の食器棚に昔から並んでいたグラスが、iittalaのグラスであったことに、つい最近気がついた。
「今になってようやく気づいた」と言った方が良いのかもしれない。デザイナーは、タピオ・ヴィルカラ。
フィンランドの自然をこよなく愛したことで知られ、このグラスは私が生まれる少し前に世の中へ送り出されたものらしい。いつか銀座の店で見た時に、無性に懐かしい気持ちになりつつも、買う気が起こらなかったことを思い出した。なぜなら私は、このグラスで夏は冷たい麦茶やカルピスを飲んできたから...。遠い記憶の中で、静かに点と線が繋がっていく。

日々の暮らしを構成する身の周りのモノたちは、きっと計り知れない影響力を持っているのだと思えてきた。世の中に日常使いのグラスは沢山あるけれど、人それぞれにお気に入りの一脚があるに違いない。そのグラスに惹かれる理由も、人の数だけある。

今の私はこの一脚。

眺めていると、暖かな春の日差しを浴びた氷が滴となって融けてゆく様子や、樹木の幹が”林”という風景を作りあげる様子、光にかざせば銀世界が浮かび上がってくるよう。でも、同じグラスであっても感じ方は様々。暮らしている場所やその時の心理状況によって、モノを見る目はずいぶん変わる。私が、昔懐かしいこのグラスを今になって新鮮と感じ、愛おしく掌におさめていることも、考えてみればとても不思議なことなのだ。

08.12.10.iittala Ultima Thule.jpg


time : 17:17 | コメント (0)

2008年12月08日

マイナスが消える

この冬からはリモコン スターターの恩恵に預かれるから、朝のアイドリングがグッと楽になるなぁ!そう思っていたが、前日の間にエアコンのスイッチを入れ、温度を調整しておかなければ、凍ったフロントガラスを融かすことはできない。よりによって、厳しい冷え込みの前夜に準備を怠るなんて。

朝7時、玄関の扉を開け外へ出る。踏みしめる地面はいつもよりずっと硬く、車のボディには雪の結晶のような模様がたくさん!いそいそとエアコンをセットし、ポスト横の気温計を見る。赤い液体はなんと-10℃!まで下がっていた。目で気温を確認してしまったことで寒さが一層身にしみていく。
「10℃だったよー!」と部屋の中でバタバタと急ぐ旦那さんに伝える。これからの軽井沢(我が家の場合)は、数字の前にわざわざマイナスをつける必要がなくなるのだ。

それから4時間後、旦那さんからメールが入った。「こちらは20℃!着すぎたなぁ」と言っている。極寒の山を降りて彼の向かった先は、南の島。こちらはもちろんプラスの20℃。

time : 17:25 | コメント (0)

2008年12月07日

舞台は生き物

町じゅうがすっぽり冷蔵庫に入ったような、厳しい寒さの日曜の午後。久しぶりに大賀ホールへと出向いた。千住真理子さんのヴァイオリンを、兄である明さんの指揮で聴くまたとない機会だったからだ。前半の演奏が終わったところで、少し恥ずかしそうに兄妹がトーク・ショーをはじめた。これが、よかった。作曲家である明さんは、今まで「譜面こそすべて。演奏に必要なものは此処にすべて書いてあるのだから」と思ってきたと言う。かのベートーヴェンだってそうだった。しかし、小さい頃から舞台に立ってきた真理子さんは、舞台に住む”生き物”を肌で感じてきたと言う。ひとつとして同じものは存在しない、だから”LIVE” いったい誰が、こんなに的を得た言葉をあてたのかと私も思う。

一歩ホールを出れば、凍てつく寒さが待っている。しかし、訪れた時よりずっと心臓のあたりがあったかいのは、幸せな時間を過ごせたから。閉店間際のアウトレットで、以前から気になっていたクリスタルのシャンパン・グラスを買って、薪ストーブの待つ我が家へと帰路を急いだ。

time : 16:46 | コメント (0)

2008年12月06日

星々が知らせる 明日の空

師走とは思えぬ温かさに雷や突風。そして、局地的な降雨に振り回された昨日の日本列島。つい数日前まで今週末の長野県は雪になると予報されていた。しかし、昨夜の夜空には月が。深夜には、見事な冬銀河が広がった。それを見て、今日は朝から晴れが約束されたと思った。

08.11.04.月が知らせる明日の天気.jpg

天気予報というものが出来たのは果たしていつ頃からだろうか。つい昔までは、みんな夜空を眺めて、外の空気を肌で感じながら、明日の予定を立てていたのではないだろうか。それで良かったのだ。

冬の長い夜は、星々の輝きを仰ぎ見るための時間をたっぷりくれる。何もしないボーッとした時間もいいもので、その時々の考え事から余分な装飾が削ぎ落とされていく感覚を味わう。物事の本質に近づきたいと思うなら、このような時間こそが大切なのだなと今は思える。

time : 11:16 | コメント (0)

2008年12月02日

純粋すぎる植物

先日、ご近所さんにいただいた雪柳。この枝、今が紅葉の時を迎えているのだから本当に不思議。夕暮れのように美しい葉だったので、さっそくリビングの特等席(薪ストーブの横)に飾ってみた。「なかなか落葉もしないので、どうしたものか?」と思っていると、次第に枝先の蕾が膨らんでいく。そして今日、白い花を咲かせてしまった。

08.12.02.紅葉した雪柳の花が咲く.jpg

紅葉と芽吹きが同時に起きている。

この雪柳は冬になると感じて色づいたものの、ここ数日の麗らかな陽気を”春”と錯覚してしまったようだ。植物の正直さを目の当たりにする。風もなく、日中は長袖のタートル一枚で過ごせてしまうような暖かさだから、秋ふたたび。手をつけようかと迷っていた外仕事も、この陽気が続く木曜くらいまでは頑張れそう。

time : 18:27 | コメント (0)

2008年11月30日

ランタンの灯り

08.11.30.軽井沢高原教会のX'mas.jpg

軽井沢の夕暮れは早い。スーパーなどで買い物をして外へ出ると、あまりの暗さにびっくり!急かされるように家路につくが、時刻はまだ5時前で二度びっくり。車で移動していたら、町のいたるところにクリスマスのイルミネーションが設置されていたことに気がついた。西の空に沈みゆく夕日と夜空のグラデーションを一層幻想的にさせるのが、今は葉のない木々のシルエット。刻々と変化する夕暮れ時の空は最後まで眺め、できることならその日の情景を記憶したい!と思うほどだ。この時期、わずか数分のうちに輝きを増していくのは”月と星”そう決めつけていたが、これからクリスマスまでの間はイルミネーションの灯りも夜景に加わる。一年のうちで夜の灯りが最も華やかに鮮明に見えるのは、冬の澄んだ空気のお陰だろうか。

軽井沢高原教会の足元を飾っていたのは、2000個のランタンの灯り。規則的に動く電飾も楽しいけれど、やはり揺らめく炎にホッとする。落葉松林の中に瞬く星を見つけると飛びあがるほど嬉しい。空はこんなに広かったのかと。

time : 20:47 | コメント (0)

2008年11月28日

冬のミントジュレップ

底冷えだった昨日とは一転して、今日は小春日和を思わせる陽気に。昨夜の雨で、雪はかけらも残っていないと半ば決めつけていたけれど、あった!デッキの雪を下ろしたことでできた塊が、雨にも負けずに。かかんで近づいてみると、それはまるで春を待つ名残り雪のよう。雪の合間から姿を現したのは、青々しいミントだったが、ここにフキノトウがあっても不思議ではない生暖かさ。気温は10℃近い。しかし、春ではない決定打がこの空。空を見れば季節がわかる。四季のなかで生きる日本人なら、なおさら敏感に。

08.11.28.冬の空色.jpg

08.11.28.ミントジュレップ?.jpg

デッキの下には、クラッシュドアイスのような雪に、新鮮なミントの葉。

私の脳裏には、じわじわとある飲み物が浮かんでいた。その名はミントジュレップ。銅のマグカップでサーヴィスされる銀座や湯島のバーのミントジュレップは、会社の先輩たちが東京の蒸し暑い夏の夜に、駆けつけの一杯として頼んでいたものだった。その時のバーテンダーさんが、「どうしても、このカクテルにはフレッシュミントを使いたいから自宅のプランターで育てているのですよ」と言っていたことを思い出した。そんなミントが、我が家には捨てて余るほどある。一時は地植えしてしまったことを悔いたが、今では贅沢なことだなと思っている。ミントの根は土壌に隙間を作るから、硬くこわばった土も簡単に柔らかくして、ミミズや幼虫が快適に暮らす家へと変えてくれる。濡れ落ち葉をつつく鳥は、そんな生き物たちを主食としているようだ。ひまわりの種を餌にしなければ鳥も寄り付かなかった無機質な庭(竣工当時)が、今では彼らの楽園になっている。餌台は、先日置いたばかり。しかし、地面が雪に覆われるまでは、まだまだ不要のようだ。

今宵は、せっかく雪の下から出てきたミントだもの、ミントジュレップを作ります。薪ストーブの前なら、冷たさも御馳走になると信じて。

time : 16:26 | コメント (0)

2008年11月27日

炎と音と

この時期の曇り空は、相当の寒さを覚悟しなければならない軽井沢。今日の最高気温は4℃と予想されていたが、ずーっと2、3℃を維持していたような感じだったと思う。庭のあちこちで、まだ雪が雪のままの姿を留めているのだから、寒いはずと思わなければね。珍しく午後から薪ストーブを焚きはじめて、クラシックをBGMに過ごす。今では毎日の習慣となった火起こしだけど、自分で割り、いい状態に熟成させてきた薪が立派な”ひのこ”に成長した瞬間はやはり嬉しい。

08.11.20.ひのこ.jpg

すっかり薄くなった週めくりのカレンダーに目を通すと、まだまだあると思っていた11月が、残りたったの3日間であることに驚いて。いよいよ来月 師走は2008年最後の31日間だ。月でなく”日”でカウントしてみれば、「明日のために今日できることは何だろう?」とか、「今の一時間をどう過ごそうか?」とか、生きていることを実感できるような時間の使い方を考えてしまう。そうして、夜は更けていく...。

夜になって、天井から流れる音色はジャズへと変わったが、音の細かな部分が急に聴こえづらくなっていた。月も星もいない今晩はとてつもなく暗い夜景、灯りをしっかり当ててあげなければ外の様子を正確に伺い知ることはできない。何度かボリュームを上げにいって、やっと気づいた雨音。片流れの屋根を伝う小雨は、流れ落ちる方向以外はとても静かなことに、今更ながら気づいた。次第に強まる雨足、明日の朝、目覚めて見る景色に雪はきっとない。

time : 23:43 | コメント (0)

2008年11月25日

初雪 雪の花が咲く

3連休の最後を締めくくったのは、雪だった。いつ降り出してもおかしくない空の下で、庭の枯葉を急いで片付ける。急いでいるのは私だけでなく、鳥も同じだった。ヤマボウシの幹に、冬の間だけの餌台を置くと、水辺鉢とそこを行ったり来たり。私はすでに景色の一部と化しているのか?至近距離に存在しているというのに鳥たちはまったく警戒しない。ベレー帽を被ったようなエナガのなんと愛らしいこと。ポツリポツリと肩にあたる雨は、数時間後には雪へと変わっていった。

静かすぎる長い夜、薪ストーブの中から煙突へと立ち昇る炎の音が聴こえてきた。それはまるで、安定したエンジンでも積んでいるかのようなゴーゴーという静かな音。真黒な鋳鉄のボディのどこにも電源がないことが無性に不思議と思える時があって、やっぱりこの精巧な装置は生き物なんだと納得する。時折、そこに薪がはぜる音も混じる。どちらの音も、しっかり耳に響いてきたのはずいぶん久しぶりだ。

そして朝が訪れた。9:00をまわってもなかなか雲がとれずに寒々しい、それがこの地らしい冬の朝。冬は始まったばかりだというのに、今回の雪は冬の終わりを予感させるようなものだった。良く言えば瑞々しく、悪く言えば厄介な。だが、このような湿り気のある雪だから見られる現象もある。私は勝手に”雪の花”と名づけているが、木々の枝にうまい具合に着雪した様子を言う。昨日まで、眺めているだけで憂鬱な気分になってしまいそうな冬枯れの景色が、朝日ではなく”午前中の光”を浴びて、華やかにはしゃぎはじめていた。

08.11.25.初雪 雪の花咲く.jpg


time : 11:24 | コメント (0)

2008年11月22日

大男?のひそひそ話

窓越しに眺める景色に、気配を感じることがある。それはもちろん、犬の散歩を楽しむ人や気まぐれな猫の姿であったりするのだけれど。降りはじめの雪のように、音もなく存在を主張してくるものもある。今日の午前中も、そんな気配にハッとさせられた。家の前の道路からデッキにいたるまで(我が家には塀なるものがないため)長~い人影ができていたのだ。

08.11.22.家の前の巨人.jpg

「さっきからずっとそこに立ちすくして、何をしているの?」と眼鏡をはずしている自分は勝手に思い込んでしまった。なぜなら、影からしてかなりの巨人!しかも大の男が4人いるように見えたから。知らない人が家の前で、こちらをじっと見ているのはあまりいい気持ちはしない。しかし、暫くしてその正体が家の前にそびえ立つ”落葉松の影”であることに気づき、ホッとした。

日の短いこの時期、太陽は急かされるように早足で移動する。だから、木の影も4本から2本へ、まるで人が近づいてお喋りしているように見えていたのだ。電柱が大男に見えたり、草花が喋りだしたり...宮沢賢治の描いた世界は確かに存在していると、木に囲まれた暮らしをしていて思う。童話とは、大人になってようやく真意に近づけるものなのかもしれない。

time : 16:13 | コメント (0)

2008年11月14日

厳冬期を乗り切る 石けん

重い腰を上げて、ようやく臨んだ石けん作り。今回は、思い切って4種類の仕込みを無事に終えることができた。

08.11.14.日を浴びる石鹸.jpg

ベースとなるオイルのほとんどは、保湿成分グリセリンの含有率が飛びぬけて高いピュア・オリーブオイル。これに、アーモンドオイルやホホバオイルなどを贅沢に加え、冬の乾燥から肌を守る”頼もしい石けん”作りを試みている。香りづけのエッセンシャルオイルは最低限の分量(消費税以下)に抑えているが、ベースノート・ミドルノート・トップノートから選ぶよう心掛け、香りに奥深さを出すことを目標に頑張ってみた。

オイルと苛性ソーダを混ぜ合わせる”けん化”作業は、防護メガネにマスク、手袋といういでたちで ひたすら泡だて器を動かす(何とも怪しげな?)肉体労働。しかし、型入れ前に行う香りづけは気分もホッとして、まるで高貴な調香師になったような気分だ。これから約一ヶ月をかけて、4種類の石けんはじっくりと熟成していく。そして、私達とともに新しい年を迎えることになる。

time : 22:08 | コメント (0)

2008年11月13日

気の早い マグナム

08.11.13.マグナムボトル.jpg

信頼している酒屋さんにお願いしていたワインが届いた。毎度のことながら、丁寧な梱包に愛情を感じる。今回は赤ワインばかりの中に、一本だけマグナムボトルのスパークリングワインが入っている。ロワール生まれの彼女の出番は、年末。

time : 21:52 | コメント (0)

2008年11月11日

実家から 果樹の便り

08.11.11寒々しい朝.jpg

窓越しに眺める、今朝の空。葉っぱの僅かになったニレケヤキの枝に一羽の鳥が立ち止まる。それはまるで斬り絵のようで。もしかしたら、今日のような冬枯れの景色を見た人が、白と黒だけで空間を構成する”きりえ”なるものを生み出したのでは?と思えてきた。

こちらは、これほど寒々とした冬の一日になろうというのに、実家から届いた小包からは秋の恵みが溢れんばかり。檸檬、ゆず、柿...すべて庭に実る果物である。戸隠のザルの広げているうちに、雲の切れ間からなんとも嬉しいタイミングで太陽が顔を出してくれた。

08.11.11.実家から果樹のめぐみ.jpg

私が育った頃と今では、庭の様子はずいぶん変わっている。しかし、ここにある果物は当時からあったもの。「今年も、ちゃーんと実をつけたからね」手に取ると、そんな声が聞こえてきそう。

ひとつとして”大きな秋の果物”の実ること無い地に暮らして初めてわかる、温暖な地のありがたさ。果樹ってほんとうに素晴らしい!庭をお持ちの方はぜひ、実のなる木を植えて欲しいなと思う。
なぜって?そこには無限のストーリーが生まれるからです。

time : 16:48 | コメント (0)

2008年11月10日

アップルパイで目覚める朝

薪ストーブを焚いて過ごす夜が続くようになった。最低気温が氷点下になる日はまだないけれど、日中の最高がたったの5、6 ℃!だったりするのだから、木造といえども建物は底冷えしている。日が暮れる前に、薪ストーブに一番近い窓の外に今晩使うだけの薪を用意し、焚きつけていく。ここ数日の間に、ラグも冬仕様の頼もしい厚手のウールに変わり、あぐら椅子(スポークチェア)も薪ストーブの前に移動してきた。観葉ものも多肉植物もヒトも、我が家ではみんな自然と炎の周りに集まってくる。正確には、炎に引き寄せられている!

薪ストーブの前にいると、遠赤外線の効果もあって、頬は北国の林檎のように赤くなる。どんな人でも田舎の素朴な顔になる、なることができるのだ。長い冬を終えた春先に、いきなり身体を動かしたことで首や肩を痛めたことがあった。その時受けた遠赤外線治療と同じような効果が、薪ストーブの前にも起こっている。だから、お酒の力を借りなくても自然と、心身のこわばりがほどけていくのかもしれない。

ストーブトップで湧いた湯を湯たんぽに入れて、ベッドへ潜り込む。翌朝はもちろん寒いけれど、残り香のように温もりも微かに残っていて、パジャマ姿のままで珈琲豆を挽きはじめる。今朝は時間があるので、作り置きしていた紅玉のフィリングと冷凍のパイシートを使って、パイを焼いてみよう。朝からアップルパイなんて贅沢だなぁと思うが、30分もあれば出来てしまう。嬉しいのは、部屋中があのいい香りに包まれていくこと!濃いめに珈琲が入ったら、すでに脂肪を身につけた八ヶ岳の牛さんたちのミルクを温めてからホイップ。オーブンからパイを取り出して、カプチーノと一緒に冬の静かな一日がはじまる。
カップから、ほおばった口から、立ち上る湯気は急に寒くなった証しだ。

08.11.10.朝のアップルパイ.jpg

time : 00:24 | コメント (0)

2008年11月07日

ちょっと早めのタイヤ交換

冬を迎えるための...準備。都会ではそんなことを考える時間も必要も感じてこなかったけれど、ここでは違う。一年の半分以上を、冬という季節が占めている。だから、家のこと、足となる車のこと、自分自身のからだのこと。今のうちにできることは何だろう?と想像力を働かせて、冬を迎える準備を着々と進めていく。それが私にとっては11月の今だ。

愛車の定期点検も兼ねて、今シーズンは少し早めのタイヤ交換。ノーマルタイヤをスタッドレスタイヤに変える。長い冬が終われば再びノーマルタイヤへ。一年に二度、この作業はここに暮らす限り連綿と続いていく。親戚に、あるタイヤメーカーの社長がいたこともあって、私は”どんな車もタイヤで走っていること”を小さいうちから感じ取ってきたような気がする。ボディもエンジンも大事だ。しかし、肝心なのはタイヤと今も感じ方は変わらない。それどころが、それを身をもって実感するようになっている。何年か前のTVCFで、”タイヤは家族の命を乗せている”といった素晴らしいキャッチコピーが流れていたことがあった。まさにそうである。スタッドレスタイヤに交換しただけで安全とは言えない。これから履き換えようとするタイヤの溝はすり減っていないか?そこが一番大事。スタッドレスを履いていても、止まらない時は止まらない。それさえ体験済みだから、せめてタイヤは万全の状態にしておく。

time : 00:23 | コメント (0)

2008年11月06日

はじめてのヨガ

今日は朝から気温がぐんぐん上がり、最高気温は21℃という汗ばむような陽気となった。冬枯れに近づいた景色とはなんとも裏腹。明日は久しぶりに冷たい雨が降るというので、午後の3時を過ぎたころ、長袖のタートルネックにパーカーを羽織って”歩いて”買い物へ行くことにした。買い物は、雨の日より晴れた日の方がいいことがある(と思う)。

自宅に戻ったのは4時ごろ。薄っすらと夜の帳が下りはじめる時刻で、意識せずとも早足になっている。これ以上の寄り道には危険が付きまとうことを、知らず知らずのうちに身体が学習している。これから先、明日の日が出ずる時までの間は、ヒト以外の動物が支配する時間だ。

ご近所さんに、「今日はこれからヨガの先生が自宅に来るのだけれど、もしよかったらやってみない?」と誘われ、参加させてもらうことにした。このような展開は軽井沢では日常茶飯事。以前から、なんとなく興味のあったヨガだが、本質がどんなものなのかはわからなかった。口は閉じたまま、鼻からの深い呼吸法だけでのぞむ全身のストレッチを一時間。心地よい疲れというより、身体が浄化されていく感覚を味わう。無理をせずただ静かに、自分と向き合う瞑想の世界とも言えるだろうか。慌ただしい一日が続く時には、24時間のうちにこのような時間を設けることで解決できることは沢山あるのかもしれない。ヨガも、続けることに意味があるのだろうな。シンプルなものほど深い。

time : 23:24 | コメント (0)

2008年11月04日

モティーフはここから?

錦秋という表現がぴったりな今日の軽井沢。紅葉のクライマックスを飾るのは、落葉松。朝から抜けるような青空が広がって、黄金色の落葉松とのコントラストが清々しい一日となりそうだ。

08.11.04.錦秋の朝 落葉松の雨.jpg

こうしてリビングで過ごしていると、デッキ続きの床に木々が作り出すまだら模様の影を見ることができる。その影はゆりかごのように揺れ、静かにそよいだり、突然慌ただしく揺れたりして、外で吹いている風の様子をそのまま感じることができる。目で見ただけでは、まるで静止した景色なのだ。しかし、そこに動きを見つけた時、なんだかとても気持ちがリラックスしてくるから不思議。知らぬ間に、影はずいぶん長くなった。

通りを歩いていると、地面には楓や落葉松の絨毯が敷かれてとても温かそう。場所によっては赤松の葉もわっさわっさと降り積もっている。落葉松は緑林されたものが多いが、赤松はもともと自生していた樹木だ。乾燥した空気を察知した松ぼっくりは、バラが蕾を広げるように静かに開いていく。道端で、そんな松の実を拾う。今日は布団針のような葉も持ち帰ってみる。

08.11.04.鉄瓶のモティーフはここから?.jpg

赤松の葉をよく見てみたいという気持ちになったのは、初めてのことだ。そうさせた理由が、この秋に盛岡で出合い、今ではストーブトップが特等席になっている鉄瓶の意匠。鉄瓶に限らず、日本古来のものには自然のモティーフが多用されていることに気づく。ほんの少し前まで自然は、誰にとっても身近な存在で、かけがえのないものであったことを物語るように。

08.11.04.松葉の鉄瓶.jpg

time : 11:24 | コメント (0)

2008年11月03日

栗のオーナメント

昨日、離山から自宅へ戻る帰路で偶然見つけた自然のツリー!これ以上ないほど赤紫色に染まったドウダンツツジの葉が、暮らしている場所の紅葉の終わりを静かに告げていた。その枝に偶然落下した栗の”いが”は、まるでオーナメントのよう。思わず、ドウダンツリーと命名してしまう。

08.11.02,南原 ドウダンツリー!.jpg

近づいてみると、いがの中には栗の実がそのまま入っている状態で、さらにびっくり!自然界はユーモアたっぷりで、見ているだけで微笑ましい気持ちにさせてくれる。

08.11.02.オーナメントは栗.jpg

time : 21:17 | コメント (0)

2008年11月02日

離山の紅一点

東京・乃木坂で、友人と久々の再会をした翌日。ヒールの高いブーツに悲鳴をあげていた足元は、軽登山靴へと変わっていた。今年の秋を見納めにと向かった先は、離山。ザックに林檎と飲み物を入れて、自宅から歩いてゆく。離山別荘地の紅葉は今が見頃だ。

08.11.02.離山登山.jpg

登山道に入ると、熊除けの鈴をザックにとりつける。頂上へ向かう途中、何組もの観光客(と思われる人々)とすれ違ったが、鈴など音の出るものを持って歩いていたのは一組だけ。冬眠を控えた熊に鉢合わせする可能性が一番高い時期だというのに、あまりに物騒だ。ゆっくり歩いて30分ほどで頂上へ到着。山の上部の木々はほぼすべてが落葉し、一足先に冬枯れの景色が広がっていた。西日に照らされて輝くのはコブシの冬芽や植物の種。いつもは下から仰ぐように眺めている浅間山も、ここでは対面にある。火口付近の様子に目を凝らしてみると、やはり今日も噴煙は高く上がっていた。

08.11.02.離山から浅間山を望む.jpg

下山道をひんやりとした北面に変えて歩きだすこと数分、冬枯れの真っ只中に紅一点の楓が姿を現した!西日さえ当たることも少ないこの場所だから、紅葉が最後の最後になったのだろう。燃えるような赤にしばし見惚れる。

08.11.02.離山 最後の赤.jpg

08.11.02.土に還る楓の葉.jpg

どんなに美しく色づいた葉も、こうして一度は生まれた土壌へ戻る。
だが、春には別の形でまたあえるのだ。


time : 19:51 | コメント (0)

2008年10月29日

今晩の燃料 これくらい

日中の晴れ間のお陰で、暖房の必要ない夜が続いている。最高気温は13~15℃くらいなのだが、室内に入りこむ低い日が光となり熱となって、20:00の時点でも快適な室温(22℃)を保ってくれるのだ。
この時期の日の動きはとてもアグレッシブ!光に照らされた場所で洗濯物を乾かそうとしても、そこはすぐ日蔭になっていたりする。だから私は光のありかを求めて一日じゅう忙しく動き回る。この家のコンセプト ”光と共にある 自然の恩恵にあずかる暮らし”をより実感する。それが晩秋という季節だ。

「今夜も、薪ストーブを焚かずに過ごせてしまうのだろうな」そう思っていたが、明朝の予想気温が1℃であることを知って、贅沢だが少し焚くことにした。今晩の我が家の燃料はこれくらい。直径30cm×長さ40cmの丸太を ひと塊というところだ。焚きつけには庭の木々の芽吹く前に剪定した枝を使う。

08.10.28.今晩の燃料.jpg

窓の外の暗さに一瞬驚いたが、時刻はまだ18:00をまわったばかりだ。それぞれの家で、この時間、みんなはいったい何をしているのだろう。今日も落葉松は雨のように黄金色の葉を降らせていた。来週中には、ほぼすべての落葉樹が葉を落としてしまうだろう。裸になりかけたウワミズザクラに鳥の巣を見つけた!こんなに近くで子育てをしていたなんて、今までまったく気がつかなかった。葉っぱのカモフラージュ効果ってすごい。

08.10.29.お隣のウワミズに鳥の巣.jpg


time : 17:43 | コメント (0)

2008年10月27日

遊ぶ太陽

08.10.27.朝日が作る影絵.jpg

今朝は、東の部屋の壁に”影絵”が出来ていてびっくり!いつの間にか、ずいぶん日が低くなって、冬に近づいていることがわかる。しかし、今シーズンの軽井沢は暖かい。もう10月も終わるというのに、薪ストーブを焚いたのはたったの三回。浅間山が噴火している、その影響もあるのかな。

time : 21:23 | コメント (0)

2008年10月25日

モミの音を聴く

曇り空の午後、久しぶりに旦那さんと近くを歩いた。たった一日の雨が、それまで乾いて軽やかだった足元を変えた。「うーん、今日は残念だなぁ」と私。しかし、乾いている時を知らない旦那さんは、今日のコンディションでも充分楽しそう。湿り気を帯びた落ち葉のクッションには、新鮮な栗が沢山落ちていた。昨夜は風が音を立てていたっけ。いつもは苔だけの地面も、今日は色とりどりの葉が舞い降りて、とても艶やか。

08.10.25.南原 地面を覆う楓.jpg

その地面から伸びた枝の先には、葉という葉はほとんど残っていない。くねくねと曲がる幹に視線を移していくと、そこに夏の名残りを見つけた。テニスボールだ。

08.10.25.南原 夏の名残りのボール.jpg

紅葉のグラデーションがそこかしこで観られるというのに、すれ違う人もいないことが何とも不思議な休日。静寂だけが支配する午後だ。道の真ん中で立ち止まり、耳を澄ましてみる。すると、降りだしたばかりの”雪”のような音が聴こえてきた。パチパチとか、チリチリとかそんな微かな音。何かが地面を跳ねているのだ。これは、モミの葉!今日はじめてモミの落葉、その音を知った。木は本当に生きている。

08.10.25.南原 もみの音を聴く.jpg

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2008年10月22日

赤く色づいた ホーキ

昨夜、ご近所さんから”赤く染まった”ホーキ草を「部屋の飾りに」といただいた。もこもことした緑色のホーキ草はご存じの方も多いと思うけれど、この草、秋になるとしっかり紅葉するんですよね。

08.10.22.ほうき草.jpg

まるまる一週間続いた秋晴れも今日で終わりという。デッキで天日干しにしていたホーキ草は、そのほとんどが紅葉しているのだけど緑色の部分もあって、まさにいま眺めている木々そのもの。自然のグラデーションと風にそよぐ軽い感じを生かして何か作れないかな?と思い、玄関用のリースにしてみた。

08.10.22.ほうき草でリースを作ってみる.jpg

それから、ホーキ草と名がついているのだから、きっとホーキを作るための材料なのだという思い込みから、ホーキ作りに初挑戦!いつか剪定した黒めの木の枝と、ペルーの色鮮やかな絹の毛糸を使って完成。出来た時から赤いことがなんとも思議な、現代アートのような道具が生まれた。柄を透明のアクリル棒に変えても良さそうで...。しかし、果たして使うことができるのだろうか。

08.10.22.赤いホーキの完成!.jpg


time : 19:43 | コメント (0)

2008年10月21日

しあわせな 通り

人それぞれにある程度定まった散歩コースがあると思う。私にもお気に入りの通り(ストリート)が家の周りに何本かあり、それを気分に合わせてアレンジしながら歩いている。秋は景色の変化だけでなく山の実を拾う楽しみも増えるから、栗の木がある通りを無性に歩きたい!と思うようになる。

秋とは、無意識のうちに狩人の血が騒ぐ季節なのだろう。紅葉を見に行くことを紅葉狩りと言ってみたり、気がつくと目が山の実を追っていたりする。足を進めるうちに、私の掌は栗やナラの実でいっぱいになった。片手ではなく両手である。この先に、また魅惑的な栗が落ちていたとしても、もうそれを掌におさめることはできない。そう思って足元に行きがちだった視線を少し上げ、天から降ってくる いがいがのテニスボールにも振り返らないゾと決めたその時、通りにそっと置かれたダンボール箱に目が止まった。

08.10.21.駿河台学園 栗をどうぞ.jpg

こんなことを自然にサラリとできる人がいるなんて、本当に素敵!
通りのイメージを作っているのは、やはり人なのですね。あったかい気持ちになりました。

time : 19:10 | コメント (0)

2008年10月16日

刻々と変化する 秋の色

明け方の気温、4℃。無限の光に包まれてはじまる秋晴れの朝。落葉松の針のような葉がパラリパラリと落ち始めたデッキには、すでに通いネコのトラオが訪れていた。刻々と移ろう秋の庭を誰よりも先に眺めているのは君だったのか。今日はデッキに横たわる猫の目線になって眺めてみるとしよう。

08.10.16.秋の日差しの中で.jpg

なるほど。西日もいいけれど、この時期は朝の光もこんなに華やか!

08.10.16.黄葉した萩.jpg

08.10.16.赤く色づいたトラノオ.jpg

山萩はハッとするほど鮮やかに黄葉して。青々とした印象が強いトラノオの葉も赤紫に色づいてきた。日をさんさんと浴びて生きてきたものは、しっかりと色づき、感動を与えた後に音もなく散っていく。それは、植物が光合成という使命を完全に全うしたことの証明でもある。自分の人生も、願わば このようなものでありたいものです。


time : 21:34 | コメント (0)

2008年10月11日

薪は宅配する時代へ

この季節になると毎年楽しみにしている、DLD社主催のストーブ祭り。ここに集まるのは、DLDが扱うストーブのオーナーやこれから導入を検討している人々。ストーブだけでなく薪割り機や斧などの新作もいち早く展示されるから、なかなか面白いイベントだ。場所は長野県伊那市。軽井沢からはざっと3時間はかかり、日帰りでは勿体ない距離なのだが、朝まで東京にいた旦那さんも”今年こそ行きたい”を連発。私も、目新しい薪ストーブやアクセサリーには興味があり、伊那の美味しいものが食べられるならと出かけることにした。

行きで通過した蓼科は、標高が高い分 今が紅葉の真っ盛り!山々は既に美しいセーターを纏って、湖畔に映りこむ景色に思わず溜息。

08.10,11.早くも紅葉 蓼科.jpg

そして、到着したDLDの景色にまたびっくり。薪・薪・薪...どうしちゃったのー!というくらいの薪の山がそこにはあった。(写真の手前は予約制ですでに完売している楢)なんでも最近、灯油の宅配ならぬ”薪の宅配”をはじめたそうで、さすがは山に囲まれた寒さの厳しい地域。昔から、地元の人は石油に頼らない暮らしを実践してきたのだとか。薪ストーブ導入率が高いこと、薪ストーブ屋さんが伊那周辺だけで数十件あることからも、意識の違いをうかがい知ることができる。

08.10,11,DLDストーブ祭りへ 薪の山 .jpg

「薪の宅配って、どんな風に?」と知り合いのスタッフに聞いてみると、「薪用のラックを置かしてもらって、減った分を補充していくんですよ」という。なるほど、それは便利!

「ところで、その木の種類は?」
「松ですね。沢山あるし、乾いていれば何も問題はない。捨てるのは勿体ない木ですよ。」

私達もその言葉には、すんなりと納得した。落葉松も赤松も、薪の”持ち(燃焼時間)”の点では劣る。しかし、焚きつける時にこれほど便利な天然の着火剤もない。マツヤニが出るからストーブには向かないと言われてきたが、それは生木の場合だ。我が家でも、じっくりと乾燥させた落葉松を厳冬期以外に使ってきた。量は必要だが、よく燃え、ふつうに温かい。我が家のように”薪ストーブだけが暖房”という家は皆無に近いのが現状なら、サブ的な使い方をする家では全く問題のない、いつの時代も継続可能な燃料と言える。

身近なところに山がある土地には、木を燃料とする暮らしが向いている。山がいつまでも生き生きと健康であるための手入れが間伐。軽井沢でも、何かと嫌われ、粗雑に扱われることの多い松だが、考えてみたら立派な燃料だ。燃料にするには手間も時間もかかるけれど、それはもしかすると、捨てる時にも同じようにかかっているのかも。想像してみたら、そんな風に思えてきた。木も資源。いや、山国である日本は、木こそが資源!ではないか。どのような木も、大切に使っていこうと思う。

日暮れ間近の伊那市街を歩いてみる。伊那の名物といえばソースカツとローメン、馬刺しだろうか。店の外観が醸す雰囲気に賭けて、とある店の暖簾をくぐる。おしながきに目を通して決めた本日の夕食は、特製ソースカツ丼・ダチョウ肉のソーツカツ丼(旦那さん)・馬刺し。口の中でとろける馬刺しに大満足。こんな霜降りが普通に出てくるのだから、やはり産地は違う。ソースカツももちろん美味しく、いいお店に出会えてラッキーだった。

08.10,11,伊那 花紋の馬刺し.jpg

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2008年10月10日

朝露 秋晴れ

”露が降りた朝は秋晴れが約束される”と昔から言われるけれど、本当にそう。一日の気温差がどんどん開いていくから、色づいてゆく落葉樹から目が離せない日々が始まった。

08.10,10.色づく庭 ハウチワカエデ.jpg

数日前まで青々としていたハウチワカエデが、真赤に染まっていてびっくり。あっという間の出来事だ。

08.10.10.色づく庭 ドウダンツウジ.jpg

ドウダンツツジは赤い葉の下に小さな実をさげて、まるで、お正月に遊んだ”羽根つき”のようである。
数年前、たった一株を地面に下ろしただけなのに、今では庭の至る所で花開くヤマリンドウ。近づいてみると、花の中には蜜を求める蜂が入っていた。この時期となっては、花は咲いているというだけで稀少な存在となる。

08.10,10.10.増えていくヤマリンドウ.jpg

time : 16:47 | コメント (0)

2008年10月09日

胸騒ぎの理由

窓の外が次第に白んでゆく明け方の、瞼が光を感じはじめる時刻に、身体じゅうが熱くて熱くて喉が渇いて飛び起きる。そんな朝が続いていた。明け方は冷えると思って、しっかり肩までかけた布団を暑苦しいと感じたのか、悪い夢を見たのか、季節の変化に身体がついてゆけないのか。何がなんだがわからない。日の出ている間も、できるだけ一人で静かに過ごそうと努め、何かに没頭していないと落ち着かない自分がいた。これを胸騒ぎと言うのだろうか。今年の盛夏にも、似たような感覚があったことをぼんやりと思い出した。

昨日まではそうだった。そして今日になって、その理由を知ることとなった。もしかしたら、私が勝手に理由づけをして納得しただけなのかもしれない。しかし、今となってはそれも許される気がした。

自分が歳を重ねるということは、地球上のすべての人が歳をとっていくこと。”人は、生まれた瞬間から老いていく”そう言われるが、老いをはっきり意識するのは、目に見える形になってはじめてなのではないだろうか。2008年は、私にとって命の儚さや永遠というものを痛感する年となっているようだ。人は、目を開けている間 聞き耳を立てている間じゅうずっと、何らかの新しいことを見つけるのが楽しくて生きているように思う。発見とは、刺激であり、影響力。

出会った当時の私に多大な影響を与えてくれた人が、この世から去った。この世から消えると”まず、声から忘れられていく”そんなことを、いつか何処かで聞いたが、事実と思う。10年以上前に失った家族の声を、どうやっても思い出せなくなった今の自分が、それをはっきりと証明しているからだ。

私の記憶の中から、またひとつ 声が葬られようとしている。今はまだまだ鮮明なのに、切ないな。街と同化するようで、景色に融けこむようで、立ち止まった時にだけ放つ強烈な存在感が幻のような ふわりとした人よ、さようなら。そして、ありがとう。

time : 17:36 | コメント (0)

2008年10月08日

今冬からはじめる 湯たんぽ

家の前にそびえ立つ巨人 落葉松に絡まるツタウルシが、これ以上ないほど赤く染まっている。我が家のシャラの葉も、まるでコニャックのような色に熟成して、見ている私の方が照れてしまいそう。まだ鮮烈な緑色のコナラの葉が、同じ景色の中にいることが場違いのように、ひっそりと佇んでいる。紅葉はじゅんじゅん、だから素敵なのだと思う。芽吹くのだって、せーの!ではなく、同じようにじゅんじゅんだったのだから。特に、今ようやくどんぐりが目立ってきたコナラは芽吹きのアンカーだった。銀色に輝く新芽は、今でも鮮明に目に焼き付いている。

深まる秋の真っ只中に身を置いていると、あれもしなくちゃ!これもしなくちゃ!と何とか雪に閉ざされる前にやっておきたいことが浮かんくるのだけれど、いまさら冬に向けて急いでも、きっと本当にいい仕事はできないのだろうなぁと心の奥底では諦めている気がする。しかし、準備できるものもある。今日は、昨年買いそびれてしまった、”小さな湯たんぽ”が東京の金物屋さんから届いた。昨年といえば、世の中 湯たんぽブームで生産が間に合わなかったくらいなんですよね。

08.10.08.今年からはじめる 湯たんぽ.jpg

これで、眠る前にしゅんしゅんと沸いていながら、(すでに手持ちのポット全てが、お湯で満杯のため)行き場のなかった鉄瓶の湯を無駄にしないで済む。ホッ。そして、使う日が今からワクワク。

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2008年10月07日

号外に一喜一憂 身近な化学

今日10月7日は、いろいろな意味で記憶に残る一日となりそう。円高・ドル安が加速して、日経平均株価も一万円を割り9000円台に突入。アメリカの住宅ローンから派生した金融危機は、いよいよヨーロッパへ広まる傾向だ。これは、世界的な同時不況のはじまり...だろうか。東京にいたころは、新聞の号外を手にすることが年に数回あったが、軽井沢にいては揺れ動く世界情勢を身近に感じることは難しい。もちろん号外を受け取ったことも、ない。

では、今の世界を賑わせているニュースを温度差なく知る方法はというと、悲しいかな これが携帯電話である。携帯電話の表面に浮かび上がるトピックス ニュースの文字。今日は、あっと驚くような言葉が何度も何度も流れてきた。

「ノーベル物理学賞 日本人3氏が受賞!小柴氏に続いて6年ぶり」

湯川英樹さんからの流れをくむ、素粒子の研究者たちだ。難しいことはわからないけれど、突き詰めていけば、私たちが生まれることになった星や銀河系の誕生・営みを知るための基礎的な化学の研究。自然の中に暮らしていると、科学や化学がとても身近な学問であることを知らされる。ここ数年は、若者の科学・化学離れが叫ばれているらしいけれど、ほんとう?研究機関や会社という就職先が少ないだけで、毎日の暮らしに、その知識は必ず生かせるはず。実は主婦が一番、詳しくなっているような気がするのだ。加熱調理による成分の変化、発酵や熟成、分解、カビ、酸性・中性・アルカリ性...自然のしくみを知って、実生活に応用していくことはとても楽しいこと。発想が豊かで、ユニークで、化学以外にも興味があって、ノーベル賞を受賞したご三方を料理中に知って、急に親近感がわいた。

time : 19:34 | コメント (0)

2008年10月04日

収穫はみんな総出が楽しい

ここ信州にも、米の収穫時期が訪れた。昨日は、友人のたんぼで稲刈りが始まることを偶然知り、急遽手伝うことに。「○○さんの田んぼは、どこだろう?」と走ること数分、そこは浅間山を背にしたお隣 御代田町の一角だった。稲穂だけが整然と支配する、私たちが見慣れた景色とはおよそかけ離れた田んぼ。草の勢力が稲より勝っている個所がところどころにあり、パッと見では何かが混色された自然農法の田畑にも見えてくる。聞けば、完全な無農薬で育ててきたのだとか。水路には美味しそうなセリが自生し、秋田のきりたんぽの旬が”今であって間違いない”ことを知らされた気がした。足元がドライビングシューズであることも構わずに、田んぼへ入っていく。借りた鎌を手に稲穂を刈る。今では珍しい手刈りである。たった一合の米を食べるために、手にした稲穂はどれだけ必要だろう。そして、食べられる状態まで整えるのに、これからどれだけの手間がかけられていくのだろう。

08.10.03.御代田 桑田さんの稲.jpg

稲穂の状態での天日干し~巨大な櫛のような道具を使った 藁と米の仕分け~風の力を借りて、空のもみ殻を飛ばす木製の道具を使って 米粒の選別~ござの上での天日干し(?)~袋詰め(ほんの半世紀前なら、藁による俵づくりもここに加わる)~食べる分だけを精米。

一般的に現代の米の収穫と言えば、コンバインで刈り取って、トラックで乾燥機まで運び、乾燥機では保存玄米としての最適な湿度調整をして袋詰めにされる。そこには、ガソリンの匂いがいつもつきまとう。数人で田植えや収穫が可能となった分、労働力やかかる手間のほとんどを個々の機械に頼る米作りだ。主食となる穀物を作るために、なぜこれほど多種多様な”車”を必要とするのか。それは、私の素朴な疑問でもある。収穫の時期は空模様とにらめっこする日々。昨今はサラリーマン家庭が多いために、どうしても休日の作業が多くなる。だから機械の貸し借りも難しく、機械は一家に一台みたいなものになってしまう。年に一度しか出番はないものの、利益以上に高価な機械たち。当然、雨ざらしとはいかず、物置だって車2、3台の広さが必要だ。草に目をつむりながら、田植えした通りに育っていった稲を刈っていたら、収穫とは、収穫の時期とは、家族や地域みんな総出でやったらもの凄く楽しいもの!と思えてきた。収穫とは栽培の集大成であり、実りはみなで分かち合うもの。子供たちの通う学校も、その地域の最も忙しくなる季節(信州では、夏から秋にかけて)を休みにしたら良いのかもしれない。それを昔から当然のように実践している国も、世界にはあるのだ。農業・漁業・畜産業・林業...自然のサイクルに沿うことで得られる恵みの上に、私達の暮らしは成り立っている。

08.10.03.井出さんの栗と新米の栗ご飯.jpg

ご近所さんの庭で栗拾いをさせてもらい、今夜は新米で焚いた栗ごはん。秋の恵みをいただきます!

time : 16:05 | コメント (0)

2008年10月01日

鐡をめぐる 旅

とかく、昨日と今日、昨年と今年のように心のどこかで境界線を引こうとするが、実際にはすべてが繋がっている。興味の対象もそうだ。

薪ストーブを主暖房とする暮らしをはじめて、早6年。薪ストーブのボディである鋳鉄は、長く厳しい冬を共に乗り切る頼もしいパートナーだ。そんな我が家の心臓とも言える鋳鉄の塊との時間をより楽みたいと思い、最初の数年はたまたま流行していたアメリカ製のダッチオーブンやスキレットを買い求めて、ワイルドな料理を楽しんできた。お湯も、同じく鋳鉄素材の鉄瓶で沸かす。当時の私達には、それが鋳鉄ライフを満喫していることに他ならなかった。

しかし、自分で面倒なシーズニングまでしたダッチオーブンやスキレットの出番は徐々に減り、今では(こちらも出番のない)ガスオーブンの中にしまわれたままだ。キッチンカウンターの貴重な作業スペースの上に、まるで動かぬ家具のようにいた電気炊飯器やブレンダーも消えていった。キッチンの電化製品と言えば、少ない量を効率的に加熱するにはとても便利でエネルギー消費も少ない電子レンジと冷蔵庫くらい。代わりに増えていったのは、日本製の鉄器だった。これらは、出番のない日が無いというくらいの必須道具となったため、引き出しに収納される暇もない。ずいぶんまわり道をしてきたけれど、ようやく日本の調理道具の素晴らしさに辿り着いた。

北海道や青森を旅したことはあるのに、岩手の土を踏んだことはただの一度もない。それが、毎日使う調理道具をきっかけにして、「どうしても行ってみたい!」場所になるのだから不思議だ。そして、まったく縁がない土地と思っていると、急に親近感を持つような出来事が起こる。岩手と言えば、旦那さんの大学時代の友人(教師)が江刺に住んでいて、週末は一緒に仙杖岳に登るために上京するとか。早々と日の暮れた秋の夜長に膨大な未読メールのチェックをはじめると、岩手出身の方と結婚していた友人がいよいよ盛岡に嫁ぐため、この夏に横浜から移住していることを知った。なんという偶然!そんな巡りあわせが重なって実現した今回の旅である。

ー南部鉄器には、南部盛岡藩時代に、藩主の庇護育成を受けて茶の湯釜や鉄瓶の制作を中心に発展してきた”盛岡”と、旧伊達仙台藩領で日用品を主に発展してきた”水沢”の二つの流れがあるー
                                                     (堀江 皓著)

実際に、いま使っている鋳物を眺めて見ても、そのルーツは歴史の続きであることがわかった。盛岡では美術品ともいえる美しい鉄瓶と、それらの作り手 鋳物師(いもじ)に。水沢では、料理がますます楽しくなりそうな機能美に秀でた鉄器と出合い、意外と日常に溢れている機械鋳物(街路灯・マンホールの蓋・車などなど)が鋳造されていく様子を垣間見た。それぞれに産地の出発点は異なり独自に発展してきた盛岡と水沢だが、明治の廃藩置県で岩手県となってからは、”南部鉄器”という名称に一本化されてきたようだ。

今回の旅では、陸奥の国の時代から重要な役割を果たしてきた雄大な北上川を何度も眺めた。世界中で、いつの時代もそうであるように、川の流れを司ることは豊かさや強さに繋がった。奥州の覇者となった藤原氏4代が100年に渡って築いた平泉文化の結晶 中尊寺。高台に建つ境内から眼下を見下ろせば、黄金色の稲の大地がどこまでも広がる。このような景観だから、金色堂がいっそう輝きを放っていられるのかもしれない。

08.09.30.平泉 中尊寺からの眺め.jpg

08.09.30.平泉 中尊寺 もみじ.jpg

time : 17:16 | コメント (0)

2008年09月27日

早々と 冬物への衣装替え

なんだか、急に冷えてきた。お昼すぎの1時だというのに、気温はなんと12℃しかない!目覚めた時は、爽やかな秋晴れが約束されたと思っていた。が、窓を開けてみて驚いた。「少しだけ、ひんやり」という表現がぴったりだった空気が、明らかに冬の、あの張りつめたものへと変化していたのだ。一瞬だけ緊張が走って、その後に沸き立ってきたのは"冬"に再会する懐かしい気持ち。気温が一桁台になるまであと一週間はあると思っていたけれど、以外と今シーズンは早かった。

冷えるなぁ、寒いねぇ、寒い! さぶい!!...これらの言葉が朝晩の合言葉のようになる日は近い。

明日、明け方の最低気温は5℃との予報。今日の気温で室内にいる分(室温は25℃)には、差し込む日差しが暖かいため長袖一枚で充分だが、窓を開けたのは午前中の数時間だけ。今はすべてを締め切っている。昼間からすべての窓を閉め切ってしまう、そんな日は一年のうちで数えるほどしかない。軽井沢でシャツ姿を楽しめる時期は一年を通して本当に短い。シャツ好きの私にはもう少しだけ続いて欲しい爽やかな陽気だったが、早々と冬物へ衣替えである。これからは、動物の毛や、性能に優れた化繊生地が良き相棒となる。

空には、秋を象徴する鱗雲が大河のようにゆっくりと、たおやかに流れていた。西日に照らされて燃えるように赤く染まるツタウルシ。長月が静かに終わろうとしている。

08.09.27.急に冷えた秋の日 鱗雲.jpg

time : 13:55 | コメント (0)

2008年09月24日

秋の序章

今朝の目覚めは5時40分といつもよりずうっと早い。新幹線の始発に乗るためで、今週は2度目。早起きは苦手だが、この時期、この時間の軽井沢は、山の中と同じように幻想的な景観を見せてくれる。

辺り一面にたちこめていた朝靄が徐々に薄れると、色づきはじめた木々が急にこちらへ近づいてくるようだ。浅間山の裾野だけを覆っていた雲海のような雲が、ある瞬間を境にもの凄いスピードで流れはじめ、くすみのない青空が広がっていく。

カフェオレを作ったり、昨晩多めに仕込んでおいたスープを温め直したりしているうちに、窓の外では秋の一日が始まろうとしているのだった。

08.09.24.秋の光に輝くシャラ.jpg

そして、こんな素晴らしい秋晴れの午後3時には、西日が次々と植物にスポットライトを当てていく。紅葉が始まったといっても、まだまだ緑色と呼べる葉が景色の大半を占める現在。その緑の葉でさえ、色がとんで白く見えている。目を開けていられないほどの眩しい光源に背を向ければ、背中はまるで薪ストーブの前にいるように熱くなる。この熱さもまた、じっとはしていられないようなものである。今日の最高気温は18℃。だから、まだその日を”熱い”と感じているのだろう。この秋は、まだ薪ストーブを焚いていない。例年並みだとすれば、あと一週間もすれば最低気温は一桁台へ。そうなれば今日と同じような西日を、こんどは”温かい”と感じているに違いない。

08.09.24.秋の光のもとで雪笹.jpg

08.09.24.秋の光に鮮やかなリンドウ.jpg

08.09.24.秋の光を浴びた秋丁子.jpg

太陽が低くなるにつれて、夏の間にはまったく気付かなかったものが鮮明に見えてくるから不思議だ。それは、カフェオレから立ち上る湯気であったり、植物の産毛であったりする。次第に澄んでゆく空気と光が、毎日をあたかも理科の実験室のようにしてくれる。

time : 20:06 | コメント (0)

2008年09月21日

玄関マットの怪しい塵

しとしとと降り続く雨が、外へ出る一歩を躊躇わせていた。家の中で過ごす休日もいいけれど、一歩も外へ出ないで秋の一日を終えるなんて...これではいけない!と思い、重い扉を開けた。玄関マットには、昨日と同じように妙な塵が付着している。てっきり、ご近所さんが何かを燃やしてその灰が舞ってきたのかと思っていたが、どうも違う。しかも、それはデッキには無く玄関マットの上だけにあるのだ。
「いったい、これは何?」

08.09.21.玄関マットに怪しい埃.jpg

デッキブラシで掃くものの、何やらベタベタとしていて、ますます???
雨の降り続く日は、雨のかからない奥まった扉や窓に、美しい蛾や、普段はお目にかかることの少ない珍しい生物が避難してくるのだが、今日もそんな生物に出合うことができた。よくわからないが、「凄いなぁ!」と見入ってしまうほど美しくて、不思議な生き物。

08.09.21.雨の日の窓ガラスには.jpg

そうして、再び家の中へ戻ろうとした時、頭上からふわりと例の塵が舞い落ちてきた。これは!と思い、上を見上げる。するとそこには、今シーズン共存することを決めたジバチの巣があったのだ。その巣をいままさに隈なくチェックしているのが、一匹の大きなスズメバチ。女王蜂のような堂々たる いでたちだ。ジバチの子供たちは巣立った後なのか、それともこの肉食蜂に食べられてしまったのか定かではないが、こうして一歩外へ出れば、共に生きる小さな生命のドラマが見えてくる。

08.09.21.怪しい埃の犯人.jpg


time : 16:23 | コメント (0)

2008年09月20日

旅する 種

心配だった台風13号が、未明に通過した。雨や風の音で目覚めることもなかったから、内陸部はそれほど影響はなかったようだ。朝から青空が広がり、気温もぐんぐん上昇していく。地面もデッキも湿り気を帯びて幾分疲れぎみに見えるが、この陽気なら回復も早そう。

庭のいたるところに自生するミズヒキの赤い花が、もう随分傾斜のついた日に照らされて輝いている。いたるところにと言えば、数年前に植えたヤマリンドウもそうだ。こちらは地を這うように、毎年その数を増やしている。蕾はソフトクリームの渦のようで、花は控えめすぎるほどにしか開かない。今日は、ヤマボウシの下でそっと咲きだした一輪に気がついた。色は、なんとも表現方法が難しい爽やかなブルー。花の内部の作りも凝っているので、ついつい見惚れてしまう。写真を撮ってみたが、夏の、頭上からサンサンと注ぐ安定した光はもう過ぎ去っていた。草木の生い茂るなかで秋の光を捕まえるのは、一瞬。その瞬間に立ち会えたら飛び上るほど嬉しいのだけれど、今日は逃してしまった。

08.09.20.ヤマリンドウ咲く.jpg

08.09.20.ヤマリンドウのアップ.jpg

庭を一周しただけなのに、私の衣装には植物の種が大量に付いてきた。キンミズヒキ、ミズヒキ、ヤマオダマキ、それ以外にも何種類か。中には強烈なボンドやひっかけ機能を持った種まである。冬を前にして、草花たちは必至なのだ。今日の私は休肝日ならぬ”休車日”。だから、ごめんね。今日は遠くまで旅することはできないんだ。

time : 20:01 | コメント (0)

2008年09月18日

豊作の年だけ 山の果実酒

毎日、共に暮らす庭の木々で果実酒ができたらどんなに素敵だろう!いつの間にか、そんなことを考えるようになった。

「まずは、たくさん実をつけているウワミズザクラから漬けてみよう!」意気揚揚と桜の木を見上げると、あんなにあった実が一つもないのである。ガーン...暫く留守にしている間に落ちてしまったようだ。ならば、今は美しい景観づくりに一役かっているヤマボウシにしようか。私がそこから1kgたらずの果実をいただいたところで、景色は何も変わらないように見える。それくらいに今年は豊作だ。雨が止んだのを見計らって、脚立に乗る。ざるに入れるのは、おひさまをいっぱい浴びた赤い実だ。収穫をしていたら、きっと果物を育てることはわが子を育てるのに似ているのでは?と思えてきた。山の実は栗などに代表されるように、毎年決まった量が実る保障もなくキマグレだけれど、野生的で味わい深い。もし、その年が数えるほどの実りであったなら、その実をもぎとろうという気持ちは到底起こらない。山の果実酒は、きっと豊作だった年だけ仕込める特別なものなのだ。

08.09.18.ヤマボウシの収穫.jpg

ホワイトリカーと氷砂糖を買いにスーパーへ行くと、友人にばったり。酒好きの友人が美味しい果実酒を知らないはずがなかった。「なんといってもオススメの果実酒は、朝鮮五味子だね~。うちには10年ものがあるよッ」と言う。五味子なんて何処にあるのだろう?「あるさ、あるさ、そこらじゅうに。探してごらん!」ううむ、私にはまだ見えていないものが沢山あるようだ。

08.09.18.初 庭のヤマボウシ酒.jpg

山が実りを迎える今という時期は、冬眠を控えた動物にとっても食欲の秋。昨日は登山家の山野井康さんが、奥多摩でジョギング中に熊の親子に出くわして、顔面に重傷を負ったと聞く。ここは山国 日本。日中、野生動物と鉢合わになることはまずないと思っていても、この実りの時期だけは用心に越したことはないのかもしれない。秋の夕日はつるべ落としのごとく...散歩は明るいうちに済ませ、ラジオを流したり、鍵などの金属音を響かせて出た方がよさそうだ。

time : 15:46 | コメント (0)

2008年09月15日

ぱんぱん ヤマボウシ

08.09.15.ぱんぱんヤマボウシ.jpg

頼もしいほど、たわわに実をつけた我が家のヤマボウシ。赤くなっても表面は凸凹だった実が、ここにきて凸凹を消すほどぱんぱんに膨らんでいる。雨と暑さのせいだろうか?巨峰さながら ここまで完熟すると、なんだか無性に食べてみたい衝動にかられて、恐る恐る口に入れてみた。「思っていたより、甘い!」味は、マンゴー+ばなな+パパイヤ ÷ 2 みたいなもので、山の実としてこの時期には珍しく”瑞々しい”。

これほど無数に実っているというのに、地面に落下するまで誰も口にしない(実際には、できない)のだから、不思議だ。小さな虫のための実なのか?それとも、本来この木は山中にあるべきもので、熊のような動物が”手”を使って食べるものではないかと思えてくる。ハナイカダの黒い実も、食べられているのを見たことがない。

time : 00:44 | コメント (0)

2008年09月14日

天空に近い 美術館

08.09.14.小海美術館より八ヶ岳.jpg

荒々しく流れる雲の間から、突然山綾が姿を現した16:00。ここは八ヶ岳を望む高台 小海町高原美術館。今日は、以前から楽しみにしていた建築家 藤森照信さんの展覧会を見るために足を運んだ。藤森さんは信州・茅野に生まれ育った方。なのだが、ここ信州では今回が初の展覧会になるという。木や土や石や草の素材感を全面に出した建築に至るまでの経緯や、実際に使用した仕上げ材とその施工方法などがわかりやすく展示されていて、勉強になった。また、藤森さんといえば「超芸術」でも有名だが、ワークショップで作った焼き杉を張った小屋の中で、あらゆるジャンルの「超芸術」がVTR上映されていた。見ている方も一緒になってクスクスッと笑ってしまう内容なのだが、散策が楽しくなること請け合い!この美術館の夏~秋への展示は、昨年のフィスカルス村といい、刺激に溢れている。

08.09.14.小海 ツツジ群落地の秋.jpg

美術館から更に高度を上げると、手つかずの自然が待っている。ススキが風にたなびき、その下ではワレモコウが情熱的な赤い色を発していた。丘の上では、秋の最後を飾る青紫色 トリカブトの群落まで見ることができた。今日は幸運である。帰路は麦草峠と決めて走ること数分、突然車内のガラスが曇ってくる。涼しさを通り越して肌寒い高原の夕方だ。右に左に広がる白樺林を眺めているうちに、腕にあたる夕日が暖かく、日のありがたさを感じた。

time : 00:38 | コメント (0)

2008年09月09日

きりりと からりと 秋

こんなに熟睡したのは久しぶり。毛布を蹴飛ばすこともなく行儀よく目覚め、ブラインド越しの窓ガラス(スチールの下部)が結露していることに気がついた。今朝はグッと冷えたのだ。明け方の最低気温は10℃、リビングは心地よい涼しさという感じで22℃を指していた。

朝から、葉の色さえ飛んでしまうほど、眩しい光が降り注いでいる。空は青く、高い。そんな空を仰ぎ見ていたら、午後になるときまってたちこめる厚い雲や、それがもたらすジメリとした重たい空気を拭いさるような秋の晴れ間が今日は約束される気がした。窓を開けると、昨夜の鮮明な月が予告した通り!澄んだ空気が張りつめている。きりりとして、からりとして、今日は正真正銘の秋晴れだ。

この冷え込みで、シャラの紅葉がまた進んできたようだ。一枚、また一枚と秋色に染まっていく。

08.09.09.明け方は10℃に 色づく葉.jpg

赤く色づくのは葉ばかりではない。木の実も赤く染まるものが多い。ちょっぴり物足りないマンゴーの味をしたヤマボウシの実は、赤くなると数日の間に地面へ落下する。石垣のハーブを収穫していたら、まだ枝についたままの赤い実を啄ばむアクロバティックなシジュカラの雛を見ることができた。ヤマボウシの実は既に落ちてしまった白いガクの中心からビョンと突き出ているため、細い枝や葉に止まっていられないと、この実を啄ばむことはできないだろうと思っていた。木の実を木に実ったままの状態で食べる鳥を見るのは、今日が初めてのこと。身の軽い鳥でなければ、こうした食べ方はできない。食べごろになった果実を美味しそうに味わうのはみな同じで、微笑ましい気持ちになった。

time : 21:16 | コメント (0)

2008年09月05日

輪郭をとらえた 光

午後3時を前にして、家の中に光が忍び寄る。壁にできた光の線に季節の移ろいを感じていたら、空気のように透明なガラスの燭台が、急に浮かび上がって見えてきた。どうやら、光がガラスの輪郭をとらえたらしい。

08.09.05.差し込む光.jpg

外を見れば、秋の、なめるように穏やかな光が植物を照らしている。それは、光に満ちた夕暮れのはじまり。ヤマボウシの実もここにきて急に赤くなって、青い実の方がもう少ないくらい。連日の雨で、まるで梅雨時期のように生き生きとする木々の葉だが、その葉の中にも一枚 二枚と赤いものが混じるようになってきた。時計が無くても何ら問題のないここでの暮らし。カレンダーが消えても、きっと今が秋のはじまりであることは、何となくわかるものなのだろう。

time : 21:07 | コメント (0)

2008年09月03日

アカトンボの寄り道

沖縄にいる旦那さんから、「とても過ごしやすくなっていて、びっくり!」とメールが来た。今日の軽井沢は再び27℃まで上がって、炎天下ではクラクラする暑さだったけれど、それも午後3時までのこと。空気はひんやりと、日差しが傾いてきたことが日に日に実感できるようになってきた。

沖縄の人は、「東京の暑さと比べたら、こっちは涼しいでしょう」と言う。石垣島の人は、「沖縄の方が暑いさぁ」と言う。言われてみればそうか、そうなのかとその場では納得してみるが、正直なところ私にはその違いがまだわからない。旦那さんに屋久島の話をしても、やはり想像の域を出ない。違いというのは、暮らしてみないとわからないことなのだろう。

明日から再び雨が続くようなので、窓だけでなく扉という扉もすべて開けて、風を通した。すると、二匹のトンボが玄関ホール横にあるトイレに迷い込んでしまった。開かずの天窓に張り付いて、ガラス越しにある秋の空に戻りたいと暴れている。玄関の扉を開けて促しても、一向に通じない。このトンボ達はここから出る術を知らないのだった。いったい、私はどうしたらよいのだろう...明日の朝、床にご臨終していたら可哀想だなぁ。暫くして、トンボは何かに止まる習性があることを思い出した。我が家には、高い天井の埃を取るためのシュロで出来た長いホーキがある。それを天窓に近づけてみよう。すると、こちらの期待を裏切ることなく止まってくれた!そのままゆっくり外へ出ると、やっと本物の空を見つけたとばかりに飛び立っていった。この二匹のボディは真赤だ。まるで木々の葉のように、トンボの体は黄色から赤へと変化する。そして旅立つのである。彼らは軽井沢の厳しい冬を越すことはできないから、今日は暖かい場所へ降りる 旅の途中の寄り道だったのかもしれない。よかった。

08.09.03.アカトンボの寄り道.jpg

time : 17:30 | コメント (0)

2008年09月01日

葉月~長月へ 流れる歳月 

今日から、9月。長月と名がつくように、お月見が楽しめる秋の夜長がやってくる。でも、そんな静かな秋の夜が当たり前のものではなく、自分の中では願うものへと変化していることが、すこし寂しい。
写真は、早々と落葉をはじめたセゾン現代美術館のカツラ並木。雨が降り過ぎたためだろうか?その葉は飴色になることなく散っていた。

08.09.01.セゾン美術館 もう散るカツラ.jpg

4年前の今日(9月1日)、浅間山は噴火をした。このブログはその日にスタートさせたので、今日は丸4歳の誕生日。いつも、このブログに立ち寄ってくださる沢山の方々、どうもありがとうございます!実は、誰一人とも会わない日もあったりするのですが、とても嬉しいことです。

この地に根を下ろして暮らし始めてからは、丸6年の歳月が経つことになる。軽井沢という町は、8月が終わるまでは避暑地の静かだが華やいだ空気感が漂う。だから、一年を通してここで暮らす者にとっては、9月が何かのスタートになることが多い。それは、何もしなくても充分快適な夏から極寒の冬へのカウントダウンでもあり、日ごとに身が引き締まっていくような...それが私が抱く9月の印象だ。

しかし、そんな9月のスタート日に、日本の首相(福田氏)があっさり辞任するとは思いもよらなかった。アメリカでは黒人の大統領が誕生しようとしているというのに。これは、人種問題に直面したことのない私には理解が難しいところだが、歴史的な偉業であると思う。日本は、年金、食糧自給率、エネルギーの見直し、CO2削減、教育...ありとあらゆる問題が山積みで、すぐにでもより良い方法を見い出して改善しなければ明日をも危うい状況に陥っていると思う。しかし、裾野で暮らす私には、”政治から変化して”以前より良くなった!もののかけらというのが、なかなかどうして見つからない。それでも時間だけはすべてのものやことに平等に流れているから、洞爺湖サミットも終わったし、北京オリンピックも終幕した。ここでは夏も終わった。2008年という年も、早くしないと幕を閉じてしまうのである。

やはり、お山の頂上から国全体の状況を見ること変えることは難しく、本来無理なことなのかもしれないと思えてくる。国の将来にかかわる政策やそれを決断する時には、国民ひとりひとりの意見が何も経由せずに、アイスランドの地表の割れ目(ギャオ)で かつて行われていた国民全参加型の議会のように、ありのままの形で舵取りまで届くのが理想だ。政治に参加できるのは、選挙の時だけではないはず。ひとりひとりの日々の行動、その積み重ねこそが、やがてその場所の空気や質をも変える大きなパワーとなると私は信じている。行動は、メッセージそのもの だから。

08.09.01.セゾン美術館 ハルニレの黄葉.jpg

ふわりとベンチに舞い降りた、ハルニレ。雨にも負けずに健全に美しく黄葉する葉があることを知る。ベンチの先には、イサム・ノグチの彫刻 ”雨の山” が浅間山を眺めるように立っている。

time : 17:19 | コメント (0)

2008年08月31日

屋根の上のサクランボ

雲は流れ流れて、待ち望んでいた晴れ間がカラリとした空気を連れだってやってきた。今日は、懸案だった2台の薪ストーブの煙筒掃除ができる!

さっそく梯子をかけて、旦那さんが屋根に上る。そこは想像していた以上の暑さらしく、数分もたたないうちにTシャツの背中がぐっしょり汗でぬれてしまったようだ。しかし、非日常の気持ちのいい場所だ。「前に上った時より、ずっと緑に囲まれている感じがするなぁ」と言う。屋根を取り囲むのは、ニレケヤキ、コブシ、ウワミズザウラ、コナラ、ナナカマド、カツラに楓。下から眺めるよりずっと、樹形は円錐形をしているという。それで、日がよく当たっていることがわかった。

屋根の上からは、浅間山も望むことができる。4年前の9月にもこの山は噴火したが、この夏もまた小噴火をはじめている。だから、例年ならくっきりと見える夏の浅間山(の輪郭)が春霞のようにぼけているのである。夜に外へ出ると、火薬のにおいが鼻をかすめることがある。今年はアイスランドでも大きな地震が発生し、それからは地球をまわるようにあちこちで地震が起こってきた。だから、大陸を形成するプレートが最終的に地球の奥底へ潜り込む場所 ここ日本にももちろん揺れは起こる。屋根の上でたわわに実るウワミズザクラのサクランボを眺めている限りは、平和に思えて仕方がないのだけれど、日本の山は確実に生きていて、その裾野に抱かれるようにある今の暮らしだ。起こりうるリスクは承知の上のこと。縄文の時代から変わらぬ暮らし方なのだから。

08.08.31.屋根の上のサクランボ.jpg

time : 15:59 | コメント (0)

2008年08月30日

雨空のもとで 秋丁子咲く

連日のように伝えられる”ゲリラ豪雨”の猛威。いつの間にか、そんな名前がついていたのですね。今日の軽井沢にも、大雨・洪水・雷注意報が出ているので、それらの映像を決して他人事と思ってはいけないような気がする。ニュースは現実(いま)を知るためだけでなく、いま自分が出来ることや、備えておくべきことも教えてくれる。こんなに雨は流れているというのに、水道からは今日もいつもと変わらずに水が出る。この水も、水笠を増す一要因となるのなら、できるだけ地面に負担をかけないように節水を心掛けたい。洗濯も洗い物も最低限にしよう。

我が家には地下室と呼んでいる小空間があるが、正確には5分の一が地中に埋まっている一階のような場所だ。昨年9月に軽井沢を襲った台風の時も浸水することはなかったが、私は100%安全な場所とは思っていない。今朝も強い雨音で目覚めたくらいだから、万が一のことを考えておきたい。今日はさっそくその小空間へ降りて、床置きになっているクライミング用のマットなどを椅子の上に上げた。スポンジのようなマットが水を吸ったら、それこそ厄介である。ここが30cm以上も床下浸水した時は、町じゅうが大変なことになっている時と思うが、それもないとは言えない。何が起きてもおかしくはない、それが最近の空だ。

08.08.30.秋丁子 咲く.jpg

それでも、季節は着実に秋へと向かっている。玄関前でちらちらと咲きはじめたのは秋丁子。なぜこれほど小さいのかという花もよく見れば、犬やキツネの顔のよう。フォックスフェイスというユニークな黄色い実があるけれど、それをギュギュッと縮めたような感じだ。だが、高さはなんと1m60cm!もある。軽井沢の冬をなんなく越せる宿根草の生命力は本当に感動ものだ。それにしても、秋丁子やヒキオコシのような地味な花が素敵だな~と思えてきた自分が不思議。地味?いや滋味にあふれていると感じているのかも...。そんなことを書いていたら、なんだか急に、木の実が食べたくなってきた。秋の夜長に新銀杏や鬼胡桃をちょっと炙って、いいなぁ。静かで穏やかで、今年の秋がそうなればいいなと願います。

time : 17:36 | コメント (0)

2008年08月29日

いい場所を見つけた 蜂

日本列島のいたるところで、大変な水害がでている。大雨洪水警報という警報が、これほど頻繁に流れるようになったことも、考えてみれば恐ろしいことだ。

今日も朝から雨との予報。こんな日は少しだけ寝坊をしてもよいだろう。そう思って毛布に潜り込むと、高窓やブラインドからこぼれる日差しの明るさに、寝ていることが惜しくなった。外は紛れもなく晴れている!それも、雲の中から一瞬太陽が顔を出した時にはない、野鳥の囀りと蝉の大合唱。夏の暑さが戻ってきていることがわかった。天気予報はあくまでも”予報”であった。

時刻は9時近く。デッキを歩く人の音が聞こえた。飛び起きてみると、ご近所さんである。野菜の入った袋を私に手渡し、「よかったら、食べて」と言う。蒸かしたてのとうもろこしに軽井沢ツルナやインゲン、ピーマンや茄子、トマトなどの夏野菜だ。「もう、そろそろ夏野菜も終わりよ~」と言う。そう、空や風に秋を感じ始めたら、信州の野菜や果物も冬ものへと切り替わっていくサイン。

晴れの天気はなんと午後3時近くまでもってくれて、気温も26℃まで上がっていった。久々の日差しに元気をもらって、気分的にも清々しい日中を過ごす。

「飛び交う蜂はいるのに、巣が見当たらないのが変だなぁ?」そう思って蜂のむかう先を目で追っていったら、あった。場所は玄関ホールの真上。これまでも、薪棚やポストの下に巣を作ってきた蜂だったが、今シーズンはようやく最高の場所を見つけたようだ。5メートル以上の高所なので、人や熊と”はち”あわせになることもない。しかも、軒下に目隠しまでついている。これは、巣のためにあるような場所だったのかもしれない。今年もまた、共に暮らしてみようと思う。

08.08.27.玄関ホール上に蜂の巣.jpg

time : 16:59 | コメント (0)

2008年08月27日

青空をみつける

08.08.27.久しぶりに見た青空.jpg

朝の7時、濡れたデッキの表面に青い空を見つけた。軽井沢で”青い”色を見るのは、ずいぶん久しぶりになるのではないだろうか。連日の雨は梅雨時期のそれのようで、気温は20℃近くまで挽回してきたというのに、家の中には湿り気を帯びた空気が停滞している。

「今日の晴れ間と風は、きっと貴重なものになる!」そう感じて、まだ空を鏡のように映しているデッキに、早々と洗濯物を出した。窓も開ける。私は淀んだ空気が苦手なので、風を感じた時は東西南北すべての窓を開け放って、新鮮な空気を呼ぶようにしている。

室内に風の流れを見つけた時は、まるで宝物を見つけたような気分!

目には見えないけれど確かなものって、世の中にたくさん、あるんですよね。

time : 10:56 | コメント (0)

2008年08月23日

早くも セーター?!

08.08.25.秋雨 カツラの葉にしずく.jpg

昨日は「もうすぐ秋なのかなぁ?」とやんわりと感じ、今日は「冬へのカウントダウンがはじまった!」ことを確実に感じた。一年中くるまっているような毛布から出て外を見れば、細かすぎて目を凝らさなければ曇り空と錯覚するほどの霧雨が空気中を舞っている。窓を開けると、外には冬の使者が下見に来ているような冷気が張りつめていた。

今日の外気温は一日を通してほぼ横ばいの14℃で、室内(リビング)は22~23℃を指していた。22℃といえば、人間が心地よいと感じる”ちょうどいい”温度なのだそうだが、これを少しでも下回れば暖房が欲しいと願うようになる。寒がりさんなら、何かしらの暖をとっているかもしれない。そんな一日だ。

買い物に行くと、売り場にはカーディガンやセーターを着た人が大勢いた。中には、ツイードのジャケットを着こんでいる人もいたが、今日のこの気温では決して大袈裟な衣装ではない。一年を通してここに暮らしている私でも、長袖に七分丈のジャケットを羽織り、迷わずコーデュロイのパンツを履いたほどだ。

夏も秋も冬も、いつも突然やってくる。どんなに首を長くしても待たされっぱなしの春とは、大違いの早さで。

time : 21:49 | コメント (0)

2008年08月20日

ふたつのミズヒキ

08.08.21.キンミズヒキ.jpg

午後2時の光があまりに綺麗だったので、さっそく庭で咲くミズヒキを撮影してみた。上はキンミズヒキ。下は、縁起の良い紅白のミズヒキ。どちらも、庭に自然と生えてきたものだ。

08.08.21.ミズヒキ.jpg

同じ晴れた一日であっても、時間帯によって光の加減がずいぶん違う。下は、ゲンノショウコを午前11時に撮影したもの。小指の爪ほどの小さな花だけれど、見つけたらぜひ近づいて眺めてほしい。花の色や質感はこんなに素敵で、衣装選びの参考にもなってしまいそう。日当たりの良い場所では葉っぱも赤く紅葉するので、花が終わった後も楽しみは続く。

08.08.21.石垣を覆うゲンノショウコ.jpg


time : 14:28 | コメント (0)

2008年08月19日

急に秋めいて

日曜あたりから、一気に秋の気配が漂うようになった。最高気温は21℃~25℃の間で、最低気温は16℃~18℃くらい。そろそろ半袖姿も、綿毛布の季節も終わりが見えてきたから、冬が訪れる前にやるべきことをもう一度リストアップしてみよう。先延ばしになっている煙突掃除は9月の台風前に急ぎたいところだ。

今夜は日付が変わってもなお、虫の音が止まずにいるようだ。家の窓はもう一つも開いていないというのに、これだけ鮮明に聴こえてくるのだから、月の光に照らされて外では宴会でも開かれているのだろうか。

月光、すすきに萩の花。いつも季節を先取りしているはずの和の生菓子も、この地の早すぎる季節の移ろいには追いつけない。先日、桔梗を模した生菓子などをお土産に買っていったが、もう桔梗の花は終わっている。雨あがりの道端に、色づきはじめた楓の葉が舞い落ちる。青々とした苔だけが、まだ夏の名残りのように感じられて。

time : 00:53 | コメント (0)

2008年08月16日

木の上の雛 命を紡ぐ夏

朝晩はグッと涼しくなるのだが、日中のこの暑さは何だろう。軽井沢で30℃ということは、日本中が大変なことになっているのだろうな。最高気温が40℃になるなんてとても想像できなかったけれど、昨年あたりから、じわじわとそんな”熱帯”的な温度が日本でも”観測”されるようになってきた。

08.08.16.ニレケヤキにコゲラの雛.jpg

午前9時、庭に出て空を仰ぐと、たどたどしい飛び方でニレケヤキの枝に止まる一羽の雛に出合った。かろうじて枝に掴っている状態で、これからどうしたものかと考えているよう。まだら模様の毛の感じからして、おそらくコゲラの雛と思われる。次の瞬間には、隣の枝に雛を呼ぶつがいの親鳥がやってきた。同じ木に鳥の親と子があるのである。しかし、この親鳥はコゲラではなかった。しばらくのあいだ自分の雛を探すように呼び続けていたが、ここにはいないとわかると林の中へ消えていった。人の子供(それも赤ちゃん)だったら、隣にいれば自分の子でなくとも「どこから来たの?大丈夫?」くらいは声をかけるものだ。しかし、そんな気配は微塵も感じられなかった。自然界に生きることはとても厳しい。いまが命を紡ぐ夏であることを実感させられた。

08.08.16.コゲラの雛と別の親.jpg

お盆休みが終わるこの週末は自宅でのんびり過ごす方が多く、そこに北京オリンピックの中継が重なるから、日本の電力消費がピークを迎えると騒がれているようだ。電力の供給量は増えても問題はないというが、それより何よりこんな尋常でない天候下では、できるだけ石油から生んだエネルギーを使わない工夫や努力が必要なのではないだろうか。商店街で打ち水をする、雨雲をミサイルで散らす、全世界でCO2を削減する動きがあると思ってきたが、同じ星の中でほぼ同時に行われていることは、このようなものだ。人為的に雨雲を散らしたり、雨を降らせたりすることが、地球という生命体のダイナミズムにどれほど影響を及ぼすかはわからない。もしかすると私たちの体の仕組みと同じように、何か一つくらいが欠落してもバックアップが働いて、普段は特に不自由を感じずにいられるのかもしれない。しかし、恒温動物である人の体温が蛇のように変わるようになったら?皮膚はどんどん厚みを増して、いつしか硬い鱗で覆われるようになったら?地上で暮らすことが困難になったら?(どれも私が勝手に想像したことだが)今が良ければという安易な発想に終止符が打たれない限り、不安定で日々激しさを増すこの空を変えていくことは不可能と思える。

軽井沢の夏の暮らしに言えることは、クーラーなど絶対に要らないということ。部屋じゅうを駆け抜ける夏の柔らかな風を知ったら、人工的な涼しさからは足が遠のいてしまう。ここでは、あって扇風機、それも必要と感じるのは夏の数日、それも数時間だけだ。山では山なりの、海では海なりの、街や都心ではそれに合った暮らし方を人は心地良いと感じているのではないだろうか。そうでなければ、旅先で感じる空気や風の変化を楽しむこともできない。

time : 11:50 | コメント (0)

2008年08月13日

赤いもの 見つけた

午後3時をまわって、なんとなくそわそわしだす旦那さん。今日のおやつは何かな?と思っているのかもしれない。普段は間食をほとんどしない私だが、信州の果物が旬を迎えるこの時期だけは、毎日のように果物を冷たい飲み物代わりに食べるようにしている。それぞれの旬は想像よりとても短く、週単位でめまぐるしく顔ぶれが変わっていくことを知ったからだ。旬の果実は各段に美味しい。そして、エネルギーをもらえる気がして。今日のおやつは、今が食べごろの桃を2種類。霜降りのお肉のような果肉をしたバランスの良い”あかつき”と、歯ごたえが楽しいネクタリンだ。今年は水分が少なめの桃がアタリ年のような気がする。

窓の外で揺れる木々の葉を見ていたら、その風の中に入っていきたくなって外へ出た。グレイの雲が流れてきたり、突然風が吹いてきたりするから、今日の空は少し不安定。夜までなんとかもってくれると良いのだが...。我が家からもサイクリングを楽しむ声が聞こえてくるから、夕立ちに合わなければよいなと思ってしまうのだ。まだまだ外は明るいと思っていても、夏の軽井沢で午後3時をまわってからの外出にはリスクがつきまとう。ここは標高1000メートルの高地、天気も変わりやすい。

庭に出ると、次々と赤く色づくものを見つけた。ヤマボウシの実、ワレモコウの花。

08.08.13.ヤマボウシの実赤く.jpg

08.08.13.ワレモコウ赤く.jpg

散歩をしていたら、ススキの穂が風になびいていて、もうびっくり!いよいよ秋が忍び寄ってくる予感。

08.08.13.早くもススキ.jpg

time : 15:00 | コメント (0)

2008年08月09日

早起きの猫 遅咲きの紫陽花

今朝は6時前から起きている。顔を洗って、ミルクたっぷりのカフェオレを飲んで、甘いものを少しづつ口に入れて頭を目覚めさせてゆく。さぁ、そろそろ出かける時間とデッキを見れば、そこには通いネコのトラオの姿が。前足を行儀よく折りたたんで、清々しい朝を独り占めするかのように佇んでいる。我が家のデッキで寛ぐのは夕暮れ時だけと思っていたが、なるほどこの時間も捨てがたい。

08.08.09.早起きのトラオ.jpg

私はと言えば、今日はこれから”とうもろこし”をもぎ取りに行く。詳しくは、おいしいレシピで。


紫陽花の時期はとっくに終わったはずと思ってしまうが、夏の最後を飾る一風変わった紫陽花が存在する。”玉紫陽花”である。

08.08.09.ユリさんちの玉紫陽花.jpg

直径3センチはあるマリのようなつぼみが、こんな風に少しづつ開いて。

08.08.09.ユリさんちの玉紫陽花 2.jpg

あれ?このインスタントコーヒーのつぶつぶのようなものは何だろう。つぼみが開いてからも一休みして、さぁ、いよいよ花の要素が見えてくるか。

08.08.09.ユリさんちの玉紫陽花 3.jpg

真ん中の花火のように咲いている部分が花。花から飛び出すような形で四方に白いガクがつく。夕立ちの多いこの時期に咲きだすのだから、花粉が落ちてしまわないか?とこちらが心配になってしまう。玉紫陽花が咲いたら、林のふちにはツリガネニンジンやクサボタンの花が咲きだすサイン。下は、クサボタンのアップ。写真では分かりにくいけれど、淡い青紫色がなんとも魅力的なのです。玉紫陽花は赤っぽい茎とマットな質感の葉とのコントラストが見事で、あえてつぼみの状態を飾っても素敵と思う。この二つの花に、私はぜひ 涼しげな真鍮の花器を合わせてみたい。

08.08.09.ユリさんちのクサボタン.jpg

time : 16:52 | コメント (0)

2008年08月08日

残暑お見舞い申し上げます

08.08.08.ムクゲと夏の空 .jpg

8月8日 立秋の訪れ。

晴れた昼間には、「残暑」という言葉を見つけるのがまだまだ難しい今年の夏。庭ではムクゲの花が元気いっぱいに咲いているから(都心のムクゲも今が盛り)、これまでずっと、ずーっと”追いつけ”だった夏を 早足で”追い越して”いく瞬間が、目の前で繰り広げられていることがわかる。高原の夏って突如として現れるけど、実はとても短いものなのだと知らされるのがこの週。

萩、ソバナ、ミズヒキ、ホトトギス、フジバカマ...秋を知らせる草花も、ポツリポツリと咲きはじめて。

私がこの地での短い夏を謳歌するものの一つに、夏だけ開くレストランがある。この風景を見てピンと来た方は、かなりの通。前菜・メイン・デザート...その日の朝もぎとられた野菜や果物を使った、ここでしか味わえない本格的なランチが楽しめる。これからもずっとあってほしい!と思いながら、いつまでも静かで穴場であってほしいなぁとも願う。誰にでもありますよね?そんな、そっとしておきたい空間が。

08.08.07.ハウス・オブ・軽井沢 Le vert .jpg


time : 16:02 | コメント (0)

2008年08月06日

ヒヨドリの飛行訓練

08.08.06.ヒヨドリのひな 飛行練習中.jpg

「キーヨ キィーヨ キーヨ ギィーヨ」 このような甲高い鳥の鳴き声で目覚める朝が続いている。明らかに雛の鳴き声。だが、それも比較的大きな二羽の鳥である。どうやらこの夏は、我が家の近くでヒヨドリが巣立ったようなのだ。今日は、障子の先に彼らの姿を見つけた。見た目はもう親と寸分変わらない大きさなのだが、あどけない表情と声はやはり子供のもの。縦横無尽に空を飛び回るには、まだまだ時間がかかるのだろうか。下草の間を低空飛行して、さぁ、今日も兄弟仲良く、練習、練習!

夕方になると、リビングで寛ぐ私の頭上で何かがベチッと落ちる音が。いったい、上では何が起きているのか?と思って南の庭を見れば、ニレケヤキのてっぺんから風に乗ろうとする、あの二羽のヒヨドリの姿があった。ニレケヤキから家の屋根を超えて、おそらく北のウワミズザクラまで飛んでみたいということらしい。飛行距離は10メートル以上!しかも高所である。私たち人が、いきなり海に投げ出されて泳ぎの練習をするのようなものかもしれない。しかし、飛び立ったはよいものの、怖くなってすぐにケヤキの枝に戻ってしまう。そして、またもや屋根に着地、その音だった。シジュウカラやメジロが巣立つ時には、必ずといってよいほど近くで見守る親があるのだが、この二羽のヒヨドリの飛行練習に親の姿はない。がんばれ!その手で空をつかむまで。

time : 12:55 | コメント (0)

2008年08月05日

たまに登場 ヘッドホン

昨晩は、ふたたび激しい雷雨に見舞われた軽井沢。今日は、午前中に晴れ間がのぞいたものの雲の多い一日となった。こんな日に家の中から外の様子を知りたい時は、”ちょうちょ”が舞っているかどうか?がけっこう頼りになるのでお試しを。雨の降りしきる一日でも、庭に彼女らの姿を見つけたらそれは雨が上がっているサイン。霧が出てきたら、どこかへ消えてしまう。ちょうちょには鳥のような声こそないけれど、それはそれで気がきいているなぁと感じる今日この頃。

08.08.05.静寂の時間はヘッドホン.jpg

時刻はもうすぐ17:00。夕食の準備には早過ぎる この静まり返った時間に音楽を聴きたくなった時、私はヘッドホンを使う。静寂だけが支配する時間に個人の音を景色の中に漏らしてはならない。そんな気持ちになってしまうのだ。ヘッドホンからダイレクトに耳に響く音は不思議だ。どんなに聴きなれた楽曲であっても、今日初めて聴こえたゾ!という新鮮な音を見つけることができる。繊細に組み合わされた音の幾つかは、スピーカーから流れ出て空間を彷徨ううちに”寄り道”という楽しみを覚えて、私の耳に届く前に消えていってしまう。音符は確かに踊っているのである。

time : 16:54 | コメント (0)

2008年08月04日

気の早い萩 葉っぱの緑色

夏日が続いている。今日は軽井沢でもこの夏最高の31℃を記録!さすがに高地であっても30℃を超えると、逃げ場のない日向へは足が遠のいてしまう。こうなったら南の島で暮らす人々のように、日の照りつける日中は建物の中に風だけを呼び込む工夫をしようか。そうして、あれこれと欲張らずに静かに過ごす。これが賢明のようだ。

今朝は、庭の片隅で咲く山萩の花に気がついた。この暑い最中になんと気の早いことか。しかし、日蔭で生きるこの山萩にとって朝晩の涼しさは、すでに秋のものかもしれなかった。

08.08.04.気の早い 萩の花.jpg

薪小屋の前では、さくらんぼのようにぶらさがるツリバナの実を見つけた。ユニークな咲き方をするハナイカダの花もいつの間にか実に変化(これは、双子?)して、その実のなかに黒くなったものが混じるようになってきた。花が咲くことも、香り高い花があることも、美味しい蜜があることも、最終的に種となるため 生命が循環するためなのだから、終わりのない物語の一点を見ているよう。

08.08.04.薪小屋前のツリバナ.jpg

08.08.04.ハナイカダの実.jpg

そもそも、木々の葉のほとんどが”緑色”をしているのは何故だろう?と思っていた。素朴な疑問だけど、深い意味があるに違いないと。それが、七色の太陽光と関係していることを、遅ればせながら最近になって知った。

植物が光合成に使うのは赤い色だけ。赤の補色である緑の光は、葉に吸収されることなく光の届く先まで貫通することができるという。葉っぱが緑色をしているのは、このためだったのだ。林の床に生きる植物が僅かにでも光合成ができるように、それは木漏れ日となって日々エネルギーを注ぎ続ける。

ちらちらと光る木漏れ日にもこんな意味があったなんて。あぁ、やっぱり自然の仕組みって凄いなぁ。夏の間に何か?となるこの幼虫もきっぱりとした緑色。擬態のための色だろうと思うけれど、葉っぱにたかっている間も、葉っぱそのものが光合成できるようにだとしたら...なんて、あれこれ私なりに想像を膨らませてみるのも楽しくて。毎日が色に溢れる、それが夏。

08.08.03.南原で見た蝶の幼虫.jpg

time : 14:30 | コメント (0)

2008年08月01日

光と風が導くもの

08.08.01.赤が加わった今年の夏.jpg

なんでもないものが、時にドキリとするほど美しく見えることがある。今日の軽井沢がとびきりの光と風に満ちた一日で終わることは、12:00を過ぎても変わりそうにない空を見て、なんとなくわかったような気がする。先日、曇り空の下で撮影したこの夏の”庭の紅一点”ベルガモットの花はどこか冴えない表情をしていたが、今日の光の下ではまったく別の草花のようだ。生き生きとして、生命力に溢れる赤。そこに、玉虫のような光沢をまとった大きくて優雅に舞う黒い蝶が蜜を求めにやってくる。なんだか今という時間は、昼食より優先させるべきものがありそうで...直感を信じてみるのもいいかなと散歩に出た。

08.08.01.避暑地の夏 ネコと麦わら帽子.jpg

歩きだして間もなく釘づけになったのがこのシーン。めったと開かない夏の家に、主が訪れる日が近いのだろう。静かに着々と磨かれてゆく庭に木漏れ日が降り注いで、ネコの上にポンと置かれた麦わら帽子が光を放っていた。帽子を被って手入れをしていた人は、お昼時間だから休んでいるのだと思う。人の姿は何処にもないのに気配だけは残り香のようにしっかり存在していて、何ともいえない景色。美しいとか、そういう感情を超越してしまう瞬間ってあるんですね。

気がつけば一時間以上歩いてしまって、家に戻ると今度はなぜか?華やかに咲くカサブランカの影となった山紫陽花に引き込まれていった。これも今日の光がなせる技なのか。鮮やかな瑠璃色を楽しんだこの紫陽花も、いまはすべてのガクを下ろしている。それは、朽ちて、崩れ落ちる寸前にだけ起こるような色と質感。新しいものだけでなく、古いものにも美は宿ることを、自然は私の目の前で講義してくれたようだ。

08.08.01.終わりの紫陽花が見せる色.jpg

自然の光はほんとうにいい。時にその強さ、弱さに翻弄されることもあるけれど、日々 太陽の下で生きていることを実感することができる。遅い昼食を食べ終えると、まだまだ外が明るいことが頼もしい。17:00をまわったら、夕日のあたる画家のアトリエまで車を走らせようか。今日のような長く充実した一日もある。長い夜、短い夏。私にとってここでの8月は、毎日が緩やかなようで実は全力疾走であるらしい。

time : 13:38 | コメント (0)

2008年07月30日

久しぶりに手入れした庭で

やってしまった!いや、切ってしまった!大事に見守ってきたものを。

ひんやりとした高原らしい空気が戻って、今日は久しぶりに昼間から庭の手入れに取りかかった。連日の夕立ちは植物にとっては恵みの雨。人の足に踏まれる心配のない場所では、ぐんぐん背丈を伸ばし、なかでも特にツル性のものは僅かなスペースを見つけて縦横無尽に広がっていく。木の幹や枝に絡みついて、更に上を目指すものもある。これも、すべては”日の光に少しでも近づきたい”からなのか。草むしりや草刈りといった庭の手入れは決して楽なものではないが、刻々と移ろう季節をいち早く感じたいなら、これに勝るものはない。

08.07.30.サラシナショウマの子.jpg

しかし、久しぶりのことだった。グランドカヴァーはゲンノショウコの葉に変わり、フウロをミニチュアにしたようなその可憐な花をテーブルに生けようと切ったその手で、隣のサラシナショウマの枝まで切り落としてしまったのだ。アッという間のことだった。秋の夕日に光輝くサラシナショウマは大好きな山野草のひとつ。他の株がしっかり育っているので幸いしたが、これから咲く花の、小さなつぼみを誤って断ち切ってしまったことは、やはりショック。丸底フラスコのようなiichikoの瓶に、ゲンノショウコや桔梗と一緒に投げ入れてリビングに飾る。あぁ、本当に小さなつぼみ。

time : 14:20 | コメント (0)

2008年07月28日

夕立ちが変?

最高気温が29~30℃という日が連続して6日続いた。「軽井沢もいよいよ暑くなったなぁ~」夏の家で、そんな風に肌で感じている方も多いかと思う。暑さに比例して、こちらもおかしいなと感じるのが毎日起こる夕立ち。たかが”夕立ち”と一言で片付けてしまってはいけないほどの激しさで、大気の状態が特に不安定だった昨日に至っては、2時間におよぶ暴風雨に。強い風に落葉松は大きく揺れかしいで、雨は容赦なく建物を叩きつけた。窓にかかる水しぶきは船内から眺めのよう。リビングから、外で起こっていることをただ眺め、雨雲が去るのを待つしかない。悪夢...そんな言葉がぴったり。

片流れの屋根から落ちる雨の塊を北の窓から眺めてみたが、流れ落ちる雨の量より、その激しい音に驚いてしまった。沸騰したケトルが出す”怒涛”という湯の音のようである。北の庭で(今年の)春を告げたコブシは、早々と落葉をはじめていた。それが、連日の夕立ちで急かされるように葉を地面に落としている。こんなひどい空模様の時、鳥たちはいったいどこで過ごしているのだろうか?そんなことをぼんやりと考えていたら、コブシの枝に身を寄せている一羽の鳩を見つけた。穴の開いた蛇の目傘のような木をあえて選ぶなんて、雨に濡れることより身を隠す方が大事なのかもしれない。こんな時には、家というもののありがたさがよくわかる。夏の夜には”野生動物から身を守るため”と感じたこともあるし、極寒の冬では毎日が、紛れもなく”冬山のベースキャンプ (テント)”となる。人の生活には衣・食・住が不可欠なことを、異常な気象の中で痛感するなんて。いや、異常だからこそ かな。

08.07.27.凄まじい夕立ちの後.jpg

雷・大雨・洪水注意報が出るのが当たり前の一週間なんて、やっぱり変だなと思う。今日は昨日までの暑さとは一転して、明け方の気温は15℃と肌寒い朝。綿毛布だけでは肌が冷たくなって一度は目覚め、足元に置いた羽毛布団をしっかり被って再び眠りについた。日中も21℃が最高で、長袖でもちょうどいいくらいの陽気に。季節は秋へ先送りされたか、それとも梅雨時に戻ったか。そんな風に錯覚してしまいそう。道路には枝葉や青い木の実が散らばり、荒々しい水の跡が残ったままだ。

軽井沢は今、ユリの季節を迎えている。暗がりで咲くウバユリは自転車では通りすぎてしまうほど地味な花だけれど、歩きならこのユリの多さに驚いてしまうだろう。子供の目線なら、一風変わったお花畑に見えているかもしれない。透き通るようなレモン色のユウスゲを素通りしてしまう人は、おそらくいない。我が家のウバユリもあれほどの雨をかぶったというのに、無傷。強いものだ。昨日はつぼみ姿だったカサブランカが、この時を待っていた!とばかりに花開いた。老若男女問わずに、これだけサイクリングが楽しめる町も珍しい。明日からの空が、少しづつでも穏やかなものとなりますように。

08.07.29.庭のカサブランカ.jpg

time : 21:34 | コメント (0)

2008年07月25日

山が開いていく 週末

昨日あたりから次々と別荘の一角に車がとまりはじめ、町は静かな賑わいをみせている。

 これまで、誰ともすれ違うことのなかった通りで人と会うようになり、朝から挨拶を交わす。
 鳥と虫の音だけが支配する朝靄の中に、淹れたての珈琲の香りを見つける。

一年のほとんどがゴーストタウンのような場所もあるのに、ある時期になると関東一円から人が集まってくる。避暑地とは、よく考えたらとても不思議な場所かもしれない。具体的にいつと決めなくても、だいだいこの週あたりになると街の暑さもピークを迎え、皆さん自然と夏の家に足が向かうようだ。今年もまた、無事に”山が開かれていく”ことは、住んでいる私も嬉しくなる出来事。夏の家も、久しぶりに風が入って喜んでいるように見える。

私は、生まれてから一度も震度4以上の大きな地震に遭遇したことがない。だから、数日前に岩手県で起きた震度6強の怖さも、経験するまで想像の域を出ることはないと思っている。大地震の恐怖を抱えながら毎日を生きることは、果たしてどのようなものだろうか。少々の「暑い、寒い」は、二の次になるのではないだろうか。軽井沢も30℃という、これまでなかったような暑さが3日も続いているのだけれど、30℃以上の熱帯夜になることはまずないのだから、ありがたいと思わなければ。

今日の夕方、雲が暑さに悲鳴をあげて起こったような夕立ちは、台風と名を変えてよいほどの激しさだった。暑すぎること、寒すぎること、降りすぎること、(風が)強すぎること...。気候に限らず、○○過ぎることは、身の周りに危険が忍び寄るサインのような気がする。空も海も地面も空気も、この星にあるものすべてが繋がっている。自分の敷地内なら何をしても、このラインを超えれば誰も困ることはあるまい...そんな都合の良いことは起こらないのだ。

08.07.25.北の庭にウバユリ咲く.jpg

今年になって北の庭に突然現れた直径1mにもなるウバユリが、つぼみを広げようとしていた。周りを見渡せば林の中にも見つけることもできるから、土の中に球根が残っていたのだろうと思う。
「しかし、まさかコンクリート壁を背にして咲くことになるとはね...」ウバユリからは、こんな声が聞こえてきそう。植物や虫、鳥といった生き物と共にある暮らしは、日々小さな発見を私にくれる。決して大自然ではないれど、無意識のうちに”五感”という閉じがちなドアを開いてくれる。自然がこれまでの姿を変えることは、巡り巡って自分も変化を余儀なくされるということ。野生動物と同じように!とまではいかないけれど、できるだけ自然に対して敏感に向き合っていきたいと思う。

time : 17:56 | コメント (0)

2008年07月23日

紅一点

今日の暑さはいつもとレベルが違っていた。気温はなんと30℃!午後から外出する私は、いったい何を着ていけば久々に会う友人に失礼がないか?こんな日にはどんな服が心地よいのか?を考えていた。いまの季節、クローゼットの棚に並んでいるのは七分袖と半袖に長袖。お目当てのノースリーブが見当たらない。あるはずがないのである。なぜなら、今年になってノースリーブなど一度も着ていないからだ。しかも、あまりに使用頻度が低いため、昨年 そのほとんどを処分していたことを思い出した。こうなったら、すがるのはオーガニックコットンか麻である。体のラインに張りつくものはやめて、余裕のあるパターンを選ぶ。色は、白にしようか。

いつもオシャレな友人は、涼やかな装いで迎えてくれた。「今日はさすがに着てしまいました!」というノースリーブのシャツはストンと落ちる素材で細かな縦ストライプ。暑い日には、見た目も涼しげな配色と素材感が大切なことを教えてくれる。太陽が傾いたころを見計らって、夏の庭を散策させてもらう。本人いわく、「いまは、緑ばかりで何もないけど」なのだ。しかし、白とブルーだけでまとめた山紫陽花は圧倒的なスケールで咲き、いたるところに背の高い真っ赤なエンビセンノウ?のような花が。聞けば、それはベルガモットなのだそう。顔を近づけてみると、花から葉から、あのアールグレイの香りが確かに感じられた。私はこの一瞬で、すっかりこの花の虜。赤い花など山野草の多い庭には似合わない。ずっとそう思ってきた。しかし、同じ赤でも様々。株分けしてもらったベルガモットをさっそく庭に植えてみる。確かに緑の中では紅一点。しかし、トラノオが横にあるのに不自然ではない。現代アートのような色の配置を可能にしてしまうのも、緑の底力なのだろう。

08.07.23.紅一点 ベルガモット.jpg

time : 20:18 | コメント (0)

2008年07月20日

山という遊び場

空気がカラリとして、急に爽やかな陽気になったなぁと思っていたら、梅雨が明けたという。夏休みのはじまりのようなこの三連休は、朝の早い時間からゴールデンウィーク時のような本格的な道路渋滞。しかし、渋滞の列に混じってしまっても、なぜか「嫌だなー」という気持ちにはならない。「車に乗って遠路はるばる遊びに来た人々に負けないくらいに、私達も楽しまなきゃ!」という気分にさせてくれるからだ。

08.07.20.佐久の岩場 日向エリア木漏れ日.jpg

そう、この地の夏は短かい。だから住んでいる者はなおさら、夏を謳歌しなければ。先週に続いて向かったのは佐久の岩場。クライマーらしい車が何台もあったので、今日は賑やかになるなぁと思っていた。しかし、目的のエリアに着くと誰もいない。三連休だというのに、いや三連休だからだろうか?別のエリアで新たにルートを作る開拓クライマーが来ているだけのようだった。よって今日は、ありがたいことに山一つ分が貸切状態である。美しい林の中でのクライミングは、目的であるクライミングがどうでもよくなる誘惑でいっぱい。木漏れ日・風・静寂...だたそこにいるだけで、身体のどこかでいつもカラカラになっている電池が、なみなみと充電されていくのがわかる。

昨年の台風の影響で道路が遮断されてしまったため、岩場の真下に車を置くことができなくなってしまった。よってアプローチにかかる時間は、5分から30分へ増加。背中がぐっしょり濡れるほど汗をかくのは何年ぶりだろう。しかし、車で通り過ぎるだけでは知り得なかったものを見ることがことができた。

ここは佐久市のはずれ。畑と民家が入れ籠のよう重なりあう、静かな山里である。畑には、野菜だけでなく果樹も植えられている。これはいったい何だろう?と近づいてみると銀杏の葉!ということは、この梅のような実はギンナン?ギンナン畑にするなんて、きっと需要があるのですね。

08.07.20.佐久の岩場 アプローチ 銀杏.jpg

そして、こちらもはじめて見たズッキーニの実る様!花が市場に出回ることはまずないけれど、天ぷらにしたら美味しそう。信州のズッキーニは今が旬!グリルにラタトゥイユに、夏のおいしさが凝縮したようなこの野菜は我が家の定番。

軽井沢にはないネムの木が風に揺れている。午後3時をまわって急に吹きはじめる強めの風は夕立ちのサイン。今日、様々なものをくれた山にも必ず持ち主がいる。これほど素敵な環境を貸してくれるなんて、寛大な気持ちがなければできないこと。とてもありがたい。

08.07.20.佐久の岩場 アプローチ ズッキーニ.jpg

08.07.20.佐久の岩場 ねむの木.jpg

time : 11:00 | コメント (0)

2008年07月18日

夜の暗く静かなカープール 

「いいデザインって何だろう?」
ふと、身の周りを取り囲むモノたちを見つめて、そんなことを考えてしまうことがある。

なぜなら、ここにあるモノすべてが必要とされ、世界の誰かによって生み出されたものだから...。

「いいデザインは、きっと日々使い込まれるモノ」
「長い時間使い込まれることを想定して、つくられたモノ」
というのが、いまの私が自信を持って言える答え。

家の中には、飾られたきりで埃をかぶるモノもあれば、休む暇もなく使いこまれる道具(というモノ)もある。日々の暮らしに少しの刺激を求めるのが人の性だとすれば、これまで自分の周りに無かったモノが増えていくのは当然のこと。そうして選ばれたモノの中には、生涯を共にする自分にとって最高のモノもあるかもしれない。それは、使いこんで少なくても一年以上経たなければわからないことだから、本当に稀な出合いだ。

モノに執着する、しない。世の中には様々な価値観が存在している。しかし、一年に一度使うかどうかもわからないモノ。いや、一度でも出番があれば良いが、もう三年以上手を触れていないモノが家の収納スペースの大半を占めて窮屈な暮らしを強いられているのだとしたら、思い出という過去の中で日々呼吸をしているようなものだ。それに、風通しの悪い建物や収納が人の暮らしに良い結果を生むとは到底思えない。我が家の場合は、一人に一つのクローゼットがその目安。新たに増えた洋服や食器のために家具を新調することはなく、1+1が1になるように、常にリサイクルを心掛けている。世界中で、これほどモノに溢れた生活を営む国民は珍しいと言われる日本だが、それはこの半世紀だけのことと思いたい。私の知る祖父の部屋には一かけらの無駄もなく、私物と思われるモノは棚の上と押入れが一つだけ。大勢の来客があれば、自分の寝る間の襖を躊躇うことなく開け放っていた。襖や障子で幾通りもの空間を変幻自在に作り出す日本人の暮らしは、高温多湿なこの国の気候風土に合っていると、つくづく思う。暮らしがモノで溢れ出したのは、おそらく僅か50年あまりのこと。家電製品が増えて日々の生活は豊かになったかもしれないが、襖を壁に変えてしまったことで、家族も含めた人との関わり方や気遣いも薄れてしまったような気がする。そして今、この国民が欲しいものの中には自然の風だったり、静けさも加わろうとしている。

ここにきて、夜の駅前のカープールが暗くて静かな場所へと変化している。これまでの駅前ロータリーと言えば、赤い目を光らせた黒くて堅そうなオウム(王蟲)の集会のようだったのに。今はタクシーも乗用車もアイドリングを止めて、窓を開けて、肺の中まで浄化されるような夜の澄んだ空気を浴びている。

本当に必要なことしか しない、持たない。
”必要は発明の母”この名言を実感する日々だ。

time : 18:47 | コメント (0)

2008年07月17日

麻布のような 緑の天井

08.07.17.夏の空と山桑の実.jpg

足元の草花ばかりに気をとられて、空を仰ぎ見ることを忘れていた。
頭上には、光に満ちた夏の空が広がっている。景色はまるで静止しているように見えるが、目を凝らせば気づく、ゆるやかな風の存在。昨夜の夕立ちは凄まじく、ただちに家の灯りを消して、台風の時のようにただじっと雨雲が去るのを見届けてしまった。しかし、そんな雨がもたらす翌日は輝きに満ちたものになる。

08.07.17.見上げれば葉っぱの洪水.jpg

軽井沢の夏も確実に暑くなっている。最高気温が29℃と聞けば涼しいと思えるかもしれない。しかし、太陽まで1kmも近い場所である。だから、アスファルトの上は都心のそれと大差はない。それでも心地良いと感じられるのは、緑が生み出す麻布のような天井のお陰。日が傾いた後に流れる風には、すでに秋の風情さえ漂う。この素晴らしい葉っぱの天井はいつでも、いつまでもあるもの!と錯覚しそうになるが、そうではない。あるのは5月~10月までの6ヵ月間。必要とされる時に開く、カフェのパラソルのようだ。

time : 11:37 | コメント (0)

2008年07月14日

群生する トラノオ

08.07.14.増えてきたトラノオ.jpg

庭の東側がすっかり気に入った様子のトラノオ。春先に少し手入れをしただけなのだが、今シーズンは昨年以上に群生してくれた。暗すぎたり、苔ばかりでは、この植物は花を咲かせてくれない。ご近所さんは、羨ましそうにこのトラノオを眺める。木が大きくなって木陰ができ、それが完全な日蔭となってしまった。地面を覆う美しい苔の絨毯と引き換えに山野草は次第に花をつけなくなり、やがてトラノオも消えてしまったのだという。苔vs花というわけだ。

30℃近い真夏の暑さが続くと、大気の状態は必ずといってよいほど不安定になる。夕方には空がゴロゴロとうねりをあげて、雨は南国のスコールのように降りだす。だから、夏は朝型を心掛けたい。林の中で楽しんだクライミングも15:00をまわれば撤収の準備。帰るには早すぎると思いながらも、家に着いて数分後に降りだした雨にそれで良かったことを実感する。昨日もそうだった。

岩登りって、いったい何のために?と思う時がある。ルートにとりつけば、「登れない!どうして登れないんだろう?」この連続だ。あっさり登れた嬉しさより、自分の力量の無さを痛感させられる時間の方が圧倒的に多い。 しかし、大自然の一部に身を置いて、岩という美しき”巨大彫刻”に近づくことで得られるものやことが沢山あると、最近思う。たまに忘れそうになる瞬間があるけれど、私たち人も自然から生を受けたものだ。だから、自然に還るその日まで、自然の中で遊び続けることができたら、それが本望。

time : 21:58 | コメント (0)

2008年07月12日

窓から見えた 花火

梅雨のさなかとは思えぬ、月光の綺麗な夜。ド・ドーンという音が静まりかえった町に響き渡る。あぁ、今日が長倉神社の花火であることを、この瞬間まで忘れていた。しかし、今から一人で見に行くのもなんだし...。そう思っていると、北の窓の先が急に明るくなった。まさか、我が家から花火が見えているというのか。

08.07.12.窓の先に 長倉神社花火.jpg

そういえば、斜め後ろの土地から落葉松の木がすべて消えていたのである。理由は、昨年秋の台風による倒木と敷地整理のための伐採。春先には浅間山の裾野が少しだけ見えるようになって、雪化粧したかどうかもわかるようになっていた。いま思い返せば、150坪の林が消えて変化したのはその程度と安堵していたのかもしれない。しかし、落葉松林に遮られていたものの中に花火も含まれていたことを、知った。自宅にいながら、誰にも遮られることなく、打ち上げられる花火の全貌を眺めたのは生まれて初めての体験。確かに綺麗で楽しいものだった。しかし、この窓から花火を眺めるのはおそらく今回限りのこと。

軽井沢のどの土地もそうであるように、木が伐採された後には建物が建つ。鬱蒼とした落葉松林だった時よりもずっと魅力的な借景が生まれるのなら、人の手が入ることは良いことだと思える。

time : 20:47 | コメント (0)

2008年07月11日

空気の質が変わる 午後4時

時刻は16:00。あれだけ眩しかった外の日差しがガラリと変わった。デッキにはいつの間にか黒い影ができ、それが小刻みに揺れている。このような状態になれば、エントランスの寄せ植えにも集中して取り組むことができるだろう。外へ出る。

楓の木の下に鉢を下ろし、かかんで作業をはじめると、シャベルを持つ右腕に通いネコのトラオがすり寄ってきた。猫は足音を立てることがないから、首輪に鈴をつけていないと驚くほど無音な動物。今日は夏日だというのに、その毛皮ではさぞ暑いだろう。見ている限りではそう思う。しかし、どんなに毛だらけであっても、私の肌にその毛がへばりつくことはない。それが高原特有のさらりとした夏だ。いつもの挨拶を済ませるとそそくさとデッキへ上がり、ゴロンと体を一回転させる。そして、とてつもなく大きなあくびを一回!人も羨むような、涙目になるアレだ。

08.07.11.風にまどろむ猫.jpg

山桑の実はいまが旬。庭には、次から次へと野鳥が集まってくる。しかし、鳥たちは慌てることなく、とても静かに食事をする。食べきれないほどのフレッシュな果実は夏の恵み。「ひまわりの種より、ずっと美味しいよ!」ヒヨドリのカップルからは、そんな会話が聴こえてきそうだ。

一眠りして遠くを見つめるトラオ。視線の先には間違いなく鳥がいて、いつもならハンターの目つきに変わるのに、今は優先順位が違うらしい。夕刻のこの空気は何よりの御馳走。デッキの上の2つの動物は、顔をうずめる高ささえ違うけれど、まるで同じようなポースで転寝の誘惑に負けていく。

time : 10:29 | コメント (0)

2008年07月10日

天然資源となる歳月

レギュラーガソリンの販売価格が、ついに180円台に。”スタンドへ行けば、ガソリンは満タンにするもの”これまでの私は何の疑いもなく、そう認識してきた。しかし、いま同じことをすれば簡単に1万円を超えてしまう。店員さんは満面の笑顔で迎えてくれるが、極端に燃費の悪い車を所有している気分だ。

駅までの往復にかかる距離と、この車の燃費は?
いつでもゴミが出せることが便利な じん芥処理場への往復距離は?

今までそれほど気にかけていなかったことが、ここにきて急に気になるようになった。一度のゴミ出しに300円以上かけているのか。こうしたことを意識するのは決して悪いことではない。

あと2年後の2010年は、子供時代の私にとっては遥か先の未来だった。2010年と言えば、宇宙旅行が可能になるとか、地球上の原油がいよいよ底をつくだろうと予想されていた時代。日本の電力の30%が原子力発電によって作られていることを円グラフで知り、それはまだまだ増えるものと教えられていた。しかし、同じ校舎内にある図書館では、広島のピカを題材にした本が推薦書となっている。唯一の被爆国でありながら、その怖さを知っている国でありながら、原子力発電に依存しなければならない本当の理由とは?そんなことを子供なりに疑問に感じていた。夏至や冬至といった日の長さや動きに興味を持ったのも、登下校の時間を楽んだこの頃。休むことなく燃え続ける太陽が、この星の生命を育んでいることを知った。太陽は核融合によって膨大なエネルギーを放出しているが、その恵みを地球上にいる私達が安全に享受できるのはずっとずーっと離れているから。そんな核融合が、自分の住む町内で行われていたら...同じ星の上であっても怖い。この感覚は子供に限ったことではないはず。

石油を”天然資源”と呼ぶようになったのは、環境問題の高まったつい最近のことのような気がする。石油とは、植物や動物の死骸が長い年月をかけて生まれた一種の化石だ。大理石も、プラチナもオパールもダイヤモンドも同じようなもの。いま世界中で起きている石油価格の急騰は底をついたから発生したことではないが、これからをいかに生きるべきか?の道しるべになるのではないだろうか。長期的な見通しのつかない不安定な世界情勢で、唯一信じられるものが天然資源となっている。それは、一見安易な答えに思えるけれど、頷けないわけでもない。世界にはまだ石油が”残っている”ところもある。しかし、この日本には一滴も存在しない。けれども、北欧のように日差しに乏しいわけではなく、山も水もある。自然の恵みをエネルギーに変える手段も技術力も一流だ。輸入しているにもかかわらず安い!という誤った仕組みは、近いうちに終止符が打たれることだろう。

私にとっても、いま起きている出来事は暮らし方を真剣に見つめ直すきっかけとなりそう。薪ストーブ中心の暮らしを選んで本当に良かったと思うけれど、電気もガスもなければ困るのが現状だ。だから、これからは薪も含めて資源を消費する際には、エネルギーとなるまでにかかった膨大な歳月を考えてみたい。今日は可燃ゴミの収集日。朝7:00、ゴミ袋を片手に(東京にいた頃のように)歩いてみると、この時間の素晴らしさをすっかり忘れていた。近々、コンポストを購入すれば、ただでさえ少ない可燃ゴミも更に減って、自分で買ったものを最後まで見届ける責任ある暮らしができるようになる。日々の小さな積み重ねが、未来への大きな財産となることを信じて。

time : 19:14 | コメント (0)

2008年07月08日

梅雨を彩る 涼しげな花

ボソボソと荒れた地面に雨足が強かったことを感じながら、リビングからガラス越しに目を凝らして眺めてきた、咲きだしたばかりの”新しい色”に近づいていった。

08.07.08.雨上がり 涼しげな色次々と.jpg

つぼみ~花へ、この紫色のグラデーションはもはや神業?!

08.07.08.トリアシショウマ咲く.jpg

友人からいただいたトシアシショウマは、想像以上のボリュームで花開いた。ヤマボウシの白いガクは花のように日に日に落ちていく。昨年に続いて、今シーズンもシャラがつぼみをつけなかったため、このままでは庭が緑一色になってしまう、淋しいなぁ...と思っていた矢先のこの白。嬉しいですね。7月7日の七夕をきっかけに、夏の風物詩がポンポンと頭に浮かぶようになるのはなぜだろう?庭の片隅で偶然見つけた、花開く一歩前のホタルブクロ。露がよく似合う。

08.07.08.ホタルブクロの季節.jpg

time : 16:31 | コメント (0)

2008年07月06日

岩を断念して見れたもの

突如 クライミングのテンションが高まってしまった旦那さん。昨夜も、地下のジムでトレーニングに励んでいたようだ。天気予報では降水確率60%の雨を知らせているというのに、「行ってみなければわからない」を連発。こうなると、実際に自分の目で岩の状態を見てもらうしかない。外の岩に触れるのは、いったい何ヶ月ぶりになるだろうか。まずは、いきなり小川山などとは言わずにホームゲレンデの佐久(の岩場)で練習するのが常套手段。車の座席の下に必ず入れていたアプローチシューズが見当たらないと思っていたら、家のクローゼットへ移動していた。そんなことも忘れていたのである。クライミングの世界から、いかに自分たちが遠のいているかに気づく。車を走らせて間もなく、低く重く垂れこんだ雲がフロントガラスいっぱいに広がった。それは、溢れる涙をこらえる子供の瞳。

次第にポツリポツリと、ガラスに水滴がつくようになる。しかし、懐かしい岩場へと続く集落にさしかかると雨は一旦止んでくれた。車一台がようやく通れる林道をいつもの調子で進んでいくと、道路の両端が大きくえぐれている。これは嫌な予感だ。すると案の定、落葉松の大木がまるで通行止めのポールのように道を完全に塞いでいた。この先に車が入ることは不可能。バックでなんとか林道の入口付近まで戻り、歩いて偵察することに。昨年、軽井沢に大きな爪痕を残した台風の影響はここにもあったのだ。岩場には、下から歩いてきたと思われるクライマーが10名ほどいる様子。しかし、やはり梅雨のさなか。乾いた安全な岩は僅かしかない。今にも降ってきそうな空模様を見て、今日登るのは止めようと決める。

気分転換にドライブを楽しむことにして、向かった先は小海方面。どんよりとした空の下では、明るい白樺林が唯一救いの景色となる。小海高原美術館から更に高みを目指すと、偶然 サラサドウダンツツジの群落地を見つけた。山の斜面には、樹齢の検討さえつかない大木が幾つもあり、枝先を見ると花が終わっていることがわかった。花季を逃してしまった、あぁ、残念!と落胆していると、暗がりでそっと咲く小さな花を発見!事情があって、遅咲きになったサラサの花だった。

08.07.06.小海 サラサドウダン群落.jpg

サラサドウダンツツジの5m以上の大木を目にすることは、日常的に皆無と言ってよいだろう。それほど今では稀少なものだ。自然のままに育ったものは伸び伸びとした樹形が素敵だ。足元には、種がこぼれて育ったと見える幼木や、咲きだしたばかりの菖蒲やヤマオダマキが。日当たりの良い斜面だから、野草の背丈は30センチほどで充分なのだろう。花をよく見るなら、写真を撮るなら、かがんで地面に近づいていかないといけない。雨が降ったり止んだりの天気だから余計に感じる草の匂い、雲の切れ目から太陽が顔を出せば、「この時を待っていました!」とばかりにはじまる蝉の大コーラス。今日の空色のようだった旦那さんの表情が、カメラを渡した途端に晴れ晴れとしたものへ変わっていった。久々の休日に岩に触れたい気持ちはわかる。しかし、こればかりは自然相手の遊び。だから、如何なる時もコンディションを無視するわけにはいかない。焦る気持ちが良い結果を生む確率は少ないと知っているから、私はブレーキを踏む嫌われ者に徹する。

time : 14:41 | コメント (0)

2008年07月05日

虫の音 家の灯りまた一つ

昨日に引き続き、今日も真夏日だった。風があったので昨日より過ごしやすいなと思っていたが、午後になると次第にムシムシ。大気の状態が不安定で雷もゴロゴロ、雨もパラパラ...こうなると湿度も急上昇!

21:00を過ぎて、ようやく窓の外から虫の音が聴こえるようになった。そう、こんな時間なのに、まだ窓は幾つか開いたまま。気温は20℃もある。日中との気温差が10℃あるのは幸せなこと。とはいえ、”ひんやり”だけでは済まないジトリとした空気に、今宵は照明器具も控えて過ごしている。都心はさぞ暑いのだろう、別荘の灯りがまたひとつ増えている。

time : 21:15 | コメント (0)

2008年07月04日

シワシワになった唐辛子

明け方、だぼたぼのドライスーツを無理やり着せられるという奇妙な夢を見た。寝ぐせの悪い私はいつものように綿毛布を蹴飛ばして、その変わりに足元に置いた羽毛布団にくるまっていたのだった。いつもなら、それでもちょうどよくなるのがここの朝。しかし、今朝は気温の上昇が早かったらしい。喉が渇いてたまらずにキッチンへ向かう。

午前中の間に、気温は28℃まで上がっていった。先週は35℃の中で過ごしてきたため余裕にも見えるのだが...。しかし、太陽までの近さが違う。四方の窓を開けたにもかかわらず、期待していた風がスルリと入ってこない。軽井沢で無風、これは厳しい日中となりそう。曇り空の東京でも31℃というが、軽井沢にとっては正真正銘の真夏日だ。食べきれそうにない生の島とうがらしを、デッキ テーブルの上で乾燥させてみる。すると、わずか3時間でここまでシワシワに。照りつける紫外線の威力を見せつけられる。何かを殺菌するため、乾燥させるために今日のような紫外線を利用するのはとても有効だ。しかし、無防備すぎる人の肌にとっては大きなダメージを及ぼしてしまう。軽井沢に降りそそぐ日差しは、一年を通して山の稜線のようなもの、くれぐれもご注意を。

08.07.04.28度の真夏日到来.jpg

デッキの下を覆いはじめたミントの葉を刈り取って、大きな鍋で蒸してみた。ミントのエキスは自然と水滴に混じるから、蒸留装置がなくても大丈夫。これに微量の植物性グリセリンを入れて精製水で薄めれば、夏の日に嬉しいローションに。枕にスプレーすれば、心地より眠りも期待できそう。蒸している間にリビングに広がる爽やかな香りが、ほてった体を静めてくれた。

time : 18:12 | コメント (0)

2008年07月01日

背丈を伸ばす 夏 

旅から戻った翌日、梅雨空の下で青みを増した庭へ入っていくと、植物の背丈がぐん!と伸びていて驚いた。萩やヤマオダマキは出かける前より20センチは成長し、つぼみだったヤマオダマキは私の知らない場所でも花開き、花によって自らの存在を知らせているように見えた。この黄色い花を見るのは確か7月になってから...と記憶していたのだが、今年はいつもより早いようだ。

08.06.28.背が伸びて咲いたヤマオダマキ.jpg

今日から7月!早くも2008年の折り返し地点に入っていく。軽井沢に”夏のもの”と感じられる日差しが注ぐのは9月までの2ヶ月間。その間には冷たい雨も降るし、昼間から霧が出る日もある。日数にすれば、夏日と言える日は30日もないのかもしれない。だから、天気の良い日はできるだけ太陽の下で過ごせるように努めていきたい。夏は暑いから嫌なもの...大人になって夏休みというものが消えてから、コンクリートジャングルで暮らすようになってから、いつしか夏という季節はあまり好きではないものへと変化していた。しかしここで暮らすようになってからは、夕方まで半袖姿のままでいる!(実際に、このような日は数えるほどしかないが)というだけで夏を生きていることを実感できる。厳しい冬に対して夏の暮らしは、忘れ物がありそうなくらいに身軽な日々。高原の夏は謳歌するもの。秋の山野草で庭が彩られるのは、それほど遠い日ではないのだから。

08.06.28.ブルーベリー 実が膨らんだ.jpg

旅の間の変化は植物の背丈だけではなかった。3年目のハイブッシュブルーベリー チャンドラーに待望の実がついた。

time : 18:59 | コメント (0)

2008年06月29日

亜熱帯への旅

08.06.24.沖縄へ.jpg

”梅雨明け直後はおおむね天候が安定している”そんな風に、いつかどこかで聞いた気がして、急遽 南の島を旅してみようと思い立った。羽田から、那覇・石垣と飛行機を乗り継いで、最後は船で。乗り物に乗っている時間だけで軽井沢から5時間以上。

08.06.24.なごみの塔からの眺め.jpg

しかし、出発したその日の昼過ぎには遥か彼方の島に着いてしまうのだから、心も体も戸惑いを隠せない。ここは、サンゴ礁の隆起によって生まれた島 竹富島だ。島の中央に身を寄せる平坦な集落は、家々よりほんの少しだけ高い塔から、箱庭のように見渡すことができる。

08.06.24.石垣を彩る南国の花.jpg

日の傾きはじめた夕刻に宿を出て集落を歩いてみると、道には白砂が敷き詰められていた。歩き専用と思いきや、地元のワゴン車がザザザーと砂音を立てて走ってくる。サンゴを積み上げて作った石垣にはブーゲンビリアやハイビスカスといった色鮮やかな花が乗り出すように咲き、石垣の先には赤煉瓦と漆喰屋根の琉球らしい家並みが見え隠れしている。石垣のある暮らしに親近感を覚えるのは、自然なことと思える。

時の流れが違うことを肌で感じながら、歩きでなければ気付かないものを見つけようとしていたのかもしれない。ある家の軒を支える柱に目が止まる。柱の土台が変わっていてユニークなのだ。↓ これは間違いなくサンゴ!これなら腐りやすい柱と土台の間に水が溜まることもないのだろう。建築様式とは、その土地に根付いた生活様式でもある。理にかなったものに美が宿ると本当に素敵。

08.06.24.柱の土台はサンゴ石.jpg

08.06.24.東パイサーシ御嶽.jpg

歩いて一周することも可能な小さな島である。歩きだして間もなく 丘のような 通称ンブフル(牛岡)が現れた。ここだけは、隆起サンゴ礁ではなく古成層の珪岩で出来ているという。島の核ともいえる場所で、なんとなく神聖な空気が漂っている。その近くにあったのが ↑ の”東パイサーシ御嶽(アイ パイザーシ オン)”島内に御嶽と呼ばれる場所は28ほどあるそうだが、ここには、島を作り、島を育てる神がまつられているという。階段が、柱の土台に使われていたのと同じサンゴで作られていることに気づいた。集落を抜けると、いたるところにクワズイモの大きな葉や亜熱帯のツヤツヤした植物が群生していて圧倒される。

家の中が、見えるか見えないか微妙な高さの石垣は強烈な日差しを遮るためではないらしい。美しすぎる白砂の通りは、日中の間は容赦なく照り返す光と熱の小路。フクギという大きな木が生み出す日蔭を見つけると途端に早足になっている。防潮林として、またミンサー織りの染料にもなるフクギの巨木は、35℃という暑さに慣れていない私にとってまさに砂漠の中のオアシス。フクギ...漢字ではどんな字を使うのだろう?この島の人々にとっては、私が感じたこと以上の存在に違いない。

08.06.25.浜辺のスジグロカバマダラ.jpg

一年じゅう花が絶えない島ということは、沢山の蝶が生息できることを意味している。アイヤル浜で偶然目にしたのはスジグロカバマダラの群生。みんなで集まって何をしているの?この日は、5~6月に竹富島にやってくる鮮やかな赤い夏鳥 琉球アカショウビンも偶然目にすることができて幸運。

08.06.24.西桟橋の夕日.jpg

竹富島の、今は使われていない静かな桟橋から夕日を眺めて一泊した後は那覇へ戻り、翌日は車を借りて初めて本部半島まで足を伸ばしてみた。天気予報を見ても、沖縄は意外と広い島であることに気づく。北部・中部・南部とずいぶん天気が違うのだ。美ら海水族館で見せてくれたのは、日本列島を取り巻く豊かな黒潮の海の様子。百聞は一見にしかず...今回の旅でもそんな風に感じる瞬間が多かった。 この目で見ること、はじめての土地の空気を肌で感じること、文化を知ること...。自分なりに「わかった!」ことが喜びであり、明日への原動力に繋がるのかもしれない。

08.06.27.美ら海水族館 黒潮の海.jpg

time : 18:31 | コメント (0)

2008年06月23日

風雨に負けない 白

大雨警報・雷注意報・洪水注意報と、昨日の夕方から荒れ模様の軽井沢。

朝、庭の様子を見に行くと、木々の間を通り抜ける時に濡れた葉が両腕にぶつかった。雨の重みで枝葉がずいぶん垂れていたのだ。透け感を大事にしている庭なのだが、今日はどこかの林に迷い込んだかのよう。

08.06.23.今年はヤマボウシが見事!.jpg

今年はヤマボウシの花つきが良い年になった。白いガクが”僧侶の袈裟”に似ていることから名のついた木というが、それはまるで花のよう。ほどよい距離に白があるだけで、緑の濃淡だけの景色よりずっと奥行感が出るようだ。それにしても、今日は花をも落とす勢いの強い雨である。この白は花びらでないとわかっていても、たじろきもせず堂々とした姿が頼もしい。

time : 12:34 | コメント (0)

2008年06月20日

光るものを磨く ただそれだけ

天気予報に反して、柔らかな日差しが望めた今日の軽井沢。
これは最後の晴れ間になるだろうと感じて、洗濯物をデッキに干した。夏の我が家に直射日光は入らないから、たとえ数時間でも外の日差しの力を借りたい。長引く雨の前は、何かと片付けておきたいことが山積みに。だから今日の晴れ間は予期せぬプレゼント!プレゼントはモノだけではないんですね。何かができる時間をもらえる、これも最高に嬉しいこと。空模様を案じながら、忙しく動きまわる。

08.06.14.佐倉の鉄砲ゆり.jpg

リビングのコーナーに飾った鉄砲ユリの白が、今日はなんだか幻想的。雲が多いから、光の具合が北の部屋のように安定しているのかも。窓の外は様々なグラデーションの緑だから、白い花が一層際立つのかもしれない。夏の部屋のコーナーには、ぜひ光を取り込むシルバーの食器を。周りがどんなに散らかっていても、光るものは光らせるように磨くだけで、清涼感があって、清潔な感じもしてくるから不思議。鏡、洗面の蛇口、家具のつまみや薪ストーブのレバー、ガラスのテーブルトップといったものが輝いていると部屋に魔法がかかったよう。突然のお客様にも慌てることがなく、快く迎えられる気がする。

time : 12:57 | コメント (0)

2008年06月18日

乾いた道を歩く

10日くらい続いた梅雨の中休みが、どうやら今日で終わるようだ。じりじりと肌を焦がす強い日差しも、短い夏を謳歌するに相応しいものだから、とても嬉しい。帰宅して東西南北の窓を開けると、ひんやりとした空気が静かに家の中を流れはじめた。昨日に続いて、今日の風も極上。ただここに居るだけで幸せな気分になっている。風とともに流れ込んできたのは野鳥の声。声を聴いただけで雛とわかる。春の訪れとともに忙しく巣作りをしてきたシジュウカラやメジロの子供たちだ。体は親鳥の半分ほどしかないが、ここにきてようやく上手に飛べるようになった。彼らは僅か20日間で巣立ってしまうのだとか。一日の密度が、さぞ濃いのだろうと思う。

午後、白い皮のスニーカーを履いて、乾いた土の道を歩きに出た。このようなことが、軽井沢では当たり前ではない。サンダル姿で散歩に出て、「あっ、しまった!」となることは度々。どんな靴を履いているかで散歩のコースが決まる。そう言っても過言ではないだろう。

木々の葉が揺れて、重なり合って、ザワザワと音を立てて知る今の風の存在。葉のある時、ない時、季節によって風の様子を知る手がかりは刻々と変化する。一日のうちの大半を外で過ごすことが可能な夏の間は、五感を揺るがす要素に満ち溢れている。

time : 15:20 | コメント (0)

2008年06月15日

ささやかな楽しみ

航空便で届いた小包の中身が気になる旦那さん。
「それ、何?」
「いや、別に。たいしたものじゃないんだけど、私のささやかな楽しみかな」

08.06.15.OPIネイル.jpg

マニキュアを塗ることは、衣装のオシャレとはまた違う意味があるような気がする。綺麗に塗るためには爪そのものの手入れが欠かせない。丁寧に甘皮を取り、爪の表面の凸凹を滑らかにして、マッサージ。たかが爪といっても、そこには身体の健康状態が現れている。二枚爪やひび割れ、薄い爪はカルシウム不足。縦じわが多すぎるのは何かのサイン。素の爪で日常生活を送り続けていると、現代人の指先は呆気ないほどボロボロになるのだ。

指先のケアという目的以外にも、マニキュアがくれるものは沢山ある。爪の形にコンプレックスのある私でも、指先を整えているというだけで一歩前進。何をするにしても、グッと前向きになれる。だから、ネイルアートが盛んになったことも頷ける。とかく、爪に乗った”色や飾り”に注目しがちだけど、ネイルアートの基本は美しい下地処理だろうと思う。野生の動物を眺めていると、どれも見事に綺麗な姿であることに驚く。毛並みよし、艶よし。そうでないものは弱っていて、自然界に淘汰されていく日が近いものと知った。だから私たち”人”は、かっこいいとか悪いとかそんな観点ではなく、老若男女問わず、動物として美しくありたい。そう思う。

time : 18:55 | コメント (0)

2008年06月14日

鉄砲ユリを乗せて

旦那さんの実家から届いた、見事な鉄砲ユリ。まだ蕾の状態だから、ラッピングしても華やかさに欠けてどこか寂しげ。しかし、開きはじめたらきっとびっくりするはずだ。部屋中に溢れだす甘い香りに。清々しい夏の日の午後、お行儀のよいペットのような蕾のユリを車の助手席に乗せて、私は高台に住む友人のところへ向かった。

08.06.14.三笠 ゆりさんの庭.jpg

リビングからの眺めがこれほど深い谷である。木々の高さもスケールも違う。風も、私の住む場所と比べると2、3℃低く冷たい。いつも見ている”当たり前の景色”がこれほど違うのか...いいなぁ!と思ってしまう。

08.06.14.三笠 頂上付近からの眺め.jpg

そして、友人の家からもう少し上がった場所からの眺めがこちら。プリンスのスキー場となっている矢ヶ崎山の斜面も、今は緑に覆われてテーマパークのよう。その先には、ごつごつした急峻な岩山 妙義山が見えている。軽井沢にも、このような大パノラマが望める場所が僅かにある。冬の間はさすがにゴーストタウンとなるこのような高台でさえ、週末には少しづつ家々に車が止まるようになる。夏だ。

time : 18:13 | コメント (0)

2008年06月13日

かぶれる! でも優等生

むせかえるような緑が、建物を呑みこんでしまいそうに息づくこの時期。湿気を帯びた空気は重く、気温は20℃以上あるというのに何となくひんやりとして、半袖で過ごす気がなかなか起きない。梅雨特有のどんよりとした雲が日差しを遮ると、途端にヤマボウシの白いガクが浮き立ってくる。白と言えば、アジサイとよく似た花をつけるガマズミ属の樹木がいま花の盛りを迎えている。緑以外の色が見つからない雑木林のふちから、こちらへ乗り出すように咲いたヤブデマリ。

08.06.13.アジサイに似た花を持つ木.jpg

ムシカリ、カンボク、ヤブデマリは葉の形こそ違うが、ガクアジサイのような白い花を咲かせる。鬱蒼とした緑一色になるこの時期にあえて”白い花”というのが心憎いところ。秋には揃って赤い実をつけ、なかなか魅力的な樹木たちだ。

08.06.13.花咲く ツタウルシ.jpg

そして、緑の葉だらけになるこの季節から気をつけたいのが、ウルシである。落葉松に絡まるツタウルシのツヤツヤした丸い葉が目立つようになり、よく見れば無数の花を咲かせようとしていた。同じ落葉松の根元に視線を落としていくと、アイビーのような粗い鋸歯の葉が絡まっている。それをたどっていくと、なんと同じツタウルシ!これは、うっかり素手で触りかねない愛嬌のある葉っぱだ。ツタウルシの紅葉は確かに見事。しかし、成木と幼木では葉の姿がこれほど異なるから ↓ 用心した方が良さそうだ。

08.06.13.アイビーのようなツタウルシの幼葉.jpg

私は、住み始めて間もない頃にひどい草かぶれを経験している。20年以上前に移住してきたご近所さんは、そんな私に「誰もが受ける洗礼ね」と笑ったが、自然を甘く見てはいけないのだなぁと痛感した。草むしりをしていて、もう何年もそうしているうちに、自分の口から雑草という言葉が少しづつ消えていくことに驚いている。今日は西の庭で茜(アカネ)を見つけた。茜色を生み出すつる性の多年草だ。染料は、もともと身近なところにあったのである。

嫌われることの多いウルシだが、こちらも優等生。春先に、我が家のポストに巣を作ろうとしていた蜂がいた。巣作りは、まず巣を固定するための強力な接着剤づくりから。それがウルシなのだそう。考えてみれば、日本が誇る漆器 ”JAPAN ” も耐久性が高く美しい。山の暮らしは危険と隣り合わせだけど、恵みも沢山。

time : 13:56 | コメント (0)

2008年06月11日

ヤマアジサイを植える

南面の景色が、ここにきてようやく家と馴染んできたようだ。そこで、これからは北面の庭へ少しづつ手を入れていこうと考えている。わずか150坪という敷地でも、建物の南と北、東西では状況がかなり違うようで、グランドカヴァーとなる植物も様々だ。

08.06.11.北の庭 現状.jpg

片流れの屋根が落ちていく北面は、冬の間ずっと厚い雪と氷に覆われる。しかし、この時期になると、分厚い落ち葉の層を突き破って、湿地好きな植物(シダ、ツリフネ、ウバユリ、ツユクサ、ヤマモミジなど)が活発に地面を緑に染めていく。昨年、和室下の坪庭的なスペースに植えたヤマアジサイは春とともに息を吹き返し、今では1mを超える立派な株立ちだ。2mのコンクリート壁がそびえているというのに、山の植物は頼もしい。”日差しが乏しいならノッポになれば良い”ことを心得ているのだ。雑木林の木々に、ひょろひょろしたものが多いのもこのため。北欧人の身長が高いのも、きっと同じような理由あってのことと思う。

08.06.11.北の庭 ヤマアジサイを植える.jpg

今日は、花の色が青いヤマアジサイを植えた。名無しだったが、おそらく黒姫だろうと思う。昔の日本画にもよく描かれているから、ヤマアジサイの歴史はかなり古いのだろう。日本からヨーロッパへ渡って一層豪華になったもの、乾燥した石造りの町に似合う、朽ちたような複雑な色になったものと様々だ。今では、品種改良によって相当種類があるようだが、塀の必要がない土地には華やかな手まり型よりガク型の方がしっくり馴染む気がする。園芸品種に多い手まり型(いただきもの)を試しに地植えしたことがあるが、芽吹きが圧倒的に遅く、蕾がつかないまま葉だけで終わる場合が多い。また、ヤマアジサイ以外は春先の霜にやられてしまうことが多いと聞く。散歩していると、アジサイとよく似た白い花をつけた木を頻繁に見かけるこの季節。しかし、その木にアジサイという名はついていない。

紫の陽の花でアジサイ...梅雨時期の日蔭を明るくしてくれる日本らしい下草。

time : 15:30 | コメント (0)

2008年06月08日

緑の濃淡を味わう 蓼科

麦草峠から蓼科への道のりは奥行きのある緑が楽しめるので、たまに無性に走りたくなる場所だ。湖や名もない池が多く点在し、東山魁夷の描いた幻想的な風景でさえ、いつの日か出合えるのでは?そんな予感がしてくる。

08.06.08.エクストレイル2号で蓼科へ.jpg

標高2200m近い街道の最高地点にさしかかると、白樺林の根元に雪の塊を見つけた。その白樺は、おそらく先週芽吹いたばかり。軽井沢で見納めしたはずの山桜もここでは今が満開。6月に芽吹くなんて、ここは本当に春夏が短い場所。8月の終わりにはナナカマドの葉が色づきはじめるというのに...。

高低差のあるこの街道は空模様も変化に富んでいる。いきなり濃い霧に巻かれてスモールライトを点ければ、亡霊のように前から現れたオープンカー。こんな日に気の毒だなぁと思っていると、カーブの先にはサングラスが必要なほどの真夏の日差しが待っていた。芽吹いたばかりの新緑が、この先もしばらく続くのかと期待していれば、若草色は一気に群青色へ。鬱蒼とした落葉松林から聴こえてくるのは春蝉の大合唱。”長野は広く、山の国”であることを実感する。ぶらりと立ち寄った新顔の蕎麦屋では、まさかの山菜の天ぷらに舌鼓。次回、再びこの地を訪れるのは冬になるだろう。1シーズン逃してしまったジビエ料理を味わうために。山の幸に乾杯!

08.06.08.エクストレイル2号で蓼科へ 2.jpg

time : 16:37 | コメント (0)

2008年06月07日

街の果実

久しぶりの青山。表参道は、道路両側の建物が高いため木漏れ日を浴びるというより、木陰に入るイメージの強い通り。しかし、都心の暑さやアスファルトの照り返しを考えたら、ちょうどよいのかもしれない。気温は25℃以上あるというのに、この通りにいる間は蒸し暑さを感じずに済む。

08.06.06.東京の6月は紫陽花 .jpg

表通りから一歩入れば、青山界隈に限らず都心にはユニークなエリアが沢山ある。隠れ家的なレストランや一軒家の玄関には、溢れんばかりの植栽が植え込まれていたり。無機質なマンションのエントランスに添えられた紫陽花が、忘れそうになる今の四季を時計のように正確に知らせてくれたり。不動産屋の看板が掲げられた空地では、僅かな地面を見つけたドクダミが逞しく群生して。ドクダミっては名前は悪いけれど、花はこんなに可愛かったんだ!そんな発見も多い。

08.06.06.街の果実 びわ.jpg

とある家の高い塀から、日差しを求めてすっくと伸びる”びわ”の木に目が止まる。しかし、その先は障害物のない空とはいかず、数十本にもなる電線の束の合間を縫って生きていることに気づいた。軽井沢で、大きな”果実をつけた樹木”を見ることは不可能に近い。だからだろうか?軽井沢から下りると、私の目は無意識のうちに果実を追っているようだ。ささやかでもいい。建物がどんなに密集しようとも、行き交う人や車が多くとも、そこに人の手が入った緑があればバランスの良い街だなと思えてくる。そのような景色の中では人も、人の表情までも美しい。住まう環境も大事だが、日中のほとんどを過ごす働く街の環境にも無関心ではいられない。

夏はこれから。日本には四季という季節の変化がある。働く街にも、人が美しいと感じる美の根源(私はそう思っている)”木漏れ日”が増えていったら、どれほど一日という時間が裕かになるだろうかと思うこのごろ。樹木や花との共存は決して容易なことではない。人は、街であっても山であっても手入れがされているものを美しいと感じるからである。しかし、気づけば人は部屋に花を飾り、好きな樹木を植えて育てたりしている。それはもしかしたら、動物の本能なのではないか。植物は、好きか嫌いか?の前に、私たちが生きていく上で必要不可欠なパートナーだからだ。
 
再び標高1000mの暮らしに戻ると、庭の菖蒲が一日のうちに花開いていた。
雨の似合う花 つぎつぎと。

time : 12:08 | コメント (0)

2008年06月04日

増えたり 消えたり

午後の数時間だけ、庭に日が射した。期待していたほどの晴れ間ではなかったが、気分転換に外へ出られたのことが幸せ。晴れの日の連続は確かに嬉しいものだが、次第に湿った空気や雨が恋しくなる。冷たい雨が続かなければ、今日のような弱々しい日差しをありがたいと思うことも難しい。

08.06.04.増えてきた ナルコユリ.jpg

庭では、毎年少しづつ植えてきた宿根草が次々と葉を広げ、花開いていく。梅雨、そして6月に入ったというのに、ニホンサクラソウや翁草がまだ咲いていることが不思議である。やはり、この冬はかなり冷え込んだのだろう。ナルコユリはずいぶん増えて、今の場所では窮屈そう。宿根草といっても、軽井沢の冬をなんなく越冬するものは数が限られている。石垣の植物を見ても、毎年増えていくものと消えていくもの。強者と弱者が混在している。先日、岩シャジンと同じ葉でありながら、マリのようなフグのようなユニークな花をつけた玉シャジンというものを植え込んでみた。しかし、来年の今頃、果たしてこの花が石垣にあるかどうかはわからない。耐寒性があるといっても越冬できなかったり、軽井沢に自生している野草(瑠璃草やユキザサ)だからといって、どんな庭にも必ずつくとは限らない。だから庭に根を下ろした植物は、今の庭がどんな環境であるかを明確に映し出しているのだろうと思う。まるで鏡のように顕著に。

08.06.04.玉シャジン 石垣に仲間入り.jpg


time : 12:05 | コメント (0)

2008年06月03日

ウェッジ

...続く単語はウッドではなく、ソール。ウェッジソールで過ごす夏が、昨年あたりからマイブームになっている。尖ったヒールは地面を痛めるし、靴自体も痛んでしまう。そして、何よりもこのような環境では不似合い。そのまま自転車に乗れるような靴を履いていないと、見ている方も違和感を感じるのが軽井沢という場所だろうと思う。しかし、裸足にぺたんこのサンダルで地面に降りるのは無防備すぎて。結局、一年中湿り気のある庭では長靴か、それに近いスニーカーのようなものを履いていることが多くなる。足元のオシャレがなかなかできない毎日なのだ。そのような状況で私が見つけたささやかな楽しみが、ウェッジソールの靴である。どっしりとしたヒールは安定感があり、車のペダルに乗せた場合にも、かかとがマットにつかないことがバレーシューズより心地よく、運転にも支障がない。近場の散歩にもそのまま行けて、疲れない。そして、なんとなくだが”きちんと感”が出るのである。誰に会う予定のない日でもたまにパリッとしたシャツに袖を通したくなるのと同じで、履物にも変化が欲しくなる時がある。女性にとって、もちろん男性にとっても、さりげないヒールがくれる効果は大きい気がする。

軽井沢の梅雨は、薪ストーブの出番まである肌寒さ。しかし、とめどなく雨が降り続くことはない。時には梅雨であることを忘れてしまうほどの青空が広がることもある。ブヨや蚊に追いかけられることの少ないこの季節の晴れ間は、貴重。明日は足元の軽い、晴れやかな一日になりそうだ。しっとりとした庭では、菖蒲と露草が蕾を膨らませている。

08.06.04.蕾を膨らませる菖蒲.jpg


time : 18:37 | コメント (0)

2008年06月01日

木の花の季節

冷たい雨がようやく上がって、今日は朝から青空が広がった。気温も、昨日まで続いた10℃を2倍した20℃へ。カッコウはきっと寒いのが苦手なのだろう。その透る声を聴くと、夏日が約束されたようで途端に嬉しくなる。外へ出ると確かに暖かい。デッキの表面に溜まった雨水が太陽の熱で湯気となって蒸発している。そんな中、デッキの隅で固まっていく黄色い粉が気になりだした。黄砂のようにも見えるが、これはきっと何かの”花粉”だろうと思う。庭のそびえ立つニレケヤキは毎日のように種を落としているし、最後に芽吹いたコナラの花だろうか?しかし、車まで粉を被っているのは大袈裟だ。となると、天高くそびえる落葉松??どんな木でも花を咲かせるから、今はまさに”木の花の季節”なのだろう。

08.06.01.花つきの良いヤマボウシ.jpg

日に日に緑を濃くしていく庭の木々。今年のヤマボウシは花つきが良く、白いガクが完全に開ききっていない未完成のシュリケン?状態でも充分華やかだ。

この春、東の庭からデッキの下へ引っ越してきたハイブッシュブルーベリー チャンドラーが白い花を沢山咲かせている。もし実となれば、初収穫!今からとても楽しみだ。

08.06.01.チャンドラー 初めて花咲く.jpg

裏庭の様子を見に行くと、ウワミズザクラに巻きつく蛇を発見!一瞬、ギャッとしたが、蛇のような柄(茎)の正体はテンナンショウという野草だった。ウバユリとともに湿度の高い軽井沢に多く自生している。そんな野草が我が家にも自然と生えてくるようになったのだから、一度は暴れた土壌もようやく落ち着いてきたのだなぁと思う。写真は、西日が照らす中で撮影したもの。軽井沢の自然光の美しさにはいつもハッとさせられる。

08.06.01.桜に巻きつく蛇?テンナンショウ.jpg


time : 17:13 | コメント (0)

2008年05月30日

アイスランドで M6.2の地震

今月、中国 四川省を襲った地震。現在の町の様子や救助活動、医師の派遣といった映像は、連日のように海を挟んだ日本へ入ってくる。そして、こんどは北極圏に近いアイスランドでマグニチュード6.2の地震があったことを、今朝になって知った。地震が発生したのは、昨日(29日の夕方)であった。

アイスランドを旅してみたいなと思いかけていた矢先の出来事で、とてもショック。震源地は首都レイキャビクの東南東50キロ付近という。2000年にも今回のような規模の地震があったようで、同じ火山国、火山の町に住む身としては決して他人事ではない。中国で地震が起きた日?あるいはその翌日は妙に気温が高く、かけ流しの温泉の湯温がいつもより1℃以上高かったことを思い出した。浅間山噴火の時もそうだった。

やはり、ここはひとつの生きた星。星の自然な活動(生き方)に支障のかかる無理なことは今のうちからできるだけ回避して、上手に共存していく姿勢が大切と思う。今年になってやりかけていた緊急時の備蓄を再開しようと思い立つ。最低1ヶ月は自力で暮らせるだけの物や量を計算してみよう。我が家の場合、飲料や食事として使う水は一日4リットル×30日でペットボトル60本分。トイレットペーパーは一日1ロール×30日で30ロール。棚に並んだら大袈裟な数に見えるかもしれないが、最低限の量である。天災だけでなく、新型インフルエンザが大流行した場合(パンデミック フェーズ6)も考慮すれば、3ヶ月分の備蓄は必須になるだろう。ノートに必要な物をいろいろ書き出してみると、屋外で生活するのための備品はすべて持っていることに気づいた。山(クライミング)をやってきてよかった!テント、寝袋、登山靴、コンロ、防寒具、ヘルメット...登山用具は薪ストーブ同様に頼もしい存在だ。

昨年秋の台風の時、我が家周辺は約3日にわたって停電した。断水を免れたことや真冬でなかったことが不幸中の幸いだったと今は思う。その時の私がとっさにとった行動は、水道の水をできるだけポットや鍋に入れ、軽井沢じゅうの店のレジが停電で麻痺していると予測して佐久市まで走り、車のガソリンを満タンにしてから数日分の食糧を買うことだった。外は台風一過の晴天!太陽のエネルギーは有り余るほどあるのに、こんな時まで海を航ってきた異国の天然資源 ガソリンを必至で買い求めている自分が歯がゆかった。

(山のコンロ用の)ガス缶の数を割り出そうとしていたら、こんなことが思い浮かんた。
ーそもそも”電源が不要の”家庭用小型ソーラー発電機があれば、どれほど助かるだろうと。必要な電力量はお湯が沸かせる程度 つまり電子レンジ500W程度で充分ー
我が家のガスレンジも同じ原因で役立たずだった。日本には、海水を真水に変える技術まである。しかし、製品化されていて当然のようなものが無かったりするのだ。停電した夜に煌々としたライトは必要だろうか。家庭ならきっと蝋燭の灯りで充分。暗くなったらねぐらで眠るという、動物本来の生活ができればそれで事足りる。

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2008年05月29日

霧の季節 はじまる

梅雨入り前の真夏日は、月曜がはじまりでピークだったようだ。火曜、水曜にかけては気温も日差しも日に日に力強さが薄れていった。昨夜遅く、終電となった旦那さんを駅へ迎えに出ると、水たまりのできた路面に様々な光が反射して走りはオドオド。「雨の夜の運転は、目を酷使するし、スリップしそうだから好きじゃないなぁ...」と一人ぼやきまで出る始末。その上、駅に近づくに連れてまったく予想外の霧が出始め、それは濃さを増していった。まさに濃霧である。もう何年も暮らしているけれど、霧の中の運転は迷路を彷徨うようであり、慣れることはない。しかも、”軽井沢駅の周り”だけは特に霧が濃いときている。地形的な問題、風の流れや溜まり...様々な偶然が重なっているのだろうけれど、車だけでなく人の出入りの多い場所がこれほど危険なのだから神経を遣う。

”あまりの静けさに外を見ると霧が出ている”そんな瞬間がこれからは増えていく。束の間の乾いた夏日はプレゼントのように嬉しいものだった。冬とはまた違う、静寂の日々はすぐそこに。こんどは瑞々しい植物の葉に囲まれた、生命力溢れる静寂だ。

08.05.29.外は雨 画のような新緑.jpg


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2008年05月27日

植物がきっかけ

今朝は少し涼しい朝。掛け布団はもう不要と過信したために、寝起きから喉がいがらっぽい。開いた窓からスルリと入り込む空気は予想以上に冷たく、これから気温が20℃以上になったとしても、ひんやりとした冷たさは保たれるような気がした。庭に出ると、若々しい植物の鉱物香が鼻腔をくすぐって、まさに”薫風”とは今日のような風を言うのだろうと思う。一日の寒暖の差が20℃近いこんな日は、特に空気が澄むのだろう。光も風も、これ以上ないというほど洗練され、植物が一層輝いて見えた。

朝のまだ9時前に、珍しく山の上に住む友人から電話が入った。受話器の向こうから、いてもたってもいられない様子が伝わってくる。今日はまた朝からどうしたのだろう?と思っていると、聞きなれない山野草の名前が飛び出した。どうやら、彼女の庭を見に行った時に、そこにある植物の名を端からあてていった印象が強かったようなのだ。しかし、正直言って私は植物について詳しくはない。このブログを始めたころは、シラサギカヤツリのことをサギ草と勘違いしていたし、今でも思いこみによる間違いは多い。

「トリアシショウマは、ある?」
「ショウマ...はだいたい好きですね。レンゲショウマ、サラシナショウマは特に。でも、トリアシ?どこかで見たような気もしますが、はて?」
「花が鳥の足に似ているの。増えすぎてしまって、これから咲くものだから良かったら植えて!あなたならきっと気に入ると思う。この前、話していてわかったわ。今日はご自宅にいらっしゃるかしら?午後、山から下りるので、玄関に置いておきます。」

自分の親と同年代でありながら、気さくに相手をしてくれることが嬉しい。山の樹木や花を愛でる友人たちは、軽井沢らしい季節を存分に堪能しようと努める人でもある。ここで快適に暮らすために必要な共通点は、もしかするとそれだけで充分なのかもしれない。最近、植木屋さんでも山の樹木を欲しいという人が増えていると聞く。ツリバナ、ウワミズザクラ、ダンコウ