| 避暑地軽井沢で骨に響く豊かな生活を目指して奮闘中。Yuuko のつれづれ日記。 | |||||
2010年03月12日
生の花 一際美しく
今日も沢山の雪に囲まれているが、朝からポカポカ陽気に恵まれ、窓を開けて思い切り深呼吸をした。こんな日は、人を誘ってどこかへ出掛けたくなる。ご近所さんに声をかけて、ランチに行くのもいいだろう。玄関のチャイムを押して現れた奥さんの唇には、既にピンク色の口紅がさしてあった。先約があったことに気づいた私は、「こんど○○へランチにでも...」と話題を変えた。すると奥さんは、「見て見て!」と玄関の先を指差した。そこには、ガラスの花器に春らしい花が。珍しい八重のチューリップにスイートピー、生き生きとした葉もののアレンジだ。「今まで自分はドライフラワーが好きだと思っていたが、こうして生の花を飾ってみると、その美しさに圧倒されてしまうわね。」
生の花、生花を飾るようになると、相手が生き物だからなのか?ピンと背筋が伸びる毎日になる。水を入れ替えたり、終わった花をつまんだり、その度に花の表情を自然とうかがうようになるのだ。”暮らしの中に心地よい緊張感が生まれる”そう言ってもいいかもしれない。

食事を囲むテーブルは胡蝶蘭で華やかに。

借景と薪ストーブの炎を愉しむための、大きくて低いテーブルには南国の草花を飾って。季節の対極にある植物たちにエネルギーをもらう。
地面が再び厚い雪に覆われたことで、いま、生き生きと咲く鮮やかな切り花は一際魅力的な存在となった。日常が瑞々しい野の花に囲まれるようになると、ドライフラワーの魅力は復活だ。素朴で温かみがあって、これもまた暮らしの一部に相応しい。
2010年03月11日
雪と氷の危険なロータリー
昨日の夕方、南の島から帰宅する旦那さんを迎えに駅まで車を走らせた。国道の両端には雪の塊がせせりだし、歩道にも雪は積まれたまま。限れらたアスファルトの上を、帰宅途中の学生が歩いていた。靴は既に雪まみれだが、気にしている様子はない。我が家の庭と同様に、今回の雪は行き場がないようだ。軽井沢で、今日のような光景はそうそう見れるものではない。紛れもなく、大雪だった。
軽井沢駅の南口へ向かうと、アウトレットの飲食街は若者でいっぱいだった。もう、春休みに入っているのだろう。ロータリーに入って、私は路面の悪さに驚いてしまった!四駆を運転しているが、それでも簡単に足をとられるような、ひどさ。これほど多くの人でごった返しているというのに、果たして除雪がされたのかどうか?を疑う。降り積もった雪が車や人に踏まれた後の、ぐずぐずのプールが広がっていたのだ。
時刻は4時過ぎ、この時間でも影のない豊かな日差しに照らされるのだから、春が確実に近づいてきた証拠だ。駅から下りてくる旦那さんを見つける。すると、私の車の前をベビーカーを引いた若い夫婦が通り過ぎていった。実際には、ベビーカーを引くことは困難で、旦那さんがずっと持ち上げて子供を運んでいたのだが...。見ていた私は、「これが、本当に観光地の玄関なのか!」と心の底から悲しくなってしまった。
除雪がなされないのは(あるいは、除雪が遅れるのは)、南口に限ったことではない。北口だって、いつでも除雪の痕跡が見えない”氷”の張りようだ。ふたつのロータリーが、常に雪と氷に閉ざされるのは何故なのか。曲がりくねった車道に除雪車が入らないとか、車が絶えないからとか、そんな理由なのだろうか?ならば国道と同じように、(安全のためなら)塩化カルシウムを撒く手だってある。これほど危険な新幹線の止まる駅は、きっとない。恥ずかしいことだ。
真冬の新幹線通勤の核心は、駐車場から駅までの”歩きの時間”だろう。ここがいつもツルツルに凍っているから、滑り止めのついた靴でないと東京へ行けないという人は多い。送り迎えがある場合でも、駅から一歩出て”車に乗り込むまで”が核心となる。定住者でさえ、凍った路面には冷や汗が出るもの。観光で訪れる人にとっては、間違いなく恐怖だ。
今頃、昨日見たあの雪のプールはどんな姿をしているのだろうか。昼間は3℃まで上がったが、町を一夜にして雪国に変えた積雪である。今夜は-5℃まで冷える予報。凍らないはずはない。
2010年03月10日
今朝の雪掻きは重労働
発達した低気圧の影響で、軽井沢も大雪の洗礼を受けた。昨日の午後から降りだした雪は、今が三月であることを忘れさせる、見事なザ・パウダー!このまま気温が氷点下を保ってくれたなら、明日は絶好のスキー日和になるはずだと少しだけ期待をしてベッドに潜りこんだのだが、明け方の4時に目覚めて外の様子を見ると、それどころではなかった。積雪はゆうに30センチを超え、停めてある車もすっぽり雪の中。デッキと庭の境目さえ曖昧である。雲は厚く、この時間にしては暗い空。外灯に照らされた雪は水分を含んで、キラキラと光る春の雪に変わっていた。残念!
薪ストーブに薪を二本足して再び眠りについたのも束の間、こんどはキツツキが薪を突く音で目が覚めた。暖かな朝である。ブラインドをスライドさせて、外の様子を見てギョッとした。「今日はスキーどころではない。まずは、家の周りの雪を何とかしないと...」車高の低い車は脱出することさえ困難な、軽井沢の感覚でいう”大雪(40センチくらい)”が降り積もっていたのだ。
今日はしっかりとした朝食を摂る必要がありそうだ。一杯のお茶で一息ついたら、ジャケットと長靴姿でデッキへ出る。雪を掻いてみると、これが嫌になるほどの重さ!湿りきった巨大な布団を、少しずつ解きながら落としてゆく、そんな作業の連続になった。やわな雪掻き棒なら簡単に折れてしまう、そんな雪の力をも感じた。日本海側に降る雪は、いつもこのようなものなのだろうか?ならば雪掻きとは、冬の間の立派な労働のひとつと認識しなければいけない。デッキの雪下ろしに30分、車と駐車スペースに30分、私道は、まず車が通れるように掻いていく。最初は、どうしてこんなに汗が噴き出すのだろう?と思ったが、今回の雪には降参だ。さすがの私も、体力的に、これで限界。雪の行き場も、見つからない。あとは空模様と相談して決めていこう。
午後の一瞬、雲間から太陽が姿を見せた。一面の雪で真っ白なキャンバスが出来上がっているから、眩しさは倍増、日差しも熱く太陽の威力を見せつけられる感じだ。デッキの表面で水に姿を変えた雪が、こんどは”青空を映しこむミラー”となったのも僅か数分間のこと。高地の日差しは強いものだ。水は瞬く間に蒸発し、水の姿を長くは留めない。

湿って重みを増した雪の布団は、屋根の上にも。いったい、重さは何トンくらいになるのだろう。水の塊が、こうして寛いでいる間も頭上に乗っていると考えると、ゾッとしてしまう。
2010年03月08日
誰よりも早く 垣根のない猫
薄っすらと粉雪の舞い降りた朝、玄関の扉を開けると猫の足跡があった。通い猫のトラオだ。

雄猫にとって縄張りを守ることは、天気にも左右されない大切な日課なのだろう。我が家のデッキも、庭も、車も、気づけば彼の所有するモノになっていた。だから、不用意に他の猫や動物は近づかない。許されているのは、ガールフレンドくらい。たぶん。
こうして、猫や鳥や動物たちが垣根を感じることなく暮らせる環境は、やってみてつくづくいいものだと思う。目には見えないけれど、テリトリーというものは現に存在しているし、存在できるものだとわかったから。地面も空も、繋がっていることを実感する暮らしは真新しいことでなく、大昔からあるもの。毎日が、大らかな気持ちになれる。
2010年03月03日
雪融け水の流れる

今日は、昨日の雲り空からは想像できないような、スッキリとした青空と穏やかな日差しに包まれた。雛祭りに相応しい陽気である。空は青いといっても、それは間違いなく春のもの。浅間山とのコントラストに”春”を見る。山肌は原始的な黒々さを増して、根雪は僅かにあるだけ。裾野に目を凝らすと、木々のふさふさした感じが見てとれた。山が生きていることを証明するかのように。

湯川は、この町の大動脈のようなものだろうか。冬の間は静寂を保つこの川も、この陽気で雪融けが進み、息を吹き返したよう。川の周りは落葉樹と枯草ばかりの冬景色そのものだが、流れには勢いがあり、ごうごうという音も耳に届いてくる。この水がやがて地表を潤し、芽吹きを後押ししていくのだ。
この冬を振り返ると、東京でも雪日が5日以上あったりと、全国的に冬本来の寒さを実感した年になったと思う。冬という季節が完全に春へと移行したわけではないのに、既に冬を過去形にしているなんて...。きっと、周期的に訪れる小春日和が、気分をすっかり春にしてしまうのだ。いけない、いけない。この地の木々が安心して芽吹くにはまだまだ時間が必要で、雪の日だって、-10℃近い冷え込みだってあるのだから。
三寒四温を繰り返す3月の天気は時に荒々しく、上空には”ジェット気流”が舞い込むこともあるそうだ。今日は一足早く春を味わえた一日だったが、明日は再び冷たい空気が流れ込んで雪が降るかもしれないという。
庭からツグミの姿が消えていることと、天気の移り変わりに因果関係はあるのだろうか。彼らのような冬鳥がシベリアの森へ帰郷する日は、空に高速道路が敷かれる、こんな瞬間なのかもしれない。そう思うと、風を読んで、風に乗って...命を紡ぐ旅を続ける野生の生き物に気づかされることは多い。
2010年03月02日
雲の切れ間から 浅間山
雪に覆われてた庭に石垣に、”苔”が姿を現した。何ヶ月ぶりかに見る青さは新鮮だ。この時期にしては気温の高い日が続き、氷点下にならない夜が何日も続いている。そうして、長い間凍りついていた土の地面が、いよいよ”解凍の瞬間”を迎えた。いやらしいほどにぬかるむ地面、霧にけぶる日中、外気温は6、7℃あるというのに室内は真冬より肌寒い。例年より二週間ほど早い、春を前にした現象だ。

佐久市から自宅へ戻る途中で、重く垂れこんだ雲の間から、浅間山とそれに連なる山々が垣間見えた。標高の高い軽井沢は、山の裾野の一部にあるといつも思う。数十分のうちに山を下りて隣町に入った途端に、予想を遥かに超える明るさや暖かさに迎えられ。山を上って帰路につけば冬、雪や氷に再び包まれてゆくのだ。季節を行ったり来たりする不思議な体験が、日常の延長線に存在している。
今日という日は、山を下りていっても隣町と変わり映えしない眺めが視界に広がる。すれ違う車がライトを煌々と点けているのは、この先に濃い霧が待っているサイン。霧というものは、厳冬期には出ない。厳しい冬は終わった。
2010年02月28日
春の到来を予感させる 雪
未明に降った雪は、春の到来を予感させるものだった。木々全体にうまーく着雪した眩いほどの白銀の風景は、午前中いっぱいもつかどうか?

午後になって一面を照らしはじめた日差しは、幸せを感じてしまうほど穏やかなもの。テーブルに飾った花に光を当てるこの日差しが、冬を春へと誘うことは明らかだ。

さっきまで静まりかえっていた雪はどこへ。激しい水音とともに、地面を乾いた空気を潤してゆく。

2010年02月25日
故郷とは?東京の春一番
叔母と最後の別れをしてから、落ち込んでいる母の傍で3日間を過ごした。日ごろ、実家に行ってもほとんど泊まらずにトンボ帰りをする私にしては、珍しいことだ。実家であることに変わりはないのだが、私が過ごした建物ではないので、のんびりしようにも気分が落ち着かない。どうやっても、”お客様”にしかならないのだ。
故郷は土地や風景にあると思ってきたが、歳月とともに姿を変えた場合は別だ。故郷が故郷であり続けるためには、”家”という建物が何世代にも渡って存在し続ける必要があるのかもしれない。そういう意味では、私が20歳まで過ごした家は理想的だった。何世代にも渡って同じ住まいで暮らしが営まれてきたことは、子供の目にも歴然。遠方から遊びに来る伯父さんや叔母さん、その上の親戚たちが過ごしてきたのも、この家。だから、家とは現時点で末裔にある自分だけのものではない、みんなのものなのだと、知らず知らずのうちに叩き込まれていたような気がする。核家族化が進む現代に於いて、そこに身を置かなければ決してわからない、大家族という貴重な経験をさせてもらっていたのだ。
家を後にする朝、母は「なんだか、落ち着かなかったんじゃなあい?」と声をかけてくれた。やはり母親、しっかり気付いていたのだ。一昨日より昨日、昨日より今日と、訪れたばかりの春は穏やかさや麗らかさを増して、日々自信をつけてゆくようだ。今日は、シャツ一枚でも充分な陽気(気温は20℃くらい)。そこへ、ふわりと風が吹いた。風は、まだ花や新緑の香りこそ連れだっていないけれど、紛れもなく今年の”春一番”。
今日は、軽井沢であっても暖房が要らないほど温かな夜になるだろう。
真冬の緊張感から解かれる日は近い。
2010年02月19日
桃の花のような人
朝の7時、携帯電話が鳴る。こんな時間に家の電話でなく携帯にかかってくるなんて、嫌な予感がした。しかも相手は父である。心臓病を患っていた母の妹が亡くなったという訃報だった。まだ60歳にもなっていなかったと思う。早すぎる死である。
彼女は、私にとっては叔母にあたる。いま思い起こせば、親戚の中では気さくで親しみやすい、年齢を超えて話ができるような特別な存在だった。いつだったか、「若い頃は洋服のパタンナーをしていたのよ!」と言っていたのを思い出した。歳を重ねても「いつも、オシャレだなー。」と感じ入ってしまう人は、きっとしっかりと磨いたベースがあるのだろうと思う。そんな母親を持った娘は、ごく自然とアパレルの世界へ入っていった。
今日は風もなく、とても穏やかな一日。落葉松の奥に見えている空の色が、日を追うごとに劇的に変わってきたことに気づく。春は、確かな足取りで近づいているのだ。テーブルに飾った蕾の桃が、日差しを浴びてぐんぐん花開いてゆくのを見守るように眺めていると、「あぁ、この子も嬉しいのだな」と思えて仕方がない。冬から春へ移ろうことは、やはり特別なことなのかもしれない。

梅でもない、桜でもない、春咲く花に彼女を例えるなら、“桃の花”のような人ではなかったか。
ご冥福をお祈りします。
2010年02月14日
雨氷の煌めき 絶景広がる
雨氷した景色が4日目を迎えた朝、待ちに待った青空が広がった!雨氷という珍しい現象が光に照らされたら、どんなに綺麗だろうと思ってきたので、嬉しさはひとしお。

車を運転していると、目の前に白銀の裾野が広がった。雨氷した木々に雪が張り付いて、霧氷とはまた違った、圧巻の景色だ。右手には、同じく白銀の離山が見える。写真を撮れないことが、残念。
今日この町にいる人、また、この町を偶然訪れた人は幸運の持ち主だ。暮らしていても、そうそうお目にかかれる眺めではないから...。寒い日だが、小さな子供を抱いて外へ出ているお母さんやお婆ちゃんも多かったように思う。子供の目に焼き付けておきたい!それくらいに綺麗と誰もが思ったのだろう。
昨日の夕方、デッキの薪棚には雨氷のにょろにょろが出来ていた。楓の枝に近づいてみると、枝ごとすっぽり氷の中!その上に、ごく薄らと繊細な雪が乗っていた。


これらの集合体が、今日の芸術のような眺めをくれたのだ。自然って、本当にすごい!
2010年02月11日
雨氷の美 雨氷の怖さ
昨夜は最終の新幹線に揺られて、23:20に軽井沢へ戻ってきた。駅舎を出て私たちを迎えてくれたのは、季節外れの、この時間には珍しいまとまった”雨”だった。真夜中の軽井沢は運転していても暗いもの。真冬なら、なおさらである。それが、今日のような雨の日はどこかの”街”へ迷い込んだかのように、信号というネオンが路面に輝く。
駐車場に預けておいた車に乗りこんで、驚いた!ガラスというガラスが、見たこともない状態で凍りついていたのだ。雨の滴が、気温の低下によって徐々に氷に姿を変えていく間の、浴室用の波打った曇りガラスのようなもので、車内から外はまったく見えない状態。運転することを阻んでいるようだ。「これは、しばらくアイドリングだね~。」と、久しぶりにラジオをON。暫くしてサイドのガラスを開けてみたら、この通り。見事な氷のフィルムが出来ていた。

自宅に戻ると、雨は霙に変わっていた。シャリシャリシャリ...空からは、神秘的なBGMが降り注ぐ。ヘッドライドに照らされた木々の枝はキラキラと輝いて。水滴が、そのまま凍りついてしまったようだ。このような現象を”雨氷”と呼ぶ。10年に一度くらいの頻度で起こっているようだ。

夕方、デッキへ出てみると、木々はすっぽりと氷の膜に覆われていた。遠目には花が咲いたように神秘的な眺めだが、この時期の鳥たちにとっては、なんとも冷たい仕打ちではないだろうか。樹皮に隠れている虫ごと氷柱に閉じ込められてしまっては、歯が立たない。季節外れの雨で、昨日と今日は土の地面が顔を出してくれたからよかったものの、再び雪に覆われたなら、餌探しはより困難になる。
電気をもらいながら走る電車にとっても、タイヤで走る車にとっても、この雨氷が呼び寄せる危険は侮れない。明日は一気に冷え込むというし、恐怖の朝となりそうだ。
2010年02月09日
チョコレートハウスに住む
完成したばかりの(旦那さんの)友人宅は、自称 ”チョコレートハウス”。航空写真でその姿が”板チョコ”に見えることから、ご夫婦が自然と呼ぶようになったと聞く。初めてのお宅で開催されるホームパーティは、何よりの楽しみ。「差し入れは何にしよう?」「いい天気になりますように...。」「さて、どんな衣装で行こう?」準備している間から、パーティというイベントはしっかりと始まっているのですね。旦那さんが始めたテリーヌ作りも、どうやらこの日が晴れ舞台になるらしく...。お手製テリーヌとローヌの赤を持って、お邪魔します!
東京方面は気温が20度まで上がるというので、思い切って春の装いで出掛けた。羽織っている布が”薄く、軽い”というだけで、足取りはこれほど軽くなるのかと思いながら...。最寄りの駅に到着すると、ご主人が愛車のミニでお出迎え。昨年の晩秋に我が家にいらした時とは色が違っている。なんでも、最近になって乗り換えたばかりなのだとか。たぶん、今日の日に合わせてくれたのではないかな?
板チョコのようだと聞いていたので、茶色い建物と思い込んでいたら、清潔感のあるシルバーと紺色の、ミニと同じような素敵な配色でびっくり。ご夫婦は玄関先から恐縮して「狭いので...」を連発しているが、狭いという印象はない。むしろ、無駄のない美しさに惚れ惚れしてしまう。建物の間口は2.7mしかないというが、言われてもピンとこない感じだ。ちなみに我が家は倍の5.4mである。それでも、作っている最中は「狭い」と思われてきたのだ。空間とは、平面では決して計りきれないものなのだ。
1Fは広いエントランスから、2Fへ続く階段とバス・寝室。2Fにリビングキッチンと、将来の為の子供部屋。光を取り込むための傾斜天井と、おまけのロフトが設けられていた。家具や小物に統一感があって、サイズも空間にちょうどよいものばかり。だからなのだろう、どこにいても”風”を感じる心地よさがあった。ご夫婦はまだ30代の前半!これからが楽しみである。
旦那さんがキッチンを借りて、豚フィレ肉と金時芋のテリーヌをカット。断面の仕上がりはこの時はじめて知ることになる。緊張しながらナイフを入れてみたら、なかなか綺麗。味も素人とは思えぬ出来栄えで、大人8人も大満足。ワインがすすむ一皿となった。

次回のホームパーティは、きっと、いや絶対に、”春”になるだろう。都会に住む者、海の見える丘に住む者、山に暮らす者...様々な選択を経て実現された暮らしは、訪れる者に新たな発見をくれる。「どこでも行くよ!」が合言葉。持ち寄りパーティは、料理の腕を上げる近道でもある。手作りの”美味しい”を味わえる仲って、素晴らしい。

素材ごとに下ごしらえを施して、テリーヌ型に詰めているところ。この後、湯煎にかけたオーヴンで熱を加え、重しをして冷やし固めていった。前日のことである。
2010年02月07日
高山村は豪雪地帯だった!
ギリギリまで天気図とにらめっこして、決めた。今日は一か八かの懸けになるが、YAMABOKUへ行こうと。
あとで。
2010年02月02日
一夜にして おとぎの国
昨日の夕方から降り始めた雪は、日付が変わる頃まで降り続いた。春のような景色から一転、今朝の軽井沢は30cm近い雪に包まれた、”おとぎの国”である。降り始めは湿り気のある雪だったので、木々の枝にうまーく着雪している。根雪の消えた屋根は、ふたたび雪のコートを纏った。それも、今回はかなり厚手のコートだ。車も、この通り。

鳥たちの餌台は、まるでシフォンケーキ!雪の重みで、少し傾いているのがかわいい。時刻は7:30をまわって、やっと西の薪棚が朝日に照らされる。雪の白と、冬の青空と、薪の断面の茶色。この三色の組み合わせは、いつ見ても美しいと感じてしまう。誰もが美しいと思える色の取り合わせが、きっと自然界にはあるのだろう。

デッキに張り出すようにと植えた楓。綿飴のように軽く儚い雪が、小鳥の足のような小さな枝と枝の間に、かろうじて乗っていることが不思議でならない。風よ、まだ。いつものように吹きはじめることは承知しているけれど、もう少しだけ、この偶然を見ていたい。

2010年01月31日
たまには、コケます
日中は春のような暖かさで、この一週間は雪の降る気配もなかった。近くの山へ行っても、ベストコンディションになっていないことは明らかだ。それでも、この時期はスキーを履いて白銀と戯れたい気持ちでいっぱい。「困ったものだな~」と二人で口を揃えながら、向かった先は湯の丸高原。圧雪されたゲレンデではなく、池の平湿原までを歩くことが目的だ。明け方は冷え込んだが、日中の気温上昇が気になるところ。軽井沢で6℃くらいというから、標高の高い北面でないと、雪はたちまち腐る。
6番リフトを上がりきったところから、いつもの林道歩きをはじめる。ここは標高2000メートルを超えていて、さすがに空気が冷たい。スキーにシールを着けるのは、ほぼ一年ぶり。テクテク...そんな表現がぴったりなスキー歩き。湯の丸高原には天然の落葉松林があり、霧氷した日などは絶景が広がる。
「今日は、難しいだろうな...」と半ば諦めていたが、案の定 霧氷はしていなかった。しばらく雪の降った気配もなく、スキーやスノーシューのトレースがそのまま残っている。
池の平湿原を見下ろす高台までハイクアップして、南面の斜面を滑ってみようか。気温がぐんぐん上がってきているのがわかる。斜面を覆う雪の状態は、モナカのような感じ。苦手意識も手伝って、久しぶりに派手に転んでしまう。スキーは、転ばなければ楽しいことでいっぱいのまま終わるスポーツだと思う。しかし、雪深い中で何とか起き上がろうともがいていると、「こんなに体力を消耗するスポーツは、他にあるのか...」と思えてくる。背中にザックを背負っていれば、なおさら。だから、上手になる必要があるのだ。どんな斜面も、コケずに滑り下りる技術が、必要。

山スキーの場合は、ゲレンデと違って”滑ったら上り返す”ことが求められるから、シールを着けて外しての繰り返し。正直、「面倒だなぁ。」と思ってしまう時もある。でも、歩き始めてすぐに、大自然の中に身をおいていることが嬉しくてたまらなくなる。今日は年老いた落葉松の林。この樹たちは、植林するための樹の母である。光を浴びた雪面は、カットに秀でたダイヤモンドのように輝いている。その上には、ウサギやテン、キツネなどの小動物の足跡が数え切れないほどあり、彼らの息づかいが聞こえてきそう。姿が見えないことが不思議なくらいだ。

軽井沢に移住したての2002年、仮住まいをしていたログハウスの周りにはウサギや鹿の姿があった。家が完成した同じ年の冬の日、庭にウサギの足跡を見つけて嬉しくなったことを、ふと思い出した。
2010年01月28日
春物の衣装が増える理由
大寒の記録的な暖かさで、屋根から根雪が消えて一週間が経つ。屋根から根雪が消えると言っても、それは”重さで滑り落ちてゆく”ことが多いのだが、今回は違った。
春のような暖かさと雨が、雪を融かしながら水に変える感じで、雪の姿をものの見事に消していったのだ。だから、屋根の下の地面にも、雪は微塵もない。片流れ屋根の我が家にとって、この時期の軒下はいつ頭上から”氷”が落下してくるかわからない危険な場所。それが、「これから冬が訪れるのではないか?」と錯覚するほど、まっさらな状態にリセットされたのである。こんなラッキーな年も、ある。

例年なら、根雪という冷たいコートを、脱ぎたいけれど脱げずにいる屋根である。厳冬期の真っただ中にあって、時に春を思わせる南風が吹く日がある。今朝もそうだった。最低気温はこの時期の最高気温と言ってもいいような2℃で、最高気温は10℃と4月並み。雲がなければ、間違いなく小春日和の陽気になっていたはずだ。こんな日は、重たいウールのコートをコットンのトレンチコートに代えて、颯爽と出掛けてみたい。
出番は少ないとわかっていても、また一枚と増えていく春色の薄手のコートたち。実際に私のクローゼットには、冬物よりも”春先に着たい、軽やかな衣装”が充実している。今まで、「なぜだろう?どうしてだろう?」と不思議に思ってきたけれど、”春を待つ”という大事な理由があることに、今日やっと気がついた。
2010年01月24日
3度目のYAMABOKU
今シーズンのスキーは、YAMABOKU(山田牧場)から。リフトの動き出す時間に合わせて自宅を出たのは、朝の6時すぎ。小諸から高速に乗り、山深い高山村へと向かう。雪のない小布施の町に不安を感じたのも束の間、高山村に入ると雪は徐々に姿を現し、家々の屋根には50センチほどの雪が降り積もるようになった。温泉郷から立ち上る湯気に冷え込みの度合いが見える。YAMABOKUは昨年に2度行っているので、今日で3度目。一年ぶりだが、インターを下りてからの道のりはしっかり頭に入っていたようで、迷うこともなくスムーズに到着した。時刻は8時前、なんとdoor to doorで1時間45分!で来てしまったことになる。地の利に感謝である。
今日は日曜日。平日とは違い、この時間でも駐車場はいっぱいだ。ここの極上パウダーを味わうために、遠方から大勢の人が”泊まり”で来ているようだった。YAMABOKU周辺にはいい宿と、秘湯と呼ぶに相応しい温泉が数多くあるのも嬉しい。
今回は雪が降らなかったため、前日までのトレースがそのまま残っている状態だった。それでも、樹林帯の足元を覆う雪質はすこぶるいい。樹氷した景色の中でのスキーは格別である。


一年ぶりのスキーで、「今日は、いったいどうなることやら?」と思ったが、何本か滑るとすぐに勘を取り戻した。スタートから飛ばしていた旦那さんは、午前中でお腹がいっぱいになってしまったらしい。私はその後一時間余分に滑って、ペンション レッドウッド・インでのランチに合流した。窓辺からは、雲ひとつない紺碧の青空が見えている。このような空の下で一日を過ごすことができるのも、スキーというスポーツがあるからなのだ。氷点下であっても、照りつける太陽は確実に雪の表面を融かしていくことを知っている。思いきり身体を動かした後は、欲張りすぎずに早めに温泉へ向かってしまうのが吉。それも、”七味温泉”という源泉かけ流しの素晴らしい湯が、すぐ真下にあることが嬉しい。
今シーズン、YAMABOKUとはどれだけ縁があるだろうか?一年前の2月2日、偶然出合った極上のパウダー・スノーをもう一度!

2010年01月21日
本来の寒さに 今夜の薪は...
春のような大寒だったけれど、翌日には元の、本来の冬が戻ってきた。なんといっても、今は一年のうちで一番寒い季節。雪は、昨日の暖かさと夜どおし降り続いた“雨”でだいぶ姿を消したが、今日は冬鳥 アトリの夫婦の姿が見えたので安心した。庭にスズメが来るようになって、はや数年。冬は、やっぱり寒くなくてはね。
今夜はこれから-10℃まで冷え込むというから、夕方から薪ストーブを焚きはじめよう。使う薪は、ここぞという時の為にじっくりと育ててきた”プレミアム薪”だ。我が家の薪ストーブは大きいので、薪の長さは50センチ近い。剪定した小枝を組んで焚きつけ、プレミアム薪を3本重ねる。すると、鉄の煙突がグググッと伸びてゆく音が部屋じゅうに響いてゆく。これが、順調に高温になっていくサイン。30分も経たないうちに、ストーブトップは500℃を超える。燃費もすこぶる良さだ。

オーロラのようにゆらめく炎の色はブルー!ガスの色と同じだ。炉内は1000℃近いだろう。
こんな日は、ストーブ・トップで料理を作ってしまうといい。簡単で美味しいキーマカレーなどはどうだろう。バゲッドはラスクのようにカリカリになって、チーズを乗せれば立派な酒のつまみに。

2つの鉄瓶の湯が次々と沸いて、炎の主はちょっぴり忙しくなるが、困ることはない。一人ひとつずつの湯たんぽに、スープ作りに、何杯ものお茶に、洗いものに...。最後は明朝のためのポットに入れて、保温。薪ストーブがくれるのは、物質的な豊かさだけではない。何よりも、心が静まって満たされてゆくのがわかる。この素晴らしい装置を生み出した先人に、感謝!
2010年01月20日
初稽古の花は こぶし
暦の上では”大寒”の今日。今週に入ってから冷え込みが緩みはじめ、昨日はプラスの気温に。見慣れた浅間山のある風景も明らかに違う。空の色といい、古いアルバムの中で息づいている写真のような、懐かしさを覚える春特有の霞がかったものだった。

「今だ!今日しかない!」と思って、買い物帰りに半ば強引にガソリンスタンドへ立ち寄った。ずーっと我慢してきた”車の洗車”をするためだ。塩カルまみれ、泥まみれの汚れたボディは、洗車機と人の手によって何事もなかったかのように艶を取り戻してゆく。自宅に戻ると、そんな車の停まる庭をよしよしと眺める自分。厳冬期に車をいつも綺麗な状態にしておくことは、簡単なようでなかなか難しい。
朝の8時、窓の外を見ると車のガラスやボディ、すべてガチガチに凍りついていて驚いた。洗車したから、うちのだけが特別なのか?予想に反して冷え込みが厳しかったのだろうか?ご近所さんの車を見渡してみる。すると、同じように霜が降りて真っ白、ガチガチに凍りつき、アイドリングに時間のかかる朝となっていた。湿り気を帯びた空気は、体感温度をも下げる。気温はすでにプラスなのだが、乾燥した空気に慣れてしまった為か、いつもよりずっと肌寒く、身体の調子が悪いのかな?と思ってしまうほど。軽井沢より標高の低い佐久平の朝を、20℃近くても湿度の高いこの地の6月を、寒い!と感じるのと同じなのだろう。また、今日の場合は特別なのかもしれない。気温は春のものだが、屋根に張り付いて離れることのなかった根雪が、姿を消す勢いで融け出しているのだ。晴れているのに、屋根を伝わる滴の音は止まない。これが夕方になってピタリと止んだら氷点下になった証拠だけど、今日の場合はまだまだ”降る”予感だ。
気温はぐんぐん上がって、昼間の時点で8℃までになった。東京は20℃近いというから、真冬に伊豆の地に降り立ったような、ランチに出ると旅行に来ているような錯覚が起きるのかもしれない。軽井沢で、まだ1月中で、こんなに温かくて良いのかな~とちょっと心配。しかし、束の間の小春日和は大切にしなくては。家じゅうの窓を開け放って、室内が冷える心配もなく空気の総入れ替えができるのは嬉しいこと。シーツも枕も、洗おう。

初稽古に先生が選んだ花は、ピンク色のこぶし(辛夷)だった。蕾のままの状態で一週間以上が経過して、今日の陽気で一気に花開いた。まだほんとうの春ではないけれど、生けるために育てられたものだから、今を春と思っていいね。辛夷という素朴な花が特別な存在になるなんて、思ってもみなかった。でも、ここと同じような条件の地に暮らしたなら、きっと、誰にとっても、特別な眼差しで見つめる花になるのではないかな。
2010年01月17日
灰まみれのファイアードッグ
今日も、朝から目が覚めるような青空が広がった。今日のような冬晴れは、もう連続して3日になる。
一日のうちの冷え込みのピークは、私が思うに夜の8時~10時頃だと思う。天気予報で告げる軽井沢の最低気温は-10℃に届いていないことが多い。しかし、夜にいったん外へ出てみると、予報より遥かに冷え込んでいることに気づくのだ。この尋常でない寒さは”間違いなく-10℃を超えている”と、身体が確信している。知らず知らずのうちに自らに備わった勘を確かめるように気温計を覗き込むと、裏切ることなく-13℃!あぁ、やっぱりと頷いてしまう。そう、この時期の軽井沢が一日のうちで最も冷える時間帯は、明け方でなく夜なのだ。
今シーズンは、昔ながらの軽井沢なのではないだろうか。厳しい冷え込みの下で降り積もるのは、パウダースノー。根雪になってもそのサラサラな姿は留めたままだ。だから、スエードのブーツで散歩に出ても靴は汚れることを知らない。
この地の冬がこの先まだまだ続くことも、充分承知しているつもりだ。冬という日が訪れてから休む暇もなく働き続ける薪ストーブは、我が家にとって家族同様の存在。今日は、炉の中の”ファイアードッグ”に日が当たっていた。毎晩のように灰を浴びて、窓の外の風景と同じように真っ白である。今が冬であることに違いはないが、必ず春になる冬だよと穏やかな日差しが伝えている。
転がる薪からガラスを守るのが彼らの役目だが、こんな所にも自然からもらった意匠が。松ぼっくりのような、葉っぱの重なりのような...作り手の気持ちが垣間見えるような優しさに満ちたものだ。長い冬と向き合う私たちにとって、ガラス越しの炎が生む時間はかけがえのないものとなっている。

2010年01月15日
手土産はモンブラン
山の上で暮らしている友人と、今年初めての再会。手土産は、ちょっと珍しい”和栗のモンブラン”を選んでみた。Mont Blanc はフランス語で”白い山”という意味。今の風景にぴったりだなーと思い、ハルニレテラスのスイーツショップ フォンテーヌで買い求めたのだ。白い山、つまり雪景色の山を模したケーキなのだが、ここでいう雪は絞り出された栗のクリームの上に降りかける”粉砂糖”のことらしい。小さい頃から何度も食べてきたオーソドックスなケーキなのに、この雪に気づいたのは、きっと初めて。
平地と比較したら、さぞ雪深いだろうと車を走らせたが、雪の白が鮮明に残っているのは道路と屋根くらい。真冬の傾斜地は想像以上に日当たりが良く、落ち葉の絨毯が保温効果を発揮しているようだ。雪のまばらな、春を前にした明るい雑木林に来ているよう。

時刻は午後3時、友人も私も真正面に夕日を浴びていたらしい。彼女の横顔がオレンジ色に染まり、ふと、母と同世代の女性が自然と友人になるなんて、不思議だけど嬉しいことだなと思った。傾きはじめた夕日が山を下りるサイン。キツネに先導されて帰路につく。やはり、ここは豊かな日本の山の中。
2010年01月13日
寒気再び 風が音をたてて
年末に来たような第一級の強い寒気が、ふたたび日本の上空を覆っている。新学期の始まった学生の朝は、極寒の地であっても容赦なく早い。彼らを送り迎えするための車に雪が積もっていることは、雪下ろしの音が教えてくれる。軽井沢で雪は明け方に降ることが多く、雪の降り積もった朝は特別静かで美しいもの。自然の作り出した真っ白でまっさらな道を踏みつけて、自分の足跡をつけてしまうことに躊躇うことだってある。ここで言う足跡とは長靴だけでなく、車のタイヤの跡も指す。
今日の雪は、強い風が運んできたものらしい。珍しく外壁に雪がポチポチと付着していたのだ。これが雨だったなら...そう考えると、台風並みの風だ。落葉樹が、雪の花の姿を留めていたのは朝の9時まで。静かで穏やかな真冬の花見を、朝の数時間でもさせてくれたことに感謝。

その後は、風がゴウゴウとかピューという聞きなれない音をたてて、木々から屋根から、かろうじて”乗っていた”雪を気持ちがいいくらいに完全に払い落していった。

今日は昼間の最高気温も-4℃どまり!町じゅうが冷凍庫の中なのだと割り切って考えれば、気分は楽になるだろうか。こんな日の温泉は、格別。
2010年01月10日
初めてのテリーヌ
今年の三連休は穏やかな陽気が続きそうだ。年末から休みなく働いてきた旦那さんの仕事も山を超え、ようやく落ち着きを取り戻した様子。少し前から、「京都のビストロで食べたようなテリーヌ・ド・カンパーニュが作れるようになったらなぁ~。」と言っていたので、こっそり本を買っておいた。眺めているだけでワクワクするような美しい写真が添えられたその本は気に入ったようで、昨日からもう何度も手に持ち、ページをめくっている。これは、いよいよ始まりの予感!
いきなり、クレピーヌ(豚の横隔膜)を使うような本格的なレシピに挑戦するのは難しい。まずは、本の中で材料が一番少ないものから作りはじめると言う。それは、鶏肉のゼラチン質を利用した、レモンとハーブ風味が爽やかなプレッセという、前菜になるテリーヌだった。鶏肉をワイン、レモン、ハーブ、調味料に漬け込んでから一気に蒸し上げる。その後はオーブンで湯せんにかけて、しっかりと冷やし固めて完成だ。一見簡単そうだが、”適量の塩”というのが難しかったらしい。「もう少し塩が効いていればなぁ...」と残念そう。私も味見をしたが、爽やかな風味にまとまっていて、やはり足りないのは少量の塩としか言いようがない。漬物でも何でも、絶妙な塩加減がプロの仕事なのだろう。

私が、これまでの人生でテリーヌを作ったのはただの一度。パトリス・ジュリンアンさんの”フランス料理ABC ”という本の表紙に一目惚れしてしまったのだ。それは、カッテージチーズに松の実やバジルを加えたベースに、アスパラガスやニンジンなど断面が綺麗な野菜を合わせたものだった。テリーヌの仕上げは、生クリーム、粒マスタード、オリーブオイル、塩胡椒で作ったシンプルで濃厚なソース。その時は美味しさと引き換えに、「なんと高カロリーな!」と思っていた。こうした野菜のテリーヌであっても下ごしらえには手間も時間もかかり、”テリーヌ=手間がかかるもの”と決めつけ、自分で作るまでもなく、レストランで食べれば良いものになっていった。しかし、ワインを片手に大好きな肉のテリーヌを食べながらいつも思っていた。これは、半端になった肉を大切に利用したものではないかと?ソーセージと同じではないかと?ある意味、京都のおばんざい的な発想から生まれたご馳走なのだろうと、今は思える。
旦那さんの作った鶏肉のプレッセ、初めてにしては上出来だったと思う。本の表紙にあるテリーヌ・ド・カンパーニュが、我が家のお皿に乗る日も夢ではなさそうだ。近々、陶器でできた蓋付きのテリーヌ型とそれに合ったバットを買いに行くと言っている。男子 ”たまに”厨房に入るは望ましい。料理は気分転換になるし、レシピ本を見ながら初めて作る料理は、自信をくれる。回数を重ねるうちに段取りも良くなって、洗いものも減って...。作ることにかかる時間より、いつしか出来あがった料理を味わうために時間をかけたいと思うようになるのだから。
どこかで口にして、あまりの美味しさにいつまでたっても忘れられない料理や食べ方がある。食事という行為は本当に不思議だ。「一昨日のランチに何を食べたか?」を思い起こすと、食べたものを思い出すこととほぼ同時に、「誰と何処で、あぁ、そう言えばこんな会話をして。」それだけでなく、食事の前後の行動まで鮮明に思い出してしまうのだ。美味しくて発見に満ちた食事を心掛けると、きっといいことがついてくる。
2010年01月07日
松の内の最終日に
昨夜22:00頃に見た満点の星空は、目に焼きつけたいほど綺麗だった。今シーズンは薪のコンディションがすこぶる良好で(乾燥気温は一年半!)、厳冬期だというのに連日 深い眠りにつくことができている。最初の数年は、明け方の寒さで半ば強制的に起こされることが多かったが、今は全く無縁な状態。充分な睡眠がくれる体力の頼もしさを実感する毎日だ。
今朝の気温は-7℃と夜のうちからさほど変わっていない。氷点下の寒さにも大分慣れてきて、部屋着のまま郵便を取りに出ることも多くなった。今シーズンもしっかり、ちゃっかりと、順応をしてしまったようだ。健全な身体に感謝である。
今日七日は、元旦からはじまった”松の内”の最終日。新たな年になってから、初めてトンボの湯へ向かう。回廊の軒には紐がかけられ、幾つもの注連飾り ゴボウジメが垂れていた。そう言えば、ハルニレテラスにも垂れていたっけ。クリスマスが終わって正月、バレンタイン...と何でもありの日本だけど、そんな日本の寛大さを最近は、「いいじゃない!」と思えるようになった。お隣さんと宗教が違っていても何ら支障なく暮らせる国である。それは、全世界的に見たらきっと、「なんで?どうして平気なの?」と思えるくらいに稀有で幸せなことなのだ。
一通りの用事を済ませて自宅に戻ると午後。久しぶりに温泉に浸かった効果なのだろうか?頭の隅々までが冴えわたり、目にする景色もいつもより鮮明な気がした。松の内最終日の今日は”ます七日”と呼ばれ、28日から飾っている注連飾りを外してよいとされる日である。午後4時、再び外へ出ると澄んだ空気に心まで洗われる気分に。

あの発達した低気圧の影響で、気象衛星ひまわりの画像は荒れ狂う大海原。山陰から北陸、北海道は今日も大雪に見舞われていることだろう。「雪の降り方が突然で、湿り気のある厄介なものになってきた。」と口を揃える住民たち。それは、どうやら日本に限ったことではないらしい。今まで雪とは無縁だった地域が、雪に包まれてパニックに陥っているのだ。目に見える形で、この星の姿が変わってきた証拠である。昨夜は、映画 earth をDVDで観たばかり。劇場で観てから二度目になるが、アラステラ・フォザーギル監督の発した言葉が、このままだと現実のものになる気がして...。
_美しい地球の姿を見る、これが最後の機会になるかもしれない_
常緑樹の松は、真っ直ぐに伸びて常に生き生きとしていることから、縁起がよいとされてきた。タイガの広大な針葉樹林帯が、生き物を阻み続けて酸素だけを優先的に供給する理由とは?自然界のメカニズムを、もう一度深く勉強してみたい。

サン・デグジュペリも言っている。
_ぼくら人間について、大地が、万巻の書より多くを教える_ と。
2010年01月05日
サラサラの雪 15センチ
三陸沖で低気圧がまとまり、今日5日は強い冬型の気圧配置となるらしい。晴れ間が望めるのは関東と四国のごく一部だけのようだから、軽井沢も朝から曇っているものと決めつけていた。空が青いことに驚いて目が覚めると、車通りも少なくとても静かな朝。昨夜遅くに小雪が降り出していたことには気づいていたが、正直ここまで積もるとは思わなかった。雪は不思議だ。あらゆるモノから角だけを落としていくのだから...。見渡す限り、ホイップクリームの世界が広がる。白銀の世界に自分がいる、ただそれだけで朝から心が浮き立ってしまう。なんだが、いい一日になりそう!

サラサラの粉雪だが、量が多かった。積雪は15センチと軽井沢にしては多めで、今日は雪掻きというより、”雪下ろし”という言葉が似合う。たかが15センチで雪下ろしだなんて、豪雪地帯では通用しないだろうな~と思うが、あまり降らない軽井沢でこれだけ積もったのだから、日本海側は大変なことになっているはずだ。
午後は小春日和になって、すべての窓を開けて空気の入れ替え。少しづつだけど確実に、日差しが高くなってきていることに気づく。リビングに干している洗濯物が、もっと日を浴びたいと催促。今日5日は”小寒”。大寒を控えて、寒さの本番は続く。
2010年01月03日
真冬のごちそうは...
年末から続いていた厳しい冷え込みが、今日になってようやく緩んできた。風雨にさらされるデッキの表面は波打ち、雨の日はそこに水溜まりができる。それを見て、「困ったなぁ、何とかならないかな~。」と思ったのは最初のうちだけ。この微かな凸凹が、野生動物の喉を潤す大事な役目を果たしていることに気づいたのだ。

午後になってデッキに集まってきたのは、シジュウカラの群れ。今日という日はひまわりの種そっちのけで、出来たばかりの水をたらふく飲んでいる。ここでは、水がその姿を留めている時間が短い。午前中は氷点下のままのことが多く、午後の強い日差しだけが頼り。雪が融けて”水”に姿を変えても、午後3時をまわれば”氷”となってしまうのだ。点がひとつ加わるだけなのだが、けっこう大変だ。
もう何日も、この鳥たちは”雪の塊”を突いて乾いた喉を潤してきた。冬山で水が最も大切なものであることは、入ってみればわかる。見渡す限り雪であっても、雪をかじって水分補給ができるか?と言えば難しい。水は、水という状態は、極寒の地のかけがえのない御馳走なのだ。
2010年01月02日
高地の静かなお正月
元旦は、初詣を見送る必要があるほど荒れ模様だった軽井沢。今日二日は、抜けるような青空で目が覚めた。昨日までの風も落ち着いて、静寂に支配されていることが嬉しい。
実家から届いた餅を、愛用の”焼き焼きグリル”でじっくりと焼いた。「今回は失敗してしまってね...」と言う母だったが、いったいどこが失敗なのかがわからないほど、美味しい。外はカリカリ、中はトローリとして、今までで一番美味しいと思えたのだ。聞けば、いつもは新米100%なのだが、今回は古米もブレンドしてみたのだとか。これが、意外な美味しさを生むことになったのだ。あらゆる料理は研究によっての発展もあるが、”探究心”も大事なのかもしれない。

歩道はサラサラで真っ白な雪。踏みしめると、片栗粉のような音が聴こえてくる。今日のような厳冬期の寒さがあってこそ、自然は多彩な表情を見せてくれるのだ。
2010年は、写真にある日めくりカレンダーを使って過ごしていきたいと思う。前半のうちは一日を紙切れ一枚と感じるかもしれないが、後半になれば一枚の重みを自ずと知らされることとなる。一日は、どんな時も誰にとっても同じだけの価値を持つもの。ならば最初から、歳月の厚みをしっかりと感じる暮らし方を心掛けていきたい。もう長いことデフレ傾向の続いている日本だが、私たちが何の為に働いているのか?と言えば毎日の暮らしを豊かに、裕かにしていきたいという思いからだと思う。常にイイモノを選んでいけば、巡り巡って身の周り、この星全体がイイ状態になっていくはず。2010年が健やかなる日々となるよう、前向きに一歩を踏み出していきたいと思う。
2009年12月31日
緊張感走る 大荒れの大晦日
強い冬型の気圧配置となった今日。軽井沢も昨夜から風が強まり、夜空に落葉松が揺れかしいでいるのがわかるほどだった。朝は、この時期特有の雲が低く垂れこんだまま。今日はこのまま吹雪いてゆくのかと思ったら太陽と青空が垣間見えたりして、雲の動きがとても早い。日本海側は大雪警報で真っ赤である。しかし、長野県の東端の軽井沢に50センチ以上の雪が降ることは少ないはずだ。これから元日にかけてどんな空模様になるか?厳しい冷え込みだけでなく、その他の要素も加わった、ちょっぴり緊張感の走る大晦日となりそうである。
お昼に近づくと雲行きが怪しくなり、空気が一気に冷えてゆくのを窓辺から感じた。降り出した雪は勢いを増して、黒々としたデッキをわずか数分のうちに白く染め上げてゆく。「雪景色はこうやってできるのだよ!」と、雪を初めて見る子供に教えるかのように...。
玄関ホールまで雪は吹きこんで、ちょっとした吹雪であったと思う。それがパタリと止んで、気温も上昇。またいつ降り出すかわからないので、止んでいるうちにと急いで雪掻き。そうこうするうちに霰が降り、再び吹雪いていった。日中のうちに、デッキと私道の雪掻きを二度。

日の出ているうちに雪を放置しておきたくない一番の理由は、今晩に予想されている厳しい冷え込みがあるからだ。車通りの多い国道は、タイヤの摩擦で昼間の最高気温が-2℃でも雪がその姿を留めることはなく、雨上がりを走っている感じだ。しかし、車通りの少ない通りで雪を放置すれば、-10℃の冷え込みで輪立ちはそのまま凍ってしまう。厄介なだけでなく、”危険な通り”を生んでしまうのだ。
毎朝のように、野鳥は餌を求めて庭へやってくる。しかし、乾いた喉を潤す水にありつけるのは日が出て暫くしてからだ。ここでは、すべての水気が”氷”と化す。現在は17時だが、外の気温は既に-5、6 ℃になっていると思う。21時には-10℃近くまで冷え込む予想だ。こうなると車に滑り止めのついたタイヤを履くだけでなく、私たちが履く靴の底の状態にも注意が必要になってくる。一番怖いのは、何といっても氷った状態だから。
我が家の年末年始は、旦那さんが多忙を極め休みを返上して毎日出勤に。せめて、カウントダウンパーティだけは盛大にやる予定だ。恒例だった年越し蕎麦を、今年は本場の讃岐うどんに変える。これまでは夜食の感覚で簡単な蕎麦を食べてきたが、決まりなどないはずである。薪ストーブで暖を取りながら、一番好きな麺 冷たいぶっかけを頬張りたい。

2009年12月26日
12月の汗 ヘアラインの輝き
午後1時半、ウールのタートルネックにpatagoniaのR4ジャケットを着て散歩に出ると、歩いているうちに”汗”が出てきそうになったから驚いた。今日は、12月最後の土曜日である。毎年のことだが、真冬の寒さに順応しかけたところに今日のような小春日和が訪れる。夜になって、軽井沢も10℃近くまで上がっていたことを知った。
一時間の散歩から戻ると、家の中はサンルームと化していた。低い位置から差し込む光が、贅沢な温かさをくれるのだ。洗濯物も、午後の日差しだけで充分に乾いてしまう。一番寒い時期だというのに、無暖房で25℃を超えてゆく。ありがたいことである。
レンジフードやコンロのステンレスを磨きはじめると、窓は開けているのに額に薄っすらと汗をかいてしまった。少しだけ休憩しよう。乾燥した空気の下で身体は、新鮮なビタミンを欲しがるのだろう。お気に入りの苺 ”あまおう”が、いよいよ軽井沢のツルヤにも登場していた。大きな苺を二つに割くと、断面までしっかり赤いのがあまおうの特徴だ。パクリと口に入れると、甘い香りと心地よい酸味が広がった。

光に包まれる季節は、室内で舞う埃や汚れに嫌というほど気づかされる時でもある。だから、光るものは出来るだけ磨いて、本来の煌めきを取り戻してあげたいと思ってしまう。ステンレスのヘアライン仕上げされたものは些細な汚れでも目立つので、実際はかなり大変!けれども、あの磨ききった時の清々しさや達成感が、「ヘアラインにして本当に良かったー!」と思わせてくれる。磨くためのものはこれまでいろいろと試してきたが、粒子の細かい天然重層がオススメ。水気を含ませたスポンジに重層をふり、ヘアラインの目に沿って拭いてゆく。汚れが取れたら水を含ませたスポンジで表面に残った重層を取り除き、最後は乾いた布で仕上げる。縦に光が走れば、完璧。
2009年12月20日
ローカルファーストフード
旦那さんにとっては久しぶりの休みとなる今日。お昼を前にして、「車でどこかへ行きたいなー。」と言いだした。「今からとなると、近場だよね...」と私。軽井沢を中心点にして片道で一時間圏内の円を描いてみる。どうせ出かけるなら、最近ご無沙汰している場所がいいだろう。少し考えて、「そうだ、下仁田はどう?」
軽井沢から下仁田へ行くなら、和実別荘地を抜けていくのが便利だ。なにせ、下仁田は軽井沢のお隣なのだから...。老舗のまるへいに寄って、刺身蒟蒻と”きなり”の白い蒟蒻、味の付いたものなどを購入。私が”蒟蒻は本来白いもの”と知ったのは、下仁田の小さな店だった。それまでは生まれてこの方30年近く、蒟蒻は黒くてブツブツしたものと思ってきたのだ。「どうして黒いの?」と店の人に聞くと、「蒟蒻らしくするために海藻を混ぜているんだよ!」と教えてもらった時は、その場で倒れてしまいそうだった。いったい誰が、黒いことを蒟蒻らしいとしたのだろうか。まったく不思議なことだが、世の中にはこれと似た現象が沢山あるような気がする。
美味しい蒟蒻を車に乗せたまま、妙義山の裏手を走ってみる。いつ見てもユニークな山だが、私はまだ登ったことがない。来年はぜひ歩いてみたいものである。妙義神社の真下にある道の駅に立ち寄り、上州の野菜を物色。原木の椎茸や下仁田ネギがとても美味しそうで、思わず大人買い!
京都の九条ネギも素晴らしかったが、下仁田ネギも流石の味だと思う。妙義からは横川を通って軽井沢へ戻ろう。横川のおぎのやを通り過ぎるのは、もう何年ぶりだろうか。少しお腹も減ってきたので久々に釜飯でも食べようかと車を停めた。日曜の14時すぎ、帰路につく車は迷わずインターを目指すので、空いているのだろう。店の中に入ってみて驚いた。いつの間にこんなに綺麗になって、おぎのやさんのコーナーは貫禄たっぷり。お土産も、上州のおいしいものが揃っているのだ。いやー、これなら両親が頻繁に立ち寄っているのも頷ける。居心地がいいわけです。今が旬の下仁田ネギは、特等席。緑色の箱に入ったものは、下仁田地区の馬山という場所で生産されたものなのだとか。特においしいと言われる地域・ブランドなのだろう。でも、下仁田産のものはネギに限らずなんでも美味しい。上州も美味しい野菜でいっぱい。

さてさて、今度は本当に帰路につきましょう。振り返ると、釜飯の看板も新しくなって。”ローカル ファーストフード”とある。サインひとつで、こんなに印象は変わるのですね~。ロゴも素敵。

2009年12月19日
白い小路
昨夜は、まとまった量の雪が降ったようである。あまりの眩しさに目覚めると、窓の先には白銀の世界が広がっていた。デッキに降り積もった雪の表面が朝日に照らされてキラキラと光っている。このままにしておきたい気持ちになるが、融ける前に下ろした方がいい。今朝の雪に雪掻きは要らない。ブラシやホーキで充分な軽さ、待ち焦がれていたパウダースノーだ。

冬の間だけ用意する鳥の餌 ひまわりの種を、新しい餌台においた。地面が雪にすっぽりと覆われてしまうと、餌探しはより過酷さを極めるからだ。午後になって餌の様子を見にいくと、ひまわりの種は一向に減っていない。見慣れない餌台に戸惑っているのか?鮮やかな緑色が気になるのか?そんなことより、デッキに近すぎたのかもしれない。夕日が傾きはじめると、そんな心配は一切無用なことに気がついた。一羽のシジュウカラが、庭のシャラの木で食事をはじめていたのだ。コンコン、トントン...ひまわりの種を両足で押えながら嘴で器用に皮を剥いていく微かな音でさえ、鮮明に響いてくる。
”日のあるうちに”と、家の周りから放射状に伸びる小路を、いつものように歩きはじめた。日に照らされている時間が一年のうちで最も短いのが、冬至を前にしたこの時期。それなのに「一日を長い!」と感じるのは、家の中に灯りを設えたヒトならではの感覚なのだと知らされる。長靴の中の指先が、いよいよ冷たいと言い出した。植物の毛の季節は終わった。これからは動物の毛が日々の相棒。いつもの茶色い小路は、”白い小路”となった。

日本海側に大雪をもたらしている今回の寒波は、スキー場にとっては恵みの雪となりそう。12月にしては暖かな日が続いていたので、氷点下の寒さに慣れるまでには時間がかかりそうである。寒さのピークは来週の月曜から火曜で、クリスマスには寒さが和らぐのだとか。今回のサラサラ雪は根雪になりそうな予感。極寒の軽井沢には、やっぱり今日のような粉雪が似合う。
2009年12月14日
星降る夜 ふたご座流星群
風呂上がりに窓の外を見ると、お隣のモミに粉雪が降り積もっていた。外灯が照らす景色はクリスマス。寒~い夜である。今夜はふたご座流星群に遇えると思い、夕方からそわそわしていたのだが、この空模様では難しいだろうか。時刻はもうすぐ23時、諦めかけていた夜空をリビングからもう一度仰ぎ見る。すると、雲は流れながらもオリオン座が見えているではないか!ダウンジャケットを着こんで急いでデッキへ出る。デッキの表面は雨水が凍った上に粉雪が着いたベルグラ状態。危険である。見上げれば、満点の星空。新月が近かったのが幸いした。
軽井沢に来て一番驚いたことは、夜空に奥行きがあることだった。木々の下までが空だから、落葉松林に輝く星だってある。オリオン座の一つの星は、紛れもなく目の前の林の中なのである。冬銀座と呼ぶに相応しい夜空から北斗七星とオレンジ色に光る火星を見つけ、ふたご座流星群の目星をつける。見上げて二分も経たないうちに、東にたなびく流れ星に遭遇!それからも立て続けに、放射状に流れる星の尾を見ることができた。あるものは一瞬で消え、あるものは長い尾で夜空に線を描くように...。
二階の窓を開けて流れ星を見つけようとしていたご近所さんも合流して、皆で天体観測の夜となった。流れる間隔は一時間に50個くらいと言われていたが、まさにそんな感じだ。普段の生活で、二分間も首を上げて星を探すことなどない。だからきっと、一分間でもかなり長いと感じていたのだろう。厳しい冷え込みもあり、10個見たら家に入るを何度か繰り返した。
星降る夜...が実在するなんて、夢のよう。
2009年12月10日
師走を駆け抜ける
12月という月は、いつも慌ただしく過ぎてゆく気がする。OPENを直前に控えた京都・嵐山の旅館に宿泊する機会を得たことは、嬉しいサプライズであった。

100年以上前の入母屋造りには、見たこともない見事な妻飾りが。

今回泊まった部屋から、朝の眺め。

ラウンジで、夜遅くまで読書。
歳月を経てきたもの、いくつもの時代を超えて磨かれた職人の技が、今なお息づく京都の魅力は奥深い。見れば見るほど、知れば知るほど、自分の知識の浅さに愕然とさせられる。この国の歩んできた歴史は、世界の動きと照らし合わせていくことでようやく理解の域に達することができるのだ。京都で毎日のように目にする数々の意匠が、そんなことを再度 私に教えてくれた。昔の日本は、きっと今よりずっとインターナショナルだったのだから...。
今回の旅のお土産は、念願の京野菜と古典的な干菓子。
師走に入ってすぐの京都は寒暖の差が軽井沢より激しいくらいで、朝晩は0℃まで冷え込み、昼間は13℃まで上がる陽気だった。底冷えすること自体は似ているが、ひんやり感は微妙に異なり、似て非なるものである。蕎麦屋では出汁のきいた”あん”が多く、猫舌の私はいつも苦戦しているが、ここまで汁ものを熱くする理由は冬の寒さにあるのだろうと思った。山肌を彩る紅葉の色や姿もかなり違って、常緑樹が多いことにも驚いた。もう何度も旅しているというのに、そんなことに気づいたのは初めてなのだから、いったいどこで何を観ていたのやら。

自宅に戻ると、この美しい自然光。当たり前のように眺めていても、やはり間違いなく美しい。繊細な干菓子は、ぜひ自然光の下で味わいたい。すると、作り手のこだわりや遊びごころが浮かび上がる。
2009年11月30日
冬鳥がやってきた!
薄っすらと雪が舞い降りて、日差しに乏しい朝。すっかり冬景色になった庭に色はなく、いつもより寒々しく見える。窓を開けて外の空気を思いきり吸うと、目から肌から肺から、”冬”が伝わってきた。
今日はこれから晴れるのか?それとも今のような曇り空のままなのか?庭に訪れたシジュウカラの家族も、まだはっきりとわからないでいる様子だ。「今のうちに食事を済ませておこうよ!」群れの中からは、そんな声が聞こえてきそう。枯葉をひっくり返したり、幹に隠れている虫を探してみたり、冷たいだろうに水辺鉢でシャワーを浴びる綺麗好きもいる。シジュウカラの家族に導かれるように、ちょっと大きめの鳥がやってきた。良く見ると、それはツグミ!コナラの枝には、こちらも冬鳥のアトリが来ているではないか。シベリアからの長旅を終えたばかりで、体は引き締まり、みんな精悍な表情をしている。
私にとっては長く厳しい冬のはじまりだが、彼らにとってここは安住の地に他ならない。
冬鳥たちよ、この冬もよろしくね。
2009年11月26日
使いこむほどに...風合い

真南に建つ我が家では、日の光を追いかけるように過ごすことが多くなる。この時期の東の部屋は温まることが少なく、近寄りがたいエリア。だが、午後2時からの一時間は別だ。斜めから射しこむ光の密度は思いのほか高く、薪ストーブを焚かなくても過ごすことができる。
仕事机の表面を、そんなひとときの光が照らしはじめた。天板の表情をまじまじと眺める機会をくれるように...。木の種類はタモである。大阪の、神社仏閣を専門とする職人さんに特別に作っていただいたものだ。取りつけられた時は、「なんと、あっさりした仕上げだろう。」と思ったが、最低限の仕上げを施した理由が、今になってようやくわかった気がする。人の手が風合いを生むことを考慮しての仕上げだったのだ。お寺の柱や板敷の床などもそうである。沢山の人が触れていくうちに、人の脂がオイル・ステインの役割を担っていく。
9月に訪れた延暦寺の根本中堂の内部はどこもかしこもピッカピカで、「これは毎日の拭き掃除の賜物だなー」と思った。しかし、驚くべきことに寺側は”何も手入れをしていない”という。重要文化財でありながら素手で触れることができ、訪れた者みんなで磨きをかけることのできる貴重な空間が、日本にもあることを知って嬉しくなった瞬間だ。
この机も家ととともに歩んできたものだから、少しずつ味わいが出てきたように思う。家の仕上げは、そこに暮らす者が作り上げていくことに気づいて。
2009年11月25日
鋳物といい関係を築くために
薪ストーブを焚くことが一日の日課になると、我が家には“鋳物の道具”が溢れるようになる。ストーブトップには鉄瓶だけでなく、深鍋やパンを焼くためのグリルも乗る。ガス台は、料理の下ごしらえや仕上げという補助的な役割に代わり、ストーブトップがメインの調理器具と化していくのが自然。薪ストーブは、それほどの火力を持った装置である。我が家にとって薪ストーブは暖房であり、調理器具であり、心を癒す生きたインテリア。まだ、このような暮らし方をはじめて10年に満たないけれど、これ以上機能的で美しい道具はないかもしれないと思えてきた。
鋳鉄のストーブには、やはり鋳鉄の道具がよく似合う。どちらも真っ黒くろすけで、それらの肌が“漆による”仕上げと知った時は驚いた。漆は神社仏閣を彩る装飾と同じで、接着剤であり美しい保護膜でもある。鉄は空気や水に触れるとたちまち錆びる性質を持つため塗料などで保護膜を形成する必要があるが、それでもやっぱりいつかは錆びゆくもの。しかし、鋳鉄という素材はたとえ表面が錆びたとしても、内部が錆びることはないという。この点が鉄とは大きく違う。
湯を沸かすためだけにある鉄瓶にも驚きの機能が…。鉄瓶の中では、水が沸騰していく過程で出てくるカルキをまったく別のものに変え、鉄瓶内部の膜が捕まえて離さない。水からカルキだけを取るが、鉄瓶はそれを二度と水の中に溶け出してしまうような失敗を起こすことはないのだ。それどころか、カルキを利用して、自らを錆びから守る保護膜を形成してしまう。だから、鉄瓶の内側にできたキラキラした膜を汚れだと思ってこすり取ることは、絶対にやってはいけない行為。鉄瓶の手入れはただひとつ、湯を沸かして「今日はおつかれさま」となったら、ストーブトップに置いて完全に水気を飛ばしてしまうこと。たったそれだけだ。我が家では、鉄瓶は薪ストーブを焚く時にだけ登場するものになっている。それには深い理由がある。
昨年、”盛岡の御釜師”に会いにいった時のこと。「鉄瓶は茶の湯の風炉や湯釜を使いやすくしたもの。だから、火鉢にかけておくのが一番自然。しかし、現代の暮らしにおいて日常的に火鉢をつかいこなせるのかどうか?は疑問です。」と師は実際のところを語ってくれた。「我が家は薪ストーブの上にかけておくのですが、とてもいい使い方だと思っているのです。」と話すと、「直火でないから痛むこともないし、確かに鉄瓶にとってはベストな使い方だと思いますね!」と。しかし、薪ストーブには縁のない暮らしを送っている為、実際のところはピンときていない様子だった。薪ストーブばかりは使ってみないと実感はわかない。「現代人が鉄瓶を使う場合に、おすすめの熱源は何だと思いますか?」と問うと、「今はIHではないかと思う。鉄瓶にとって良いことばかりの熱源で、今では底の平らなIH対応の形を作っているくらい。よくガス台に鉄瓶をかけて湯を沸かしている人がいるが、火力が強すぎてせっかくの鉄瓶が変色してしまうことは、あまり知られていません。」と教えてくれた。写真は、京都三条付近で見かけた”御釜師”のお宅?茶の湯のルーツを垣間見た気持ちに。

湯を沸かすだけだから、ほとんど手入れの要らない鉄瓶に対して、鋳鉄でできたごはん釜や鍋には”束子(たわし)”である。こちらも洗剤は要らない。ごはん釜なら、炊きあがった後にぬるま湯を張って数分後、束子でゴシゴシと洗う。汚れが落ちたら水気を切って、ストーブトップで完全乾燥。鋳鉄の鍋で油を使った料理をした場合は、キッチンペーパーで油汚れを拭いた後、ごはん釜と同じようにぬるま湯を張って束子でゴシゴシ。同じようにストーブトップで乾燥。ストーブを焚いていない日でも我が家では鋳鉄の鍋を使うから、そんな時はキッチンペーパーで水気をきった後にガスの弱火で乾かすことにしている。意匠の施された鉄瓶よりヘビーな使い方になるが、とにかく使用後は完全に乾かすことが大事だ。錆びないためのコーティング 漆を落とさずに汚れだけを取れば、こちらも錆び知らず。
洗うための道具 束子(たわし)もいろいろな素材や大きさを使ってきたが、現時点で「これだ!」と思っているのが、昔ながらの亀の子束子。東京・北区滝野川の西尾商店のものがお気に入りだ。

商品名は亀の子束子1号(小)。拳サイズが嬉しい。明治40年の発明から100年、姿も変わらずヤシの実の繊維と最小限の針金だけで手作りされているそうだが、お釜を洗う時に、ここの束子の良さを毎回実感している。角を洗う部分に針金が使われていないので、鍋を傷めない優しさがあるのだ。洗うことは日常生活の中でもかなりのウエイトを占めていると思うから、一番いい関係を築けるものを選ぶようにしている。長寿命で頼りがいがあり、ストレスのないものをと。すると、なぜか天然素材に辿り着くことが多いから不思議。
2009年11月19日
雪山のある風景
雪化粧をした浅間山の風景にようやく目が慣れてきた今日この頃。17日には明け方の気温が-3℃まで下がり、最高でも3℃とか5℃とか...そんな寒々しい日々が続いた。ただ、まだ町には雪が積もっていないので、落ち葉の片付けやタイヤ交換、また建築現場では急ピッチで基礎工事が進められている。雪と氷に閉ざされる前のこの町は、とても忙しい。
今日は朝から青空が広がり、気温も10℃近くまで上がってくれた。外に出て、「なんと暖かな!」というのが第一印象。私は、秋の日と同じような装いでもノープロブレム。こうなると、寒さに順応しはじめた身体を頼もしく思う。ある意味、高度順応と同じようなことが起こっているのだから...。急がず焦らず、着々と低い気温に慣らしていけば、毛皮のないヒトだって皮下脂肪という味方を備えることができるのだ。寒い時期は、その日に食べたいものを食べる暮らしを心掛ける。今夜は新鮮なスルメイカの刺身と、牛蒡と豚肉たっぷりのお鍋で決まり。
午後3時、あまりの空気の良さに自転車に乗って出掛けた。風のない日である。じっとしていたら感じとれない(山から流れる)冷たい空気が肺だけでなく、脳の隅々まで行きわたっていくようだ。何という気持ち良さ!頭が冴えていくのが目に見えるよう。
この時期になると、午後5時には日が暮れる。だから、夜はありがたいくらいに長いものだ。今夜は、なかなか前へ進むことのできなかった難しい本を読み続けることができそうで。
2009年11月15日
泡が命のリアルエール
今日は、缶に入ったリアルエールを試飲する機会に恵まれた。ふつう、クリーミーな泡が命のリアルエールは専門店で味わうことしかできないものである。それが、これからは自宅で味わうことも可能になるらしいのだ。果たしてどんなものなのだろう?と期待がふくらむ。冷蔵庫でよく冷やした缶入りのリアルエールのプルトップを上げて、一気にグラスへと注いでゆく。1パイントのグラスは一つしかもっていないので旦那さんに渡し、私は口の狭いシャンパングラスでいただこう。ワインもグラスの形状によって味が驚くほど変わるから、新たな発見があったら嬉しい。
泡とエールがいままさに目の前で踊っている。そんな混濁した状態でグラスの中は満たされ、徐々にくっきりとした二層に分かれていった。クリーミーできめ細かな泡が液体に完璧な蓋をした感じだ。シャンパングラスは口径が狭いからなのか、泡はグラスの1.5倍くらいになった。

いよいよ試飲である。まず、立ち昇る香ばしいホップの香り。口に含むとふくよかな泡が苦みを心地よいコクへと変えていく。一般的なビールとははっきりと違う繊細な喉越しに、思わず、「これは、美味しい!」と唸ってしまう。続いて、1パイントのグラスとシャンパングラスでの飲み比べ。すると、やはりグラスの方がコクや甘みがしっかり感じられて素直に美味しいと感じられた。シャンパングラスだと、苦みを強調する傾向があるようだ。綺麗な泡と琥珀色のエール、そして注がれた時の楽しいダンスを眺めたいなら、間違いなく“透明なグラス”がベストなのだろうけど、極寒の地ではグラスでさえ寒々しく感じる時がある。翌日、私はドイツ製の磁器(白磁)でできた肉厚の大きなビアマグ(1パイント)で飲んでみたらどうだろう?と思い立った。やってみると、これが大正解!!おそらく陶器でなく“磁器”というのがポイントで、最後まで器が冷えたままの状態を保ってくれたのだ。それは、体温の伝わりやすいシングル ガラスにはない保冷性。また、ビアマグの形状もよく出来ているなーと感心してしまった。底にいくほど広がって安定感があり、口元が少しつぼまっている。よって香りがマグの中に閉じ込められ、コクや甘さをしっかりと感じることができたのだろうと。
いよいよ、軽井沢も長~い冬のはじまりである。今日のように薪ストーブの傍らでちびちびと…一年のうちで最もお酒が美味しい季節となる。
2009年11月14日
久々の太陽 久々の囀り
午後になって雨が止み、ようやく太陽が顔を出した。この3日間は冷たくまとまった雨が降り続き、日差しにも乏しい”過酷な”日々であった。軽井沢は太陽が出ているかどうか?で各段に体感温度が変わる土地だろう。最高気温も5℃!と、町全体が冷たくて暗い穴蔵状態だったから、雲の合間から白く輝く太陽が姿を現した時は、あまりの眩しさに瞼や瞳が驚いた。「昼間から薪ストーブを焚くしかないだろうな」と決めつけていた冷たい手を止める。
そして、太陽の出現とともに、次第に温められてゆく空気とともに活気づいてゆく無数の何かを感じる。鳥の囀りを聴くのも久しぶりだし、車通りも幾分増えたような気がする。今日が土曜日だからだろうか?いや、それだけの問題でもなさそうだ。やはり、空模様が人を外へ向かわせていることは確か。
雨の日は際限なく続かない。同じように晴れの日も雪の日もだ。そんな、当たり前のように連綿と繰り返される”空の調節機能”に無性に感謝したくなる瞬間がある。まだまだ白々とした空を仰ぐと、もう完全・完璧に葉を落とした木々があった。ビュッフェの描いた世界へ、ようこそ。

2009年11月08日
キツツキのマンション

家の周りを散策していたら、常緑樹の中にすっくとそびえ立つ白茶けた幹に目が止まった。その幹は、穴だらけ。おそらく、いや、きっとキツツキたちの住み家に違いなかった。軽井沢には、アカゲラやアオゲラ、コゲラといったキツツキの仲間が多く生息する。我が家の薪も、そんなキツツキのお陰でキクイムシなどの”虫とのいい関係”が保たれているといっても過言ではない。
足元は、今シーズン最後の落葉。日の光に乏しい場所に立つ楓もいよいよ真赤に染まり、見事なまでに葉を落とした。

そして、楢の葉の絨毯。どんぐりという実をつけるこの木は、今の私にとって特別な存在だ。幹は薪ストーブの頼もしい燃料であり、今年の3月から(薪にする為に)沢山の丸太を見てきた。庭の片隅に自生していた二本の小さなコナラが今では5メートルほどの高さになって、どんぐりを実らせるまでに成長したことも嬉しい。葉っぱたちよ、また来年!

2009年11月04日
黄昏の午後にモンブラン
昨日が雪景色だったことが嘘のような、穏やかな午後。紅葉のクライマックスを見逃した両親とその友人がやってきた。ほんとうは先週に来るはずだったのだが、運悪くその日に台風が通過することがわかり、延期となっていたのだ。「うーん、3日前だったなら葉がついていたのになぁ...」と残念に思う私。しかし、「黄金色に輝く落葉松の風景だけで、充分に素敵よ!」という。そうか、そうだね。まだ関東地方は紅葉などずっと先のことで、木々は青々としているのだから。一足早く”秋”を見に来たのだものね。
友人のリクエストで、ノーワンズ・レシピでランチにしょう!となった。行ってみると、連休明けでテーブルは少し混み合っている。30分ほど時間をずらそうと思い、石の教会の周りを歩いてみる。抜けるような青空はいつの間にか冬の色に。落葉松やナラの葉がちょうど光に照らされたことで、カラカラに乾いた葉の輪郭といった繊細な表情を、肉眼でも確認できるほど鮮明に見せてくれた。鮮明さは空気が澄んでいることもあるだろう。この時期まで残っている木の実は、なぜか紫や黒といった濃色のものが多い。赤い実はあまり残っていないから、不思議だ。赤は美味しいものが多いのだろうか?

ノーワンズ・レシピでは、浜田シェフのエスプリのきいた繊細な料理に舌鼓。レイノーのお皿をキャンバスに、五感を刺激する味わいが続いた。締めくくりは、モンブランとカプチーノ。このモンブランが変化に飛んでいて、大好評だった。中は冷たいアイスクリーム、ビターなチョコレートが敷かれた底の部分には甘酸っぱくて歯ざわりの良い、最高に美味しい出来たてのマカロンが隠れている。栗の季節が終わって食べるモンブランは、格別だった。

2009年11月02日
吹き下ろしを見ないまま 初雪
例年なら、薄っすらと雪化粧した浅間山を何度か眺めた後に”浅間山からの吹き下ろし”という粉雪が庭に数回舞い降りてはじめて雪が降るものだが、今年は違った。
11月2日、今日の寒さは今までのものとは明らかに違うことを身体は感じとっていた。日中の間は、涙をグッとこらえているような厚い雲が空を覆い、それが日暮れと共に爆発した。デッキや屋根に降る強い雨らしきものは、雹。それが瞬く間に霙となり”雪”になった。雪は風を伴いながら夜半まで降り続き、積雪は2cmほど。微量だが、いきなりのことだったので慌てた。もちろん、タイヤ交換などしていない。
明日は晴れ。最低気温は-1℃、最高でも5℃という冬型配置の厳しい空だ。早朝に車を動かさなければ大丈夫。そう願うしかない。眠る前に、外へ出て雪の様子を見に行った。車通りはまったく無い状態で、ゴーストタウンのよう。ついでにデッキの雪も凍りつく前に掃いておく。玄関前で、真赤に色づいた楓が雪化粧していた。11月に入ってすぐに、こんな眺めを見ることになるとは思わなかった。びっくり!

明日の文化の日は、紅葉と白い雪の共演が見られる貴重な休日となりそう。こんな冬の到来もある。
2009年11月01日
足元はミルフイユ
黄金色に輝く風景とは裏腹に、今日は朝から季節外れの生ぬるい空気が充満していた。これから嵐が来るのではないか?そんな風に思える熱波に似たものだ。お昼前のいま、風は南から流れている。これが北からのものに変わったら、天気は下り坂へと向かうことだろう。穏やかで静かな秋の日もいよいよ見納め。落葉松を仰ぎ見ると、既に葉は僅かだ。乾燥した色鮮やかな葉が地面を覆っているうちに、散歩に出掛けたい。
足元に見る落ち葉の種類も、この一ヶ月の間に劇的に変化してきた。芽吹いていった順番を律儀に守る頼もしき落葉樹たち。コブシ、リョウブ、ヤマボウシ、ナナカマド、カツラ、ドウダンツツジ、ニシキギ、モミジ、ケヤキ、ウワミズザクラ、落葉松、ナラ...。枝についた葉が僅かとなった今、柿のように艶やかに色づいているのは芽吹きのアンカーを務めたナラの木たちだ。その肉厚な葉が、風が吹くたびに地面に落下していくようになった。幾重にも重なり合った落ち葉を、今は”木の葉”と呼びたい気分。その上をカサカサ、パリパリと軽快に音を立てながら歩くことは、この一、二週間だけの贅沢な楽しみといえよう。

この感覚、食べ物の何かによく似ていないだろうか。パイもそうだけれど、それをもっと贅沢にしたような...。「そうだ!」と頭の片隅に浮かんだのが、たまに無性に食べたくなる お菓子のミルフイユだった。ミルフイユの語源は、千(mille)の木の葉(feuille)。苺を挟んだ”ナポレオン”パイもミルフイユだから、もともとフランスで生まれたお菓子ではないかと思う。今日のような秋の日に、木の葉の絨毯を歩いていて思いついたレシピだったとしたら...国を超えて、文化を超えて、季節がもたらすアイディアを形にするヒトはなかなか素晴らしい存在だ。深まる秋の日には、バターたっぷりのサクサクのパイを食べたい!と思う。これも、厳しい冬を前にしたらごく自然な現象と思えてくるし、季節の変化を身体で感じ取れる環境に身を置くことは、知らぬ間にいろいろな影響を受けることなのだと再認識。
午後一時をまわると空がだんだん暗くなり、風向きが目に見えるように北からのものへと変わってきた。胡桃の幹に絡まるツルウメモドキを、偶然見つける。眩い光の中ならきっと素通りしていたはずの、控え目な佇まい。秋は終わる。

2009年10月29日
嬉しそうな 栓抜き
長野市在住の知人から、混濁したりんごジュースをいただいた。飾り気のないシンプルな瓶に王冠のキャップで蓋がされ、ラベルがないことが潔く好印象。このような風貌をしたものに期待を裏切られたことはないので、最初の一杯が楽しみになる。栓抜きを手に持つのも久しぶりだ。

王冠にアレッシーの栓抜きをかけたら、その表情がとても嬉しそうに見えた。この栓抜きは、かれこれ20年近く前にイタリア・ローマで友人への土産として沢山買ってきたものの一つ。今ではどこでも手に入るようになってしまったからつまらない気もするが、時を経ても色褪せた印象はない。きっと、デザインがいいのだろう。
瓶入りのストレートジュースのなんとピュアで美味しいこと!究極にシンプルなパッケージは、清潔なことの表れかもしれないと思った。飲み終わっても、煮沸消毒できるので清潔な容器として活用できる。また、自分の手を離れる時も資源ゴミとしての分別に手間がかからず楽である。ここ数年は瓶やDMの袋の(宛名)シールはがしにひと手間もふた手間もかかる毎日なので、なおさら敏感になっているのかもしれないが...。
2009年10月27日
木枯らしのあと
明け方は台風の通過に伴って、ちょっとした嵐が起きていたらしい。黄金色の落葉松が空に加わったことで、一見穏やかに見える朝の日差しとは裏腹に、デッキには無数の葉っぱが降り積もって”ただごとではない”空気が漂っていた。色づいた木々の葉が役目を終えて落葉する時期と風が重なったのだろう。黄色くて柔々とした葉は、北の庭にそびえ立つウワミズザクラ。この葉が屋根を飛び越えて南のデッキに落ちてきたのだから、風はかなり強かった。

昨日は一日じゅう冷たい雨が降り続いたため、昼間のうちから薪ストーブをしっかりと焚いて過ごした。だから、つづく夜も深い眠りが約束されたのだろう。風の音に気づくこともなく...。
浅間山も離山も、名もない山も、軽井沢から眺めることのできるすべての山肌が見事な秋の色に染まった今。暖かそうなセーターを纏ったその山々を見ていると、冬を前にしてまだまだ穏やかな日々があることに気がついて無性に嬉しくなる。さぁ今日は、木枯らしの後の楽しい掃き掃除が待っている。
日はさらに低さを増しているようだ。朝の9時、リビングの花(ひまの花とピンクのトルコギキョウ)が日に照らされてキラキラと輝いていた。この花が薪ストーブの上に置かれていることでわかるように、リビングの薪ストーブの出番はまだ一度きりの状態。全ての葉が落ちたら、きっと忙しく稼働する日々がはじまることだろう。
2009年10月23日
美しき障子 小さいことの無限
実は昨日、時代祭を見る前に京都御苑内にある“拾翠亭”に立ち寄っていた。九篠家の別邸が御所の南にあることは朧げに知っていたが、通常は茶会の場として貸し出していることが多く、参観する機会には恵まれなかった。今日(10月22日)は木曜日だが時代祭の為、特別に開いているようだ。京都人の庭 御苑へ行こうと思い立って、本当によかった!
九篠家は、鎌倉時代以来の摂政・関白になる資格を有する、5つの家柄(近衛・九篠・鷹司・二篠・一篠)のひとつであり、藤原鎌足を遠祖とする一族。最盛期には、京都の南東部に10000坪もの敷地を領していた。江戸時代の御所の周りはこのような感じで、200もの公家屋敷が建ち並んでいたという。堺町御門を入った西側に九篠殿 御家領の文字。

九篠家の建物は明治初期にそのほとんどが壊され、40坪ほどの“拾翠亭”だけが残された。拾翠亭は、江戸後期に“茶会や歌会など社交の場”として建てられたというから、ざっと今から200年前のもの!現存する貴族の茶室としては数少ない貴重な遺産だ。
門をくぐると、数寄屋風 書院造りの二階建ての建物が現れた。下駄箱に靴を入れてから受付をして一階へ。広間は十畳の茶室と七畳半の控えの間からなり、前方には瑞々しい池があった。この建物は池に向かって、また遠く東山を望む場所に建てられていたことがわかる。わずか先には時代祭を待つ大勢の人の波があるというのに、それらの気配を掻き消すような静けさと風の流れにびっくり。拾翠(しょうすい)という名には、緑の草花を拾い集めるという意味が込められているそう。

広間に腰かけて北の方角を振り返ると、鏡のように磨かれた廊下の突き当たりに水屋が見えていた。「どうなっているのだろう?」と興味がわいて近づいてみると、水屋の手前に小さな小さな茶室を発見!三畳中板の小間である。入口はかかんで入るのが精一杯の狭さで壁は黒ずみ、所々に白っぽい斑点が見える。それは、夜空に煌めく星にも見えそうだし、あるいは蛍が放つ光にも似ていた。ミニマムな空間だが自然光を取り込む工夫が随所になされ、(もし、中に入ることができたなら)座ったら、この上なく快適なのではないか!と思えた。無限さを感じるのはただ広い空間だけではない。むしろ、小さな空間に身を置くことで想像力は高まるのではないだろうか。目をつむると、貴族の方々が小さな茶室で密談をしている様子が浮かんでくる。

続いて、こちらも危険なくらいつるつるに磨かれた階段を上がって二階へ。視界がぐっと広がって、明るい広間である。縁高欄と言われる美しい手摺越しに眺める風景は、まるで一枚の絵のようだ。

下を覗きこむと、屋根の意匠が凝っていてこれまた驚き。それは、さきほど見たミニマムな茶室の屋根であった。入母屋造りで、瓦葺と杮葺きが組み合わされている。昔の屋根材は何層にもなる板で作られていたことを再確認。この曲線は本当に素敵!昔の人のセンスの良さ、技術の高さここにあり。

とても美味しいものを食べたように大満足で建物を出ると、受付の方が「そちらから、ぜひ庭も見ていってくださいね!」と言ってくれた。ホトトギスの花が風に揺れる小路の先には、何やら屋根のついた待合いが。ここで、私の心をグッとつかむものとの出合いがあった。


丸窓に設えた障子の醸す美しさもさることながら、その障子が風でふわりと動いたのである。「あぁ、なんという…」もう、それは言葉にならないほど美しい様だった。昔の人の感覚って、本当に繊細。どうして、障子をここまで軽くする必要があったのか?その答えは、ふわりと浮いて風を取り込むためだったのだ。現代人が見習うべきことはまだまだ沢山ある。それを教えてくれるのが、古都の存在なのだった。
京都を歩いていると、今では東京でも高級な店でしかお目にかかれない生きた花(生花)を見る機会が多く、とても楽しかった。10月中旬の京都はどこもかしこも緑一色で、私から見れば紛れもなく夏の風景であった。しかし、老舗で客を迎えるのは一足早く色づいた秋の草花。日常的に、本来の季節を取り込もうという気配りが息づいているのだろう。それは、それは、心地よい、四季のある日本人ならではの”もてなしの心”だったと思う。


2009年10月22日
時代祭に遭遇 暖簾をくぐる
昨日よりずっと秋らしくなって、「今日は歩けそう!」な気分。朝の散歩がてら、御苑へと向かった。すると、人・人・人の列。ただごとでない人の熱気と道端で売られているパンフレットから、今日が“時代祭”であることを知った。わざわざ、この日に合わせて遠くから来ている人も多いだろうから、偶然だなんて悪いような。
時刻は11:00すぎ。御苑の庭には既にロープがひかれて、祭りの行列が通る道と観覧席が仕切られていた。私もお弁当などを買ってきて場所取りをした方が良いのかな?と思ったが、常連の方の話を聞くと、「御所を12:00に出たってなぁ、門を出るだけでも ようかかりまっせ。」とのこと。これは私にとって朗報だった。一足早くお昼を食べに行くのもありだと…。そして12:30ごろ御苑に戻ると、祭りは始まっていた。


この大事に毛皮に包まれた奉納品は何だろう?と興味がわく。平安時代の衣装に身を包んだ学生君だけど、彼らの顔つき、体つき、ヘアスタイル、眼鏡は紛れもなく20世紀のもの。そのギャップもまた楽しい。時代祭では多くのエキストラを必要とする。毎年、学生に募集をかけているそうだが、最近では人を集めるのも大変なのだとか。私なら手を上げて参加したいくらい。

頭の上に“薪(たきぎ)”を乗せて歩くのは、大原の女たち。このモダンなスタイル、本当に昔のものなのだろうか。昨年から流行しているレギンスによく似て。現在のチュニックとレギンスというファッションは、ワンピースやシャツと同列に並ぶカテゴリーになっている気がするのだ。恐るべし、昔のデザイン。今月末から東京都現代美術館で開催される「ラグジュアリー ファッションの欲望展」は、17世紀から現代に至る衣装の移ろいを通して、「今、なぜラグジュアリーなのか?」を見つめ直す企画。時代祭の衣装を見たことで、より深く楽しめる気がしている。

金属の音を従えて登場したのは延暦時代の一行。荒々しい出来事が多かった時代だけに、衣装からも物々しい空気が伝わってくる。先月、延暦寺や本能寺に足を運んでいたこともあって、新鮮な印象。

こちらは、神事を司る人たちの列。現代においても神社は身近な存在なので、このような姿には親近感がわく。それでも改めてまじまじと観察してみれば、素材といい、色合いといい、形といい、日本のファッションの真髄を見ているようだ。コム デ ギャルソンの川久保 玲さんだって、相当の影響を受けたに違いない。
時代祭では数々の素晴らしい衣装を見せてもらったが、エキストラの皆さん、着物姿がよくお似合いで驚いてしまった。似合っていない人は皆無と言ってもいいくらいで、日本人を(アジア全体の人々を含めて)最も美しく見せるのは、“平面的なものが空気をはらんだ衣装”ではないかと思った。それはすなわち、着物なのだ。また、どの色も素敵だった。自然からいただいた色 草木染めに敬意を払いたい。

時代祭は、午後12時に御所を出発して烏丸通、御池通を経て平安神宮までの道をそぞろ歩く祭り。京の都が栄えた時代を、現代の私たちに垣間見せてくれるイベントだ。最後尾の馬を追いかけて「ふう」と空を仰ぐと、柳馬場通のサインがあった。この通りこそ、御苑の正面玄関からまっすぐ南下する通りだったことに気づいて。
夕方からは、先月どうしても暖簾をくぐることができなくて、店の前を素通りしてしまったふたつの老舗へ向かった。“御菓子司亀末廣”と“八百三”である。正確には、暖簾だけならくぐることはできるのだ。その先の、片手だけでは引けぬ重さの“引き戸”に手をかけることができなかった。
今日は、昼食をいただいた夷川通りのステーキ屋“はふう”や“和久傳”で予行練習ができていたため、「よし!」と勇気が出たようだ。地元民ご用達の美味しい店は、自転車がとまっているかどうか?が目安。はふう本店の暖簾。

さて、京都御所に出入りする老舗中の老舗 季節ごとに美しい干菓子を作ることで有名な末廣へ。うーん、この張りつめた空気は何だろう。先客は、もぞもぞと小言を言った後に何も買わずに出て行ったばかり。だからなのか、この空気。店の方も菓子も、土間から一段上がった畳敷きの上にある。よく見れば、職人らしさが伝わる飾り気のない佇まいなのだ。一見を断ることもなく、店に入れてくれただけでも嬉しくなってしまう。今まで見たこともないキラキラと輝く繊細な干菓子を手に取り、お土産に。店名も入れていない真っ白な手提げに気づかいが見えて。

続いて、同じ並びにある八百三へ。こちらは柚子味噌の専門店で、京料理にはかかせない調味料。これからの季節、ぜひ、かぶらや大根に合わせてみたいと思っていた。入ってみると、とても気さくに対応してくれて、味見までさせてくれて、今までの緊張は何だったのだろうと拍子抜け。きちんとした態度で接すれば、店の方もそれなりの対応をしてくれるのが、京都というものなのだろう。同じ日本人だものね。看板の文字にあじわいがあって素敵だなーと思ったら、魯山人の書なのですって。日本の古都、旅路に魯山人あり。

2009年10月21日
祇園を歩く 犬矢来いろいろ
先月に続いて、ふたたび京都へ。9月に入ってすぐの京都は想像以上の暑さで面食らったが、今回は10月も半ば。さすがにあの酷暑は過ぎ去ったと思い、少しだけ秋の装い(薄手のタートルなどをしのばせて)で出掛けた。だがしかし、街中では太陽の照り返しが厳しく汗ばむ真夏の陽気だった。ホテルのスタッフが言っていたっけ。「京都いうてもなぁ~、ここは一年のうちの三分の二が夏ですわ」と。嘘ではない。盆地という地形に暮らすことは酷暑と寒さとの戦いでもあり、その日常はなかなか過酷である。
しかし、そんな厳しい環境にありながら、この時代において着物という素敵な衣に身を包んだ女性が多く行き交う街がある。祇園である。車が忙しく流れる四条通りを右手にして歩いてゆく。ずーっと正面の奥に見えているのは、八坂の杜。赤い鳥居が緑に映えている。京都の中心部はどこもかしこもごみごみとして、紛れもなく街であるという印象を一瞬で払い去る、山の、緑の存在。山に囲まれているから、山から出る鮮烈な水が流れているから、日中の喧騒が嘘のように静まり返る時があるのだ。朝の空気が新鮮な理由は、山に暮らす者ならなんとなくわかる。
鴨川の流れに身を寄せるようにして軒を連ねるのが、祇園の北側、先斗町だ。この二つの文字を“ぽんと”と呼ばせるのだから、なんて粋なと思ってしまう。人がすれ違うことしか考えられていないような、狭い路地。整然と敷きつめられた石畳に打ち水された眺めはなんとも美しく、すれ違う人はほとんどいないのに、背筋は自然と伸びていく。路地の両側に建つお茶屋や店もさっぱり、きっぱりとした佇まいで、みんなでこの路地の雰囲気を作り上げていることが伝わってくる。× 通り抜けできまへん なんて看板も多く、京都にこのような路地は果たしてどれほどあるのか?と思ってしまう。

間口が狭く、ウナギの寝床のように奥行きのある町家づくりに慣れてくると、こんどは、その前に設えられた“犬矢来”に興味を持つようになった。犬矢来は室内のプライバシーを守るため、また、その名の通りで犬のおしっこ除けのためと聞いたことがあるが、現代においては“京都らしさを表現する 立派なひとつのエクステリア”に進化している気がする。
古典的なものでは…

なんとも見事な飴色!雨風にさらされても手入れが行き届いていれば、犬矢来はこれほど美しいものになることを知る。天然素材・竹がなせる技なのだろうけど、このような”経年優化”との出合いも路地歩きの楽しみ。祇園や、かつては公家であっただろう御所周辺の家々の軒先に多くみられる。

こちらも天然と言えば、天然。鉄で作られた、ちょっと物々しい柵は御所の近くで。
そして、極めつけは先斗町で見つけたガラスの犬矢来!

街中の花屋さんでは自転車の駐輪防止に?

マンションのエントランスにも。

そして、歩いていて特に気になったのがエアコンの室外機の存在。そう、この街の夏は凄まじい暑さなのだ。そんな室外機をセンスよくビルトインした犬矢来を見つけた。オーナーの人となりがわかって、素敵。そう言えば、町屋づくりにも風を引き込むための工夫がいっぱいだ。中庭で打ち水をすると、微かだが”風が起こる”というし...。

犬矢来だけでこんなに発見があるなんて、新しいものも、いずれ歴史になっていくことをこの街は教えているようだ。
そして、祇園の南側に広がる花見小路 祇園甲部を歩いてみる。舞妓さんが暮らす“置屋”という家が幾つもあって学校もある、祇園の中でも芸を身につけ磨くエリア。お稽古の時間割が格子づくりの壁にさりがなく貼られていたりするから、先斗町より生活感のある場所だ。小さなエリアなのに美容室がたくさんあって、洋装でも髪を結っている女性を多く見かける。「ここは、ほんとうに生きた花町なのだなー!」と実感。OKUという美山荘のおばんざいやで早めの昼食。小さな箱庭に面した席を案内され、素朴な京の味に舌鼓。青々とした楓はいまの季節を知らせ、白壁には光が遊んでいるかのようなユニークな影が出来ていた。食事の間じゅうもこの影は刻々と動き、旅人を楽しませてくれた。

お腹も満たされたことだし、迷路のような路地に自ら進んで迷い込んでみようと思う。すると偶然、あの有名な芸妓 佳つ乃さんの店(やまがた)を発見!思っていたより簡素な佇まいでびっくりした。「京都は、“古さや(家の間口と同じで)奥深さ”を守ることを良しとしているのだよ」と、誰かに教えられているよう。お茶屋さんのぼんぼりに明かりが灯される夜は、昼の間とは違って幻想的なのだろうな。艶やかな夜の祇園は、またいつか。
2009年10月16日
琥珀色を見つけた
身の周りのすべてが”赤い色”で満たされていくようだ。庭には楓の赤が、テーブルの上には赤い実をつけた野バラとケイトウがある。そして昨夜は、同じ赤だが鮮烈な”ひまの花”をいただいた。ひまの花は、トゲトゲの実と真赤な枝がモダンアートのよう。先日見た時は葉の全くない(バランス良く生ける為に取った後の)状態だったので、このような大きい葉をしていることを初めて知った。見れば見るほどユニークな植物だ。

薪ストーブの暖、南の光を遮断した我が家の玄関ホールは、野菜や果物、穀物、お酒をはじめとした食料品の貯蔵スペースとして申し分ない機能を持つ場所になっている。最初は何も置かずにすっきりした空間だったが、あまりの便利さに負け、今ではカウンター付きの棚が置かれている。そんな棚の整理整頓をはじめると、奥の方から昨年漬け込んだヤマボウシ酒の瓶が出てきた。周りからは、漬けた後に「ヤマボウシはそんなに旨くないのになぁ...」と言われたものである。庭で、ヤマボウシの実が収穫できるほどたわわに実ったのは初めてのことで、嬉しくて仕方なくて漬け込んだはずなのだ。しかし、”色が出たら実を取りだすこと”などすっかり忘れて、一年と一ヶ月が経過していた。いやはや、ごめんなさい。でも、一度も動かさなかったことで濁ることもなく、見事な琥珀色の果実酒になってくれた。

先日、ホームパーティで琥珀色をした甘酢ゼリー(スライスした旬の山芋の味付けとして)を、「まさに、今の気分」と思って作ってみたのだが、目の前の果実酒の色こそ正真正銘”琥珀”だろうと思った。こはく...音の響きだけで充分魅力的に感じられるのは、秋という季節とそこを照らす光、そして日ごとに満ちてゆく赤い色の影響かもしれない。
2009年10月15日
赤色満ちて 唐辛子の日光浴
素晴らしい秋晴れに心が躍る。今朝は6℃、最高気温はそれから10℃上がって16℃になるという。このような陽気が、一週間くらい続いているだろうか。最低気温が一桁になったことで、玄関前の楓は日に日に紅葉を早めているようだ。そして今朝は、一気に”赤が来た”と思った。一夜にして緑色の葉が赤く染め上がる...そんな嘘のような出来事が目の前で繰り広げられていくのだから、目が離せない日々のはじまりだ。

そんな赤く染まった楓の葉の傍で、摘みたての唐辛子を日光浴させてみたい。朝晩はどんなに冷えても、昼間はこのとおり見事なまでの日差しが照りつける。薪だって、もちろん日光浴!私も秋の日をしっかり浴びてリフレッシュ。すべては来る冬のために...。

2009年10月11日
菊の花でおやすみ

今日は、ご近所のおばあちゃんに菊の花をいただいた。お友達が育てたものだそうで、モコモコとした姿が愛らしい。自然光の下で輝く菊の花も素敵だけれど、リビングの光(ハロゲンスポット)もよく似合っている。
時刻は21:00、窓の外は漆黒の闇である。斜め上から光を浴びる花に近づいて「本当に綺麗なものだなぁ」と関心して見つめていたら、花の中に隠れるようにして身を寄せる一匹の小さな”蛾”を見つけた。この時期になると、冬眠を試みるカメムシなどが建物の中に入ろうとする。だが、この蛾の場合は私が窓を開けたり閉めたりしているうちに、たまたま迷い込んでしまったものだろう。見ず知らずの部屋の中で、菊の花を自分の居場所にするなんて...きっと、唯一ここから外の香りがしたのだろうな。今夜は冷えるからひとまずここで眠って、明日の朝になったら、おかえり。
2009年10月09日
テーブルも衣替え
昨日の嵐が嘘のように、今日は朝から澄みきった青空が広がった。西高東低の冬を思わせる気圧配置となった為に、軽井沢の最低気温はいきなりの6℃!どおりで、なかなか布団から出られなかったはずだ。北アルプスや北海道は雪化粧をしたと聞く。「雪だなんて、いつもより早いのでは?」と一瞬感じたけれど例年並みだそうで、何が起きてもおかしくなのが10月という季節。
ちょっとした冬の洗礼を受けた私の静かな朝だったが、オバマ大統領の迎えた朝は特別だった。なんでも、「目覚めたら、受賞を知った。」そうで、いただいた賞がタダモノではなかった。”ノーベル平和賞”である。先日の国連の場で、日本の鳩山首相は「世界で唯一の被爆国として、核兵器の根絶に向けてリーダー的な役割を担っていく...」というようなスピーチをした。そして、「核兵器を多く保有し、実際に使用した国として、核のない世界にしていきたい...」とスピーチしたのがアメリカのオバマ大統領だった。私たちの未来は流れるものではなく、築いていけるものだと感じたこの一週間。本当に、数年後には化石燃料を使わない暮らしが出来ているかもしれないと、薪ストーブの炎を眺めながら思った。オバマ大統領がノーベル平和賞の受賞に至った理由は、”核なき世界へ尽力”しているからだという。現在進行形の状態で受賞したことの意味、影響力はこれから計り知れないものがありそうだ。
嵐も無事に去ったことだし、来る冬の日に向けて、最近になって急に寒々しい印象を受けるようになったガラステーブルに布を着せることにした。私もウールの上着を羽織ることが増えてきたから、身体の触れる機会の多い家具も同じように衣替えだ。まずは生成り色のリネンから始めていこうか。テーブルの上に琥珀色の花瓶を置いて、そこに空気をはらんだ秋の実 風船カズラとほおずきを生けてみた。光が射しこむと、ふたつの実の持つ雰囲気も相まってより暖かなものへ。

日もいよいよ低くなって、このまま冷えていくだけ暗くなるだけに思えていた室内に、温もりというエネルギーを連れ立った光が入るようになってきた。どの季節も、中の様子を伺うように我が家に差し込む太陽の光がある。それは私にとって、いつしか海峡に立つ灯台のような存在になった。太陽の光も熱も、微かに流れる風も土の温もりも、身の回りは自然の力でいっぱいなのだ。
2009年10月08日
台風18号パーマァ 列島縦断
日本の遥か南に生まれた時から、進路が懸念されてきた台風18号(名称 パーマァ)。天気図の片隅にあった雲の塊がいよいよ日本列島に接近して、昨日は予報通りに上陸をした。
勢力は台風の中で最も強いものらしく、軌道はまさかの”列島縦断コース”を辿るという。2年前の悪夢が瞬く間に蘇った私は、まず地下室の整理整頓をはじめた。あの雨量であっても浸水は免れたが、今回も無傷であるとは限らない。物をじかに床へ置くことだけは危険だろう。30cmまで水に浸かってもいいように、全ての物を”上げた”。それから、デッキの上の家具や軽い物などを一時避難させて、まっさらな状態にした。暴風雨では、物が風に飛ばされて被害を起こすことが最も多いようだから...。停電した場合の備えは、出来ているつもりだ。山である軽井沢は日頃から落雷が多い。その甲斐あってか、蝋燭やランタンは普段からテーブルにインテリアとして飾る暮らしだ。停電でパッと照明が消えた時、どんな時でも慌てずにいられるのは、このためかもしれない。
我が家としては厳重警戒体制をとった今回の台風であったが、上空を通過した明け方の様子を見る限りでは、一番怖い暴風は免れることができたようだ。ただ、雨の降り方は凄まじいものがあったと思う。台風が通過した時の風向きはおそらく南~南東だったのだろう。南面の外壁や窓はかなりの時間雨を浴びて、可哀想なくらいに濡れてしまっていた。デッキの上は、落葉松の黄葉でいっぱいだ。落葉松の姿はまだ青々としたもので、いったいどこで黄葉が始まっていたのか?と疑ってしまう。だが、このパッと見ではわからない若白髪のような黄葉の存在が、今の季節を正確に報せていた。

時刻は午後3時をまわった。雨は止んで、雲は薄くなり、時折雲間から青空が顔を見せはじめている。このまま台風一過で晴れるのかと思ったが、それはまだ先のことらしい。今度は風である。風向きは変わって西や北の方角から。庭の木々がざわざわと音を立てて、葉の裏側の白が西日に照らされる。脆弱な地盤の軽井沢で一番怖いのは、なんといっても、のろのろと居座る強い風ではないだろうか。風が、木々の葉を揺らすことで生まれるザワワやピューという音。それらが静まる時、やっと落ちついて深い眠りにつくことができそうである。軽井沢は目立った外傷もなく、道路には色づいた葉やクリのイガが敷かれている程度。そこに木の枝や青々とした葉が混じっていないことから、どれほどの風雨だったかが想像できた。今回の台風では突風や竜巻や水害など、全国的に大きな被害が出ているようなので、軽井沢は運が良かったと思う。
2009年10月04日
木の実が降る音
日の傾きはじめた午後3時、上着を羽織って散歩に出た。今年は長雨が続いたために栗の実が不完全なのだろうか?まだ青々としたイガが、地面に沢山転がっていた。もちろん、その実は若く熟してはいない。ススキの穂は光を浴びてキラキラと秋の風情を醸しているけれど、公園の芝生がまだまだ”青い”ことも相まって、栗のイガはテニスボールにそっくり!こんな秋もあるのだろう。すべてのものが西日を浴びる時刻、芝生で日向ぼっこをしていた子猫は忍び寄る影に気づいたらしく、そろそろと移動をはじめた。

ナラの木が巨人のように並んでいる、お気に入りの通りに入った。すると、「カラーン、コローン」という音と共に、頭上から木の実が降ってきた。腐養土の優しいクッションの上に落ちれば音はさほど響いてこないが、砂利の上に降ってきた場合は特別に高い音をたてる。

この道はぬかるむことが多い為に、毎年のように砂利が敷かれる。今は砂利の存在が際立っているが、暫くすると敷いたことを忘れるくらいに土と一体化してしまうのだ。ご近所さんが、「砂利は、敷いても敷いても消えてしまうから...」と話していたことを思い出した。土は、果たしてどれほどの許容量を持っているのだろうか。しかし、そんな膨大な許容量を持ち合わせてもなお、土地本来の特性は変わらないことも事実かと思う。
自宅に戻ると、我が家の石垣は光の真っ只中にあった。マルバノキも苺も、およそ自然が作り出した光とは思えぬ強烈なスポットライトを浴びて、赤色を際立たせていた。


2009年10月02日
お月見の思い出
スケジュール帳の残りが薄く、全体の4分の1になっていることに少しだけ慌ててしまった。明日は10月3日、中秋の名月である。私の育った実家では、この日になると縁側に”ある席”が作られた。そこにはススキや秋の花が飾られ、真っ白な団子と酒が添えられていたと記憶している。晴れた夜は窓を開けて縁側に座り、ひんやりとした夜風に心地よさを感じた。満月の夜ならば、肉眼でも確認できる月のクレーターを、より細部まで見ようと望遠鏡を出したこともある。しかし、それより何よりも”月の明るさ”に驚いた。これほど明るければ、照明器具が無くてもそれほど困ることはないと。書を嗜むことも、実は可能なのだと知らされた気がした。
秋は収穫の季節であり、天と地に感謝する時でもある。それを、縁側に設えた”ある席”が子供にもぼんやりと教えていたのだとしたら...大人の粋な計らいだったと思う。私が見たのは、いつも白い団子だったが、少し前までそれは里芋だったと聞く。日本人はずっと前から米を主食にしてきたように見えるが、米を食べるようになったのは、ごくごく最近のことなのだ。信州に暮らすようになって、日当たりの良い大地に揺れる穂は米だけでないことを知った。場所によっては麦もあるし、稲穂に遅れて咲く白い花は蕎麦の花である。そんな花が気づけば実へと変化している。明日は中秋の名月、この日の夜に月を愛でることができたなら、思い出はより鮮明に刻まれていくのかもしれない。
2009年09月29日
今年の紅葉は早め?
今週に入ってから、一転して雨模様の軽井沢。冷たい雨が降ったり止んだりを繰り返す日々で、カラリとした秋の陽気が懐かしい。
紅葉は、木々が芽吹いていった順番をきっちり守り通しながら進んでいるようだ。北国に春を告げたコブシが落葉のトップを走り、赤い実をすべて落として初夏のように緑色の葉ばかりになったヤマボウシは、再びその葉を健全に熟した林檎のように赤く染め上げている。芽吹きの早いリョウブは褐色に色づいたのも束の間、今ではほぼすべてが落葉して枝だけの姿になった。葉の色を変えても、長い間そこに居続けるものと、呆気なく去るものがある。
まるで10月のある日のように、見事に色づいてゆく庭を眺めていると、どうも今年は紅葉がかなり早めに進んでいると感じる。例年より2週間くらいは、確実に、早い。9月の末にモミジバフウの葉が濃い紫になっていて、足元では山リンドウやシャジンの花が既に満開になっているのだ。秋をもう少し、ください。

10日ほど前に撮影した、ゲンノショウコの色づき。このような複雑なピンク色を何と呼ぶべきか。フランスの伝統色の中から見つけてみたい。
2009年09月21日
冬を前に メンテナンス終了
カラリとした秋晴れの午後。片流れの屋根に梯子をかけて、二台の薪ストーブの煙突掃除を行った。例年なら、夏の間にも薪ストーブのお世話になる日があるのだが、今年は一度も焚かずに秋へ。そして、冬を迎える。
秋といえば台風の進路が気になる季節で、外壁のメンテナンスも「9月の台風前に終わらせよう!」というのが当面の私の目標だった。ありがたいことに今年の9月の空は、毎日が静かで平穏な流れを保ち、メンテナンスは週末にのんびりと終わりを迎える。だから余計に感じるのだろうか?日本の政治が、新しいリーダー 鳩山由紀夫氏の下で、かつてないスピードで動いていることに。この国が、すでに成長から成熟期へ移行していることは確かだ。暮らしを見渡せば、生活に必要なモノはもう充分に溢れている。今あるものを買い換えようとする時、また新たに欲しいと思う時、自分が基準としている”何か”がある。毎晩 薪ストーブの炎を眺めるようになると、そういう何かがくっきりと輪郭を浮かび上がらせ、暮らしの軸が定まっていく気がするから不思議だ。
2009年09月20日
離山に 新しいアプローチ
秋の大型連休を、最近になって”シルバーウィーク”を呼ぶようになったらしい。ゴールデンウィークに次ぐ連休だから、オリンピックのメダルのようにわかりやすく、金・銀・銅?なのだろうか。そういうことに疎い私は、てっきり「敬老の日があるからに違いない」と決めつけていた。同じように思い込んでいる人は結構多いんじゃないかな?と思う。
秋晴れに恵まれた軽井沢も、朝から賑やかだ。あまりに気持ちがいいので、ハイキングに行こうとなった。自宅から歩いて一番身近な離山へと向かう。いつものように渋滞する離山通りの歩道から別荘地を抜けて登山道の入口へ。登山はこれからなのだが、離山別荘地の中はじわじわと傾斜を感じるアプローチ。夏場なら、相当の汗をかいてしまう。家の近くの栗の実はまだ青々としたものだが、ここの路面には茶色いイガが落ち始めていた。離山は、れっきとした山なのだった。時刻は12:00前、上から下りてくる人と、これから上がる人が混在する時間で、多くのカップルや家族連れとすれ違った。山頂より500mほど低い展望台で小休止。今日は空気が澄んでいる。プリンススキー場のある矢ヶ崎山も、その先の妙義山も鮮明だ。一台のヘリが妙義方面へ飛んで行ったことが気になったが、後にそれが行方不明になっていた くれよんしんちゃんの作者発見と知ることになるとは...。

頂上からは、浅間山やアルプスもくっきり。これまで何度も登っているが、今日の眺めが一番だ。帰路は、出来たばかりの”南口登山道”にとってみたい。山の斜面をトラバースしながら市村記念館の敷地に降り立つとあり、これは嬉しい。下りはじめて数分して、木々の中に浮かぶユニークな木道を発見!トリカブトなど秋の野草を愛でながらの、楽しい下山となった。山頂からのんびり下りて、40分ほどの距離である。
従来の東口登山道との違いは、「山の中にどっぷりと浸かってしまった!」という恐怖にも似た感覚だろうか。獣道も見られたし、「確かに、ここには必ず熊がいる。」と思えた。だから、軽井沢の山に於いて熊鈴は必携であると思う。私は熊が冬眠中以外は必ず持ち歩く。しかし、東口を歩く人々の多くは、あまりにも軽装だった。夏の果実が終わって、秋の木の実が食べごろを迎えるまでは時間を要するというのに。”どんな山でも、食べ物が途絶える時がある”。それは、この地に暮らしてようやく知り得た、何よりも大切な自然の姿だった。

2009年09月19日
ひまし油の花
今日、初めて”ひま”の花を見た。正確には”唐胡麻”というらしいが、まさか、この鮮烈な赤い花の種から”ひまし油”が採れるとは...。

以前、旦那さんの髭剃り用にと、ひまし油を使った石鹸を仕込んだことがあった。ひまし油は昔からポピュラーな薬用油であるらしく、今でも薬局に行けば簡単に見つけることができる。そういう意味では、はっか油と似た存在なのかもしれない。それにしても、全身が真っ赤っ赤なこの花の、なんとモダンなこと!
2009年09月16日
ハンティングの時間
午前11時からと午後3時からは、庭の木々を照らす光に見惚れてしまう。そこに流れる空気は、冬のように張りつめたものではないけれど凛として、低い位置から差し込む光は背中に浴びると熱いほどだ。障害物に遮られないある部分だけが光の真っ只中にあり、花開いたばかりのサラシナショウマが限られたそのエリアの中で咲いてくれたことが嬉しい。
サラシナショウマに歩み寄ると、足元に通い猫のトラオがいることに気づいて、びっくりした。居るというより、この時間の”影”の中に身を隠しているといった表現の方が正しいかもしれない。

頭上の木々の葉が微かに揺れて、小さな鳥の声が聴こえてくる。鳥たちが夕食にありつくこの時間は、すなわち猫の猟の時間でもあったのだ。ヤマボウシのパンパンに膨らんだ赤い実には、無数の虫たちが群がっている。鳥は、そうした虫を嘴で突き、果物とタンパク質を同時に食べているのだろう。水辺鉢の水で乾いた喉を潤しに来ることも、このハンターは知っている。本気で捕まえる気など、また捕らえたとしても本当に食べるとは到底思えないが、きっとこれも猫の本能なのだろうと思う。

良く見れば、猫が脚を揃えて座っているのは切り株の上。こう見えて、猫という動物はけっこう綺麗好きなのです。軽井沢の地面はいつも湿っていますからね。暖かそうな毛を纏っているのは、彼が家の中ではなく外で暮らしていることの表れ。朝晩は、めっきり冷えるようになった軽井沢です。
2009年09月13日
秋の光 味覚の秋はじまる
少し寝坊をした朝は眩いほどの光が”頬”を照らして、それで目覚めることもある今日この頃。太陽は、ずいぶん低い位置から差し込むようになった。季節が確かに移り変わっていくことを、実感する。
昨日は冷たい雨の一日だったが、雨上がりの翌日ほど美しいものはない。夏の間に飾ったスモーク・ツリーは、乾いた空気の下で完璧なドライフラワーとなった。庭の中央にそびえ立つ、ニレケヤキの枝葉に到達しない午前中の太陽が、このドライフラワーにスポットライトを当てる。光が無ければ、色は存在しないことを教えながら...。淡くて複雑はピンクの色は、数種類のスモーク・ツリーを無造作に投げ込んだ効果だろう。今日は、なんだかとても綺麗。

同じく秋の光を浴びた多肉植物が、小さな花を咲かせていた。昨年に買ったものだけど、果たして何という名前だったか?思い出せずにいる。

午後、久しぶりに散歩がてらスーパー ツルヤへ行くと、旦那さんの目が輝きはじめた。そう、忙しさにかまけて、今が味覚の秋であることを忘れていたでしょう?新鮮な鮮魚コーナーには秋鮭のイクラも白子も並ぶ。鮭も鱈も塩に浸かったものではなく、今なら”生”が手に入る。こんなに山に囲まれた場所に居るというのに、日本海の新鮮な魚が流通するのだから、ありがたい。
そろそろ、新米の便り。新鮮なイクラを使って、さっそく醤油漬けを作りたい。しかし、ツブツブのイクラを取り出す作業が苦手な私。「ううむ...」と唸っているうちに、秋の味覚に目覚めた旦那さんが本を置いて、「やってみたい!」と言いだした。くれぐれも貴重なイクラをつぶさないように、優しく丁寧にお願いしますね。私は漬け込む出汁を作ります。

そもそも我が家には、厨房やキッチンと呼ばれる仕切られた空間がない。そこには、リビングと一体化した”料理するための道具”が置かれているだけ。食べることは生きることそのもの...そんな風に少しずつだが感じはじめて、それが月日を重ねるごとに自分の中で確固たるものになっていった結論である。だから、家を作るとなった時は”建物の中の一番いい空間に、その機能を持ってきた”。そうして作った空間に身を置いて、もうすぐ丸7年。人が集まる時は、やっぱり食べるものを囲む時であった。家の中で最も清潔を保たなければいけない場所もまた、ここ。いつでも、どんな時でも、我が家の料理する道具たちは人目にさらされることになるが、隠したいと思ったことは今のところない。リビングの中央に鎮座する薪ストーブも立派な調理器具、この冬の火入れはいつになるだろうか?と来る冬に想いを馳せた。
2009年09月11日
天窓から網が消えて...
熱割れを起こしていた天窓の交換が、9日の朝 無事終わった。今度は”網入り”ではなく、”透明で強いガラス”である。これまでは、天窓からの光をシャワーのように拡散したいと天井付近にポリカーボネイトの板を被せていた。それは、柔らかで安定した光の間を提供し続けてくれていたから、それはそれで良かったのだが、これからは透明なガラス。この際だから、試しに外してみようと思い立つ。
すると、この通り。青空に薄っすらとかかる秋の象徴 鱗雲が頭上をたおやかに流れているのが見て取れた。まだ青々とした葉は北の庭にそびえ立つウワミズザクラだ。いつの間にか屋根の上にまで枝が張り出していたのだから、驚きである。木の成長は、ここでの暮らしがようやく地に着いてきたことを計る羅針盤のようなものだろうか。今年からは、躊躇うことなくバッサバッサと剪定が出来ている。昨年までは、恐る恐るだったのに...。

↑ 今日(11日) 10時 天を仰ぎ見た図。
↓ 昨日(10日) 14時 天の様子を伺うように見た図。

網入りガラスでも外の様子は見れるが、ここまでクリアな眺めではないだろう。ポリカーボネイトは暫くお休みと決める。時刻によって、天気によって...これからは、天窓からも季節の移ろいを感じることができるのだ。
ここにきて、軽井沢はグッと秋?いや冬めいてきた。昨日の朝の気温は僅かに6℃!今朝は少し上がって8℃である。夏の間は見えていなかったものが、いよいよ鮮明に見えてくる季節。外へ出れば、白露が舞い降りたことが感じ取れ、行き交う車の尾からは微かに湯気が見え隠れするようになった。赤く色づく木々の実に注意を奪われているうちに、葉っぱ全体、木の全体、庭全体が赤みを帯びていくことに気づかされるから、目が離せない日々のはじまりでもある。眩しいほどによく晴れて、湿度は25%くらいと乾き仕事を進めるにはうってつけ。今日という日は、忙しいことが嬉しい一日となりそうだ。はじまったばかりの紅葉そのものを見ているようなこの時期だけの林檎 つがるをおやつに頑張るとしよう。
2009年09月08日
京の小路を歩く 夜の嵐山
2009年09月07日
はじめての錦市場
月曜10時の錦市場は開店の準備を進めている店が多く、行き交う人もまばらだった。ここは早朝からテンションの高まる市場ではないらしい。大勢の客に紛れて、のんびり品物を物色することができるだろうと思っていたのだが、大誤算。これは、緊張が連続する買い物になりそう。それでも、予備知識のない状態で知らない場所へ一歩足を踏み入れることは、一生に一度限りの楽しみ。頼りになるのは、自分自身の直感だけ。さぁ、頑張ってみよう。
烏丸通りから京都大丸の裏口に入っていくと、すぐに錦市場のアーケードを見つけた。実は、昨夜遅くにこの市場を歩いて、宿へ帰っていたのだ。市場といっても大型車が通れる幅はなく、昔ながらの商店街が軒を連ねている感じた。通りの床は見事なまでに磨かれ、よくある魚臭さは感じられない。また、ダンボールなどを軒先に出したままにしている店もない。間口を狭くすることで税金を安くしたという、京の町屋づくりの影響がこんなところにも見られるのだろうか。いったい、この細々とした間隔でいったい何店舗の店や物がひしめきあっているのだろうか。頭上に整然と並んだ蛍光灯入りの店看板、その青白い光が途切れるたことで市場の端から端まで歩いてしまったことに気づき、明日はどれほどの人で賑わうのだろう?とワクワクしながら眠りについたのだった。
実際に市場を歩きはじめて、まず目に止まったのは魚屋さんだった。新鮮な水揚げされたばかりの蛸が台の上に無造作に置かれていて、一夜干しやみりん干しも多く見られた。八百屋さんには珍しい京野菜がズラリと並ぶ。見たことも、聞いたこともない野菜もある感じだ。とりあえず、はじめは端から端まで歩くだけ歩いてみよう。突き当りは錦天満宮、お参りをしてここで引き返そう。コンコンと流れ出る清めの水は甘みがあって、とても美味しい。

同じようなラインナップの店も多いが、店の醸す空気は微妙に異なっている。「ここは、良いかもしれない」そんな風に感じて、初めての錦市場で店主に声をかけたのが、乾物屋だった。そこにある干物があまりに美しかったからだ。ささがれいに、あみ、ホタテ、日本海で水揚げされたそれらを、丁寧に天日干ししているのだという。京料理の要 極上の出汁をとるために作ったという出汁パックを味見させてもらうと、ほんのりと椎茸の香り。これはよさそう!「一番は料理に、二番は味噌汁に。最後は細かく刻んで佃煮やふりかけに。うちは出来る限りいいものをつこうてるから、捨てるものは何もないんよ。」主の自信に満ちた声に、魅惑的な乾物と出汁パックを買う。「初めて市場に来たのだけれど、こんなにいいものに出合えて嬉しいです。」と私。これが、錦市場で最初の買い物となった。
次に気になったのは、八百屋だった。まず私が興味を持ったのは、ルバーブに似た”ずいき”という京野菜。まず、関東には出回らない野菜だ。
「これ、買ってみたいと思うんですけど、どうやって食べたらいいですか?」と声をかけた。すると、「まず皮を剥いて湯がいてな。出汁で煮たら、うまい。面倒なんや、手間がかかるし、爪も真っ黒になるしな。そんでも、美味しい。こうてみる?」私は「うん、うん」と頷く。そして、とうがらしやシシトウの類の多さに驚いた。「満願寺とうがらしに、○○とうがらし、○○ししとう、鷹峰とうがらし...いろいろ、あるんですね~。これとこれは、どんな味?」「そやね、賀茂ナスと水ナスの違いがようわかるか?」「そう言われると...」「そやろ、京野菜の味は説明が難しいねん。両方食べてみて初めて違いがわかる、そういうもんや。」”鷹峰(たかがみね)”という地名の響きに、私はなぜか惹かれた。「これ、買ってみようかな。」「鷹峰産や、ずっと北のほう。まだら模様のうまい豆は知ってるやろ?あそこや。満願寺とうがらしは一年中あるけどな、鷹峰は今だけや。ここ2週間!」「味覚の秋やいうけどな、京都では、ほんまは野菜がない時期。根菜が出るのはずっと先やしな。だから、今が一番ええ時かもしれん。京の野菜はなんといっても甘いし、うまいな。寒いのがええねん。」京都弁と関東言葉で、このようなやりとりをしたと思う。私は、赤いずいきと鷹峰とうがらしを買った。謙虚な気持ちでいれば、観光客だって相手にしてもらえるようだ。あぁ、よかったー!と胸をなで下ろす。そうだ、ここは外国ではない。同じ日本、日本人同士なのだから...。なのに、どうしてこんなに緊張してしまうのだろう。TAXIやバスを足にしてお寺まわりばかりをしていたら、永遠に知らなかった京の日常に、今まさに触れている。なんだか楽しくなってきた。
魚屋で目にした、サバのぬか漬け”へしこ”も気にかかっていた。私は、未だにへしこという珍味を食べたことがない。隣にはイワシを漬けたへしこも!イワシのへしこには”最高級”という赤いコピーまで書いてある。そうか、これこそ庶民の食べ物かもしれない。店の人に「イワシの、ですかー?」と話しかけると、「塩辛いけど、お茶漬けに合う。常温で3ヶ月は楽にもつよ。」と言われた。きっと、いや絶対にこれは庶民的な味をしているのだ。迷わず3尾買う。イワシのへしこは、福井の方の保存食のようだ。
次に、デパ地下探検にくりだすことにした。手には新聞紙にくるまれた赤いズイキを持ったままだ。お目当ては、なかなか東京に出回らない調味料。薄口しょうゆや、くずきり、蜜、山椒のきいた七味などを買う。このまま買い物を続けるのは困難な重さになってきたので、ひとまず宿に戻って荷物を置こう。市場はお昼が近づいても準備中の店があった。もしかすると、夕食前は、また発見があるのかもしれない。
再び市場のアーケードを訪れたのは17:00、午前中とは全く違う賑わいを見せていたから驚いた。二軒の蒲鉾屋が、揚げたてホヤホヤのねりものを店先に並べはじめていた所で、”冷やし あんぺい”という、見るからに美味しそうな夏だけの生蒲鉾と湯葉天を衝動買い。続いて湯葉の店に行くと、ここにも出来たての生湯葉が並んでいたから...。出汁巻き卵に、焚きたてのかやくご飯...いやはや困った。この市場は夕方こそ魅力的だったのだ!あぁ、来て良かった。少しづつだが買い物にも慣れてきて、金物の店 有次では店の方と話をしながら、じっくりを鋼の道具を手に取ることができた。
自宅に戻って、今回のお土産を並べてみると...珍しいことにお菓子はなく、料理のための材料ばかり。夏は、生ものは、その場で最も美味い状態で食べて帰るに限ると思えた、今回の旅。いつの日にか、八百屋さんが話していた冬の京野菜をお土産に。

2009年09月06日
はじめての比叡山 延暦寺
軽井沢から車を走らせて、5時間あまり。京都を目前にして休憩したのが、草津パーキングエリアだった。9月に入ってすぐの週末はどこも静けさを取り戻すと聞いたことがあるが、京都もそうだろうか。車を停めて琵琶湖を一目見ようと歩きだす人々は、やはり遠方のナンバーが多い。私は、琵琶湖の先に連なる山稜を見ていた。朝日に照らされた比叡山である。
行ってみたい気持ちはありながら、なかなか行けないでいる場所は意外と多い。比叡山 延暦寺もそうだ。私が初めて京都を訪れたのは中学時代。TAXIを借りきって、自分たちの行きたい場所に行って良いという自由行動があった。日本史も世界史も、勉強するのが当たり前とされた時。しかし、私にとって日本史はあまりに身近なことと思え、年号を叩きこむだけで精一杯。いつまでたっても苦手の域を出ない科目だった。そんな日本史の中で唯一興味が湧いたのが、日本仏教の開祖”最澄と空海”の存在だった。仏教がこの国に伝来した歴史を辿っていくと、様々な僧侶が集い、厳しい修行をした”ふたつの大きな山域”に行きつく。天台宗の総本山である比叡山(滋賀)と、真言宗の高野山(和歌山)である。初めての京都となる私にとって比叡山という地は歴史に一歩近づける気がして、とても神秘的な場所に思えていた。しかし、京都市内からとなると、かなりの時間を要する。グループのみんなは祇園の路地を歩く気で満々だし、「大きくなったら、いつでも行けるのだから...」と先送りにしてしまったのだ。それから何度も京都の地を踏んできたが、いつも欲張りな旅を計画してきた為に後回しに。今回は車で来たことが幸い!京都の中心部まで行かずに一つ手前の東インターで下れば、スムーズに比叡山に立ち寄ることができそうだ。
インターを降りると、比叡山→の表示を見つけた。バイパスを敦賀方面に進む。近江神宮ランプでバイパスを降りると、比叡山ドライブウェイ 田の口ゲートの入口だ。延暦寺は東塔・西塔・横川エリアを総称したもので、どこを見たいかによって、ドライブウェイの終点まで行くか否かは自由。今回は”根本中堂”を見たいので、山の中腹(東塔)まで上がることにする。高度をぐんぐん上げていくと、琵琶湖がその姿を現した。
2009年09月04日
一晩で現れた 赤い実
昨日は、最高が17℃ 最低が13℃という10月中旬の空気に包まれた軽井沢。七分袖のカットソーを着てみるが、肌寒い。その上から長袖を着こんで日中を過ごすものの、夕方が近づくと背中のあたりがゾクゾクと冷えて、「えっ、もう?」と思いながらもホッカイロの助けを借りた。
室温は、人が最も快適と感じる気温 22℃を指しているが、霧まで出始めると体感温度はグッと下がる。夏の間は、できるだけ点けないで過ごそうと努めてきたハロゲンの灯りが、今日はちょっとした暖房器具のよう。ほどよい温かさが、嬉しい。
今朝は、9時をまわってようやく、朝日のような光が木々を照らしはじめた。秋からの朝日は東の窓から眺めるのが一番!椅子に腰かけて何気なく外の様子を見ていると、ヤマボウシの実に驚いた。葉っぱと同じ色をした実を沢山つけていることは知っていた。しかし、それが僅か一晩で”真っ赤な実”へと変貌してしまったのだ。玄関前の楓も、スプレーを吹きつけたかのように色づきはじめていた。

季節は、こうして移り変わる。昨日の姿に戻ることは無く、ただ明日へ次の季節へと歩むためだけに...。そうした自然が日々見せる 懸命さ、潔さはいつしか私の憧れになった。
2009年08月27日
東京で味わう 長野
今日は、朝から一人東京へ。厳しい残暑を覚悟するものの、さすがにノースリーブの季節は終わっただろうと七分袖の着物スリーブで出掛けた。着いてみると、東京にも秋の空気が漂いはじめていて一安心。炎天下でジッとしていると汗が噴き出すが、木陰や建物の影に入ってしまえばとても快適。信州の子供たちは既に新学期が始まっているが、ここはまだ夏休み。小麦色に日焼けした子供たちの表情はキラキラと輝いて、夏を謳歌していることが伝わってくる。いつの時代も、子供はこうあらねばね。
用事を済ませると、時刻は14時をまわっていた。「さて、どこで何を食べよう?」と馴染みの店を頭の中から引き出してはみたが、これから移動したら、きっとランチタイムが終わってしまう。久しぶりに新規開拓をしてみようと決めて、入ったのは野菜料理の専門店。一人なのでカウンターにつくと、目の前には新鮮な素材(野菜)が、これでもかという量で置かれていた。長茄子にバターピーナッツ?白瓜などもあり、ラインナップを見る限りでは同じ土地の匂いがプンプン。聞けば、ここにあるほとんどの野菜が長野の食材だという。料理はオーダーが入ってから作りはじめるスタイルで、かなり待たされることに。空腹には少々辛い待ち時間である。しかし、出てきたものを目で見て、味わって、本当にいい仕事をする人たちだなー!と待ち時間を忘れるくらいに感心してしまった。10種類近くの旬の野菜を素揚げしたり、オーヴンでカリッと焼いたものが玄米の上に乗っているのだが、それぞれの野菜の切り方や厚さにセンスがあり、微かに塩味をつけていることがわかった。塩が野菜本来の甘みや旨みを引き出すことを、熟知してのことだろう。信州の食材は、美味しいものが多い。だから、自分で料理する時も野菜の持つ”素材力”を借りて、シンプルに食べても最高に美味しいと思えてしまう。しかし、今日の店ではもう一つ上を目指すテクニックを見せてもらうことができた。切り方による食感の違いや、美味しさの違い。9月からは、きのこをメインにしていくというから、楽しみだ。
東京で、もう、きのこ?と一瞬思ったが、季節は先取るのが粋とされる場所。私は、この地に住むようになってからは、いまの季節や今日の陽気に自分側を合わせていることが心地良く、見ている側も安心できると感じるようになった。庭のヤマボウシに、赤く色づいた葉を見つけた。遠目に、それは林檎の赤に見えることも。実りの秋はもうすぐ。一日を大事に...と思いながら過ごしてきたつもりだけど、夏も終わりが見える頃となった。冬が来る前に、雪や氷に閉ざされる前に、今年もまた”やりたいことリスト” ”やらねばならぬことリスト”と対峙する時が訪れた。

2009年08月25日
旅する種 キンミズヒキ
カーテンのタッセルに、何やら見覚えのあるモノがついていた。「これは?」と思って外へ出る。庭では、いま二つのミズヒキが花を咲かせているのだ。

マジックテープ機能を持ったキンミズヒキの種は、私のスカートという乗り物に乗って家の中までやってきたのだろう。庭の手入れをしたり、散歩をした後に買い物へ行って、鏡に映る自分の髪や衣装に”植物の種”を見つけることがある。こんな風にして、種はささやかな旅をすることをその都度教えているのかもしれない。この時期ならではの美しい光”晩夏光”が、そこにあるすべてを包みこむように、静かに照らしはじめていた。キンミズヒキの花。

2009年08月23日
秋空の下で壁のメンテナンス
上空には、大陸育ちの乾いた空気が暫く居座るのだという。日差しは相変わらず山の綾線を思わせる強さだけれど、最高気温は25℃に届いていない。窓を開けて、見上げればこの青空と鱗雲。たおやかに流れる大河が頭上を流れているようだ。空気はカラリとして、ひんやりとした極上の風が腕や頬に伝わる。季節は急ぎ足で秋へと歩みはじめたのだ。このような陽気の下で洗濯物は、日中の間に”完璧に”乾いてくれるから、ありがたい。

9月になってから取りかかろうと思っていた外壁のメンテナンスを、昨日の午後から始めた。今年は梅雨が明けてからもまとまった雨が降り続いた。だから、木の壁が悲鳴を上げていたのだ。春先にメンテナンスをした南面は綺麗だが、東面と西面は日を追うごとに表面にカビをふいていき、淡い苔色が気になりはじめていた。昨日は東面のカビ落としを終え、今日は西面が終了。高所の作業は緊張感が走るが、気持ち良いくらいに壁が生まれ変わっていくのでやりがいがある。それもこれも、秋らしい乾いた空気だからできることなのだ。
秋といえば台風を警戒する季節だったが、最近では台風と名がつかない雲でも大きな被害をもたらすようになった。我が家の軒は1m20cmという私のオーダーで仕上がっているが、”横殴りの雨が季節を問わずに降り続く”ことは予想外の出来事。今のような空模様を考えていくと、理想的な外壁の仕上げはいったい何だろうと思案してしまう。しかし、安定した空に導くための日々の努力の方が、より大切なことだろうと思う。天高くそびえるニレケヤキ、もともとここに根を下ろしていた木は痩せていたことが嘘のよう。こんなに立派になった。
2009年08月21日
この夏の滞在は長め?
空の感じが、グッと秋めいてきた。例年なら、お盆休みが終わると別荘の灯りが一個また一個と消えていくものだけど、今年はすこし違う。一夏を、しっかりここで過ごす方が増えているようだ。だから、まだまだスーパー ツルヤは朝から大勢のお客さんで混み合っている。活気があって、新鮮なもの、美味しいものが揃っていて、嬉しい。
昼間も、そして夜になっても、家の中を涼しくする動力とはほとんど無縁でいられる夏が、ここにはある。乗ってきた車をシートに包んで、玄関先に並ぶのは数台の自転車。軒下には少しばかりの洗濯物がかかるから、留守に見えても”滞在している”ことはなんとなくわかるもの。キッチンからは食器の重なりあう音や、ドリップされた珈琲のいい香りが風に乗って運ばれてくることも。人の気配は感じられるが、それはとても静かなものだ。今夜は虫の音も無く雨でも降っているのかと思ったが、窓を閉じきっていることに気がついた。夜は、いつの間にか肌寒いものへ。
2009年08月16日
標高2000m 花畑を歩く
爽やかな陽気が続いている。今日は、何故か登る機会を逸してきた身近な”ある山”を歩いてみたい。高峰高原ビジターセンターを起点として東側にある、トーミの頭~黒斑~蛇骨へのルートは、夏・冬を通してもう何度も歩いているし、湯の丸スキー場~池ノ平湿原までは、山スキーのトレーニングとして頻繁に通うルートだ。このエリアで抜けていたのは、ビジターセンターから西の方向にそびえ立つ、ザレ場の多い山の塊だった。水ノ塔山~東篭ノ登山へ連なる山並みである。
この時期の標高2000mは車で通り過ぎるだけで、実際に歩いたことはない。8月の終わりに訪れた時は、マツムシソウやアサマフウロは盛りを過ぎていたっけ。山の一週間が劇的な変化を遂げることは日々の暮らしで体感済み。さぁ、秋の気配が微かに漂いはじめた夏山を歩いてみよう。
昨年にOPENしてから、高峰高原の玄関口となったビジターセンターに車を停めて、林道を歩きだす。冬の間は緩やかな斜面に見えたASAMA2000(スキー場)だが、眺めてみるとけっこうな傾斜である。スキー場のなかにあるロッジ CANADYの看板を見つけて無性に懐かしくなった。ここは、猛吹雪のなかココアを何杯もおかわりした居心地の良い場所なのだ。一面が雪に覆われることが嘘のような草むらに、パイオニアプランツのヤナギランを見つける。咲きはじめたばかりのようだ。
山の入口は、ランプの宿の向かい。歩きはじめてすぐにマツムシソウを見つける。散っている花が一つも無い状態は初めてだ。咲きはじめたばかりの花を求めて、沢山の種類の蝶が舞っている。これは、鮮やかな赤と目のような模様が際立っていた蝶で、何度も追いかけた末にやっと姿をとらえたもの。クジャクチョウというらしい。他に、ギンボシヒョウモンやちょっと珍しいトンボ ヤマサナエも見られた。

マツムシソウに群がるのは蝶ばかりではない。ここまで透明なボディの蜂は初めて見る。ボディが透明あるいは白っぽく見えているのは、白い花粉の花が多いからだろうか?マルハナバチよりは小さめで、とっても、かわいい!

綾線に出ると石が多くなり、土の地面が消えていった。そこかしこで高山植物が咲いている。ヤマホタルブクロ、シモツケ、ツリガネニンジン、コキンレイカ、マツムシソウ、ワレモコウ、タカネナデシコ...どれも背丈が低く、地を這うようにひっそりと、だがしっかりと。水ノ塔山(2202m)を超えるとザレ場が増え、スレートのような岩棚が見られるようになった。乾燥して痩せた土地を好むのは、やはりハーブの類。良く見れば、日本のタイム ジャコウ草であった。鼻を近づけると、まさしくタイムの香り!それが一面に広がっているのだから、ヨーロッパに来ているみたい。

東篭ノ登山へ至る稜線で、ホシガラスの親子に出合った。このような高所でも子育ては盛ん。眺望も開けて、彼らにとっては毎日が雲上の散歩だ。


東篭ノ登山(2227m)の山頂から、池ノ平湿原を見下ろす。今年はじめは雪が少なく、木道も今のように見えていたことを思い出した。どんどん高度を下げて樹林帯に入れば、流れる空気は冷たいほど。湿り気のある環境を好む植物が見られるようになる。木漏れ日を浴びて、キラキラと光っていたシシウドの花は花火のよう。我が家のウドを3倍にしても、この存在感には敵わない。

湿原に立ち寄ってみたが、湿原に来て初めて見る花は一つもなかった。この時期は、山の中に入った方が、数多くの変化にとんだ高山植物を満喫できるようである。シシウドの花で思い出したが、今夜は矢ヶ崎公園の花火ではなかったか。のんびりと山を降りて、再びビジターセンターに降り立ったのは16:00。カフェで軽食をとって自宅へ戻り、お風呂に入ってちょうどいい時間。それもこれも、登り口が既に1000m地点だから可能なこと。自宅から30分ほどで山の登り口に着くと言っても、そこには希少な高山植物が咲き乱れているのだから、美しい自然を身近に体感できる恵まれた環境だ。
2009年08月14日
11時と16時 光のテーブル
日本列島を覆っていた雲が消えると、これほどまでに空気の質が変わるのだろうか。雨に慣れきった身体に、サラリとした空気は敏感に届く。一日の気温差は15℃以上にもなり、最高が27℃くらいまで上がったとしても、夜には11~13℃まで下がることが多くなった。日焼け後の火照った体をクールダウンさせるかように、この地の夜は再び注がれる日差しへの調整をしているのだろう。朝と夕は、そんな極上の風や空気を味わう時となる。
南の庭のシンボルツリーであるニレケヤキが、今年は元気だ。両手を広げるように枝葉を伸ばして、カンカン照りのデッキにささやかな木漏れ日を生むようになったのだ。時刻は11:30、太陽が一番高い位置に登るときでもある。ニレケヤキの葉からこぼれる光が、その下へ下へと注がれる。そんな偶然が重なりあって、テーブルに楓の影絵が浮かび上がっていた。それはまさしく、”木漏れ日のテーブル”。

私たちが髪や体つきを毎朝整えるように、庭の木々については樹形という全体像も気にかけていきたい。春先に大胆に剪定した時は”やり過ぎたかな?”と思ったが、そんなことはなかった。木と建物のいい関係は、その透かし具合にあると、日々暮らしていて思う。
行きつけのフレンチへ散歩がてら出かけた。お盆のような混雑する時は、移動手段をこの”脚”と決めている。歩くことと、自転車を漕ぐこと、見た目以上にヒトの二本脚は機動力があり便利だ。ズッキーニのスープにはトマトエキスのジュレが浮かび、グリルしたシシトウやオクラからは、夏の野生的な香りが漂う。土の持つ生命力をいただくようなメニューが続いた。そんな料理をゆっくりと堪能して珈琲を飲んでいるとマダムが、「周りの別荘が全部開いたのは、これが初めてなのですよ!」と話してくれた。他の何処へ行かずとも、ここにいるだけで世相が見えてくる。軽井沢のような避暑地は、日本のおかれている状態をリアルに映し出す鏡と言えるのかもしれない。満開に咲いたタマアジサイも、この夏は多くの滞在者たちの目を楽しませることができそうである。

今が、大人も子供も夏休みの真っ只中にあることを知る散策を楽しんで自宅に戻ると、すでに16:00。あれほど高い位置にあった日も傾いて、西日がテーブルを照らしていた。ご先祖様がそこに来ているかのように輝く、光のテーブルである。この時期の西日には、まだ柔らかさが感じられる。これがシャープな光に変わったら、本格的な秋の訪れ。半袖からのぞく腕は冷たく、冷たいほうじ茶を飲みほしてはみたものの、だんだんと温かな飲み物が嬉しくなりそう。

2009年08月13日
夏の日 風に遊ぶモビール
大量の雨を降らせた台風9号がようやく姿を消して、今日は朝の早いうちから青空が広がった。2日前(11日)は激しい横揺れの地震(静岡では震度6弱 長野は震度4)に飛び起きていたから、激しい雨音と無縁の朝は平和そのもの。光に照らされた木々の葉は眩しいほどに輝き、カラリとした空気に懐かしささえ覚えた。昨日に引き続いて、今日も洗濯物を一日中外に干しておける...そんな、例年までは当たり前のようにできていた夏の日常が、今年は貴重。ただそれだけで、嬉しくなる。
窓を開けると、天井に取りつけたばかりのモビールが風を見つけてクルクルと回り始めた。風がある日は、それだけで体感温度がグッと下がって快適になるから不思議だ。強い日差しも、それは夏を謳歌するためにあると思え、頼もしい。

雨が降り続いた後の、大きな地震である。木々の根がしっかりと土壌を捕まえている山でさえ、時には足下をすくわれるというのに、山河にまたがる高速道路や橋のような人工物が自然より強くなるとは思えない。台湾に豪雨をもたらした台風は、8号。日本列島の上空にかかる前線や雲ばかりを気にして、この島から離れれば終わりと思ってしまうけれど、そんなはずはなかったのだ。空にも海にも、地底にも境界はない。一週間に渡って台湾上空に居座った台風8号は、未曾有の土砂災害を起こしていった。静岡では震度6という地震があったにも関わらず、家屋の倒壊はほとんどなかったそうだ。東海地震を警戒して、住民は日頃から耐震に力を入れようとする意識が高いと聞く。これは、複数の海溝の真っ只中に暮らす日本人のすべてが、同じように意識していかなければいけないことと感じる。日本に暮らす以上、起こることが予めわかっているのが地震という星の活動だ。被害を最小限にするためにも、シンプルで身軽な暮らしを心掛けていきたい。
2009年08月12日
はじめての 骨董
2009年は早くも折り返し地点。残すところ、4ヶ月半となった。私にとって今年は、これまで踏み入れてこなかった世界に新たな一歩を踏み出す、はじまりの時期のようだ。
朝、久しぶりに友人から電話があり、その着信を受けて「今日の3時に会いましょう。」ということになった。急な展開には慣れているつもりだが、13:00を前にして再び電話が入った。「よかったら、今から一緒に骨董市へ行ってみませんか?」とのお誘い。二つ返事でOKとなる。
毎年、この時期になると旧軽で骨董市が開かれることは、以前から知っていた。一つの店だけでなく、様々なジャンルの店があるのだから素人でも入りやすいだろうとも思っていた。しかし、きっかけを作ることができずにいたのだ。骨董の世界に限ったことではないが、コピーされた偽物も多いと聞く。だから、教養のある人と一緒に見てみたかった。はじめての骨董市でそれが叶う。
友人は、この骨董市を夏の楽しみにしているようであった。親しく挨拶を交わす店主もあり、新しく加わった物についてこと細かに説明をうけていた。その時代の知識がなければ、到底楽しめるものではない。深く味わうために、知識はこの身に備えつけるものなのだと知らされる。庶民が普段遣いしてきた道具の美しさ。一年に一度、あるいは一生に一度という”晴れの日”だけの為に設えられた道具の放つ、えもいわれぬ煌めき。生き続ける歴史のリアリティーがそこにはあった。
昔の物は、すべてが人の手作業によると思いがちだが、型や版を上手に利用した時代もある。私たちの身の周りには、日常の衣類からはじまって調味料、自転車や車など、大量生産が可能な物で溢れている。どれも精巧なまでに同じように作られているが、人の手によって生み出されたことは確か。同じように見えて、実際は微妙に違っているはずなのである。骨董は、そんないつの時代も在り続ける”人らしさ”を、今の私に教えてくれたのかもしれない。
2009年08月10日
雛で溢れる...
「チチチ、チチチチチ」雨の音が静まると、かわいらしい鳥たちの声が聴こえてくる。我が家を取り囲む木々の枝が小刻みに揺れる。そこには必ず、掌にすっぽりとおさまるサイズの野鳥が来ているのだ。ガラス一枚を隔てることで、鳥たちはその自然な姿を目の前で繰り広げてくれる。濡れた羽根を広げて整えるもの、虫を頬張るもの、兄弟と遊ぶもの...姿こそ違うけれど、同じ夏の日を生きていることに変わりはなく、「この夏は雨ばかりで困っちゃうよね」と今日も空を見上げて、同じように独り言をつぶやいているように思えてくる。

雛たちも、自分で餌を見つけ食べている姿を目にする機会が多くなった。しかし、まだ彼らは巣で眠っているのだろうか。ボロボロになった椰子のハンギングバスケットを新しくしたのだが、また椰子の繊維が引っ張られている。暫く外を眺めていたら二羽のメジロがやってきて、アクロバティックな動きでアイビーに立ち止まった。この時期のメジロの体は親も子もさほど変わらないはず。シーツを交換しようと思い立ったのは親か、それとも親孝行な子たちなのか?毎日がジメジメとして、すっきりと晴れることのないこの夏だけれど、一歩外へ出れば雛や子供が木々の間を楽しそうに飛び交っている。ようやく自由に飛べるようになったのだもの、「これが高原の8月の空だよ」と教えられる晴れ間をあげたい。
2009年08月09日
林で出合う 黒い真珠
雨が降ってくる前に...
雨があがった後に...
この夏の散歩は、遠出が難しいものになっている。雨の降り方もそろりそろりではなく、急に大粒が降り出してくることが多いから、どうしても濡れることを覚悟した衣装を纏うことが多くなった。
今日の場合も、雨が降ってくる前に...そんな急かされる気分をひきずったままの散歩となった。草いきれとは微妙に異なる、梅雨時期のような独特の土の香りが鼻腔をくすぐるのだ。林の淵に目を向けて歩いていると、ハナイカダの実を見つけた。実の大きさは10ミリを超え、まるで黒い南洋真珠のようである。ここまで大きくなった実は初めて見る。これも、例年の2倍という降雨量の表れだろうか。

夏の最後を飾るタマアジサイの蕾が、開きはじめていた。やっぱり紫陽花は雨が似合うなぁ...なんて思ってしまう。もうとっくに梅雨は明けたはずなのに、いや実際には明けることなく終わる夏なのだ。こんなことは今年限りの”例外”と思いたい。

強い日差しの下で夏の庭の紅一点となるはずのベルガモットの花が、満開の時を迎えていた。連日の強い雨にやられたのだろう。この夏のベルガモットは、どこで見ても痛々しい。

2009年08月08日
雨は続く 草花の投げ入れ
先日、避暑に訪れた母が庭をぐるりと見回してから、こんな言葉をつぶやいた。
「これ、切っていい?」。花の終わりかけたトラノオやトリアシショウマを見つけて、悪気もなく、口から発せられた一言である。しかし私は当たり前のように、「悪いけど、だめ。」と返答した。
今になれば、なぜあの時は切ってあげられなかったのだろうと思うのだ。しかし、”あの時”はできなかった。ただでさえ花の少ない夏の庭である。無尽蔵にあるという野の花ではない。増えすぎて間引くという感覚が、この庭にはまだないのである。暫くすると母は、「わかった。ここから最後まで眺めたいがために、切らずにおいてあるのね」と言った。野で咲く草花、山の草花というのは、人を惹きつける魅力があるのだろう。だから、欲しいと思う。しかし、この環境だから自然と美しく咲いたものなのだ。
室内で過ごすことの多い夏である。庭で最期の時を迎える夏の草花を幾つか切り、投げ入れをしてみようと思い立った。山紫陽花に山萩、花をつけたオレガノやミントに木苺の枝などだ。終わりが見え始めた草花なら、鋏を入れることができそうである。今年のような雨に見舞われる夏は、気持ちの切り替えも必要なのかもしれない。陶器の花瓶に庭の草花を投げ入れただけなのに、不思議。ひとつひとつの花の表情をじっくりと見つめる機会が生まれた。夏は、花瓶の水が腐りやすい季節でもある。ミントなど瞬く間に根を出す強い植物を一緒に入れると、それだけで水の浄化をしてくれるので便利。

2009年08月04日
優雅な気分の草むしり
今日も昨日に続いて、朝から青空が広がった。日差しの強さに気温は30℃近いのでは?と思い込んでしまうが、実際には20℃を少し上回る程度。秋の気配を確かに感じる一日となりそうだ。
昨夜は、風呂上がりに”ミシリ”という不吉な音を聞いた。音の出所は、きっと”熱割れ”を起こしている天窓なのだろうと思っていたが、光に閉ざされた漆黒の空がバックでは亀裂の有無も確認できない。「目が覚めたら、おのずと知ることになるのだから良いではないか。」と眠りについたのだった。そして朝を迎え、壁に梯子をかけて恐る恐る光の元へと近づいた。天窓のガラス(ペアガラスの内側 網入り)には、やはり二本目の亀裂が入っていた。一本目に気づいたのは一週間前のこと。それはガラスの中心から斜めにクネクネと走っていたが、今回はものの見事に一直線だ。これはもう、交換しないといけないだろう。ガラスメーカーに現状を伝えると、答えは紛れもなく熱割れだろうとのこと。サンサンと注ぐ太陽の光に、今朝ほど膨大なエネルギーを感じ取った日はないかもしれない。
ガラスが割れる...グラスでも何でも、決していい気分はしない。私たちの暮らしを取り囲むモノに、”絶対なるもの”はないとわかっていても、何故?と問いただそうとする自分に苛立ちすら覚えて外へ出た。こういう時に役立つのが、気分転換になる草むしり。今日の、この心地よい風の中ならいつもより楽しいはずだ。地面に近づいたら、風が今が満開の百合の香りを連れてきた。ずっとそこに居座る傲慢な香りではなく、風が吹いた時だけ微かに香る品の良さ。こんなに贅沢な草むしりってあるだろうか。外に出て、よかった!

気持ちが落ち着いたら、花を生けようと思っていた。青い実をつけた野ばらの枝をゆったりと。

2009年08月02日
夏の庭 クワガタの雨宿り

小雨の降る日曜日。百合の香りに誘われてニレケヤキの下で雨宿りをしていると、苔のついた幹にクワガタを発見!クワガタを庭で見たのは初めてのことで、来てくれたことを嬉しく思う。この木の下には、レンゲショウマの丸い蕾とギボウシの花があり、リズミカルなコーナーが生まれている。

ようやく濃紫に色づいたブルーベリーだが、今年は雨が多いために味はかなり薄め。巨峰などは、収穫時に雨が多いと弾けてしまうこともあると聞く。これから旬を迎える信州の果実が心配だ。ブルーベリーの奥に見える黄色い花火のような花はピペリカム。花が終わった後の、オレンジ色の実の方が有名かもしれない。

植えてから何年経つだろうか。カシワバアジサイの白くて大きな花が初めて咲いた。この葉は名前の通りで、柏餅の葉によく似ている。秋の深まりと共に深いモーヴに色づく紅葉も楽しみ。

2009年08月01日
蛾が報せる 強い雨
この夏に限ったことではないが、山のように変わりやすい天気が増えてきたように思う。軽井沢は山であるから、突然の雨や霧は日常茶飯事。それでも、突然空が皆既日食並みに暗くなって、大粒の雨が何かの精巧な装置のように降り出すことがあるから、怖くなる。
雨の降り方と量をいち早く察知するのは、”蛾”なのかもしれない。今日も、木の枝そっくりの蛾が窓の高い位置に張り付いているのを見つけた。凹型をした玄関の扉に、いち早く避難しているものもいる。今日もまた夕立ちがあるのだ。彼らの予測に狂いはないのだから。私が小さい頃に見ていた夕立ちの後には、よく虹が現れたものだが、ここ数年は違うものへ変化してきた気がする。蛾が避難している姿は、年に数度目にするか、ないかくらいの頻度だったと記憶している。そして、それは決まって台風の時であったのだ。
2009年07月30日
黄色いトンボと積乱雲
今日は、標高1600メートルの海の口自然郷に来ている。乾いた風と風の間をすり抜けるように飛び交うトンボのボディは、黄色。透明な羽根が、光を浴びてキラキラと輝いている。背景のピンク色はシモツケの花。一週間後には散り始めているだろうから、夏の盛りを見るのは、今週なのかもしれない。

標高を下げていく中で出合った、積乱雲の群れ。リアルな天気図が目の前に広がる。気圧はまさに生き物である。

2009年07月29日
室内に避難 桔梗の花
2週間も前に梅雨は明けているのに、梅雨前線がまだ停滞しているかのような空が続いている。明け方に強い雨音で目覚めてしまう日が、連続してもう何日続いているだろうか。日本列島の上空では、寒気と暖かく湿った空気が激しい衝突を繰り返しているのだ。その衝突は、集中的豪雨と竜巻を起こすほどの強さに発達していた。九州の土砂災害は、脆弱な土壌に暮らす私たちにとって決して他人事ではない。ただでさえ一日の日照時間が少ない軽井沢が、この夏は現時点で65%とかなり低め。高原野菜や果物、佐久平のお米が心配だ。
上空に発達した雨雲にも、因果関係がしっかりとある。それは、温暖化によって温められた膨大な熱を沈めるため。大熱が出たら冷たい水と氷枕を欲するヒトと、何ら変わりはない。山肌を一瞬で削り取るほどの冷却水が必要になってしまったという、この星のリアルな姿に自然界が反応しただけなのだ。

咲いたばかりの桔梗も、連日の強い雨で弱り気味である。庭の花はなかなか切れない私だが、このまま受粉もできずに雨に融けてしまうなら、室内に避難してみようか。よく見れば、とても繊細で華奢な花びらをしている。自然界はとても繊細なもので、バランスが崩れれば即座に軌道修正を試みるのだろう。私たちヒトも、立ち止まっている暇はどこにもない。
2009年07月26日
雨の日は車のシャンプー
外の眩しさに目が覚めると、抜けるような青空が広がっていた。「あれっ?今日は雨じゃなかったっけ。」と不思議に思ったが、梅雨が明けてからすっきりしない天気ばかり。今日は、”真夏の日差し”という予期せぬプレゼントをもらった軽井沢。お昼前にハルニレテラスの横を通り過ぎると、既に沢山の人で賑わっていた。浅間山の火山活動を報せる掲示板の端に、29℃という数字を見つける。肌を焦がす暑さだ。
しかし、天気図を見る限りでは列島全体に前線がかかっている状態。東京とその周りだけが、例外的に晴れているようだった。この日差しが午後まで続いてくれたら、ラッキーである。自宅に戻ってから洗濯物をデッキへ干してみる。すると、残念!ものすごいスピードで雨雲がやってきて、大きな雨粒が空から怒涛のごとく落ちてきた。この雨、なんて激しさだろう。我が家は空の下、土の上にあるはずなのに、今は荒れ狂う大海原に彷徨う一隻の船のようだ。

降っては止み、止んでは降りを何度か繰り返し、蒸し暑くなる一方の室内に少しでも風を取り込もうと、忙しく窓を開けたり閉めたりしていた。そうこうしているうちに、ふとある名案が浮かんだ。洗車!である。雨が止んだ瞬間をみつけて、外へ出る。手にはスポンジとフロッシュを持っている。足元はもちろん、長靴。麻のパンツをたくしこんで、車の元へ。豪雨だからといって、悲観的になる必要はない。それは天からの恵みに変わりはなく、利用できる時は積極的に“水”として利用すればいい。雨が降り続く時、私はできるだけ水道の使用量を減らすようにしている。温泉に行くこともその一つだし、水を沢山使う料理(冷たい麺)や洗い物を、晴れる日に繰り越すこともある。それもこれも、2年前の台風が教えてくれたことだ。空から降り注いだ雨だけなら、自然の許容量は限界を超えないような気がするのだ。そこに、人の営みから流れ出る水が加わったなら、ある時は処理能力を超えてしまう。
ものの10分で、車のシャンプーは終わった。再び、ポツリポツリと雨が降り出した。さっきまで、「嫌だな」と思っていた雨が、なんだか嬉しい恵みの雨になっていく。真水というものは、水に恵まれた日本に暮らしていても、大変貴重はものと胆に命じる必要があるだろう。今日の洗車で、水の貯金が少しでもできたなら嬉しい。
2009年07月25日
タラの芽のその後
山菜で春の訪れを謳歌してから、数ヶ月。季節は緑濃き夏となった。近くを散歩していたら、今となっては懐かしさを覚える山菜の王様に出合った。”タラ”である。タラの芽がこうして立派に葉を広げていく様子を目の当たりにすると、食べ過ぎてはいけない理由がよくわかった。あの小さな芽には、これだけの葉が詰め込まれていたのだもの。

トゲトゲの木肌をしているから、緑がせめぎ合う林の”淵”にあったから、偶然見つけられたようなものだろう。それほどに、今の季節の林は多種多様な植物がせめぎ合っている。外来植物も混在しているから、さながら国際都市の満員電車のようなものだ。自宅の庭に戻ると、沢山のちょうちょとマルハナバチが花の間を飛び回っていた。皆なんだが急かされている感じで、きっと、もうすぐ雨。

2009年07月20日
”小”浅間山に登る
いつでも行けると思って、まだ行っていない場所に、”小”浅間山があった。雲が多いが、午前中ならもってくれるだろう。三連休の最後で混み合う車の列を逆走するように向かった先は、軽井沢から峠超えをして初の信号となる、峰の茶屋。ここが、登山の入口となる。鬼押出しハイウェイ・北軽井沢(国道146)・白糸の滝への3つの道路が合流する少々危なげな交差点で、今年になってから新たに信号機が設置された。
小浅間山の登山道入口は、誰かの庭への出入り口のようにひっそりとしたもの。野生のシモツケが、登山者を出迎えるように咲いていた。右隣は、東大の火山観測所である。この地点で、既に火口からたったの4km!しかないことを知ってびっくり。本来なら登山禁止区域と思われるが、特別に許可しているようである。


白っぽい砂の登山道は、かなり古くからあったものと聞く。ここは浅間山の北面にあたり、植物の種類が多く豊かである。どんな花を咲かせるのか楽しみな、名も知らぬツル性の草。クガイソウとヤマオダマキも見つける。
30分ほどで樹林帯を抜けると、視界がパアーッと広がった。遠目からはゴツゴツとした岩山を想像していたが、どちらかというと砂の山である。標高1655mの小浅間山のピークは東西に二つあり、まず西峰に登ってみる。軽井沢の見晴らし台と同じで、ここは何かを”見張る”のにとても便利な場所であった。また、噴火によって火口から流れ出た溶岩が、今の地形を作り上げていったことが想像できる大パノラマの眺望。子浅間山も離山も、火山活動によって生まれたことがわかるのだ。”黒豆原”と名のついたブルーベリー自生地帯から、黒いゴツゴツとした溶岩原(鬼押出し)、その遥か先の人の営みまでもが一望できてしまう。東面を望めば、軽井沢プリンススキー場の矢ヶ崎山とアウトレットの白い屋根と車の山。妙義の稜線もくっきりと見えるのだ。夏の間は山肌を緑が覆っているので優しい印象を受けるが、冬になればリアルな星の原風景を見ることになる。この裾野の遥か彼方の島、アイスランドへはいつか必ず行かなければ...。

現在、浅間山の火山活動はレベル2へと引き下げられている。しかし、火口から3km以内は立ち入り禁止であるため、浅間山へ続く登山道(上の写真)には入ることができない。

登山道入口に掲げられた案内板。火口からの距離やエリアがしっかりと明記され、イラストもとてもわかりやすい。親しみがあって、なおかつ わかりやすいものはいいなぁと思った。毎日のように眺めている身近な山を、これからも色々な角度から見つめていきたいと思う。
2009年07月18日
空気をはらんだ...
雨上がりの石垣を見ると、そこには蕾をパンパンに膨らませた桔梗があった。
蕾からは、「もう、すぐにでも咲くから、見ていて!」という声が聞こえてきそう。時間が許せば、じっとその瞬間を見つめていたい。

このような空気をはらんだ、衣装と同じように涼しげな草花が、暮らしのなかに同居していることが嬉しい。ホタルブクロなどは、トラノオと同じように自然と生えてきたものだから、庭では頼もしい存在だ。桔梗は買って植えたものだが、宿根草。花の多少に関わらず、こちらも裏切られたことはない。山萩も背丈を伸ばして、小さな蕾が見え隠れするようになった。長いこと咲いていた山紫陽花が、いよいよお辞儀をはじめる。夏至を間近に控えて、季節は静かに秋へと歩きはじめた。
2009年07月16日
夏の高原 光に照らされて
標高1600mの海の口自然郷に、遅い夏が訪れた。標高が高いぶん気温は低くて涼しいと思いがちだが、真夏の最高気温は軽井沢を上まわる。わずか600mといっても、それだけ太陽に近づくために注ぐ日差しは強烈だ。木陰の暮らしでは滅多に出ない汗が、ここでは簡単に噴き出してしまう。

空を飛ぶ鳥たちが宿り木を見つけるように、私も美鈴池へと続く散策路へ逃げるように入っていった。木々が作り出す木漏れ日は、どんなパラソルよりも心地よい。緑色の天井を仰ぐと、光がいかにも硬そうな夏の葉の葉脈までを浮き彫りにしていた。そして、木漏れ日から流れ落ちた”こぼれ日”なるものが、林床の草花をスポットライトのように照らしていく。淡いピンクが愛らしくも涼しげな、シモツケは夏を代表する花だろうか。

光の当たる場所でしか見たことがないウツボグサの名の由来は、海のウツボではなく、弓を入れるための”靫”に花穂が似ているからだそう。別名は夏枯草(カコソウ)といい、短い夏を象徴するかのようだ。

軽井沢では終わりつつあるシモツケが、ここでは咲きはじめたばかりで、透き通るレモンイエローが美しいヤマオダマキは、まだ蕾を固く閉じた状態だった。だが、これから標高1600mの高原はスピードを上げて夏を駆け抜けていくことだろう。軽井沢で咲く夏の花はどのタイミングで横に並び、抜かれていくだろうか。今年は、そんな季節の不思議さに立ち合うことができそうである。
2009年07月15日
梅雨明けて 変わる空色
今朝の空を一目見て、「梅雨は明けた」と確信できた気がする。紛れもなく、それは秋の空だった。流れる風もガラリと変わった。
”夏休み”というものがずいぶん前に消えて、高地で暮らすようになってからは、梅雨明けの意味するものが劇的に変わったように思う。梅雨の後にあるものは夏の続きに変わりないが、もう、それは終わりの見えている夏の日々である。この時期は、”薪ストーブに火を入れる”という、ひとつの習慣がない。だから、その分のもてあました時間は、この夏を謳歌することだけにあてられる。
今日という日は夕焼けも綺麗で、夜には星々が煌めいた。空気が澄み渡っている証拠である。軽井沢は小さな町ながら、花火が盛ん。都会の空に打ち上がる花火とは”発色が違う”と、大人も子供も口を揃えている。言われてみれば、確かにそうだ。庭に自然と咲くイングリッシュローズ プリンスをゲスト用の洗面に飾ってみたが、外にあった時とかなり印象が違う。

2009年07月14日
涼しげな 青
庭の紫陽花が、微かな風を浴びて気持ちよさそうに咲いている。今日は、特に青い花が瑞々しく感じられる陽気となりそう。私も青い花にあやかって、涼しげな装いで出掛けたい。

2009年07月13日
薪棚の畑化 屋根枕を縫う
日曜大工は、スイッチが入らないとなかなか前へ進まない。我が家の薪棚もそうだ。デッキの上に設えた薪棚はそのほとんどが完成して機能しているが、東のコーナーだけが未完成。既に薪は積みこまれているが、屋根のデザインが決まらずにいた。ここにきて、ようやく”屋根をハーブ畑にする”という結論に達した。あとは作るだけである。ハーブを育てて今季から利用したいなら、夏は残すところ僅かではないか。さぁ、急ごう!
屋根には防水シートを張ってから、屋根材を張る。ふつうはこれで完成となるのだが、今回は一工夫が必要だ。ホームセンターで使えそうな材料を見つけて、アイディアを振り絞っていく。既製品をうまく利用しながら、屋根の畑化が叶いそうである。屋上の緑化は数年前に流行りはじめ、そのための材料も出回っていた。私が便利だなーと感じたのは、とあるメーカーが開発した”屋根枕”というもので、座布団のような椰子の繊維の中に水はけの良い土が入れられたものだった。これを買いさえすれば、すぐに出来る!と思っていたのだが、知らぬ間に屋根枕は姿を消していた。何処かに存在しているかもしれないが、一般に手の届かない状態なら諦めるしかない。幸いにも椰子の繊維は手に入った。日の傾いたデッキで、せっせと縫物をはじめる。屋根の施工は、旦那さんが担当。後姿しか見えないけれど、楽しんでいる様子がこちらにも伝わってくる。夏至までは、一年のうちでもっとも日のある時間が長い日々。19:00をまわっても、外は驚くほど明るく快適。自然光のなかでいただく晩酌も格別だ。

2009年07月12日
トラノオの小路

我が家の東面は、トラノオの群生地となっている。今年は成長しすぎたススキの根を抜いたため、昨年より数を増やしたようだ。もともと、この土地にあった植物である。なぜ、東を好むのか?はわからない。ただ言えることは、今の状態の東を好んでいるということ。日の当たり具合によって毎年増えていくものと、呆気なく姿を消していくものがあるから、植物を見ているだけで庭の変化を敏感に感じ取ることができる。
トラノオの花は見た目よりずっと硬い。満開より、5分咲きが綺麗と感じられるのは桜と同じだろうか。今日も、朝から沢山のちょうちょが、この花に立ち寄っていく。梅雨時のちょうちょは、とても忙しそう。鳥の翼と違って、ちょうちょはあの薄い羽で飛ぶものだから、霧雨のなかを飛んでいるのを見たことがない。長くて、頻繁に訪れる雨宿りとはもうすぐお別れ。

2009年07月10日
ハルニレテラス OPEN

星野エリアに新しい街 ハルニレテラスが誕生する。今日はプレオープンで、一足早く見学に出掛けた。湯川のせせらぎに、もともとこの地に自生していた,、およそ100本のハルニレたちが、楽しくお喋りしているようだ。そこを行き交う人々も、みな笑顔。軽井沢の良さは、きっと、いや絶対に木漏れ日にあると私は思う。木漏れ日の下で、食事をしたり買い物をしたり、アートを見たり。窓には、内からも外からも季節を報せる植物が映り込む。

2009年07月06日
会津西街道をゆく 東照宮
江戸時代の街道は、徳川幕府の支配体制の確立と関連して整備されてきた。せっかくなので、江戸幕府の初代将軍 徳川家康を神格化した東照大権限を祀る、日光の”東照宮”へ立ち寄ってみたい。平成11年の12月に世界文化遺産に登録されたため、どの方向から来ても案内表示は完璧。アクセスをよくする道路まで出来ていた。私が子供の頃に訪れた印象とは、かなり異なっているように思える。
ここは、中禅寺湖から流れる大谷川と女峰山から流れ出る稲荷川の間、山岳水明の地である。社殿は樹齢400年以上の杉に包まれ、杉から伝わる水気が苔蒸した景観を生み、荘厳な空気を漂わせている。東照宮の建立は”陰陽道”に強い影響を受けたとされ、鳥居と”陽”明門を一本の線で結べば、その遥か上空に北極星がくる仕掛け。そして、その線をそのまま東南に引いていけば江戸という点に着いてしまうというのだから、驚きだ。
全国に散らばる大名からの奉納物も、目を見張るものばかり。当時は手に入れることも難しかった鋳鉄は南蛮の国 ポルトガルから持ってきて、モダンな灯篭にするというこだわりよう。国宝の陽明門の美しさにしばし見惚れる。緻密な彫刻が施された白い柱の一本だけ、模様が反対。これも、あえて未完成の状態にすることで災いを避ける意味を持たせているのだとか。

最近、花を勉強しはじめたこともあって、自然と花をモチーフにした装飾に目を奪われてしまう。これは、神楽殿の壁面に施された花籠。素敵!

これだけ絢爛豪華な社殿を、全国から454人の名工を集めたとはいえ、わずか一年と5ヶ月で完成まで導いてしまったというから、どんなに優秀なディレクターがいたのだろうと、想像するだけで楽しくなる。東照宮と言えば、見ざる・言わざる・聞かざるの三猿の彫刻が有名だけど、同じ馬舎にはこんなにユニークな猿の姿も。下を見る猿が表すものとは...人生の崖っぷちに立たされた時に仲間が慰めている様子?らしい。

戦場ヶ原を経て、中禅寺湖。ここもまた、会津の桧原湖のように広大だった。
国破れても山河あり...日本は、それだけでじゅうぶん豊かなことに気づかされる。ひとつの旅を無事に終えたことにも感謝。
2009年07月05日
会津西街道をゆく 大内宿
喜多方からの帰路を、高速道路ではなく、”会津西街道”にとってみようとなる。土地の暮らしを肌で感じるなら、古くからある下道が魅力的。現代の旅にもちょうどいい間隔で、休憩場所 ”宿”を見つけることができる。
江戸時代初期に、会津藩が江戸と会津を結ぶ幹線道路の一つとして整備した会津西街道。”大内宿”は、その宿駅として生まれた。時刻は朝の8時すぎ、宿場町を取り囲む小高い山々が、朝靄からその姿を現していく。これから、夏の一日が始るのだ。朝靄が次第に流れ青い空が広がると、山肌から送電の為の鉄塔が顔を出した。何処にでもあるものがここでは場違いに思え、その存在意義さえも考えさせられてしまうから、美しい風景の放つ力は凄い。

ほとんどの家の雨戸はまだ閉じられたまま。人気のない町並みを、気持ちがいいくらいに整然と張られた水路の水が音を立てて流れていく。汗とは無縁のうちに、小高い丘に建つ高倉神社へ足を伸ばしてみようか。茅葺の寄棟造りの町並みを、水田と山がとり囲んでいる。いや、山と田畑がこの集落を包みこんでいることに気づく。高倉神社は、平清盛の全盛期に反平氏の挙兵をした”高倉宮(後白河天皇の第二皇子)”が、戦いに敗れて潜行していたと伝わる場所だ。この地でも、3日前の半夏の日(7月2日)に、古式豊かに祭りが行われたばかりだという。祭りの後の空気がまだ鮮明に残る高倉神社は、静かな暮らしを見守る灯台のような存在だろう。

神社を下りていくと、視界に突如として”二頭の熊”が飛び込んできた。これだけ山深い場所だもの、マタギは健在だと思っていたが...。私が立派に剥ぎ取られた熊の毛皮を珍しそうに見ていると、主らしいおじさんが近づいてきた。どうやら、おじさんも話をしたくてウズウズしている様子だ。まず、長野から来たことを伝える。すると、同じ余所者でも少し親近感を持ってもらえたようである。「どこの熊ですか?」と聞いてみる。すると、おじさんは神社の向かいの山を指さして「あそこだぁー」と言う。この時期は山の”生の果物”がいったん終わって、食べ物が乏しい時期なのだという。だから、たまにお腹を空かせて下まで降りてきてしまう。秋になったら、ブナなどの小さな木の実をたらふく食べているそうだ。熊の指先(爪)は、私たちが思っている以上に器用なもの。「ひと掻きでもされたら大変さ!傷はとても深くて治りにくいんだ。」「左のはまだ若いから、毛並みが良くて黒々としているよ。」

「こっちのは、ほら。茶色っぽくて、”薄い”。」

「ハハハー、本当ですね。人間と同じってこと?」
「そだよ。熊も人間も同じさ。」
「そういえば、昨夜の峠道で野うさぎが跳ねているのを見ました。」
「今はね、生まれた子供が遊びまわる頃なんだ。うさぎも大人になったら大っきいよー!」
私もそれは知っている。軽井沢に来て、家が出来るまでの間に暮らしていた場所では、ちょくちょく野うさぎを見ていたからだ。重そうー!というのが第一印象。これが、旨そう!に変わる前にめっきり姿を見なくなってしまった。おじさんは、「家でも熊料理を出しているから、よかったら食べて行って。今は黒い熊の肉だと思うよ」と言って、家に戻っていった。
さすがにお昼前から山肉の気分ではないので、さっぱりと冷たい蕎麦を食べようと思う。大内宿は、高遠のお殿様が「これは旨い!」と太鼓判を押した、高遠蕎麦が名物料理。ネギを箸代わりにした、その冷たい蕎麦のお味はいかに...。いただいたのは、宿の入口に店を構える三澤屋さん。寄棟造りの室内は、今にも袴姿のお侍さんが出てきそうな雰囲気で、山からの風が心地よく流れていた。蒸し暑い日本に於いて、この茅葺屋根の家は天井が高く、機能美に溢れていることが体感できる空間だ。

大内宿の家は藩政時代の厳格な町割りによって決められたもので、一軒あたりの敷地面積は100坪弱に40坪の家屋。街道に沿って三尺(90cm)の縁側を付け、その前にオモテと呼ばれる三間(5.4m)の広場を設けているのが特徴だ。このような絶妙のバランスに、それぞれが箱庭に数種類の野菜を作っているのだから、なんとも微笑ましい。家のまわりの小さな畑で、いろいろな野菜を少しずつ作る。これこそが理想の暮らし方かもしれないと思った。夏は冷たいが御馳走である、高遠蕎麦のネギはもぎたてで清々しく、辛みより甘みを感じる美味しいものだった。蕎麦ももちろん手打ち。丁寧にとられたダシのきいたつゆも美味しく、大満足。お父さんが炭火で焼いた岩魚もお腹にはたっぷりと味噌が入って、川魚特有の臭みを上手に消していた。大内宿では、昔ながらの生活道具もお土産のように売られている。お母さんが編んだという大小セットの竹の籠と、村おこしではじめたという、十念(えごまの実)大福をお土産に買った。

宿の奥まで歩いていくと、名主の安部家の軒下に提げられた変わったモノを見つけた。そこを小さな蜂がブンブン飛び交っている。これは、葦を巣とする”マメコバチ”という蜂で、茅葺の大内宿は今では数少ないマメコバチの生息地であることを知った。いつの時代も蜂の力なしでは作物は育たない。蜂が自然と巣を作る環境こそが普通であり、ベストな暮らし方なのだ。

さぁ、観光客で混みはじめた大内宿を後に、今度は同じ街道筋にある川島宿を通って帰路につこう。
2009年07月04日
はじめての ”裏”磐梯
磐梯でスキーをしたのは昨年のことと思い込んでいたが、今年の1月だと気づいて驚いた。あれから半年が経ち、今回は夏の会津とご対面。磐梯山の北面、通称”裏磐梯”を歩いてみたい。
磐梯山のような、かつて大噴火をした山に親近感を抱くのは、自分たちも活火山の裾野で暮らすようになったからだと思う。タイトルに、はじめての裏磐梯と書いたが、正確には初めてではない。旅好きの両親に連れられて、小さい頃に五色沼へ行ったことがあった。その時は、「なんて綺麗な色をした沼だろう!」と感激したような気がする。しかしそれは、アルバムに写真が残っていて、それを何度も見ていたから脳裏に焼きついた記憶のひとつのようにも思えてくる。旅とは自分が計画したものでないと、真剣の度合が違うからだ。その時の自分が、”どんなことに興味を持っているか?”によっても、注ぐ視線は変幻自在に変わっていく。
ひとつの山には、裏と表のふたつの顔がある。浅間山も剣も、見慣れた角度からの眺めに無言の落ち着きを感じ、その人にとっての山のあるべき姿になっていると思う。磐梯山もそうだ。南面から望むこの山は、どんな季節も猪苗代湖の水面の光を浴びて、すっくと空を仰いでいる。尖った山頂は鋭角だが、なだらかに連なる稜線に不安要素は感じられない。では北面はどうか?というと、これが同じ山であることを疑ってしまうほど、険しい表情をしているのだった。磐梯山は、1888年(明治21年)に大規模な噴火を起こしている。今では幾つもの湖に囲まれているが、この噴火前にあったのは南の猪苗代湖と、北の雄国沼だけ。噴火によって、桧原湖や秋元湖など、およそ300もの湖と沼が生み出されたのだ。中でも桧原湖はとても広大で、瀬戸内海に来ていると錯覚してしまうほど。磐梯山に最も近い沼を、五色沼と呼んで親しまれているようだ。沼を構成する成分がそれぞれ異なっているために、色合いの違う沼が出来ている。水の割合の多いところでは自然とプランクトンが多くなり、魚も生息(柳沼)。また、多量のカルシウム・硫酸イオンが含まれるところでは、目の覚めるようなコバルトブルーを見ることができる(青沼)。写真は、るり沼から青沼へ流れる沢の様子。雨の後なので水量が豊富で、沢の底には灰色の泥のような沈殿物があった。これも何かの物質なのだろうが、こんなところでもスギナは元気いっぱいだ。まったく違う植物に見えてくるから不思議。

五色沼を楽しむための散策路は磐梯山の東西に敷かれ、片道で一時間くらい。瑞々しく豊かな森に噴火の傷痕を見つけることは難しいが、自然が再生していく力を目の当たりにするよう。ハッとするような自然美がそこかしこに。
青空と沼を上下で反転したような、青沼。白い花越しに、その姿を見せてくれたことが幸運。多量のカルシウムと硫酸イオンを含んでいるという。

すべての沼を繋ぐ沢の流れに、マイヅルソウの群落を発見!こんなに美しい造形が自然の中で静かに存在していることに感激する。

むせるような緑の洪水のなか、雲間から差し込んだ光に偶然照らされたのは、イワガラミのドライ。一年前に咲いたものだろう。周りには、今年のイワガラミの花がいっぱいだ。

倒れても、曲がりくねっても、決して諦めない。天に光がある限り、木々は芽吹き、一歩でも空に近づこうとする。でも、どこにも力が入っているように見えない。むしろ、その姿はユニーク。

冬の間の裏磐梯は、猫魔スキー場の極上パウダーが表すように光に閉ざされた冷たい山であると思う。五色沼の分布する場所の標高は800mほどで軽井沢より200mも低い。しかし、山紫陽花もトリアシショウマも咲きはじめたばかりだった。軽井沢より遅いのである。そう考えると、裏磐梯の夏は思っている以上に短い。だが、美しいものに違いない。噴火のずっと前からある雄国沼にはニッコウキスゲが咲くというし、そこから猫魔ヶ岳を望むのもよさそう。紅葉の中津川渓谷も見てみたいものだ。
2009年07月02日
七十二候 半夏生づの5日間

車を運転していると、木の幹に絡みついた白い葉を目にする機会の多い、今日この頃。これが、半夏生(はんげしょう)という名の植物だと知ったのは、信州を旅した二十代はじめだったと思う。しかし、”半夏”そのものがテンナンショウとよく似た”カラスビシャク”のことと知ったのは、ごく最近。いやはや、なかなか難しい。
軽井沢を降りていくと、信州の米どころ 佐久平である。ここには見渡す限りの空と水田が広がり、田植えを終えてからすくすくと育つ稲穂が風に揺れている。そうして思う。日本の夏を象徴する清々しい風景は、この”梅雨”という天からの恵みによってあるのだと。一年のうちで、とても大切な節目の時期なのだとも。昔の人は、農作業の手順をよりわかりやすくするために、既にある(二十四の)暦をアジェンダのようにさらに細分化していた。それが、七十二候である。今日から7月7日(七夕)までの5日間を、七十二候では”半夏生づ”の期間といい、その目安がカラスビシャクの花が咲く頃なのだ。今までは白い葉ばかりに気を取られてきたが、今年からはカラスヒジャクをなんとか探してみたいと思う。
同じ日本と言っても南北に長く、地域によって季節の訪れは様々。だが、昔から農作業は7月2日までに一旦終えるのが良しとされてきたようである。関西では”水田の稲が蛸のようにしっかりと根をはるように”との願いをこめて、7月2日に蛸を食べる習慣もあると聞く。七夕の前は、日本中のみんながのんびりと。なんだか、いい。
さすがに軽井沢で稲作は難しい。ここでは風に揺れる稲穂はないけれど、地面いっぱいに葉を広げる緑の野菜畑を見ることができる。これが、来る夏の風景だ。浅間山の存在をも隠し続けるどんよりとした梅雨空の下で、レタスやキャベツが山の裾野を緑色に染めていく。

2009年06月27日
真夏日 亜高山帯を歩く
今日は軽井沢もかなり暑い一日になりそう。こんな休日は、まだ行ったことのない長野へ足を運んでみたい。向かった先は、麦草峠を走った先にある白駒池だ。腕には今日も高度計を着けている。レンゲツツジのことは書いたばかりだから、白樺が混じりはじめた峠道ではオレンジ色の花のかけらがないものかと期待が高まる。笹が地面を覆い隠すエリアに入った。すると、笹の中からこんにちは!といった様子で優しいオレンジ色の花が開いていた。ここでは、すべてが共生の道を歩んでいることがわかる。笹の繁殖力はかなり強いなと感じられたが、きっと大丈夫。標高1600mでは花も残り僅かとなったが、今の時期は1800m付近が見頃。ここは、レンゲツツジという花の前線が北上する最後の地ではないだろうか。

白駒池の駐車場に到着した。ここに車を置いて池まで歩いていくのは、なんと今日が初めて。
「いつでも行けるのだから...」そんな風に思っていると、同じ長野にあっても縁がない。歩き出すと、あまりの暗さにびっくり。いきなり、針葉樹の森であった。そびえ立つ巨木は、ここが亜高山帯であることを教えている。標高は2000m、トウヒやオオシラビソといった木の姿に親近感を覚えるのは、日頃見慣れているマツ科だからだろう。白樺をグッと大人にしたようなダケカンバやコメツガもそこかしこに立ち並んで、みんなで一つの森を形成している。地面を絨毯のように覆う針葉樹の落ち葉に光はほとんど届いていない状態で、倒れていった木にもそれは雪のように隈なく降り積もっていた。そこに苔が生え、土の代わりを一任されたように水分を蓄えている。ドウダンツツジや、幾つかの落葉樹が根を下ろしているが、みな人の背より低いまま。大きくなることを阻まれているようにも見えてくる。次第に落葉樹が葉を広げるようになって、重たい空気は乾燥したものへ、木々が明るさを取り戻していく。池はすぐそこなのだ。ここで、コメツガの名の由来を見ることとなった。なるほど、この木の新芽は米粒にそっくり。

コメツガの芽吹きを見る。春は訪れたばかりなのだと知る。冬だって瞬く間に忍び寄るというのに。

池のほとりで、幾つかの高山植物に出合った。そのどれもが、池に向かって気持よさそうに咲いていた。日本語には名詞に男女の区別はないけれど、この花たちにつけるとしたら、間違いなく女性名詞をあげる。

肌寒いことを覚悟してきたのだが、ひんやりとした空気は半袖でも過ごせるほどの心地よさを保っていた。標高2000mでこうである。今日の下界は、いったいどんなに暑い一日だっただろう。標高1600m地点まで下り、喉とお腹を潤したら、のんびりと帰路につこうか。駐車場では、若草色をしたいかにも柔らかそうな出来たての松ぼっくりを見つけた。木々の若い芽を見た日に、こんどは若い実をつけた木々を眺める。季節のいろいろな過程を垣間見た楽しい一日だった。

2009年06月26日
ふたつの ” 鳩 ”
梅雨前線は、本州の南に南下して停滞。今日も朝から真夏の日差しが照りつけている。紫外線対策は、標高1000mの高地に暮らしていれば一年中のことだから、特別なこともしない。だが、それでも、いつも以上のことをしなければ!と思ってしまうようなジリジリと肌を焦がす陽気となった。明日の午後から天気は下り坂である。今日のこの日差しは、貴重。
キッチンのブラインドを開けると、そこにはすっくと育つコブシが心地よい木漏れ日を作っている。さりげない透け感が、ご近所さんにも好評だ。リビングで目覚めのカフェオレを飲んでいると、部屋の中に鳩が暮らしている!くらいの迫力で、リアルな声が響いてきた。テーブルの上には鳩の形をしたベースがあるが、まさか...。声の主は、もちろん生きた鳩である。ふたたび、ポーロ、ポロッポポーというような、低い鳴き声が聴こえてきた。北の窓からである。いたいた、コブシの枝に。

ふたたび、テーブル上の鳩型ベースに目をやる。なるほど、鳩は幸せの象徴かもしれない。あの鳴き声、ふっくらとした容姿、不幸な空気はどこにもない。
私は、ドイツ Rosenthal社の磁器が日本の有田焼と同じくらいに好きである。特に、1961年から続いているStudio Lineは好きの上に”特に”がつく。この鳩型のベースもStudio Lineのもので、スカンジナビアデザインの巨匠 タピオ・ヴィルカラさんによるデザイン。2011年には、Studio Lineも記念すべき50周年を迎えるはずだったのだが、Rosenthal社自体が今年初めに破たんしてしまったというのだ。この続きは?果たしてどうなるの?と気がかりでならない。消えてしまうには、あまりに惜しい窯元。かつての日本の道具のように、美しいものを日常的に使う喜びをくれた素晴らしい食器や、そのまま置いてオブジェになるような粋なベースが数多くある。

2009年06月25日
すこしでも 涼感の演出
まだまだ梅雨なのだが、ここ数日は真夏の暑さ。雲は多いながらも、日差しが戻れば強烈な紫外線が降り注ぐ。16:00の気温は25℃!裾野で暮らす私たちのもとに、(山からの)ひんやりとした空気が流れてくるのは17:00を過ぎてからだろう。いやはや、正真正銘 夏の陽気。、ノースリーブでも過ごせる。
こんな日は、すこしでも涼しさを演出したい!そう思って、ホサキナナカマドを投げ入れしてみた。リビングではなく、デッキテーブルの上に置く。窓越しに眺めるためだ。ナナカマドの花の強烈な匂いは、この春すでに体験済み。小空間に飾るものではないと、身を持って知った。花を飾る時は、その匂いにも注意が必要だ。香水を付け過ぎた人が周囲に及ぼす影響は、本人が思っている以上にエスカレートすることに似ている。

2009年06月21日
梅雨時期 ムラサキ
台風3号は熱帯低気圧に変わるようだ。その影響もあるのか?今日の軽井沢は梅雨の最中とは思えぬほど蒸し暑く、霧に包まれても肌寒く感じることがなかった。この時期になると、庭のあちこちで紫色の花ばかりが咲きはじめるから楽しい。春は黄色とともにやってきて、次は幾つもの白色。そして、木々の緑と同じくらいに鮮烈な印象を残す、紫色の菖蒲の花が閉じた。今の時期は、同じ紫と言ってもひっそりと咲くものが多いような気がする。ツユクサはその名の通りで、この季節を象徴する瑞々しさ。スラッと伸びた葉から、雨の滴が楽しそうに滑り落ちていく。昔、この花をインクにして遊んだ。

ユニークな姿に惹かれて、思わず石垣に植え込んでしまったタマシャジン。「今年は出ないかなー?」と半信半疑だったが、さすがは宿根草。きちんと芽を出して、愉快な花を咲かせてくれた。

山萩は、蕗と同様もともとこの地にあったものなのだろう。半日蔭のような場所を上手に見つけて、ぐんぐん背丈を伸ばしている。庭の片隅で一足早く咲きだしたのは、紫色が爽やかな仙台萩。地物ではないので、山萩のように増えることはなさそうだ。萩の花は、これで全開なのだろうか?豆の花に似て。

2009年06月20日
頑張れ!マルハナバチ
我が家のデッキ下には、ミントが植えてある。そのミントと競うように、ここにきて急に背丈を伸ばしてきたのがクローバー(アカツメクサ)だ。デッキまで頭を出して、ポンポンと赤い花が咲いていたから驚いた。日当たりの良い場所に根を下ろした この草は要注意である。タンポポと同じで植えた覚えなどないのだが、油断していると辺り一面にはびこる。ミントの生命力も凄いけれど、こちらは更に上をいく。

小さい頃、小屋で飼いはじめたばかりの小さなパンダウサギを自転車の籠に入れて、蓮華畑で遊ばせたことがあった。その時のウサギの、なんと嬉しそうなこと。ウサギにとって、蓮華やオオバコの葉は御馳走であるらしかった。口のまわりの白い毛を緑色に染めるまで食べ続ける姿を見て、もう少ししたら飼うのはやめようと思った。ウサギは大きくなると、子供には素手で触れないほど強く逞しく怖いものになって、間もなく子供を産んだ。当時の私には、子供が子供を産んでしまったと思え、いつまでも子ウサギのままでいる願いが消えたことが残念でならなかった。小屋も増えて、餌やりからベッドの交換まで世話は増えていく。当時は、どこで情報を得るのか知らないが、ウサギなどの小動物を引き取っていく人が現れていた。私のウサギもそうして、どこかの家で飼われていったことと思う。
蓮華畑にはそんな思い出があるのだが、果たして今でも故郷にあるのだろうか?蓮華畑がそこにある意味を知ったのは、恥ずかしながら、つい最近のことかもしれない。近くには、苺を栽培するハウスがあった。そう、つまり蓮華畑は苺を栽培する家のものだったのだ。天気のよい日にはハウスのビニールは開けられていたから、半分が露地ものと言っていいような、しっかりとした歯ごたえを持つ、美味しい苺だった。ハウスの中は甘酸っぱい香りに満ちた幸せな空間で、いつもブンブンと蜂が飛んでいた。蜂は蜜集めに夢中だったから、刺された記憶はない。

目の前のマルハナバチも、花の中に潜り込んで忙しく飛び回っている。マルハナバチは、英語名でbumble bees 。映画 トランスフォーマーにも、バンブルという名のロボットがいたと記憶している。ハチは、動くことのできない多くの植物にとって欠かすことのできない重要な送粉者である。我が家では、数年前から極力 虫を殺すことをやめている。この時期、楓の新芽にビタリと張り付くアブラムシは、育ち盛りの鳥やそれより大きな虫の食糧である。暫くすれば、その新芽からアブラムシの姿は不思議なほど自然に消えてしまう。
湿度の高い軽井沢で虫と言えば、通称 シケ虫(カマドウマ)。今でも、彼らといかに会わずに暮らせるかを理想の家とする傾向が根強いと思う。私もそうだった。実際、この家でシケ虫を目にするのは年間を通して50匹くらいだと思うが、だんだんと、この虫に対する考え方を改めるようになってきた。私たちに何の害を及ぼすわけでもないのに、その姿・形だけで嫌ってしまう理由は、遠い昔の記憶にあるのではないかと。人は、38億年も生きながらえてきた生物だから、きっと小さかった頃に”黒い虫”の大群に襲われたりして、嫌な記憶が焼き付いているんじゃないかと思えるのだ。そうでなければ、なぜ、コオロギと変わらぬこの虫を「特別に怖い!」と感じるのだろう。我が家では蜘蛛の姿をよく目にするし、それで床に小さな虫の死骸がないのかなと思う。無理なくバランスが取れていれば、外でも内でも、虫が大発生することはないのだ。殺虫剤は、家の外でも中でも要らない。我が家では午後4時をまわると、”ブヨ・タイム”。そう、呼んでいる。虫たちの夕食時間は早い。それにこちらの行動を合わせる努力をすれば、刺されて嫌な思いをしないで済む。今年も、頑張れマルハナバチ!花は君の到着を待っている。
2009年06月19日
更紗灯台と蓮華ツツジ
標高1600m付近の高原では、白い木の花が姿を消して、代わりにオレンジ色の花がそこかしこに見られるようになった。オレンジ色とは、サラサドウダンツツジとレンゲツツジである。サラサドウダン...なんて響きのいい名前なのだろう。名の由来は、室町時代末期にインドやジャワから伝わった、”更紗染め”からきているらしい。つり鐘状の小さな花には繊細な赤い模様が入っており、それが更紗染めに似ているというわけだ。目を凝らして眺める。うーん、素敵!

それではレンゲツツジの名の由来は?というと...こちらは花でなく蕾が”蓮華”に見えることからだそう。山スキーでよく訪れる湯の丸高原 地蔵峠周辺もレンゲツツジの群生地であり、その数は60万株というから驚きだ。既に天然記念物にも指定されている。山の斜面が爽やかなオレンジ色に染まった風景は美しいというより、私にとってはオレンジ色の淡水パール(天然色)のように愛らしいもので、何度見ても心が癒される。

高原と言えば牧場。そこで放牧される牛や馬がレンゲツツジを食べ残すことから、ウマツツジ、ベコツツジという別名まであるという。食べ残す理由は、レンゲツツジに含まれる痙攣毒。それによって、この木の群生地となった牧場も多いと聞く。猛毒を持っているのだから、さぞ強靭な山の木だろうと思ってしまうが、絶滅が危惧されるほど自然の中ではとても弱い存在。過去に、レンゲツツジの群生地を守ろうとフェンスなどで囲ってしまった場所も多いようだが、そんな場所ほどこの木は姿を消しているそうだ。野生動物が共存する山であれば、そこに自然と生える様々な草木は動物にとって豊かな餌場となり続ける。檻の中で、動物との接点も断たれ、無菌室の中で生きることを余議なくされたドウダンツツジにとって、そこにはびこる笹は自然の脅威でしかなかったのだ。弱いからこそ、毒を味方につける。自然界には、毒を持った植物がなんと多いこと。そして、同時に薬となる植物も無数に存在していることに気づく。今年も、庭の片隅でゲンノショウコが立派なグランドカヴァーとなりつつある。
2009年06月18日
ふわふわのスモーク!
先週に引き続いて、先生がスモーク・ツリーを持ってきた。それを見た私は大感激!一週間前に見た時は、「若いかなぁ...」という印象を受けたのだが、今日は明らかに違っていた。スモーク・ツリーのふさふさは、小花が終わった後にあることを目の当たりにしたのだ。またその美しさは、ごちゃごちゃした葉っぱをすべて摘み取ってきた下準備の賜物であることを知った。

色合いだけでない、軽やかで瑞々しい質感が生み出す魅力は”生花”だからこそ。生花を飾ることは、材料の調達から下ごしらえ、運搬、水の管理と大変な努力を必要とする。だが、季節の花の最も美しい時は一週間にも満たないのだ。だから、この目にしっかり刻んでゆこうと思った。それから、どんなに雨が降っていても、億劫がらずに外へ出て一歩を踏み出していきたい。そうすればきっと、いや必ず、植物との一期一会が待っているはずだ。

2009年06月17日
蝉の雨宿り 巣立ちの時
時刻はもうすぐ10時、ようやく日差しが木々を照らしはじめた。地面も、そこに生える草木も、建物も、すべてが雨を浴びた後で水気を帯びている。窓を開けると、デッキ用の椅子に蝉がはりついていた。僅かな窪みを見つけて、いつから雨宿りをしていたのだろうか?それとも、孵化したばかりで黒い椅子を木と勘違いしているのかもしれない。いずれにしても、「どうしてここに?」。

暫くすると、よたよたと椅子の角まで歩いてから、ニレケヤキの幹へ飛び立っていった。飛び方が何ともぎこちなかったので、やはりまだ地上の暮らしは始まったばかりの様子。蝉は羽が命である。今日一日、彼らの大合唱が一度も聴こえてこなかったのは、空気が湿ったままだったからだろう。野生で生きるものは成長の過程がびっくりするほど早いので、見ている私達はとても楽しい。先週まで、野鳥の雛の鳴き声(ピヨピヨという)が一日を通してひっきりなしに耳に届いていたが、ここにきて急に静かになった。もう、雛ではなく子供と呼べる大きさに育ったようである。この時期は、景色の映り込んだガラスに野鳥の子供がよく激突して脳震盪を起こしている。正面から減速せずに突っ込んできた場合は、まず即死である。手に取ってはじめて知る、命の重さ。いろいろ対策をとっても、霧の出ている日などは特にわかりづらいようだ。透明なガラスは、建物の中で暮らす人だからこそ望み、この世に生まれた人工物だろうと察する。室内で暮らしていても、自然の織りなす姿・空気・風を取り込みたいと思ってしまうのだから、やっぱり人は自然のなかで共に生き続けることを望んでいる。
この春、リョウブの下に地植えした山紫陽花 七変化。ガクアジサイのような花は木にも多く、見上げていた高所から腰の下へと、同じ花が目線まで下りて来てくれたように思えて嬉しくなる。

2009年06月14日
木の花の終わり 近づく
たった一日のうちに、晴れ・曇り・雨・雷...と、空の様子が目まぐるしく変化する日々が続いている。梅雨時は冬の日と同じで、空模様に自分を合わせていくのが、自然。
午後は真夏の日差しが戻ってきたことが嬉しくて、家じゅうの”布団”と名のつくものに次々と掃除機(ダニを退治するため)をかけ、順番に外へ干していった。晴れ間が出るのとほぼ同時に広がる蝉の音は、とてつもない勢いで空気が乾燥していく証拠に思える。だが、空から雲が消えることはない。梅雨時は限られた晴れ間をいかに有効に使うかである。サンサンと降り注ぐ太陽の光の下で午後の転寝を終えた布団たちを室内に運び入れたら、思わず「ふぅ」と一息。額に汗をかいている。リビングの床にペタリと座り、庭のミントをたっぷりと入れたソーダ水を喉に流し込めば、東西南北に開けた窓からひんやりとした風が頬を伝った。蝉の音は知らぬ間に消えて、代わりに聴こえてきたのはカッコウの透き通る鳴き声。山からの水気を蓄えた空気が、幾つもの木々に触れながら降りてくる。
6月の中旬となれば、花をつけた木は僅かだ。山の木に咲く花は不思議と白いものが多く、それが景色をいっそう清々しいものにしている。香り高いウツギの花は終わった。ガマズミはずいぶん長いこと咲いているが、そろそろ色褪せる頃だろう。庭のヤマボウシの白いガクが際立ってくると、軽井沢じゅうの紫陽花が咲き始める。花屋には、軽井沢に春がやってきた頃(4月下旬)から園芸品種の紫陽花が並んでいたから、この目はもう何ヶ月もの間 紫陽花という花を見てきたことになる。
衣装でも野菜でも何でもそうだが、少しだけ季節を先取りすると特をした気がするもの。だが、ここでは旬は旬のままで良い気がする。野菜も果物も露地で育ったものでよく、それが一番美味しい。旬とは、一年ぶりの再会のようなものだろうか。その時期は毎日同じものばかりを食べていても、後で振り返れば最も美味しかったことに気づくからだ。
木の花は時代がどんなに変わっても、純粋無垢な旬を守り続けることと思うが、そうであって欲しいと願う。一年に一度きりの眺めだから、今日も私は”木が一年ぶりに咲かせた”花をじっくりと眺めている。
2009年06月13日
スモーク!
昨日は、煙の木(スモーク ツリー)を見に行って来た。前の日に、この木の投げ入れを見ていたので、元の木がどのような姿をしているのか?そして開花のピークは2、3日と聞いていたから、花のついた状態をじっくり観察したいと思っていた。

遠くから眺めると、モクモクとピンク色の煙を上げる不思議な木だったが、真下から見上げるとこんな感じ。スモークの部分は空にとけこんで透明感があった。枝先を覆った長い毛は、小花が咲いた後に雄花の花柄が糸状に伸びていったものだというから、何ともユニーク!白い煙になるものと、このようにピンクの煙になる品種があるようだ。手に取ると、煙と言うより何かの毛である。調べてみると、スモーク ツリーは別名”白熊の木”と呼ばれるらしく、「なるほど、白い熊か...」と思わず納得しそうになった。だが、ここでいう白熊とはハグマ”ヤク”を指し、その尾っぽに似ていることから、この名がついたのだという。軽井沢でも5メートルくらいに成長して、ものの見事に”煙っている”のを見たことがあるから、寒さにも強いのだろう。ウルシ科なので独特の匂いがあり、手荒れに注意。私は素手では後が怖いと思い、手袋をして葉を間引かせてもらった。白壁をバックにすると、一気に存在感が出て華やか。お祝いムードが漂う。

2009年06月12日
どこか懐かしい 千鳥草
梅雨であることを忘れてしまいそうな、爽やかな夏日。リビングに生けた千鳥草が、緑を濃くする庭をバックに、なんとも涼しげな雰囲気を醸してくれた。

千鳥草(別名 飛燕草)はヨーロッパ原産 キンポウゲ科の一年草で、小花が千鳥の飛ぶ姿に似ていることから名づけられたという。遠目から眺めている分には透明感のある清楚な花だなと思うが、近づいてみると本当にユニークな姿をしている。初めて我が家にやってきた来た(飾った)花なのに親近感が持てるのは、コスモスとよく似た葉に懐かしさを覚えるからだろう。

千鳥草は夏の季語でもある。この花の名が、これから自然と頭に浮かぶようになったら嬉しい。
2009年06月07日
楽しい 夏の庭

一気に7月下旬の陽気となった今日。辺り一面に響き渡るカッコウの囀りと蝉の合唱が、夏気分をいっそう盛り上げてくれる。今日も、ヤマガラがニレケヤキの苔を取りに来るのを ひそかに楽しみにしていた。だが、その気配はなさそうだ。彼らが忙しく往復していた先へ行ってみると、落葉松の幹に提げられた(ご近所さんが作ったらしい)巣箱があり、そこからピヨピヨという雛の鳴き声が聞こえてきた。苔はこれから巣を作るためのものと思っていたが、それでは遅すぎるというもの。雛のためのベッドとして、苔を使っているようだ。シーツを頻繁に交換する、綺麗好きの親たち。
家のまわりを歩いていると、時折 その美しさにハッとさせられることがある。自然が作り出す風景こそが、庭づくり最高のお手本。ただ日を求めて枝葉を伸ばしていった結果なのだろうが、こんなにドラマティックな植栽の配置となるのだから、頭が下がる。

日が傾いて、心地よい木漏れ日に包まれるデッキで夕涼みをはじめた旦那さんが、リョウブの根元の草が小刻みに揺れているのを見つけた。二人ともかがんで、ふかふかの地面という同じ方向をジーッと見つめ続けて数分、モクモクと地中を動き回る小動物の存在に気がついた。「もしかして、庭に同居している蛇のジムグリ?」と思ったが、それでは動きが小さすぎる。暫く目を凝らしていると、彼らに捕まらんと逃げるミミズの姿が。ミミズを追うようにして、枯葉の間から「しまった!」と言う感じで一瞬出てきたのが、小さなピンク色の鼻と特徴的な手を持つ小動物 モグラであった。それも二匹だった。時刻は午後4時、ちょうど夕食の時間なのだろう。小動物が何かを知って、旦那さんもご満悦の様子だ。
今日は月のある夜でもある。夜になれば、昼間は寝ているムササビとフクロウの行動時間。ここの夏は儚いほど短いが、心を揺さぶるような楽しみをくれるには充分な時間と言える。
2009年06月06日
鳥と木の いい関係
梅雨の最中に訪れる晴れ間はありがたい。浅間山は裾野まですっぽりと雲で覆われているけれど、雲間から日差しが差し込めば、雨に濡れた木々はキラキラと輝いて眩しいほど。窓を開けて、新鮮な空気を部屋の中へ取り込もう。家の中の空気は”排気ガスに触れないから、それほど汚れない”と思いがちだが、こうして星が常に循環させている空気に触れると「明らかに、清らかで、違う」ことを知らされる。デッキの表面にできた水溜りを、太陽の熱が蒸発させている。窓から流れ込む空気は梅雨時特有の重さを持っているが、様々な草の香りが鼻腔をくすぐって楽しい。
今日一日、雲が完全に消えることはなさそうだが、少しの晴れ間も無駄にはできない。洗濯物を外へ出したり、引っこめたりを繰り返す合間に近くを散策したり、庭の手入れをする。雲行きに合わせるという表現がぴったりな午後である。
珈琲で一息つくと、私と似たような過ごし方をしているものを見つけた。野鳥である。晴れ間が出てから、ひっきりなしにニレケヤキを訪れているが、その理由は何だろう?デッキに腰かけて眺めてみると、常につがいで行動していて、巣づくりの真っ最中であることがわかった。ニレケヤキの幹についた”苔”を嘴で集めているのだ。器用である。以前、雨戸の戸袋にシジュウカラが大量の苔を集めて巣にしようとしていたことがあった。その時も、ここの鳥たちはなんて山国らしい家(名づけて モス・ハウス)を作るのだろうと思ったものだ。一人では、どうしたって動きことのできない木にとっても、ありがたい共存の関係。湿度の高い土地では、風通しのよさが心地良さや健康に繋がっていくように思う。苔蒸す...という現象を日常的に感じる環境で暮らしているから、なおさらかもしれないが。

デッキから地面へ降りると、見憶えのある穴を幾つも見つけた。写真を撮ろうと思って穴を覗き込むと、まさかのタイミングで長い舌を出したからびっくり!ジムグリという名の蛇である。高原の夏は、生き物が命を紡ぐための季節。様々な生き物と、共に生きていることを実感する日々が続く。
2009年06月05日
薔薇よりも...素朴が今の気分
リビングのテーブルに置くなり、凛とした空気を放ちはじめたシャクヤクの花。同じ白どおしで爽やかにまとめてみようと、梅雨を彩る山の木 カンボクを合わせている。薔薇も好きだと思ってきたけれど、シャクヤクの方が自分好みなのではないか?と最近になって思う。

コーナーを彩るのは、サラサドウダンツツジと艶やかなピンク系のシャクヤク、牧草地に紛れてひっそりと咲いていそうなムギナデシコの組み合わせ。直射日光の入らない夏の室内だが、花本来の色を引き立たせるには、このくらいがちょうどいいのかもしれない。灯りの必要な夜になれば、草花の影絵がくっきりと浮かび上がって、白い壁ははしゃいでいるかのように躍動的で華やかに。

2009年06月04日
コナシで お花見
海の口自然郷のなかにある、八ヶ岳高原ロッジ。標高は1600メートルほどあり、コナシの白い花がようやく満開の時を迎えた。雨上がりの翌朝、窓からの眺めはこんな感じで、うっとりするほど綺麗。廊下を歩く誰もが立ち止まり、息を呑むような光景に目を奪われてしまう。花だけを先に咲かせる初春の木とは違い、コナシはまず瑞々しい葉を茂らせてから、愛らしい薄紅色の蕾をつける。この葉っぱと蕾が織りなす数週間の色のグラデーションがなんとも素敵で、好きな風景だ。

音楽堂まで足を伸ばし、木陰を見つけて優しい草の地面に腰かけた。ここで、ハムとチーズのお手製サンドイッチでランチをとろう。軽井沢とは一味も二味も違った高原の空気に心地よさを感じて、立ち上がったところで、また見憶えのある葉っぱを見つけた。もう、葉だけでその木の名を当てる自信がある。間違いなく、ウリハダカエデである。だが、その幹の姿に仰天!私が木陰に選んでいた木が偶然にもウリハダカエデであることにも驚いたが、一週間前に見た木とは似ても似つかぬ立ち姿であったのだ。白樺のように色褪せた幹からは、お歳をめした老木であることが伝わってくる。楓でも、どんな木でもそうだが、時を経たものだけが見せる繊細で深い表情をしていた。所々に青さが残っているのは、私たちと同じように”幾つになっても気持ちだけは若い時のまま”の現れなのかも。

2009年06月02日
アリウム・シューベルティ
教室の玄関に飾られていたのは、花火のようにユニークな形の花だった。さっそく名前を聞いてみると、”アリウム・シューベルティ”というのだそう。思わず舌を噛んでしまいそうな名前である。先生はこの花が最近のお気に入りらしく、球根を50本も買ってしまったというから、驚きだ。

巨大なネギボウスのようなアリウム・シューベルティは、果たしてどのように育っていくのだろう?と興味は尽きない。ドライフワラーにすれば、こんな感じで色を纏うことも可能だ。

新たな世界は、出会いと発見に溢れている。一週間にわたって身の周りを飾る花の名を、覚えないまま終わることはないのではないだろうか。
2009年05月31日
見えないものが見えてくる
白樺まじりの標高1600メートルの高原を散策していると、同じ葉ばかりが群生している場所にでくわした。葉っぱには三本の切れ込みがあり、カエデに似ているのだが、木の名前がわからない。ここに暮らしていれば、きっと誰もが自然と知ることになるほど特徴のある木にも思える。やはり、植物の名前は日頃から頻繁に目にしているものでないと覚えることは難しいようだ。暫く歩いていくと、運よく木の名前を知らせてくれる親切な名札を見つけた。名札を提げた木は瓜のような木肌をしていて、”ウリハダカエデ”と明記してある。言われてみればその通り!わかりやすい名のついた木であった。まわりを見渡せば、あるある、ここにもあそこにも。さっきまで全く見えていなかったものが、自分でも驚くほど鮮明に浮かび上がってきた。「この雑木林は瓜がいっぱいだ」そう思って視線を枝先へと移していけば、最初に見ていたカエデに似た葉っぱを再び発見。ウリハダカエデの特徴が、木肌から葉から記憶されていく。気づくことは喜びだ。

山の近くに池はつきもの。今年は見納めたと思っていた新緑にまた出合うことができて嬉しい。水面に映り込んだ木々は小刻みに揺れ、太陽が顔を出したら、どんなに綺麗だろうと想像した。この日の気温は10℃以下。雨は降ったり止んだりを繰り返し、山を象徴するような空模様である。このような高地の池に魚などいるはずがないと思いながらも、先入観のない子供のように水の中を覗いてみたい。すると、いたいた!小さいけれど、魚は元気いっぱいに泳いでいる。

日曜の午後、仕事に追われる旦那さんの気分転換にと、ゴルフ場にあるような大きな傘をさして家の近くを歩くことにした。緑はさらに色濃く、艶やかな葉っぱは目にも眩しい美しさ。雨の日だからといって家の外に一歩も出ないのは、とても残念なことだと知らされる。瑠璃草が終わりを告げる軽井沢に姿を現したのは、パッと見がなんとも不気味なマムシグサ。緑が溢れて擬態することも簡単なこの季節だが、ウリハダカエデと同じで、一つ見つけてしまえばこちらのもの。次から次へとマムシグサばかりを見つけて、その多さに驚く自分がいる。

移住して間もない頃、これを茶花としてリビングに生けたのは懐かしい思い出だ。自宅の前にさしかかると、旦那さんはもう少し外にいたいようだった。激しい雨である。だが、傘もささずに軒の下で緑をじっと眺めている。見えないものが見えてくるのを待っているのか、ささくれだった気持ちを落ち着かせたいのか、私には察することしかできない。自分にしか解決できないことは、意外と沢山あるものだ。今はただ、自然の中に静かに身を置いていたいだけ。彼の背中から感じた言葉は、そのようなものだった。
2009年05月29日
非 日常的な 白い箱
今日は珍しく夫婦連れだって病院に来ている。それぞれに別の用があるから、同じ建物の中に居ても別行動。これって何だか不思議な感じだ。
待ち時間は、長い。科にもよるが、8時30分に自動受付機で”チェック イン”をして、フルネームをこの耳で聞くのがだいたい11時くらいになる。比較的すいている日でこうである。混雑した日なら、「いつものことだから...」のような暗黙の了解で、午後へ突入していくこともある。こうなると、いざドクターの前に置かれたスツール(待ちわびた割に、頼りない家具だなぁなどと思いながら)に座る時がやってきても、既に身体のことは二の次。「先生、本当に大変ですね・・」とまずは労いの言葉をかけたい心境になっている。両者(ゲストとドクター)の需要と供給のバランスが、うまい具合にとれた状態になってはじめて、いのちに関わる診断や処置は受けたいものである。
長い待ち時間をどこで過ごすか?私は日々の暮らしの延長線上にある日の光を求めて、天窓の真下に配置された椅子を見つけて腰かけた。病院は”白い”。白い建物に白い内装、そこを白装束の人々が行き交っているのだ。非日常的な空気は、時として心地良さをもたらしてくれる。柔らかな光のシャワーが、読みかけの単行本を瞬く間にあとがきの項へと導いていった。
2009年05月27日
貝ボタンでリメイク
ただ一点を挙げるなら、付いているボタンが気に入らない...お気に入りの洋服に出合った時、「惜しい!」と思ってしまうことが、ごくたまにある。プラスティックのボタンに特別な違和感をおぼえるのは、夏が近づいたためだろうか。
飾り気のないシンプルな白いボタンを外していくと、そこに小さいながらもしっかりとブランド名が入っていることに気がついた。「こんな所まで主張しなくてもよいのにな、頑張っているなー」と感心。白いボタンの代わりに縫い付けるのは、着古したシャツにあった天然貝のボタンだ。シャツは捨てたが、ボタンは健在。貝ボタンは洗濯の度にくたびれていくが、そこがまたいい。角が取れて、薄くなって、丁寧にボタンホールをくぐらせることも、一つの楽しみになっていく気がする。

海から生まれたアクセサリーを身に纏うのが、心地よい季節となった。昨年の夏に、南の島でお土産に買ってきたのが、写真にもある夜光貝のネックレス。いま思えば、貝の魅力にとりつかれた”オーナーの人柄”に惹かれて買ってしまったような気がする。山の力も凄いなと日々感じ入っているけれど、これだけの厚みを蓄えて、なおかつ鉱物のように美しい”生き物”を作り上げる海の力には及ばない。首から下げるだけでホッとしてくるのは、私たちの故郷だからなのだろう。中尊寺の金色堂の柱にも、緻密で眩いほどの螺鈿細工が施されていたことを思い出した。美しいと感じるものは、昔から何も変わっていないのかもしれない。
2009年05月25日
白い妖精 あらわる

木漏れ日の下で風に揺れるヒメシャガを眺めていたら、視線の先にもっと涼しげな花を見つけた。苔に覆われてゆく石垣で、ようやく一輪の花を咲かせたのは西洋オダマキ。姿形は紛れもなくそうなのだが、このような清楚な白い花に見覚えはない。

昨年までは、淡いライラック色に中が黄色という、華やかで”しっかりと顔を上げた”花だった。それが、今年は突然真っ白になって、ミヤマオダマキのように少しだけうつむき加減になっているではないか。まったく、信じられないことが目の前で起きている。様々な緑がうごめくこの季節、白は緑にとけ込みながらも特別に際立った存在となることを知ってのことなのだろうか。それとも...。
植物は、私達ヒトが気づくより遥かに早いスピードで、自分が置かれている状況を察知する。そうして、あるべき姿へと変化し淘汰を続け、あり続けていくのだと思う。我が家に根を下ろすものと、そうでないものがあるように...。だから、庭とは尽きるところ そこに暮らすひとが”理想とする環境”を生もう、育てようと試行錯誤する、ひとつの空間なのだと思えてきた。どんなに小さなスペースでも、この星の一部分を構成していることに変わりはない。表面だけを所有して、借りているだけでもない。そこにあるのは、たったひとつのものを皆で共有しているという事実だ。左右に歪んだ地平線を見て、まあるい星の一部分に小さな自分が立っていることに気づいた時の、初めて地面を意識した感動は今も心のどこかに残っているはず。目の前で日々繰り広げられる自然の営みを、これからもずっと感じとっていけたら、嬉しい。
2009年05月23日
ピンクのオオデマリ
華道の先生から譲り受けたピンクのオオデマリ メリーミルトン。紫陽花を小型にしたようなボール状の花は、何度眺めても造花のよう。葉っぱも薄っすらと赤く色づくのが、またいい。風の吹き抜けるリビングのテーブルが、彼女の特等席だ。

軽井沢でも、オオデマリ・ヤブデマリ・カンボク・ガマズミなどといった、ビバーナムの仲間が庭に植えてあるのをよく見かける。我が家も、もう木など植える場所はないとわかっていながら、この春にはカンボクを二株買い求めて植え込んでしまった。どうしようもなく木の花を魅力的に感じてしまうのは、いったい何故なのだろうか。

これは、秋の上高地を真赤に染め上げることで有名なナナカマドの花のアップ。小さな虫が花の中に埋もれているので「どんなにいい香りなのだろう?」と今日はじめて鼻を近づけたら、嗅いだことを後悔するくらいにガックリと落ち込んだ。
2009年05月19日
風に乗る 綿毛
朝10:00、窓の外を見て驚いた!借景の林は光を浴びて眩しいほどだけれど、そこに無数の綿毛が舞っていたのだ。外へ飛び出して、綿毛の正体を突き詰めようと試みる。だが、そんなことより何より、今はこの幻想的な風景に立ち合うべきと思った。綿毛は、目には見えない緩やかな風の存在を教えていた。下の写真に映り込んでいるはずなのだが、なぜか綿毛のかけらも見つからない。雪虫よりずっと繊細な存在なので、光の加減でしか見えてこないようだ。

この時期の軽井沢は、あらゆる植物の開花がラッシュである。我が家の地面には、ニレケヤキの種という絨毯が敷かれたし、無数の綿毛が宙を舞って着地の時を待っている。さっき見た綿毛はどこから来たのだろう。家の近くを少し歩いてみる。大本命は、やはりこのタンポポだろうか?飛び立った後もある。

いや、違う。こんなにハッキリとした種はついていなかった。自宅に近づいて林の淵を見上げると、風に吹かれて、例の綿毛がどっさりと頭上に降ってきたではないか。凍てつく寒さの中で春を知らせにきた、ネコヤナギである。芽吹きも早ければ、種になるのも早い。生命力溢れるこの木はいたる所に根を下ろし、数年のうちにネコヤナギの林を作ってしまう。注意してみていないと、大変な木のひとつだ。

散歩コースの中にある、私のとっておき。それが、この緑の天井だ。見上げていると、首が痛くなるほど高い木ばかりが立ち並ぶ、小人になれる通り。

視線を落としていくと、溢れんばかりの木漏れ日の世界が広がる。この時期、この空間を飾っているのがツリバナだ。こんなに愛らしい花が、この世に存在していることを知れただけでも嬉しくなる。

何層もの木々の間を通過した日の光が、ようやくたどり着くのが林床と呼ばれる場所。グランドカヴァーだ。光に乏しい場所でも、若葉の今ならこんなに明るい。マイヅルソウやユキノシタといった湿度を好む野草が、肩を寄せ合って生きている。
あるべき場所に、あるべき姿で...植物のなかに身を置いてみれば、多種多様なものと共存していることに気づかされる。複雑なことは美しいなぁと思う。複雑だからこそとれている絶妙なバランスに、これからも注目していきたい。

2009年05月17日
朴はバレリーナ?
恵みの雨が続いて、日を重ねるごとに緑が濃くなってゆく。雨という錘を纏った木々の姿はこんもりとして、小さな庭を林に、すでに林である借景を森へと変えた。地面から、渦を巻く新芽をニョニョキと伸ばすシダからは、今にも深い森の匂いが漂ってきそうだ。
玄関を開けると、イロハモミジが深々とお辞儀をしていた。瑞々しい葉の塊。その隙間から、朴(ほお)が「見て見て!」と言わんばかりに葉を広げていた。

一週間前の姿はこうだったのだから、植物の成長は早くて頼もしい。朴の芽吹く様子はバレリーナが踊るよう。衣装の色合いや質感も、真似ができないほど素敵だった。

2009年05月13日
花の居心地

高原に初夏が来たことを告げる清楚な山桜(ウワミズザクラ)が、例年より一週間ほど早く満開に。初々しい葉とともに、桜とは思えぬ白いブラシ状の花が光輝いている。夏が終わり、秋の気配が漂う頃に庭を彩るサラシナショウマにもよく似ている。ウワミズザクラは、我が家にも株立ちの大木があり、それを毎朝眺めながら顔を洗うのが日課である。山桜に限らず、山で咲く落葉樹が「私は○○です」と主張するのが、花を咲かせる時。その一週間と言っても過言ではない。花が消えれば、それは山肌や雑木林を構成する緑の一部分となる。だから、落葉樹の花はじっくりと、目に焼き付けるように眺めてしまう。ここが、草花とは違うところだ。
石垣で逞しく生きる、蝦夷チチコグサの花。散策を楽しむ人が、よくこの花の前で立ち止まっている。地を這うように咲いていたこの花も、今シーズンはずいぶん背丈を伸ばした。日当たりの良過ぎた我が家の庭が、木陰に変わってきた証拠でもある。

ここ数日は、朝晩の冷え込みが厳しい。今朝は、氷点下1℃の朝だった。日中の最高気温も15℃前後だから、そこに流れる空気は精涼感たっぷりのもの。肌寒いが、大陸を渡ってきた空気はカラリと乾燥しているので日の光の下ならすこぶる快適だ。この一日の気温差こそが空気をより澄み渡らせ、新緑をこれでもか!という光で包みこんでくれる。あまりの心地よさに、デッキで華道のおさらいを始める。しかし、眩しすぎて集中できない。目の前の花より、その先で風に揺れるカツラをずっと眺めていたい気分だ。

この花の居心地を考えてみると、やっぱり室内。一度切られた花に直射日光は似合わないようだ。

2009年05月12日
今こそ新鮮な お下がり
デッキに並べたこれらの花器は、およそ40年前のもの。ご近所さんに華道を習い始めたことを話すと、「私も、むかーし習っていたのよ!」と急に笑顔になった。偶然、流派も同じことがわかって意気投合。「そう言えば...」と言って、地下室へ姿を消した奥さんが腕にかかえて”上げて”来たものが、これらの花器だった。「全部あげるので、使ってもらえないか」と言う。こんなに古いものでも役に立てるなら、これまで捨てずに来て良かったとも。基本の水鉢や剣山など、今から揃えようと思っていた矢先のことで、とても嬉しい。地下の暗がりで眠りについていた花器が、まさに日の目を浴びた瞬間だ。

すべてのモノは、少なからず当時の流行をくみ取ってこの世に存在していると思う。最新のデザインだけに囲まれた暮らしは豊かかもしれないが、それらが放つ空気感に(精神面の)裕かさは感じられない。何か、とても大事なものが欠如している気がするのだ。
究極にシンプルだったり、普段使いする道具の割には意匠美に長けていたり、軽くすることや小さくすることが最優先でなかったモノに出合って、感動することがある。古いモノも新しいモノも、時代を吹き込むのは、いつの時代も手にした者次第なのだと教えられる。
2009年05月10日
山菜とムササビ 夏の夜
朝10:00の気温は、なんと25℃!朝から、不意打ちをくらったような暑さに見舞われる。こんな日は洗濯物を干して、かねてからの懸案事項である山菜ツアーに出掛けよう。腕には高度計のついた時計、これが実は大いに役立つ。桜前線の報せが無くなる頃、私のなかでは早くも”山菜前線”(と勝手に名付けている)が浮上しているのだった。
山菜ツアーは、長野の老舗旅館の知人に連れていってもらったことがあった。その時に教えてもらった知恵やルールを、今日は旦那さんと二人で再確認していく。山菜は、”山からお裾わけしてもらう”というスタンスが大切だ。根こそぎ取ってしまえば、トゲだらけでいかにも丈夫そうなタラの木も簡単に枯れてしまう。毎年 一番芽だけを収穫していけば、その下の新芽を生かすことができ、高木になり過ぎて手が届かなくなることもない。そして、自分たちが”春の息吹を味わう分だけ”をいただく。山菜はまさにエネルギーの塊、過剰摂取は身体にとって危険に違いない。

今夜は紛れもなく真夏の高原の夜。夕暮れ前からデッキにスタンバイして、冷えたスパークリングワインで喉を潤そう。メニューはもちろん、今日収穫してきた山菜がメインの天ぷら。山からお裾わけしてもらったタラの芽に、コシアブラを一枝。それから、今年も庭のあちこちに出てきたミツバに、植木屋さんの奥様が畑で育てたという鮮度抜群の行者にんにくだ。どれも収穫して数時間のものばかり。香り高く、軽く、とても美味しい。

食事を終えると、静かに夜の帳が下りていった。上着を羽織って涼しい風を浴びていると、落葉松のてっぺんからカサカサッと懐かしい音が響いてきた。今年もムササビとの再会だ!暗がりに目を凝らすと、再びカサカサカサと木登りをはじめた音。そうして数秒後には、夜空に音もなく白いマントが舞うのだった。ムササビが行動する夜は、月がある日と決まっている。今日の午後 山で見たムシカリの白い花もいまごろは月光に照らされて輝いていることだろう。そんな神秘的な光景に想像をめぐらせれば、無性に見てみたい衝動にかられていく。しかし、夜の山は野生で生きるものたちだけの世界だ。

今日の日中、足を踏み入れた山はまだ目覚めたばかりで、林床までさんさんと日の光が差し込んでいたっけ。それこそが、山菜という恵をくれたのだった。

2009年05月08日
水の滴 ユニークな朴
白っぽい花びらの山桜が、新緑の山肌に彩りを添える。日の光に乏しいことが残念でならない、厚い雲。季節が逆戻りしたかのような冷たい雨が、3日間に渡って降り続いた。葉っぱを伝って地面へ落ちてゆく滴の様子は、まるでピアノの鍵盤が叩かれるよう。新緑と雨が、何かの曲を演奏しているかに見えてくる。昨日(7日)の晩は肌寒さに耐えきれずに久しぶりに薪ストーブを焚いたが、薪のはぜる音や、煙突へ立ち昇る炎が出す音が複雑で、予想もできないところが楽しかった。自然はいつも唯一無二の存在、だから心地よい。
今日は、午後になって一瞬だけだが曇間から太陽が顔を出してくれた。待ちわびた日の光。雨が上がったことは、誰よりも早く外で暮らす鳥たちが知らせてくれる。私も続いて外へ出る。小さな赤い花をいっぱい咲かせた玄関先の楓、その花を上手に包み込んだ雨の滴が光を浴びて輝いていた。

一雨ごとに芽吹いてゆく、朴(ほお)の傍へ行ってみよう。植えてから、もうかれこれ5年は経つだろうか。朴の芽吹きは、何度見てもユニークだ。バナナの皮を、風や雨や太陽がむいているように見えるのだから。

2009年05月05日
ゆっくり ゆっくりの新緑

刻々と変化する新緑に出合うのが楽しい朝。一ヶ月前まで、この眺めに緑という色はただのひとつも無かった。

芽吹きの遅いリョウブの葉が、少しづつだが開きはじめた。まだまだ見通しの良い木々。その間を優雅に飛び交う野鳥も、いつもの顔ぶれに夏鳥が混じるようになってきた。冬の間は群れで行動していた鳥も、この時期になれば、上手に伴侶を見つける。悪戦苦闘しているのは、いつも庭にやってくる山鳩たち。三角関係に終止符が打たれるのはいつ頃になるだろう。
今夜から、まとまった雨が降るのだという。まとまった休日の最後を飾ることが多い雨には、きっと大きな役割があるような気がする。次第に減ってゆく、車の音。霧こそ出ていないが、そこかしこを満たしていく湿った空気。静けさが支配する林では、鳥たちの会話も、緑も、鮮烈。
2009年05月01日
高原のハンバーガー
最高気温は23℃まで上がり、一気に7月中旬の陽気となった軽井沢。サクラソウが咲きはじめたこの町は、今が春!暦の上では早くも夏に入るが、山肌を見る限り、紛れもなく訪れたばかりの春である。そんな控え目すぎる風景に、今日は夏を思わせる軽やかな空気が流れている。
こんな日は車に乗ることをやめて、歩いて買い物へ行こうと思う。車で移動している人たちも、みんな窓を開けずにはいられない様子。目的地に着いたら車は休ませて、ぜひ徒歩での散策を楽しんで。自転車でも発見は多いけれど、やはり一番は歩きかなと私は思う。石垣にひっそりと咲く野生のすみれにも様々な種類や色合いがあり、それを楽しめるのが歩きの速度だと思うから。

銀亭で見つけた手作りハンバーガーは、北軽井沢の沢どれクレソンとサラミがサンドされた、高原らしい素敵なパンだった。晴れた日は外で食事をする...書いてみると、いつでもできるようなことだが、この地では年に30日もあるかどうかなのだ。
別荘があったり観光で来たりした人々が、朝から屋外で食事をとる気配が感じられる時がある。その後も午前中の早い時間からサイクリングを楽しんだり、積極的に歩いて買い物に出かけたりするのを見ていると、「あぁ、住んでいる私たちは、もっともっと外で、この素晴らしい高原の空気に感謝しながら過ごさなければね」と教えられる。自然から学ぶことも多いけれど、外から来た人々に影響を受けることもしばしば。
2009年04月30日
新緑にからまる綿毛

シャラやコナラの芽吹きは銀色が際立って美しいことから、この時期のささやかな楽しみのひとつ。シャラの淡い若草色の葉がようやく開きはじめ、中から黄色い葉が顔を出したのはここ数日のことだろうか。春はやっぱり黄色!庭に嘴の黄色い珍しい鳥が来ていて、いそいそと調べてみるとクロツグミという鳥だった。黒光りするボディに対して、お腹はツグミのようにまだら模様。ルックスはアカハラという形で、我が家には一度も来たことがなかったと思われる。
シャラの葉にかかった蜘蛛の糸は、小さな生き物が活動を開始した証拠。そこに偶然引っ掛かった綿毛を、西日が教えてくれた。たんぽぽの綿毛のようにも見えるが、軽井沢のたんぽぽは咲きはじめたばかり。すでに綿毛となっているのは、庭を見渡す限り蕗の花だけだ。今年も昨年どおり、庭に決まって現れる蕗の薹(ふきのとう)で苦み走る春の息吹を味わった。そんな蕾も花となり、ぐんぐん首を長くして種となったようだ。地下茎で繋がる蕗は、今ごろになって丸い葉をポンポンと地上に出すのだから面白い。蕗の薹から始まって、つくし、蓬、花わさび、菜の花、タラの芽、こごみ、わらび、コシアブラ...山菜に舌鼓を打つ季節が訪れる。
2009年04月28日
動かぬ桜に考えさせられて
明け方の気温は-4℃。霜注意報が大袈裟でないと知らされた朝だった。この時期の我が家に窓から差し込む日の光は高く、しっかり”日向”と感じられるのは午前中の数時間だけ。だから、窓を開けて外の暖かさにびっくりすることがある。特に午前中は、室内より外の空気の方が各段に温かく、やわらかく、やさしい。温度だけでは作り出せない、日だまりの成せる技だ。
今日は車にノーマルタイヤを4本積みこんで、タイヤ交換にでかけた。何かと忙しく、今シーズンは履き替えが連休の始まる前日である。雪の少なかった今年は乾いたアスファルトを走り過ぎてしまった。路面に吸いつくように音をたてて走るタイヤに「ごめん、ごめん!」。浅間山は今日も雪化粧、裾野を彩る若葉の緑色もゆっくりペース。

満開の桜は見逃した佐久市の長野牧場。ピンク色の花は残すところ僅かとなったが、その代わりに薫風というべき清々しい風が桜並木を駆け抜けていた。

足元の緑も鮮やかとなり、上からも下からもみんなで春の訪れを歓迎しているかのよう。葉桜となった老木の幹は木と思えぬほどゴツゴツとして、色合いといい まるで噴火によって生まれた浅間石そのもの。地面に目を向けるとそこには、散った桜の花びらが敷きつめられていた。花吹雪もあったのだろうなと、その様子を想像してみる。根を下ろした樹木はひとりでは何処にも行かない、行けない。終の棲家は此処だ。

現在、人はあらゆる手段を使って移動ができる生き物となっている。
今日、新型インフルエンザ(豚インフルエンザから変異した)の警戒レベルは3~4へと引き上げられた。火山活動を示すレベルと同様に、3と4の違いは大きい。鳥インフルエンザと比較してみると致死率ははるかに低いと言われているが、ウィルスというものは目に見えない分、どの程度まで感染予防をしたらよいのか?その判断が難しいところだ。日本には花粉症という特異な現象がある為、幸いマスクを着けることもマスクをした姿が街に溢れた風景にも慣れきってしまっている。しかし、これは全世界的に見ると、やっぱりおかしなこと。こんな時こそ、簡単には風邪にかからないような体の持つ免疫力という力を信じて、食べ物に気を遣って暮らしていくことが大事だと思う。桜の老木を見ていて、動かぬものと動くもの どちらが良いのだろうと考えさせられた一日だった。
2009年04月26日
光のなかで過ごす 一時間
ふたたび寒気が入って、山は荒れ模様。軽井沢も、台風が来たかのように朝から強風が吹きつける危なげな一日となった。雲間から顔を出した浅間山を、これぞとばかりに眺めてみれば、こちらも薄っすらと雪化粧。今日 黒斑山へ登った人の報告によると、一番深いところでは1mの積雪があったというから驚きだ。
夕方、水辺鉢の水面が小刻みに揺れていたので、「浅間山からの吹き下ろしか、小雨なのだろうな」と思っていた。山の天気は変わりやすい。だから、今日のような日に雪が舞ったとしても、それほど不思議ではないのだ。しかし、今日は違っていた。空から断続的に降っていたのは、”落葉松の若葉”だった!

デッキの上には、小さな小さな緑色の、秋から比べたらはるかに短くて柔らかい落葉松の葉が無数に舞い降りていた。中には、枝ごと落ちてきてしまったものもある。そこには、松ぼっくりの赤ちゃんもあった。ミニチュアのパイナップルのようである。そう、松ぼっくりは、まさにパインのアップルなのだ。
目を見開いていられないほどに眩しい西日も、この時期ならでは。午後4時半からの一時間は、西日の真っ只中で過ごすのが何よりの楽しみだ。友人が、庭から切って持たせてくれたクリスマスローズを西の間へ持っていくと、瞬く間に暖かな光に包まれて、見ている私も幸せな気分に。

「庭に沢山あるから...」とはいえ、美しい枝葉や草花を切ることは なかなかできないもの。友人のあたたかい心づかいが嬉しい。
2009年04月25日
リビングの紫陽花
芽吹きや開花を後押しした初夏の陽気から一転。今日は朝から冷たい雨の降る一日だ。数日前に広がったばかりの、まだ柔々とした若葉に容赦なく雨が叩きつけられていく様子は、窓越しであってもなんだか痛々しい。だが植物は、どんな”雨にも負けず”の精神であるらしい。昨日よりずっと生き生きとして、喜んでいるかのようだ。米を主食とする日本において今は、種撒きの季節。雨は、必要な時に必要な分だけ降ってくれたなら、これほど嬉しいことはない。
今日の軽井沢は、一日を通して5~6℃の気温にしかならないそう。しかも、この雨、この湿度。どおりで寒く感じるはずだ。こんなジメリとした日は、リビングに飾った玉紫陽花が大喜び!

ゴールデンウィークと言えば5月。辛夷や桜で春の到来を歓迎しているうちに、花屋には早くも紫陽花が並ぶようになるのだから、春が来てからの月日はあっと言う間だ。我が家にとってこのような玉紫陽花は、もっぱら室内で楽しむためのもの。庭に根を下ろしても、花を咲かせることはない。
2009年04月23日
林で見つけた 赤い耳飾り
早春に咲く花はなぜか黄色が多い。マンサクの花もそうだ。しかし、錦糸たまごのような花が散った後のマンサクに、再び目を凝らすことは少ないかもしれない。この時期、マンサクには樹脂でできたような赤い花らしきもの(もしや雌花?)が出現する。「この正体が何なのか?」である前に、私はそのデザインに懐かさを覚えた。一昔のイヤリングやピアスには、こんな意匠や質感のものが多かったから...。

そして、雑木林の赤という共通点でユニークな存在をもう一つ。4月12日に見た、ツノハシバミの赤い雌花だ。林の中の赤い花は意外と目立たないので、歩きでないととても見つけられないと思う。虫のように無数に垂れ下がっているのが雄花で、秋には、これまたユーモラスな愛らしい角状の実をつける。

こんな感じで植物に近づいてみると、自然界は、紛れもなくデザインの宝庫だと再認識!興味を持ったら写真におさめ、自分の感覚を頼りにしながら調べるようにしているが、その過程がとても楽しい。ひとつの木であっても、冬芽の時・開花の時・展葉の時と別人のように姿を変えていくから、全体像を掴むのは至難の業。いつも見ている木なのに、その花にまったく気づかないでいることも多いのだ。
季節は巡る...年に一度という、それぞれのチャンスを運悪く逃したとしても、こちらが気づこうとしていれば、その時間は巡り巡ってやってくる。南北に長く、標高差にも富む日本という土地だから なおさら。
2009年04月22日
魅惑のカタクリ
この春は、ご近所さんのカタクリが当たり年だ。
「あの辺りよ」と指をさされて眺めてみると...

さらに近づくと、カタクリの群生が出現!こんな風に寄り添って咲くなんて。

よく見ると、不思議な咲き方をしている。下を向いて、花びらはチューリップが反り返ったような。花粉をつけた雄しべがマッチ棒のようで楽しい。そして、何よりも色合いが美しい!多くの人々を惹きつける理由が、ようやくわかった気がした。
周りを見渡せば、木々の芽吹きはもう少し。今なら、下草に目を向けた方が良いというわけなのか?カタクリの種は蟻が運んでいると、いつか何処かで聞いたことがある。この咲き方を見る限り、本当なのかもしれない。
いつの日か、ソーダフォンのロケットのような蕾が開く瞬間を目にしてみたいものです。 ↓ が蕾。

2009年04月19日
コブシの香りを嗅ぐ
満開のコブシの”白”に見惚れているうちに、早咲きの桜も咲きだしていた。雑木林の下草は、日を追うごとに若草色を濃くしている。こうなれば、落葉松もいよいよ目覚めの時。5月まであと10日間という、この時期の軽井沢はまさに芽吹きのラッシュ。「この黒い地面が、草に覆われる日など来るのだろうか...」と錯覚していた長い冬は遂に終わった。窓から微かに見える浅間山に根雪は無いに等しく、ここ数日はコブシの花を通して、その山を眺めていることが嬉しい。
今日はいつもの散歩コースを延長させて、少し遠くまで歩こうと思う。お目当てはコブシである。私の手の届く位置で花を咲かせる大木があるのだ。眺めるばかりだったこの花の香りを、今日はじめて嗅いでみる。すると...甘くてスッと心地よい、それでいて上品な、そのまま香水になってもいいような素晴らしい香りがした。

コブシはモクレン科だから、「もしかすると、甘い香りがするのかもしれない」と思ったこともある。だが、漢字の”辛夷”という字から連想するには、ずいぶんかけ離れているような気がしていた。スエードのように贅沢な蕾がしっかり閉じ込めて守り抜いていたのは、花の中のこの香りだったのかもしれないと、香りを知ってしまった今は思える。やはりコブシは、北国の春を告げるに相応しい存在。 日当たりの良い場所では、早くも散り始めている。

一年の半分以上が冬に支配される土地の花は、みな急ぎ足だ。梅も桜も、ごく僅かな時間差で咲きはじめ、花と同時に葉を広げていくものも多い。それもこれも短い夏を生きる為と知れば、ますます植物から目が離せなくなってしまう。デッキの下では、ツクシやヨモギがぐんぐん成長しはじめた。草に逢うと書いて、蓬(よもぎ)。草を摘むことが楽しい、嬉しい季節の到来だ。若葉に包まれていく日々が、私達にもたらす力が計り知れないことを知らされる季節でもある。
2009年04月15日
一雨ごとに 緑
まとまった雨は何日ぶりだっただろう。雨降って地固まると言うように、昨日の雨は、鉛筆だけのスケッチが確実な一枚の画へと仕上げられていくように感じられた。
私はゴルフをしない。親戚にはレッスンプロもいて、いつ手を染めてもおかしくない環境だったと思うが、興味の対象にならずに今に至っている。ゴルフ場の整然と管理された芝や木々が嫌いなわけでもない。そこに土地の木が残されていれば、素敵だなとも思う。軽井沢の入口、浅間プリンスホテルは高台にあって、ガラス張りのラウンジからの眺望は見応えのあるものだ。激しい雨にさらされているはずなのに、ここのコブシはスポットライトを浴びたように凛として、花の”白”を浮き立たせていたっけ。咲きはじめたばかりの花は、色褪せることを知らないように思えた。
今日は、昨日の雨が芽吹きを後押ししたのかもしれない。クロモジのコロンとした蕾が今にも開こうとしていた。植物から目が離せない日々のはじまり。無彩色が続いた窓ガラスに、緑色が映り込む日も間近。時刻はもうすぐ18:00、外はこんなに明るくなった。

2009年04月13日
欅のポツポツ その正体
庭に中央にそびえたつニレケヤキの枝先がポツポツ、いやボツボツと膨らんでいくのは、葉っぱが開いていくからだと思っていた。が、それが花であることを、今日になって知った。我ながら恥ずかしい。
この時期に剪定はしないのだが、強風にあおられて太い枝が折れてしまった。「仕方ない、枝うちをしよう」と梯子をかける。そうして、地面に落とした枝を見て開きかけた葉と勝手に決めつけていたボツボツが、花であることを知ったのだ。「春の木は、花だけ最初に咲かせるから...」以前、東京の叔母が発した言葉が脳裏をかすめていった。すべての木は、植物は、花を咲かせるのである。

↑ 4月11日に撮影したニレケヤキ。
この二日後、ボツボツした枝先が花であることに気づいた。手の届かなくなった木の花を、まじまじと観察する機会はそうそうない。ウワミズザクラのようにわかりやすい花なら良いが、ニレケヤキの花はこんなに控え目で静かなものだった。枝うちの機会をくれた春の嵐よ、ありがとう。

2009年04月12日
満開の桜を愛でるには...
蕾のほころび始めた桜に導かれるように立ち寄った、長野牧場。遠目には咲きはじめたばかりに見えたが、近づいてみると既に三分咲き。ここにきて、ようやく春の息吹が感じられるようになった土地から来た者にとってそれは、無理なく綺麗だ、かわいらしいと思える対象だ。いきなり満開の桜のなかに身を置いたら、きっと刺激が強すぎるに違いない。だからなのか?早咲きのしだれ桜は、作りもののぼんぼりのように見えた。


しかし、その一輪に目を向ければ正真正銘の生きた桜。黒々とした樹皮・淡いピンクの花びら・けぶるような春の空という3つの偶然が、極上の眺めをくれるのだから嬉しい。
桜並木を抜ければ、眺めのよい贅沢な牧草地が広がる。艶やかな木の花もいいが、今の私は小さな下草に惹きつけられてしまう。地面にぐっと顔を近づけると、草やその小さな花の香りが鼻腔をくすぐった。土は温かく、草の間を流れる風は清々しく、小さな花は思いのほか甘い。

春霞 目を凝らして
休日の、遅い昼食の後はまさに春眠との闘い。うつらうつらと横になるのも魅力的だけど、いまこそ春を見に行くべきだ。標高1000mの高原は、白い花とともに目覚めた。

今日のような空を春霞と呼ぶのだろう。目を凝らして、空のなかにあるはずの山の輪郭を探していたら、偶然 電車が目の前を通り過ぎた。新幹線が走るのが当たり前となった軽井沢だけど、今でもこんなローカルな列車や風景は健在。それは、そのままこの町の姿を現しているように思える。

2009年04月11日
ペンキ塗り 時々 フレンチ
4月とは思えぬ暖かさ(暑さ)と、今にも土埃があがりそうな乾燥しきった空気。年間を通して軽井沢で暮らしていても、今日のような日は数えるほどしかない。このような条件が揃う日は、私にとってペンキ塗り日和!約一年に渡って、雨や雪や霧や湿り気のある空気にさらされてきた、家の外壁の手入れを思いたつ。
木の外壁が日々くれる、やさしい空気感は計り知れないものがある。だが、ベストな状態を維持するには大変な努力が必要である。我が家の外壁はレッドシダーで着色は施していない。だから、濃い色を塗ることによってカモフラージュされてしまうカビの存在を、(いい意味で)目の当たりにすることができるのだ。私たちヒトの暮らしは、まさにカビとの闘いと言っても過言ではない。なんとしてでも分解して、自然界に戻していこうとする微生物と同居の道を選んでいるのだ。
外壁を着色しなかった理由のひとつが、レッドシダーに限らず”木材が日に焼けて退色した色を、美しい”と感じたことが大きい。表面に浮き上がってきたカビには植物同様に”根”があり、その根を完全に断つことはおそらく不可能。今では、これも味わいと受け止めている。
日中の気温は24℃まで上がっていった。それでも、空気はまだ4月のものだから、ひんやりと心地よい。遅い昼食は、昨年からすっかり行きつけとなっているフレンチへ。店は緑の...という意味のLe vertという。一昨日まで蕾ばかりだったコブシが、白い花を幾つも咲かせていたからびっくりだ。庭では、マダムが同じようにガーデニングチェアのペンキを塗っているではないか!口に出さずとも、急に親近感が湧いてしまう。軽井沢に露地物の野菜はないので、今は静岡から有機野菜を取り寄せているのだという。筍や紫色の珍しいカラシ菜、豚の肩ロースに合わせたフキのソースは、春野菜のエネルギー。一皿一皿をゲストに合わせて丁寧に料理し、サーヴィスしてくれるスタッフの真のもてなしが嬉しい。お腹も心も満たされて...さぁ、今年もカビとのいい関係づくりがはじまる。
2009年04月09日
リネンのシャツで 再会
今週に入ってから、最高気温を更新する日々が続いている。今日は昨日より暖かな、5月中旬の陽気に。明け方は霜注意報が出て-2℃と冷えたが、気温は19℃までぐんぐん上がっていった。
25℃を真夏と呼ぶ軽井沢において、今日は間違いなく夏日であった。冬用のアンダーウェアも、首周りを覆うタートルネックも不要な4月の第二週。私は迷うことなく、リネンのシャツに腕を通した。福島では、開花から4日で桜が満開になってしまったそう。佐久で見た蕾の桜も、この陽気では三分咲きまで進んだに違いない。
ゴールデンウィークを月末に控えた町の建築現場は活気づいている。自宅の近くに、我が家を建てた大工さんが来ていることは、なんとなくわかっていた。しかし、忙しく動く職人さんに声をかけるタイミングを見つけるのはなかなか難しい。完成が近づいてくると彼らの姿は見えづらくなり、ある日を境にパッと消えていくものである。それを知っているから、今日 棟梁と運よく出会えた時は嬉しかった!棟梁も気にかけてくれていたそうだ。今から8年前のこの家は、軽井沢でも数少ない、ひとつの現場であった。日頃は過去を振り返ることの少ない私。だが、当時の職人さんがみんな元気にしていると聞くと、途切れていた記憶が少しずつ繋がって様々なことが思い出された。
庭の中央に根を下ろすアブラチャンが黄色い花を沢山咲かせたことに気づいたのは、大工さんを見送った夕方。「これは、もしや」と思って家のまわりを歩いてみると、ふきのとうがすべて花に変化していた。今からふき味噌にするのは遅いだろうか?いや、苦さこそが醍醐味だ。今夜は芽吹きのエネルギーを、この土地のふきからもらいます。
2009年04月07日
期間限定の楽しみ
日曜に続いて、ホームゲレンデにさせてもらっている馴染みの岩場へ向かった。まだ2日しか経っていないというのに、植物が芽吹きにかけるエネルギーは素晴らしい。アブラチャンが咲きはじめたと思っていた雑木林には、同じく黄色い花のダンコウバイが満開となっていた。ダンコウバイの花はアブラチャンより一回り大きく、しなやかな枝と緑の天井を織りなす葉っぱが、なんとも魅力的な樹木だ。

葉の落ちた林のことを、悪気もなく”冬枯れ”と表現することが多いのだが、実際に林の中へ入ってみると、いつも思うのだ。”芽吹く前の林は光に満ちて、とても暖かいものだ”と。カサカサと、乾いた枯葉の絨毯を踏みしめて前へ進む...それは、なんとも贅沢な期間限定のアトラクションであることを再認識する季節となった。黄色い梅に目を奪われているうちに、下草が萌黄色に染まっていく。
今日が見納め!ダンコウバイが主演の雑木林。

2009年04月05日
降雪量を予測する 卵
軽井沢の木々が芽吹きの時を迎えるまで、残すところ3週間あまりとなった。この時期に標高を下げていけば、様々な道程の春を見つけられるから楽しい。今シーズン初のクライミングのため、佐久の山里を久しぶりに歩くと、これから軽井沢にも訪れる春への変化を一足早く垣間見ることができた。それは、まさに胸を打つ風景。長い長い冬を過ごしてきた者にとって春は、間違いなく特別な存在となる。
まだまだ冬枯れの雑木林に、ちらちらと光る黄色い花を見つける。アブラチャンだ。
。
こんな風にして、遅い春は控え目にやってくる。手前ではススキの穂が風にたなびき、ストローのようなその枝に何やら同じ色をした塊が。よく見るとカマキリの卵である。

カマキリと言えば...冬が来る前に卵を産みつけるわけだが、その場所は”その年に降る雪の量”を予測した高さにするのだ聞く。しかし、見ての通り、ススキについている卵は1m以上の場所だ。「これは、おかしい」と思ってあぜ道に目を向けると、地面から30cmくらいの日当たりの良い草むらの端に、無数の卵を見つけることができた。今シーズンは雪が極端に少ない年であった。だから、きっと草むらの卵が正解。種まきの準備がはじまったこの時期に、ススキが放置されたままの土地というのは、よく考えれば妙だった。ススキは、休耕田の果ての姿なのかもしれないのだ。そして、そこに産みつけられた卵も昨年のものかどうか...。

湖面を揺らす、やんわりとやさしい春の風。ここでは早くも鴨が水浴びをはじめている。
開花の時は近い、佐久のソメイヨシノ。
2009年04月03日
渡り鳥が知らせる いま
昨日は、東京のあちこちでソメイヨシノが満開になったと聞く。開花の報せは、かれこれ12日前だったというから、今年の桜はずいぶんゆっくりと花開いた。
今日の軽井沢は、春の訪れを感じる穏やかな一日となった。午前中に忙しく用事を済ませて自宅へ戻ると、気温12℃の麗らかな陽気にいてもたってもいられず、長靴を履いて外へ出た。地面は、連日の霜で凸凹の状態だ。そして、水辺鉢に溜まった大量の水は 紛れもなく”この冬の雪だったり雨だったり”するのだから、面白い。この時期になると、この水は一日のうちに凍っては融けを繰り返すようになる。だから、眺めている方はなんだか痛々しい。日の出ているうちは、鏡のような水面に木々のいまの様子を鮮明に映し、風が吹けばまるで生き物のように水面を揺らしはじめる。
鳥たちは朝と夕暮れ前の二度、乾いた喉を潤すためにここへ立ち寄る。水浴びは、まだしない。一年を通じてここで暮らす鳥たちが、自然と水浴びを始める頃には、きっと夏鳥(キビタキなど)の姿を見ていることだろう。
そういえば...4月に入ってからというもの、庭から冬鳥 ツグミの姿が消えている。「今年こそは、旅立つ時に立ち合いたいな」そう思って頻繁に眺めていた日が最後だったようだ。植物だけでなく、リアルな季節の変化は渡り鳥も知らせてくれる。標高1000mに、今年も春がやってくる!
2009年03月30日
菜の花の蕾
実家の庭に咲き誇っていた菜の花は、あまりに綺麗だった。母に、「切っていいか?」と聞くと「もちろん!好きなだけいいわよ。」と嬉しい返事。酢の物にしても美味しそうだなーと思って、蕾の部分を多めにもらってきたのだが、いざ花瓶に投げ込んでみると目の覚めるように鮮やかな黄色に釘づけに。食べることなどすっかり忘れて、一日が経過した。

生命力に溢れた春の花である。蕾など、一夜にして開いてしまう。リビングを満たしていく、苦み走った菜の花の香り。その香りの強さに驚いた。「昔は、なたねを持って油屋へ行ったものだよ」とは大正生まれの祖母の言葉。なたね...そうか、菜の花の種だから”菜種”。私たちの暮らしに欠かすことのできない植物生まれの油、その花が一面に咲き、風にたなびく風景いつまでも。
2009年03月29日
季節を旅する
車を運転して実家の家族に会いに行くのは、一年ぶりかもしれなかった。車を長距離の移動手段にしなくても良しとする理由が、この一年のうちに沢山あったからだろうと思う。
新幹線の車窓から流れる季節は、いつも切ないほど早過ぎる。それに比べると、自らがハンドルを握って走る乗り物は、いつの時代も贅沢な楽しみに変わりはない。気に入ったフレーズを自分好みに聞き返せる、アナログのレコードに似ている。
家族全員揃って食事に出かけた先は、以前から興味があったにもかかわらず、これまで機会を作れなかったのが不思議なスペイン料理の店。パエリア世界コンクールで、3回連続で優勝したシェフ率いる店である。彩りの美しいパエリアは、魚介類の旨みがこれでもかと凝縮したサフランライスと白いんげんが絶品だった。

寒い日が続いて桜の開花も遅れているというが、私から見たら、どこもかしこも”春が訪れた後”である。景色には緑が溢れ、それは若草よりずっと青い。早々と満開を迎えた枝垂れ桜に目が止まる。

実家からの帰路は、散り始めたコブシの花があったり、匂いたつように妖艶な満開の桜を垣間見たり、素朴だが凛とした梅林に出合ったりと、1時間強で刻々と移ろう季節を見る不思議な体験となる。時刻はもうすぐ18:00。オーロラのように美しい夕日が、信州の山々の輪郭を浮かび上がらせている。白くて丸くて、不自然な煙を上げる独立峰こそが浅間山。芽吹く前の静寂が支配する、その山の裾野までもうすぐ。今日は珍しく、日のあるうちに峠を超える。

2009年03月28日
”渡り” の準備 忙しく
毎日が休日のような、連日の静けさは学生が春休みのためだろうか。ふたたび戻ってきた真冬並みの冷え込み(最低気温は-8℃くらい)が、この時期に霞みがちな空を澄み渡らせている。望む浅間山も厳しい表情だ。
ふきのとうが、ようやく目に入るようになった軽井沢に、”花冷え”という言葉は見当たらない。ここ数年は、関東の卒業式の花となりつつあった桜であったが、今シーズンは入学式を演出する花となりそうである。信州では、いずれの門出にも春の花々の開花は間に合わない。しかし、ここ数日の寒の戻りが、満開の桜を彷彿とさせる白銀の世界をくれた。この一週間で、薄っすらと雪の降りた景色を目にしたのは25日と27日の朝。木々に着雪する湿り気のある雪も、芽吹きを待ちわびるこの時期に目にすると特別だ。春への期待が膨らんでいく。
晴れた日中は、小動物の気配を感じることも多くなった。薪の間で越冬した蜂がリビングを飛びまわっていることもあるし、小さな野鳥 シジュウカラやカワラヒワも嘴で枯葉を突いて虫を探しているようである。野鳥の中でもツグミは体が大きく丸々としているので、視界に飛び込んでくることが多い。小走りしたかと思うとピタリと止まって、身を起こしてからジーッと何かを見つめる姿。「彼の視線の先には、いったい何があるのだろう?」と、私は勝手に期待をして眺めてしまうのだが、その動きは習性らしく、特に意味がないようである。日の出から日の入りまで、窓の外に目をやると、そこには決まってツグミがいる。そうして、お腹を空かせた子供のように食べ物を探しているから面白い。
とにかく今は、食べ続けなければならない理由があるのだ。”渡り”である。はるばるシベリアからやってきたこの鳥も、もうすぐ故郷へ帰る時を迎える。そのためには、胸骨の間に厳冬期の3倍、体重の10%前後という脂肪分を蓄えなければならないそうだ。庭からツグミの姿が消えていく瞬間を、私はいつも見逃している気がする。その頃の軽井沢は、思うに芽吹きのラッシュを迎えているからなのだが...。
今年こそ、同じ環境で冬を過ごしてきた別荘友達 ツグミの旅立ちに立ち合えたら!と思う。
2009年03月25日
霧が出た日は ジャム作り
障子からこぼれる白さに、空が厚い曇に覆われていることがわかった。天窓や障子を通して感じる光は、晴れより曇った時の方が強い。今日が雪になるか雨になるかは、気温次第。お昼前から薪ストーブを焚くかどうか迷っているうちに、羽毛のような雪が軽やかに舞い始めた。そして雪は、アッという間に本降りに。白銀の世界が、まるで”映画のセット”のように作り上げられていく。見事としか言いようのないスピードで。 ↓ の写真はモノクロームに見えるかもしれないが、もちろんカラーである。

茶色ばかりの冬枯れた景色が、木々に着いた雪のおかげで花が咲いたように華やかなものへと変わる。そんな中で、静かに佇む生まれたての薪が頼もしい。
華やいだ雪景色も束の間の出来事。雪が止むとこんどは雨が降りだした。そうして現れたのが、濃い霧。新幹線が警笛を鳴らすか否かで、霧の濃淡を知ることもある。こんな日は、家の中で過ごすのが賢明だ。小さな部屋の薪ストーブを焚いて、ストーブトップで旬のいちごを煮つめよう。楢の香りに慣れてきた鼻に、いちごジャムの甘酸っぱい香りが新鮮。一旦は夏の陽気になった軽井沢だが、やはり春はこうした冬の後に訪れるのが素敵だ。

2009年03月24日
ちょっとだけ冬になる
今朝の軽井沢は上空に強い寒気が入ったため、-7℃まで冷え込んだ。庭のあちこちに霜柱ができていたが、今朝は不思議な現象に思えた。なぜなら、連日のように乾燥注意報が出て空気の乾いた状態が続いていたから...。だからなおさら、どんな時も水を蓄える土の地面は「偉大だなー」と感じ入ってしまう。軽井沢の木々の枝先に視線を注げば、そこには決まって葉っぱや花の蕾をギュッと閉じ込めた冬芽がある。芽吹くエネルギーの根源こそ、この霜柱の立つ地面の奥底にあるのだ。コブシの冬芽が朝日を浴びて輝いている。それはまるでネコヤナギと瓜二つ。だが、コブシは北国の春の使者!梅より桜より先に花開く、その冬芽は大きくて存在感がある。
明日は日本列島上空に寒気が居座るため、今日より冬型が強まるらしい。北では雪になるという。しかし、もう軽井沢であっても冷え込みは弱く、日中の気温は10℃近くまで上がる。ふきのとうが先週の夏日につられて顔を出したが、花を咲かせるには至っていない。3月も残すところ一週間だが、4月中旬まで何が起こるかわからないのが標高1000m。ふたたび雪景色になっても不思議ではない。
2009年03月22日
薪割り 10日間でほぼ終了!
春休み中の三連休、町は静かな賑わいを見せていたようだ。景色の中に緑こそないけれど、気温は連日10℃を超え、日当たりの良い場所なら小春日和。春霞が浅間山の輪郭をぼんやりと曇らせ、その山肌には筋状の雪が薄っすらと残っているだけだ。”暑さ寒さも 彼岸まで”今年も厳しい寒さは過ぎ去った。春からの計画に着手するためにも、我が家の場合はまず、薪割りを終わらせないといけない。
楢の丸太5.3tが届いたのは、3月10日。摩耗の激しかったガイドバーとチェーンの交換をして、玉斬り作業を始めたのが3月12日である。比較的好天に恵まれたこともあって、僅か10日間にして今シーズンの薪割りは終了の時を迎えた。例年ならば、夏を過ぎてもずるずると薪割りをしていたのだから、脅威的なスピードである。それを可能にした一番の鍵はソーチェンの”目立て”と斧の”刃砥ぎ”にあったと、いまは思う。薪割りの道具は、斬れ味こそがすべて。旦那さんは、ガイドバーとソーチェンをデッキに固定することを思いつき、ここにきてやっと正確な目立てが出来るようになったと大満足。私も、こまめに斧の刃をダイヤモンドシャープナーで研ぐことでみるみる効率が上がった。斧でも割れなかった丸太はマジック斧の出番が待っているが、マジック斧は体に相当の負担がかかる。だから、今ではできれば使いたくない道具の一つとなってしまった。最終手段は、クサビになるだろう。
デッキの上も薪小屋も、我が家の棚という棚には ほぼすべて”生まれたばかりの薪”が収納された。これだけの薪を作ってくれた私の良き相棒 グレンスフォッシュの斧にまず感謝したい。たった一本をもう何年も酷使しているというのに、これまで一度も壊れたこと(柄が外れる)がないことにもだ。グレンスフォッシュは鍛冶仕事もさることながら、柄との接合部分も精巧な手作業による。ボルト締めの斧も出回っているようだが、付け替えることを前提としたものは弱い気がしてならない。やはり行きつくところ”人の技”手の力なのではないだろうか。
2009年03月18日
夏になる
暖かくなるとは聞いていたけれど、まさかこれほどの夏日になるとは。今日の軽井沢の最高気温は20℃!富山では25℃を記録したというから、驚きだ。空気が乾燥しているとはいえ、軽井沢も汗ばむ陽気である。できることなら、このような陽気の下では思いきり外に洗濯物や布団を干したいと思う。しかし、それはとても危険な行為。肉眼で確認するのは難しいが、今日の空気中には”大量のスギ花粉&黄砂”という黄色い粉が満ちている。
今夜は、薪ストーブの炎とは無縁な夜を過ごしている。寒いと感じることのない、ひんやりと快適な夏の一夜だ。こんな夜を過ごすのは、振り返れば実に8ヶ月ぶりだと気づく。
冬の長さからすると、高原の夏はまさに駆け抜ける一瞬の時間。だから、私にとって夏という季節は、いつしか過ごすこと以上のものへと変化していったようだ。夏は生きるもの 今年も”夏を生きる”。
2009年03月17日
春になる
お祝いとしていただいたブーケに、朝の光が当たっていた。この時期になると、我が家のキッチン(リビングの北面)が太陽光を浴びることはない。暫くして、ふたたびブーケを見ると、中からすっくと蕾が伸びていたから驚いた。切り花だって、もちろん太陽が大好き。

散歩をしていても、窓辺から空を眺めても、洗い物をしていても、気がつくと木々の冬芽の様子を見つめる自分がいる。現在14:00の気温は10℃、空気が乾燥して花粉だけでなく黄砂も舞い降りているというから、瞳も鼻も喉にとっても厳しい日である。しかし、午前中の軽井沢は霙まじりの冷たい雨が、地面を濡らしていた。それが、今となっては恵みの雨であったと思えてくる。薪割りも順調だ。スカスカだった我が家のデッキや庭が、薪という 美しくも頼もしいエクステリアで彩られていく。
今シーズンの裏庭に、雪はただのひとかけらも残っていない。例年ならば、片流れの屋根から落下した雪や氷で行き先も阻まれ、立ち入るのも危険なエリアだというのに...。昨日の午後、浄化槽の清掃に来てくれたのは、弟のように若いお兄さんだった。この業界も、世代交代の時を迎えたようで頼もしく思う。雪の極端に少ない今シーズンは、何もかもが例年より早く進むようだ。西日に照らされる穏やかな斜面に、ふきのとうをひとつ見つけた。知らず知らずのうちに春は、すぐ近くまで来ていた。
明日は、今日よりも高気圧に覆われてゴールデンウィークごろの暖かさになるのだとか。汗とは無縁のうちに、早春の仕事 薪割りを終わらせたい。
2009年03月13日
意外と大事な 薪の積み方
昨日からはじまった薪割りは、約2年ぶりの作業。だから、「久しぶりだけど、果たして上手に割れるかなー」と不安もかすめていた。けれども、いったん身体に備わった感覚は頼もしい!斧を握った瞬間から、ブランクを感じることはなくスムーズに丸太を”薪”へ変えていくことができた。

デッキ上の、風通しの良過ぎていた(空っぽの)薪棚が、斬りたて&割りたての薪で埋まっていく。我が家では、チェーンソー担当が旦那さん。薪割り担当が私である。昨日の昼下がり、庭で私が薪割りをしているところへ、ネパール帰りの友人が立ち寄った。家の中でスカイプ会議中の旦那さんには窓をコンコンと叩いて挨拶し、友人は言った。「この家では、逆なの?」と。言われてみれば、そうかと思ったが、薪割りをする女性は当然いる。もう何年も庭で斧を振っているので、ご近所さんや配達の人たちには見慣れた風景となっているが、最初のうちは”女性がやっている”というだけでもの珍しいらしく、声をかけられたり、暫く見学をされていたこともあった。薪割りは、体に負担がかかることは確かだ。だから、今では腰を守るためにコルセットをして作業に臨んでいる。将来的にはきっと薪割り機を使うことになると思うが、いつまでも斧が振れたなら、それは素晴らしいことだなと思っている。
「薪に正確な積み方なんてあるのだろうか?」これは、素朴な疑問だがとても重要なことだったりする。我が家では今まで、割った薪の断面を ↑ にして積み、乾燥を促してきた。どこかの本や人から知った情報だったと思う。しかし、これがベストとは感じられなくなってきたのだ。乾燥させたい断面だが、このような置き方では雨や霧を被りやすい。「皮を屋根のように ↑ にして積んでいったらどうだろう?」なかなか良いのではないか。これを良しとして実践する人々も多いと聞く。よりベストな方法は、経験によってしか得られないと、日々暮らしてみて思う。
2009年03月10日
スキーは体型を変える
山スキーに行かない週末を過ごして、あることに気がついた。体が妙に重いのだ。しかし、パッと見で太った印象はない。太くなっていたのは、モモだけだった。
ある雑誌で、
「スキーをやるとモモが太くなる。クライミングにとって無駄な筋肉をつけたくなかったので、誘われても断り続けていた。スキーでも、なるべく歩かないようにしていた。」と、あるクライマーが語っていたのを思い出した。今シーズン、大活躍をしているモーグルの上村愛子さんも「フォームを変えたら、体型がみるみる変わってしまって...」と言っていたっけ。まさかと思っていたが、本当のことだった。
もともと私は筋肉がつきやすい体質である。それは、言い換えれば脂肪にも変わりやすいということ。春のような陽気(最高気温は、なんと11℃!)に包まれた今日は、朝から体を動かしたくてうずうず。
森林組合から届いた5.3 t の丸太が、鈍った上半身を鍛える救世主となりそうだ。

2009年03月09日
床下から ハニカム
ご近所さんの家のリフォームがはじまった。昨年から話は聞いていたのだが、「まだまだ先」と思っていた季節が訪れたのだ。職人さんの威勢のいい声が、朝から我が家にも響いてくる。2月の軽井沢で屋外の作業は厳しすぎるが、3月ともなればグッと楽になる。ここでは、たった一ヶ月の間に劇的な変化が起こるのだ。
重厚ながら、オーナーの人となりがにじみ出ている素敵な家である。その家の外壁が剥がされていく様子を、先日(5日)一緒に見学させてもらった。しっかりと断熱材を入れるためとはいえ、やはり間近で見ていると痛々しい。足場の下に転がる不思議な物体に目が止まったのは、目をそらしたその時だった。
「これって、もしかしてアレですか?」
「うん。昨日、床下から出てきてびっくりしたよー。正直 秋でなくてよかったと思ったね」と職人さん。
「ハハ、確かに!でも、よく作るものですよね。芸術品みたい。」
私は、職人さんが偶然 床下で見つけたという”スズメバチの巣”をまじまじと見ていた。巣の大きさは50センチ近くあり、マーブル模様の外壁?は取り出した際に崩壊してしまっていた。その代わりに、アリの巣の断面のような内部を見ることができたのだ。まったく、見事としか言いようのないハニカム構造の部屋。それが、7~8階建のマンションのように作られていた。蜂の巣以外にも、自然界には正六角形のハニカム構造があるが、それらは意外と身近なところにある。例えば、亀の甲羅や昆虫の複眼。岩場では、玄武岩の柱状節理がそうだ。ハニカム構造の特徴と言えば、同一の形を隙間なく敷き詰めることで丈夫な構造を作ることができること。しかも、”最も少ない材料で”その構造を作れる点が素晴らしい。
自然界の仕組みからヒントを得て、生み出された工業製品のなんと多いこと。オーナーも職人さんも、「蜂の巣は怖いから、すぐに燃してしまおう」と言う。だが、私はその巣のかけらをもらって帰った。リビングの薪ストーブの下にそれを置いて、もう一度眺めてみる。すると、ふと昨年の秋の出来事が思い出された。我が家の玄関に作られたジバチの巣 崩壊事件である。ジバチの幼虫を食べ尽くしたと思われるスズメバチ、いま目の前にあるこの巣こそ、彼らの家だったかもしれないと...。

2009年03月06日
窓辺のクリスマスローズ
朝からまとまった”雨”の降りつづく一日。いつもの眺めから、白い雪が消えていくのも時間の問題かもしれない。今日の軽井沢の最高気温は3℃。明け方の冷え込みも次第に弱まってきているから、真冬並みの寒さには終止符が打たれたのだろうか。
デッキの表面を、まるで鏡のように満たしていく雨を見ていると、「あぁ、本当に春は来るのだな」と思う。窓辺に置いたクリスマスローズが、首をかしげて咲いている。それは、見方によっては外の様子を覗きこんでいるようで。季節が麗らかな春に移り変わったら、その根をしっかりと地面に下ろしてあげたい。

西の空に輝く夕焼けを見つけた。雨はまだ降っているというのに、気が早いな。そして、時刻はもう18:00になるというのに、外の明るさにびっくり。春は近い!
2009年03月03日
氷点下で迎えた 雛まつり
今朝の最低気温は-10℃!再び冬の寒さが戻ってきた。天気予報では午後から大雪になるというのだが...。雲に包まれた午前中のうちに忙しく用事を済ませ、今日は早々と温泉に浸かってしまおう。自宅に戻ると、途端に小雪が舞いはじめたからびっくり。こんなにピタリと予報が的中する日もあるのだ。
今日は3月3日、雛まつりである。だが、軽井沢の最高気温はわずか-2℃。雪の白の他に、芽吹きの緑や花々のピンクを見つけることはできない。
本降りになる前にと、薪小屋から2日分の薪を運び入れた。今シーズンは、出張の続く旦那さんがすっかり寒がり屋さんになってしまったために、例年を上回るペースでしっかりと乾燥させた薪を使いこんでしまったのだ。季節はまだ3月、GWの直前までまだまだ肌寒い日は続くというのに、我が家の薪棚は別荘のよう。「これから暫くは、薪の使用量を節約をしないといけないな」そう思っていたところに、森林組合からタイミングよく電話が入った。どうやら地面が雪に覆われているうちに、薪割りができそうである。薪割りは汗の流れ出る季節にやるものではないと、わが身をもって知って早○年。今日のように、息が白くなるほど寒い日がちょうどよいものだ。
2009年03月01日
日本一高所のパン屋さんで
先週、草津からロープウェイ&ハイクアップした渋峠の斜面に再度リベンジしようと、今日向かった先は志賀高原。我が家からは、信州中野ICから志賀高原有料道路を走り、横手山スキー場までは2時間ほどの距離。渋峠の上部、標高2307mの横手山からのアプローチを試みる。天気予報では高気圧が張り出すため、一日を通して晴れ間が約束されるかに見えた。しかし、到着したスキー場はどんよりとした雲に覆われていた。気温は9時の時点で-6℃と冷えていい感じだが、リフトの足元に広がる樹氷が光を浴びて輝くこともなく、ほの暗い表情のまま山頂に到着した。ヒュッテの横に繋がれたシベリアン・ハスキーを見つけたが、雪景色と一体化するほど自然なたたずまい!寒い土地には、やはりこのような犬種がよく似合う。

「ここは標高が高いから、11時を過ぎればきっと青空が広がるだろう」とは軽井沢的な発想だろうか。ホワイトアウトの中に突っ込むのはあまりに無謀なので、以前から一度訪れてみたかった横手山ヒュッテでガス待ちをすることに。
このヒュッテにはドイツ製のパン焼き窯があり、毎日美味しいパンが焼かれているのだとか。正真正銘、日本で一番標高の高い”高原のパン屋さん”である。ここにいるみんなが天候待ちという感じで、多くの人が名物 きのこ雲スープを食べていた。私も、焼きたてのコロッケパンの誘惑に負けてさっそく一つ食べてみることに。こんな山の頂で作られているとはまったく信じ難い焼きあがりに、ただただ感激だ。

ようやく窓の外が明るくなってきたので、渋峠までの平坦な林道を下っていく。先週も見た樹氷と立ち枯れた木々である。ここでも再びガスに巻かれ、しばし小休止。「うーん、困った!」もの凄い勢いで流れていく雲の間から青空がのぞく瞬間もあって、ならば渋峠の西斜面までは行ってみようとなる。リベンジしたい斜面はまだガスの中だが、その上部の斜面なら視界は良好。ノートラックのまっさらな斜面を、ほんの少し滑ってみよう。

雪のチェックも兼ねて滑ってみたのだが、先週の膝まであった重い雪とはまったく別の質感だ。雪は今朝にかけて薄っすら舞った程度で、表面だけが融けて硬いプレートを作っていた。緩傾斜ならモナカ雪、急傾斜ならおそらくバーンと化しているに違いない。
暫く待っていると、白根山もようやく姿を現した。その山肌には、昨日誰かが滑った跡もしっかりと見えている。

先週滑った(正確には雪と戯れた?)急斜面には雪崩の跡があり、その隣の斜面を恐る恐る降りていく。案の定、所々がガリガリのバーンである。不用意に加速すると飛ばされて大怪我をしてしまう。やはり、今年は雪が圧倒的に少ないのだ。新雪が20cm以上は積もらないと、この状態はリセットされないだろう。登り返してふりかえると、再びガスに巻かれた芳ヶ平のヒュッテから、牧羊犬のバードとフロールの賑やかな声が聴こえてきた。
今年になって毎週のように山に入っているが、雪質に同じものはただの一度もなかった。同じ山、同じ斜面、同じような気象条件・気温であっても、いつも違う表情がそこにはある。雪はまさに一期一会の出合いだ。どのようなコンディションでも、それなりに楽しめるようになれたら本望。
2009年02月27日
思わず 衝動買い!
今日の軽井沢は、一日じゅう絶え間なく雪の降る一日だった。幸いだったのは、気温がずっと氷点下(-1℃)だったこと。パウダーというほどではないけれど、比較的軽い細かな雪。だから、デッキや私道の雪掻きも、夕方に一度しただけで済んでしまった。2月もいよいよ明日で幕を閉じるわけだが、日差しに乏しかったこの一週間。予定よりはるかに、厳冬期用のプレミアム薪(しっかりと乾燥した 楢の薪を我が家ではそう呼んでいる)を消費してしまった。これはぜひ、弥生3月が日差しに包まれることを期待したい。
モノに溢れたこの時代だが、日々の暮らしにちょっとしたスパイスが欲しくなって思わず衝動買いをしてしまうことがある。中には、「いま手に入れておかないと、もう二度と買えないのでは?」と感じるモノに出合う時もある。それが、この一本一本が人の手によって生まれたチーク材のレードルとトングだった。料理を楽しむ者にとっては、もしかすると一番出番の多い道具。手入れのしやすさや衛生面から、これまでステンレス製や耐熱樹脂製を使ってきたが、「どうしてもそこだけにこだわる必要は、ないのではないか?」と今になって急に思えてきた。長く冷たい冬を乗り越えてきて、ようやく辿り着いた心境の変化といったら大袈裟かもしれない。が、そのようなものだ。

そして、もうひとつの衝動買いがこちら。世の中にはメンディングテープ好きな人が必ずいる!と勝手に決めつけているのだが、私もその一人である。メンディングテープと言えば、住友3MのScotch。パッケージのデザインからテープディスペンサーのデザイン、カラーまで、まさに私好みのモノを作っている会社だ。先日、偶然見つけてしまったのが ↓ のドーナツ型ケースに入ったユニークなテープ。どうやらこの春の新作らしい。

接着面が中に入るから、携帯用にとても重宝しそうだ。開発者は、きっとお店のショーケースに並ぶ色とりどりのドーナツからインスピレーションを受けたのではないだろうか。色もチョコレートとかストロベリーとか、まさに美味しそうなドーナツそのものなのだから...。7年くらい前に買った ↓ のテープディスペンサーも、全3色揃えておけばよかったー!と思うくらいのお気に入り。なんと本体には”自然の白砂”がおもりとして入っているのだ。このアイディアとエコな考え方、どんなに月日が経ってもきっと色褪せない。

もしかしたら、いま身の周りにあるものだけで、日本人の生活に不自由はないのかもしれない。けれども、壊れたから買い換えるだけでない”とき”があるし、そんな気持ちがとても大切なのではないだろうか。街(町)を行きかう人々のファッションが、その街(町)の空気を作り上げていると思うし、暮らしに必要な道具が毎日を、人生を楽しませてくれていると実感できるから。世界や日本、自分の暮らすこの町で目にする風景は、ひとりひとりが選んだモノの集合体であることに時々ふと気づかされて、ハッとすることがある。
2009年02月25日
霙 雨 濃霧 底冷えは続く
日曜日の夕方から天気は下り坂で、軽井沢の空も慌ただしく変化した。明け方は薄っすらと粉雪が舞い、気温の上昇とともに雪は霙へと姿を変える。そして、午後には決まって雨になることが多いのだ。そうして湿り気を帯びた路面が、朝の冷えこみによって鏡面のように凍りついてゆく。今日は朝の7時前に車を運転したが、危うくタイヤをとられる個所がありヒヤヒヤした。四駆でスタッドレスタイヤを履いているとは言え、過信はできない。
2つの低気圧にサンドイッチされたような今日の軽井沢は、一日を通して気温が2℃前後という、とても寒い日であった。日差しに乏しい上に朝から濃い霧がたちこめているため、氷点下でもないのに体感的にはとても肌寒く感じてしまうのだ。人だけではなく、この家そのものが霧という水分を蓄えているのだから、カラリと晴れた真冬にはない”底冷え”状態である。こんな日の我が家は、昼間から薪ストーブのお世話になるしかない。そして、「時にはこんな日もあるさ!」と気持ちを切り替えて、家の中でしかできない用事を済ませていこう。
テーブルに飾った淡い色のバラを、朝からもう何度眺めてきただろうか。明日は3日ぶりに太陽の光が期待できるとか。きっと、この切り花たちも自然の光を浴びて、生き生きとした素顔を見せてくれるに違いない。もちろん、私にとっても待ち望んだ晴れ間!である。

2009年02月22日
草津~芳ヶ平 雪との格闘
山友達と向かった先は、草津。今日のツアーの出発点となる草津国際スキー場までは、我が家から1時間の距離だ。まずスキー場のリフトを乗り継いで標高を上げていくが、白根山ロープウェイが風で動かなければ今日のコースは断念するしかない。だから、実は昨日から風のことばかり気にかけていたのだ。今日はラッキーなことに穏やかな晴天!順調に草津白根山の火口までやってこれた。このあたりは素晴らしい湿原で、夏の間は白根山の火口湖を一目見ようと大勢の観光客で賑わう場所。だが、下から見ていると「あの人の列の向かう(吸い込まれていく)先に、いったい何があるのか?」と思ってしまうほどだ。活火山である白根山の噴火によって生まれたこの湖(通称 湯釜)は、世界一の酸性湖だと聞く。あたり一面が雪と氷だというのに凍りつくこともなく、一年じゅう目の覚めるようなエメラルドグリーンを保っているのだ。自然の神秘にしばし見惚れる。

芳ヶ平にさしかかると、バックカントリースキーを楽しむ人が大勢いた。風光明媚な場所だが、そのぶん風が強く新雪も吹き飛ばされてしまうようで、ところどころがバーンと化している。モナカ雪がそのまま硬くなったような手ごわい雪面もあり、気を抜けない。芳ヶ平ヒュッテに着くと、既にランチをとるお客さんでいっぱいの様子。ならば、予約だけをして、ここで小休止とリーダー。行動食を食べてから一気に渋峠までハイクアップし、渋峠の西斜面を滑ることになった。歩きながら、西斜面を滑降するパーティの美しいスプレーを目にした。素晴らしい斜面であることはわかるが、出だしの傾斜はかなりのもので、雪崩の巣にも見える。果たして私にできるのだろうかと不安がよぎる。そして、標高は2000m近いというのに、いったい今日のこの暑さは何だろう。暑がりな私はソフトシェルをザックに入れた。おとぎの国のような雪深い樹林帯を抜けると、上部からゲレンデのチャイムらしき音が...。気のせいかと思ってきたが、はるばる歩いてきて目の前にリフトが見えると、やっぱり落ち込んでしまう。到着した渋峠は立ち枯れた木々が幻想的な雰囲気を醸し、ここが国道の最高地点でもあることも知った。

横手山、草津白根山の火口、遠くに浅間山など雄大な眺めが広がる ↓ の場所が、渋峠の西斜面と呼ばれている場所。既に滑った跡があるが、どれも上手。

ここから滑走するのだが、次々とジャンプしていく皆の後に、どうしてもついていけない。傾斜に気持ちが負けてしまって、真下に降りていけないのだ。下からの眺めよりずっと雪の量はあり、湿っていて重たい。だから、一旦転ぶと起き上がるのに一苦労。5~6回は、雪の中で柔道をしているのか!というくらいに転倒し、私の頭の中は真白になってしまった。これまでの山スキーでは少しずつ上手くなっているなと思えたのだが、雪の状態が悪くなると途端に滑れないことがわかった。実際、本当に上手なメンバーの I さんは、どんな悪雪でもそれを感じさせない滑りを見せている。時刻は既に14:30、芳ヶ平ヒュッテのご夫婦はランチを予約した私達を快く待っていてくれて、山の中とは思えぬ本格的な赤ワインの効いたミートソース(ラグーに近い)を”すぐに”出してくれた。パスタもアルデンテで本当に素晴らしい。

食後にいただいた熱い紅茶がまた嬉しかった。人懐こい牧羊犬に、これでもかと吠えられたのもいい思い出(正確には、私達を”逃げる羊”と見てしまう彼らの悲しい習性なのだが)。スキー場までの帰路を急いだ。駐車場に着くなり舞い始めた雪。草津では、はじめて”大滝の湯”へ立ち寄り、眺めたばかりの白根山の湯釜を思い出しながら、酸性度の高い湯に浸かった。心地よい疲労感に包まれながら自宅へ戻ったのは19:00。まだ、19:00と言わなければならないだろう。なぜなら、今日来たみんなには、これから私達が磐梯へ行くのと同じような距離(帰路)が待っているのだ。リビングは、こんな時間だというのに17℃もあってびっくり。どうやら、軽井沢でも日中の気温は10℃を超えていたらしい。次回は思いきり早出をして、今日のリベンジをしたいと思う。スキー上達への道は、長い!
2009年02月21日
家がベースキャンプとなる夜
週末は、久しぶりに山の友達が来宅。横浜や鹿島からと遠路はるばる集まったメンバーだ。今回は、我が家で夕食を共にした後、翌日に草津~芳ヶ沢の山スキーを皆で楽しむ予定。男性ばかりと聞いて「どんなメニューにしようかなー」と悩んだが、やはりこの時期が旬の その日に運よく手に入ったものを料理するのが一番!と思った。朝一で買い物へ行くと、ここ暫く我が家の食卓を楽しませてくれていた鮮度抜群の新潟産ハタハタの姿がない。ならば、先日美味しかったニュージーランド産ラムのスペアリブはあるだろうか。あった!そんな感じで決めていった今宵のメニューは...
・春トマト 天然塩 胡椒 エキストラヴァージンオリーブオイルで
・母の家庭菜園から届いた露地物水菜とブロッコリー&高山村のリンゴ 酸味のきいたドレッシングで
・熾き火で仕上げる 豚肩肉のチャーシュー( ↓ 2日前から仕込み済み)

・ロール”春”キャベツのスープ
・蓼科牛を使ったトマト風味のスパイシーカレー サフランライス
・栗じゃがいもとラムスペアリブの熾き火オーヴン ↓

・ストーヴトップで焼くバケット ブルーチーズの盛り合わせ
日本酒に変わり 即興のおつまみとして
・色鮮やかな三浦大根のスティック 梅びしおソース
・鮭の西京味噌漬け
差し入れにいただいたビールで喉を潤した後は、この日のために何本かセレクトしておいたワインを料理とともに味わっていく。まず、仏の軽快なソーヴィニオブラン~伊の凝縮感あるジンファンデル~伊 バランスのよいサンジョベーゼ~伊 柔らかなアリアニコ。そして、こちらも差し入れていただいた茨城 やまなか酒造の本生吟醸原酒 一郎左衛門。
久しぶりの再会だから何もかもが楽しくて、時間はあっという間に過ぎていく。だが、このまま夜を明かすわけにはいかない。なんといっても明日は”山に入る”のだから!ゲスト用の和室には、いつでも眠れるようあらかじめ布団を川の字に敷かせてもらった。男性陣がゲストルームへ向かったところで少しだけ洗い物をして、薪ストーブにはいつもより多めに薪をくべておこう。すると、さっきまでの賑わいはどこへ。家じゅうが、私しかいない時のように静まりかえっていた。薪のはぜる音だけが耳に届く、こうした静寂も私の好きな時間。明日の天気はどうだろう?と夜空を見上げれば想像を超えて広がる冬銀河。風もない。明日はきっと青空、いい一日になりそうだ。
2009年02月20日
春の雪 儚く
昨夜遅くに降り出した雪が、辺り一面を白く染め上げてくれた。まとまった雪は久しぶりで、私の気分は木々を華やかに飾った雪と同じ。次第に冬芽が目立ちはじめる冬枯れの景色もいいが、地面がぬかるんだ土というのはいただけない。玄関を開けて、デッキに積もった雪を見ると20cm近くはあり、車ももちろんモンスターと化している。気温は9時の時点でマイナス2℃と高い。今日の雪掻きは、早めに済ませないと厄介なことになりそうである。ホーキではとても掃き落とせないその雪に、近づく春を感じた。

雪掻きを終えて、わずか数時間には ↓ の景色だ。シャリシャリという音が聞こえきそうな春の雪は、とても儚い。

夜の闇が忍び寄る午後5時すぎ、窓の先では氷点下の冷たい風が吹き荒れていた。風はごうごうと音を立て、雨ではなく霰が黒いデッキの上に転がる。山は荒れているに違いない。

2009年02月17日
冬銀河 明けて春の青空
寒暖の差が激しく、いい意味で身体が強くなっていく気がする。月曜から、天気は徐々に冬型へと移行しているが、今朝は昨日より12℃も下がって-11℃の朝。庭の水辺鉢の水面が、ゆらゆらと風に揺れていた数日前が夢のようだ。今朝は、羽毛を膨らませた冬鳥たちが鉢の周りにスタンバイ。朝日で氷が水へと変わる時を、今か今かと待っているのだ。朝起きたら一杯の水を飲みたいのは鳥も人も同じ。
翌日の天気を予測するのに役立つのが、前日の夜空だ。昨夜は、これぞ冬の!という素晴らしい冬銀河が漆黒の闇に広がっていた。だから、明け方の冷え込みが厳しくなる覚悟は夜のうちからできていたように思う。しかし、日中広がった空は明らかに”春の青空”だった。ペールブルーを少し濃くしたような色で、冬のものではない。

冬も春もどちらもしっかりと存在していながら、その時の気圧配置によってどちらかが主張を強める2月という季節。厳しい寒さだけが支配する冬だったなら、私は毎日が辛くてとてもやっていけない。晴れる日も雨の日も雪の日も寒さも暑さも、それだけが永遠に続くことはないという安心感が遠い記憶のどこかにあるのだ。だから、頑張れるのだろうと思う。
2009年02月14日
ほんものの小鴨色を探して
ジビエ料理に舌鼓を打った翌日、春の香りに少しだけ触れたい気分になって湯島天神へ行こうと思いたった。だが、春というより今日の陽気はなんだろう。コートもセーターもブーツもすべてが不似合いな暑さ!氷点下の世界で暮らしている私達には、ゴールデンウィークの最中に訪れる夏日のようだ。できるだけ身軽な装いになって、荷物をロッカーへ預けて歩き出す。湯島天神界隈は、かつての勤務先であったため行きつけの店も多い。親子丼が好きな旦那さんも、鳥つねの味はなかなか気に入っている様子だ。しかし、「八ヶ岳の中村農場の親子丼が、この店と同レベルの割り下を使えるようになったなら、おそらく日本一になるのだろうな」と言っている。実際、私もそう感じる時があるのだ。中村農場は卵もいいが、その肉質にいつも驚かされる。昨夜は、野生の上質なジビエを堪能してしまった。だからなおさら、飼育された肉質に厳しくなってしまうのだろう。
湯島天神には早くも梅の便りが届き、既に三分咲きに近い状態。思っていたよりずっと多くの人で賑わっていた。歩いていると鼻をかすめるほのかな香り。桜にはない、控え目な香りだ。白無垢姿のお嫁さんのいた本殿の裏手で、今日一際美しく見えた、ピンク色のしだれ梅。

アスファルトの熱さから逃れようと向かった先は不忍池。ここに足を運ぶのはずいぶん久しぶりだ。桜はまだまだ蕾で一安心。これが2月に咲きだしてしまっては深刻だ。ゆらゆらと水面を進む手漕ぎボート、よろよろと二本脚で前へ進む鴨の群れ。のどかで幸せな空気が漂う。私は気がつくと、そんな風景の中にマガモを探していた。あの青い首輪を。そう、今の季節に大好きな色となる小鴨色の持ち主だ。不思議なことに今日はただの一羽も見つけることができなかった。鴨は愛らしく美しい鳥だ。

帰りのあさまからの車窓に、冬を見つけることはできなかった。金曜は春一番が吹いたことを今日になって知った。そしてこの気温だ。山は嵐の後の静けさに包まれているのだろうか?それとも、これから雪崩という大嵐を控えているのか。ジビエを味わった翌日に、あわよくば上州へ山スキーに行こうと思っていたが、そんな気持ちは一瞬で消えていった。山スキーも、ジビエのように山の恵みのひとつでしかない。だから、逆らわない。
2009年02月13日
長い冬のご褒美 ジビエ料理
この一週間は、空を見ながら山スキー三昧の日々を送ってきた。そして、久しぶりの長い休みの最後を華やかに締めくくりたいと、実は一ヶ月以上前からあるイベントを企画していた。”ジビエ ナイト”である。立春を過ぎたあたりから、天気は周期的に春へと変化していくが、どうも今年の2月は暖かい日が多い。スキーグッズのメンテナンスやウェアの洗濯を終えて軽装で向かった東京は曇り空。午前中は真冬の寒さで、いつもの格好(スキーへ行くのと同じインナーの上下を着て、タートルネックに薄手のコート)が正解に思えた。しかし、午後になるにつれて嵐のような強風が吹き荒れるようになり、生ぬるいというより汗ばむ暑さに。それでも都会のビル風はことのほか冷たい。髪が風で乱れるなど、軽井沢ではあり得ないことなのだ。風の少ない土地に暮らしていると、風というものの存在にとても敏感になる。
待ち合わせの時刻までに、余計なものは口にしなかった。それくらいに今夜の食事は気合いが入っている。はじめは私達と友人の計4名で行く予定だったが、いつの間にか人数は倍に増えていた。ジビエ料理を味わうなら、真冬がいい。伊那の星野屋に行ってからというもの、ジビエ(山肉)を味わうことは冬の間の大切な行事となっている。しかし、今回は東京でである。伊那でもなく、蓼科でもなく、軽井沢でもなく、東京の目黒に店を構える知る人ぞ知るジビエ料理の名店へ出向く。昨年、旦那さんが食通の友人に連れられて行ったのがきっかけで、シェフと意気投合してしまったのだ。伊那でジビエを食べているというお客さんには初めて会ったのだという。同席する友人やその友人・知人は、今夜が初のジビエ体験となる。「今日は十勝の鹿や猪のいいのが入っているんです。ヘビーなものもご用意できますが、皆さん大丈夫でしょうか?」とシェフが再確認。みなノープロブレムだと言う。ならばフルコースでいこう!
まず、乾いた喉をキリッと冷えたスパークリングワインで乾杯!そう、今日は金曜日の夜でみんな仕事を終えてここへ飛んで来たのだ。アミューズとして出された鰯のマリネも新鮮で、魚料理にも期待が高まっていく。
次はいよいよジビエに入る。ソムリエさんが、あらかじめ料理に合うワインを何本かチョイスして持ってきてくれた。「繊細な味わいの」という言葉が何度も出る。そうか、ジビエといってもこの店で料理されるものは、プロのハンターが肉にとって最良の環境で、最高の技で仕留めたものばかり。とかく臭みや野生的な味を連想してしまうが、繊細な肉質なのだ。「頭の急所に一発で仕留めたもの以外は 買わない」とシェフは断言する。そうして厨房から運ばれてきたのが、↓ の蝦夷鹿のタルタル。ラスクのように焼いたバゲッドにのせていただく。ほんのりとアンチョビの香りをつけているが、肉本来の甘みがストレートに出ている。「これは、美味しい」

肉ばかりではいけないと思いオーダーした生野菜のバーニャカウダもまた、ソースはにんにく控えめでマイルド。味の邪魔をしない配慮なのだろう。今日は魚も新鮮なクエが入っているとのことで、春キャベツとクエの一皿をいただく。しっかりとした味を持つクエに、甘くて柔らかな春キャべツがベストマッチ。複雑な味わいの白ワインが続いている。そろそろがっちりした赤が飲みたいなぁ。さぁ、次が今日のメイン。鹿の内臓を使った本格的なソーセージ(腸詰め)と猪のソテーだ。

合わせる赤ワインはタンニンの利いたものにしようと思っていたが、ソムリエさんの言葉を聞いているうちに従うことにした。この店は、良質なジビエの味わいを最大限引き立てるような繊細なワインだけをセレクトしている。だから、ノン・フィルターで仕上げた まだ酵母の生きているようなワインも多い。この信念には敬服しなければいけない。たしか、これにはMAGIという赤を合わせたと思う。ヘビーだと言っていたのがこのソーセージだったのだが、肉汁とソースが絡み合って、奥行きのある味わい。私にはヘビーでも何でもない。猪も脂身だけでなく赤身も最高の歯ごたえをしていて、噛めば噛むほど味が出てくる納得の美味しさ。付け合わせの野菜もたっぷりで、大満足のうちに食後のデザートと珈琲をオーダー。いつの間にか、店は沢山のお客さんで賑わっていた。スタッフはとても忙しそうだ。気長に待とうかと思っていたところに、運ばれてきたのがこのデザート。ここにあるジェラードやアイスクリーム、プディング、クッキー、ショコラなどは全てが手作りである。どれも本格的なフランスの味わいで、レベルは相当高い。しかも、これで4人前とは。全員が、ただただ感激。

これからは、年に何度か訪れることになるだろう このお店。我が家にとっては、長い長~い冬を過ごしてきたご褒美として味わうのがジビエという一期一会の食材だ。特別な寒さに身をおいてこそ、ジビエの味は引き立つものと私は思う。日本の山々の恵みに感謝したい。
2009年02月11日
根子岳~草津 仕上げの湯
少しずつ、自然の中へ足を伸ばしていく私のスキー。今日は午後から天気が下り坂ということもあり、朝発で菅平の先 峰の原高原へと向かった。標高2000mを少し超える根子岳の斜面を滑降するためである。歩いている途中で後ろを振り返ると、この眺め。北アルプスの雄大な山稜が朝日に照らされていた。

根子岳では樹氷も見ることができる。頂上に着いたのは10:30、雲は多いながらも青空が広がって、素晴らしい眺めである。ここでもすぐに見慣れた山を発見!噴煙をあげる浅間山である。軽井沢側からでは見ることのできない様子だろう。

そして、風の強い稜線ではこのような雪の造形美も。このようなものに偶然出合う瞬間があるから、自然の世界に惹きつけられてしまうのだ。

登りが終われば、後は下る(滑る)のみ。今日は練習がてら、新雪の樹林帯をルートにとり積極的に入ってみたい。根子岳の頂上までは、ずっと”ダボス→”という看板が立てられている。ダボススキー場からハイクアップする人が多い様子で、今日も私達の後に数々のパーティが来ていた。視界の明瞭な日にこのような看板は不要だが、これが猛吹雪であったなら...と思う時もある。北アルプスを見下ろしながらの滑り出しである。進路をやや東にとって、トラックのない雪面を滑っていく。腰を思いきりかがめて白樺林のトンネルを何箇所かすり抜けていけば、出発した峰の原のゴルフ場は目前だ。時刻はまだ12:00前。だが、お腹はしっかりすいているから頼もしい。落葉松の防風林を背にした絶好のビューポイントを休憩場所にして、コンロに火をつける。下界で食べたら何の感動もないカップラーメンがとにかく美味しい。冬の山では、何より温かいことが一番の御馳走なのだ。さぁ、時間はたっぷり余っている。雪はもう腐り始めているいるから板はしまおう。このまま軽井沢へと急げば、一時間後には我が家に到着してしまうのだ。それではなんだが勿体ないような...今日は久し振りに草津へ立ち寄ってみようか。
浅間山の噴火ですっかり慣れてしまった硫黄の臭いが、この宿場町にはいつも充満している。車を停めて、さっそく西の河原温泉に浸かると、ポツリポツリと空から雪が降ってきた。みんな口々に「あぁ、草津に来てよかったー」と言っている。さすがは名湯である。肌は目に見えるように滑らかになっていき、身体は芯からヌクヌクと温まっていく。上州名物の豚肉料理でお腹を満たしていると、雪はいつしか本降りに。雪が降ることは嬉しいが湿り気のある霙のような雪である。休日の、混雑しはじめた峠をゆっくりと超えれば軽井沢。トンボの湯の駐車場に空きを見つけて、せっかくの機会だから”仕上げの湯”を体感してみようと思い立つ。いつもの温泉の泉質の違いをじっくりと感じたのは、今日が初めてかもしれなかった。七味温泉の強い硫黄泉~やや強い草津の湯~低刺激な星野温泉 トンボの湯。3日間で異なる3つの湯を浴びた感想は、行きつくところトンボの湯のやさしさだった。星野の湯は、昔から草津帰りの仕上げの湯と言われてきたそうで、実際に母もそのようなことを言っていたように思う。成分の強い湯は効能もあるが、肌にとっては刺激が強すぎることもある。だから、たまに入るとその良さがしっかりとわかってとても良いものだ。
また、湯治治療と言われるように、体質や病状によっては、まったく逆効果の泉質が存在していることも事実だ。特に源泉の湯を飲む(飲泉)場合には細心の注意が必要である。私も以前、あまり気にかけずに飲んでいて「どうも自分には合わないな、まずいなぁ」と感じたことがあった。注意事項をよーく読んでみると、○○の方には適さないという文章が。本当に、人の身体は正直だと思う。美味しいと感じるものの多くは、その時の身体に不足している栄養素であったりするのだから...。自分の身体に合った泉質を持つ温泉を、あらかじめ選んで旅に出るのもオススメ。旅の充実感は、更に深まっていくに違いない。
2009年02月09日
もうひとつのYAMABOKU
再び信州・高山村へ。一週間前にパウダーを楽しんだばかりの山田牧場(YAMABOKU)へ向かう。今回は笠ヶ岳の斜面を滑るのが目的なので、スキー場のリフトを使わずに早朝からハイクアップだ。高度を上げていくと次第にYAMABOKUの全景が見えてきた。粉砂糖を振りかけたように美しかった先週とはまったく別の表情をしていて、「スキーは本当に降雪次第なのだなぁ...」と実感。

日曜日は天気も良く、多くの人で賑わったのだろう。ゲレンデ全体が板によって圧雪されているのが遠目にもわかる。雪はパラリと舞った程度で、今日のYAMABOKUは、いわゆるガリガリのバーンであるらしい。
笠ヶ岳までの道のりは林道歩き。歩いていると、”牛馬 放牧中”という看板があちこちに掲げられていた。ここは名前の通り、れっきとした牧場なのだと知る。だんだん足元の雪がふかふかの新雪となり、前日までのトレースも消え、期待が高まっていく。平日の朝に笠ヶ岳へ登る人などいない様子だ。遠くの見慣れた山は白根山。この山も今年は雪が少なく、山頂付近はゴツゴツとした岩が見えてしまっている。笠ヶ岳の峠の茶屋を見つけた。滑る斜面はこの上部だ。スキーアイゼンを初めて履いて、急斜面を登っていく。登り20分、滑りは3分といったところだろうか。「たったこれだけの為に?!」という気持が今の私にはあるのだが、自然が作り出した新雪の、それもパウダーを滑るのは病みつきになる楽しさだ。その後は時間がたっぷりと余ったのでタコチコースを滑り、笠ヶ岳へ向かう途中で眼下に見つけた高山温泉郷の秘湯 七味温泉へも立ち寄ってみたい。こうなれば夕食は小布施で行きつけの店 蔵部が自然の流れ。七味温泉の湯は源泉かけ流しだが、私がこれまで出合った温泉の中で一番濃厚なお湯と感じた。例えていうなら、草津の湯畑にそのまま浸かっているような感じだ。白濁して黄色い湯の花がこれでもかと浮かんでいる。温度もすこぶる高さ(47℃くらい)で、皮膚の表面ならず体の芯まで成分が浸みていくようだ。自宅へ戻ってパソコンを開くと、なんと指紋認証ができない!恐るべし泉質である。今日は久々のフルコース、深い深~い眠りにつけそうだ。
どんな山でも、二度目には視野がぐっと広がっていく。これからの山スキーには、今日のような秘境の楽しみも少しずつ盛り込んでいこうと決めた。これからは、ありがたいことに日も長くなる。日の出とともに行動を開始できれば、そのようなおまけも充分可能である。
2009年02月08日
浅間山と桜島
昨日までの小春日和から一転。北西からの強い風が吹く、寒い休日となった。こんな日の空気はどこまでの澄み渡り、浅間山の輪郭が青空にくっきりと浮かび上がって とても綺麗だ。ただひとつ気になる点をあげるなら、そこから流れる噴煙と火薬のような匂いが町に充満していること。北西の風に運ばれた煙が、吹きだまりのように山の窪みに集まっていた。こんな不思議な光景は、今日初めて見る。

浅間山が小噴火した2月2日、日本の活火山のひとつが同じように火山活動を活発化させていた。九州の桜島である。あちらも少しだけ噴石が降ったそうだが、この星が太陽のようにしっかりと生きている証ではないだろうか。すごいな、地球。
2009年02月07日
この冬は 屋根も歩道も安全
現在16:00の気温 7℃!立春を過ぎて、すぐさま小春日和がやってくるとは思わなかった。窓を開けて新鮮な空気を取り込んで、こんな時刻まで薄着でいられて、髪をばっさりショートにしたように気持ちは軽いのだけれど、庭の片隅でふきのとうが顔を出していないか?ちょっと心配。長野県内全域には、連日”なだれ注意報”が出ていて、スキー場もこの陽気で雪を保つのは大変なことだろうと思う。
この冬は本当に雪が少ない。昨日、浄化槽の点検に来たお兄さんたちに声をかけると、「今年はホント 信じられないくらい楽です」とのこと。そう、昨年は頭上から巻き爪のように固まった氷が、今にも落ちてきそうなほど危険な状態だったのだから。
真冬なのに、誰もが”安全”に自転車に乗って移動している...これも、雪のない今シーズンを象徴する風景。浅間山も小噴火したりして、すこし地面も温かいのだろうか。
冬といっても、必ず春になる冬だから。今日のような穏やかな一日があってもおかしくはない。何と言っても、まだ2月は始まったばかり!いつものように、-10℃クラスの厳しい寒さは再び訪れるはずだ。
2009年02月06日
小鴨色のひろがる
気づいたら、部屋のあちこちにこの色があった。小鴨色(ティール グリーン)は、鴨の首のあたりにある 光沢のある濃い青緑色を言う。以前から好きな色だったらしく、我が家には無意識のうちに集まっていった小鴨色の布類が多くある。そして今日、何か目新しいものを纏いたいなぁと思って買ってきたのが、ウールの薄手のマフラーだ。

どうやらこの時期の私は、”小鴨色が大好き”になってしまうらしい。きっと、青みがかっていることに気持ちが落ち着くのだろう。黄色の入った若草色も、気分がぱあっと明るくなると思う。だが、身に纏うのはまだ早すぎる気がして...。
都会に住んでいた頃のように、季節を先取りした無理なオシャレはしなくなった。つぎの季節へと微妙に移ろう小さな変化に、自然と馴染むように自分を合わせていく。そんな、少しだけ色や素材感で遊ぶ毎日が楽しい。
2009年02月04日
”立春”の響き
昨日は節分で豆まきをして、迎えた今日2月4日は”立春”。日差しが少しづつ高くなっていくことには気づいていたけれど、これからは穏やかな日がどんどん増えてくる。
春が立つと書いて”りっしゅん” なんて素敵な音感なのだろうといつも思う。旧暦では今日から一年がスタートするわけだから、音の響きだけでなく、初々しい何かを感じずにはいられない。生きているものすべてが無意識のうちに感じ取る、春への小さな変化に、鼓動に。
2009年02月03日
浅間山 小噴火
昨日スキーにでかけていた私は、自宅に戻ったばかりの午後9時のトップニュースで浅間山が噴火していたことを知った。留守電が点滅していることに気づいてメッセージを聞いてみると、「避難しているの?」「大丈夫?」という声。パソコンを開いてメールのチェックをすれば、噴火を知った友人から続々と安否を気遣うメールが届いていた。ニュースでは、千葉の君津で浅間山から噴き出た灰が確認されたとか?町の様子より、世間では都心へ舞い降りた珍しい”灰”の話題でもちきりのように見える。果たして今回の噴火はどのようなものであったのだろう。
5年前に起きた噴火の時もそうだったが、噴火から一日経過すると専門家の分析が進むようである。井の中の蛙であった裾野の住民が、やっと現状を把握するのが今日なのだ。
噴火そのものは、2月2日の午前2時~約20分間にわたって続いたのだという。今回は小規模な水蒸気爆発で、5年前の中噴火と比べるとずっと小さい。しかし、噴火自体が20分間続いたことで火口付近の岩石が非常に細かな灰となり、たまたま南東へ吹いていた強風に乗って、火山灰ははるばる関東へ運ばれたようだ。我が家のデッキに灰らしきものはなかったような気がするのだが、もう一度外へ出て注意して見てみると、塩カルの粒のような灰色の砂が僅かに落ちていることに気がついた。しかし、噴火したことを知らなければ、おそらく気にもとめないものであったと思う。ご近所さんに話を聞いてみると、こうである。「北の窓が小刻みに揺れはじめたかと思ったら、ゴゴーッという音が聞こえてきた。それは、すぐに噴火だとわかるような音だった。暫くすると、屋根に降り出したばかりの雪のような音。窓を開けて掌を広げてみたが特に目立ったものはなく、大丈夫と思いすぐに眠ってしまった。」
この言葉から、家の外へ出て確認する必要を感じなかったことがわかる。5年前に私がたまたま出くわした中噴火の時は、窓の揺れからはじまって爆発音と恐ろしい激震があった。私はいったい何が起きている?と思い、すぐさま家を飛び出した。そして、辺り一面に充満する火薬の匂いの火元を探そうと地下室へ降りたりしていた。
噴火は、その時の風向きが大きく影響するらしい。軽井沢町でも、場所によっては車が走っただけで灰が舞い上がる場所もあるが、何の変化も感じられない場所の方が多いと思う。国道18号に掲げられた電光掲示板に赤い文字を見つける。
浅間山噴火中
火山活動 レベル3
火口4km圏内 立ち入り禁止
2009年02月02日
はじめてのYAMABOKU
久しぶりに気合いを入れて、前夜発で向かった先は小布施町のお隣 高山村。高山という地名を聞いて私の頭に浮かぶのは、山の斜面を削る大きな石切り場だ。その下の盆地には、とても美味しいリンゴや葡萄畑が広がり、山深いというイメージは微塵も感じたことはなかった。だが、この村にはパウダーフリークなら知らぬ者はいないという山田牧場 通称YAMABOKUがあることを、つい最近になって知った。そこは、石切り場を抜けた高山郷の先にあるというのだが...。雪の降りしきる夜中に走っていると、想像外の山深さにすぐにでも引き返したくなる気分に。着雪した落葉樹のトンネンルを、美しいと感じる余裕もないまま通り抜けていく。すると、こんなところに?という感じで宿がひしめくように連なりはじめた。道端に止められた車はどれもモンスター。平日の深夜1時に人の姿を見つけることなど困難なことはわかっているけれど、どこの宿の灯りもついておらず非常灯の緑色のランプがぼんやりと浮かび上がるだけ。だから、「本当に、みんないるの?」と不安になってしまう。引き返してやっと見つけた山田牧場の入口は、案の定 雪で埋まっていた。新雪をグググッと鈍い音を立てて進んでいくと、車が数台とまっている。ここが駐車場と思うが、どの車もワイパーを上げて人の足跡も見つからない。本当にここで良いのだろうか?
と思いながらも、ここしかないという事実。暫くすると、明らかに不審な動きをしている私達の車に気づいたのか?一軒の宿の灯りがついた。アールデコ調のランプに照らされていく暖かそうな部屋が見える。人の気配を感じたことで、私の緊張はようやくほぐれていった。ここは間違いなく山田牧場。雪はまだまだ降り続く様子で、車外に出るのは止めた方がよさそうだ。自宅から持ってきた白ワインを開ける気にもならず、「とにかく今は寝るしかない」とシュラフにくるまり、朝まで仮眠と決めた。
外の眩しさに目覚めて、辺りをぐるりと見渡してみると この眺め。
雪はピタリと止んで、朝から素晴らしい快晴!新雪は20cm以上で無風...これが噂に聞いていたYAMABOKUの晴れの姿だ。

リフトは全部で3本。ゲレンデは最低限の斜面に圧雪がかけられるだけで、それ以外はどこでも滑走可能という夢のような場所だった。自然の地形をそのまま生かしたパウダー テーマパークという表現がぴったり。今では珍しい一人用のリフトにワクワクしながら乗りこみ、見上げればこの紺碧の空と樹氷。ゲレンデのBGMも一切届かない場所だから、音という音もないガラスのように繊細な世界が存在していた。こんな美しさってあるだろうかと、ただただ感激してしまう。初めてのYAMABOKUでこれほど好条件が揃ってしまうとは...今シーズンの運を使い果たしてしまったようで、怖い。


そして、待っていた緩斜面がこの ザ・パウダー!!思わず声が出る。前日までのトラックは全てリセットされ、自分たちのトレースだけが描かれていく贅沢さ。磐梯で地元のおじさん達に言われた通り、長野は正真正銘 スキーのメッカであった。そんな場所が、自宅からDoor to doorで2時間かからないことにも驚いて。次回は滑っている間じゅう視界に入っていた笠ヶ岳に登り、全長13kmにもおよぶYAMABOKUが誇るツアー タコチコースを滑りたいと思う。

2009年02月01日
浅間山火山活動 レベル3へ
浅間山の火口から立ち昇る白い噴煙に気をとめない日はない。だが、煙は空(くう)のごとく...である。日を追うごとに見慣れた風景になっていく自分が怖いと思っていたところ、気象庁が正式に浅間山の噴火を発表した。火山活動レベルは、2から3へと引き上げられたのである。
偶然にも、浅間山の話題で2月ははじまったことになる。今日の午後1時、私は標高2000mのスキー場(浅間2000)を覆う厚い雲の中にいた。そこは猛烈な強風と雪が容赦なく叩きつける、稜線にいるかのようなスキー場だ。しかし、1000m下ればまるで別世界。雪のかけらを見つけるのも難しいのどかな風景に降り立つ。残念ながら、軽井沢もここ数日の雨と異常な暖かさで、雪の全く無い3月のような風景である。車窓の左手には険しい表情の山々が連なり、中でも際立って白い浅間山からは今日も噴煙がたなびいていた。火薬のような匂いとともに。
長い旅をして帰路に着くとき、そこにはいつもこの山がある。私には、いつしか「おかえり」という声がいつでも聞こえてくるような存在となった。そしてこの浅間は生きている山。だから今日、噴火レベルが3へと動いたと言っても、実のところいつも噴火状態であることを近隣に住む人々は心得ているように思う。日本には活火山が沢山あり、その恩恵である温泉も無限にある。「胸の片隅に、いつも生きる山がある暮らしは怖いのだろうな..」この地に暮らすまで、私もそう思ってきた。しかし、今では毎日が貴重な体験の連続であると言い切れる。この星の息吹を、肌で感じることができるからだ。
2009年01月30日
真冬の ビタミン補給
今日の最高気温 8℃。昨日に引き続き、真冬であることを忘れてしまいそうな外気温だ。しかし、単純に暖かいと感じられるものではないから不思議。天気は今日の午後から下り坂、今まで乾燥しきっていた空気が急に湿り気を帯びてくるのがわかる。気温は高いが日差しに乏しく、厳冬期にはないこの地独特の肌寒さが室内を支配していく。
昨日、奄美諸島から届いた”たんかん”は、蜜柑の王様と呼ばれる果実である。皮は薄いが硬いため、みかんのように手でむいて食べるのはなかなか難しく、口に含むとネーブルオレンジのような果汁がジュワッと出てくる。甘みはしっかりと濃く、それでいて酸味もきいた とても美味しい果物だ。冬の間はとかく不足しがちなビタミン。新鮮なものはできるだけありのままの状態で、この身体に補ってあげたいものである。オスタライザーのブレンダーをカウンターの奥から取りだしたところで、「あっ、これよりいいものがあるではないか!」と気づいたのは、アレッシーのレモン絞り。

柑橘系ならこの道具が手っ取り早い。たんかん4個はナイフでそれぞれ半分に切って、後は掌でグリグリと押さえつけていくだけ。果肉をどれだけ入れたいか?そんな調整も力の入れ方次第。下に置いたグラスを二人分のフレッシュジュースがいっぱいにしていくのは、あっという間の出来事だ。そして、使用後はササッと水で洗うだけで、キッチンカウンターのオブジェと化す美しい身のこなし。フィリップ・スタルクのデザインしたものはどれも好きだけれど、このレモン絞りが私にとっては最高傑作!”他の追随を許さない”とは、おそらくこのようなものを言うのだろうと、使う度に感じ入っている。我が家のキッチンでは非常に登場回数の多い、かけがえのない道具の一つである。
2009年01月27日
はじめての磐梯
今シーズンはスキーに力を入れようと、久しぶりに長野から脱出。高速を4時間走らせて向かった先は、福島県磐梯町 アルツ磐梯(スキー場)だ。磐梯山~猫魔ヶ岳の稜線を挟むようにして、南に幾つもの浜を持つ広大な猪苗代湖。北に桧原湖・秋元湖など複数の湖を望む風光明媚な場所で、一度は行ってみたい場所だった。今回は、レベルアップの為にスクールの予約も済ませている。スキーを本格的に習うのは初めてのことだ。
2kmにも及ぶスケール感いっぱいのリフト。足元に広がる雪は量も質もケタ違いだが、野生動物の足跡は湯の丸の方が多いと感じる。今はすべてが雪に覆われているが、夏になれば”磐梯山ゴールドライン”という素晴らしい有料道路を走ることができるのだとか。ここ磐梯にはブナの原生林もあるというし、冬だけでなく紅葉の秋もぜひ訪れてみたい。長い長いリフトを降りて眼下に広がった景色がこちら。朝の光を浴びてキラキラと輝く猪苗代湖は、どこかの海の”湾”のよう。

午前中は、「習うまでに、少しは上手くなっておきたい」などと思いながら、スキー場の理解に努めた。そしていよいよ、スクールの時間である。「どんな人と一緒になるのかなー」と不安な気持ちでいたら、「このコースはお一人様なので、マンツーマンになります」とのこと。そんな贅沢な!
2時間はあっという間に過ぎていった。しかし、確実に上達していく手応えを感じながら...。やはり、スキーでも何でも基本が大事なのだと知らされた。我流では限界があるのだ。受講して良かった。
夕方になると、朝から穏やかだった磐梯山が突然荒れてきた。風が強く吹雪きになったのだ。みんな、逃げるように建物の中へ入っていく。道路やその先の駐車場を見ると雪が走っている。これが噂に聞いていた地吹雪か。夕食は本場の喜多方ラーメンを求めて、吹雪のなか喜多方市へ車を走らせた。時刻は既に18:00をまわっている。普通なら焦る必要もない時刻だけど、ここでは違う。このあたりのお店は居酒屋を除いて、そのほとんどが18:00に閉まるというのだ。店の灯りを求めて、吸い込まれるように入ったのが駅前の丸見食堂。店構えから美味しそうな予感がしていたが、これが大当たりだった。しっかりとだしのきいた旨みのある喜多方ラーメン。どのメニューもすべてが手作りで、素晴らしい家族経営のお店。また絶対に来よう!
二日目の朝は、雲海に包まれた猪苗代湖を目にした。今日は少しだけ稜線を歩いてみたい。ちょうど知人パーティも猫魔ヶ岳1404mに登りたいというので、私達は磐梯側から、彼らは猫魔(スキー場)側から歩きはじめて頂上で合流することになった。 ↓ は磐梯山を背に頂上まであと一歩の様子。


↑ は、猫魔側からスノーボードを担いで歩く知人パーティ。「いい斜面はないかなー」と樹林帯を覗き込んでいる。一面が霧氷した山はまるで絵画のよう。バックカントリーの素晴らしさ ここにあり。
同じ山でも、北と南ではまったく表情が異なる。裏磐梯の木々は見事なまでに霧氷して、遠くに見える湖はすべて凍りついていた。スキー場の雪質も極上のパウダーである。それは、事前に聞いて知ってはいたのだが、稜線でふたつの顔をまじまじと見ると圧巻である。ゲレンデに降りる途中で、地元の山スキーヤーに出会った。「こんにちは」と挨拶を交わしただけなのに、一瞬でよそ者ということがわかってしまったらしい。「どっからきたー?」「長野です」「えー、そりゃそっちが本場だぁ。なんで来たー」「磐梯は一度来てみたかったんです」「そっかぁ。こんど、いいでに行くといいよ。ほんとーにいい山だがらさ。福島で一番!」そう言うと、超一流の滑りで樹林帯のなかへ颯爽と消えて行った。彼らにとって、ここはたぶんホームゲレンジなのだろう。私達の湯の丸のような場所なのかもしれない。
自然のルートを自分で見つけながら滑る楽しみが、今回の旅で少しわかってきたような気がする。
磐梯、ありがとう。
2009年01月24日
雨降って 地固まる
昨日の軽井沢は、最高気温が10℃という春の陽気に包まれた。それは、束の間の休息といった感じで、私は家の窓を次から次へと開けて、室内に新鮮な風を走らせていった。タートルネックの首のあたりがむずがゆい。久しぶりに水だしのアイスコーヒーを淹れた。

そして今日は一転して真冬日。穏やかに見える日差しだが、日中の気温も横ばいで0℃~1℃を行ったり来たり。午後3時、空気はすでに夜のものへと変わっていたが、こんな日の散策も楽しいものだ。カメラを持って外へ出る。

今週はまとまった雨も降ったため、日当たりの良い場所ではこのような光景も。落ち葉の絨毯はさぞ暖かいのだろう、なんとこの庭では雪の姿が見当たらない!しかし、この寒さである。1月には珍しく出来た水溜りも冷気に見つかって ↓ の通り。ガラスのように繊細な薄氷ができていた。私が小学生だった頃は、冬になるとよく水溜りがこんな感じに凍っていたものだ。ハラハラどきどきしながら、その薄い氷の上を歩く楽しみ。今の東京でもできるのだろうか。


軽井沢に限らず、凍てつく寒さに包まれる土地の道路は ↑ のような横顔を見せる。南側に大きな木があって日差しに乏しい場所では、晴れていてもなかなか水気が飛んでいかない。車が通り水しぶきも少し上がったのだろう、その輪だちがこれほどリアルな形で凍りついていた。「さすがに冷えてきたなぁー」と思って気温を見ると-4℃である。家に戻ると、ちょうど夕日が玄関前の楓を照らしていた。急に目立ち始めた赤い冬芽。今夜は再び-12℃の世界になるのだとか。この地の寒さは確かに厳しい。しかし、庭ではもの言わぬ木々が静かに芽吹く準備を進めている。そんな現実に気づきながらの暮らしだ。季節は移ろう...だからこそ、どんな時も力が湧いてくる気がして。

2009年01月21日
薪ストーブ オーヴン化!
昨年12月からはじめた、薪ストーブ内での料理。それは、炉内の”熾き火”を利用した調理法だ。なぜ今までやらなかったのか?と言うと、「もしかすると、炉内が汚れるのではないか」と思っていたから。しかし、実際にやってみたら魚の炭火焼きみたいな調理をしない限り、どこも汚れないことがわかった。
今までやらずにきた理由の二つ目が、道具の不足であった。市販されている五徳のどれもが、ダッチオーブンのような大きな鍋を置くように出来ていて、私にはどうにも大きすぎた。炉内いっぱいに五徳を置くということは、すなわち大量の熾きを必要とすることである。そして、熾きの状態のまま数時間が経過することは、急激に室温を下げることに繋がり(このようなことは、なかなか本には書かれていない)厳冬期の軽井沢では難しい。特に、暖房が薪ストーブ・オンリーの我が家では避けたい行為だ。
我が家では、”熾きは料理のためにわざわざ作るものではない”。だから、「新たに薪をくべるために、コンバスター運転(触媒を介した二次燃焼)を解除する数分間を使って、何か一品できたら嬉しいなぁ」そんなおまけの考え方で充分だったのだ。
そもそも熾きを使って本気で料理をしたい!と思いはじめたきっかけは、通常 電気オーヴンを300℃まで加熱するためにまず数十分かかり、それから一定の温度で保温調理していくのに、かなりのエネルギーを消費していると感じたからだ。同じ空間には、1000℃近い熱源が同居しているのである。ジレンマを感じながら電気オーヴンのスタートボタンを押し続けるより、これを利用しない手は、ない。
というわけで、私が炉内に置く五徳は、”(お茶の世界の)火鉢”のために特注で作られた小さなもの。出合ったのは昨年秋の盛岡。もともと炭の中に沈めて使うものだから、強さはお墨付き。しかし、まさか薪ストーブの炉内で使われているなんて、工房の皆さんも知ったら驚くに違いない。出し入れしやすく、女性にも扱いやすいちょうどいいサイズである。そして、合わせる鍋はもちろん鋳鉄。二人分のオーヴン料理にぴったりなサイズを、同じ時期に水沢で見つけていた。お茶道具は盛岡、生活道具は水沢が得意である。特に鳥肉などは、僅か数分でふっくらとジューシーに焼きあがる。焼きものの調理は短時間に越したことはなく、これからの我が家は、”オーブン料理は薪ストーブを焚いている日だけ”のものとなりそうだ。寒い日には、アツアツのものを食すのが何よりの贅沢。きっと、そんな自然の摂理にそった暮らし方を連綿と続けていくことが、いずれ私達のためになると考える。

アメリカ合衆国大統領として今日就任したのは、ケニア系



