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Born Conduction Life in 軽井沢

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2008年06月07日

街の果実

久しぶりの青山。表参道は、道路両側の建物が高いため木漏れ日を浴びるというより、木陰に入るイメージの強い通り。しかし、都心の暑さやアスファルトの照り返しを考えたら、ちょうどよいのかもしれない。気温は25℃以上あるというのに、この通りにいる間は蒸し暑さを感じずに済む。

08.06.06.東京の6月は紫陽花 .jpg

表通りから一歩入れば、青山界隈に限らず都心にはユニークなエリアが沢山ある。隠れ家的なレストランや一軒家の玄関には、溢れんばかりの植栽が植え込まれていたり。無機質なマンションのエントランスに添えられた紫陽花が、忘れそうになる今の四季を時計のように正確に知らせてくれたり。不動産屋の看板が掲げられた空地では、僅かな地面を見つけたドクダミが逞しく群生して。ドクダミっては名前は悪いけれど、花はこんなに可愛かったんだ!そんな発見も多い。

08.06.06.街の果実 びわ.jpg

とある家の高い塀から、日差しを求めてすっくと伸びる”びわ”の木に目が止まる。しかし、その先は障害物のない空とはいかず、数十本にもなる電線の束の合間を縫って生きていることに気づいた。軽井沢で、大きな”果実をつけた樹木”を見ることは不可能に近い。だからだろうか?軽井沢から下りると、私の目は無意識のうちに果実を追っているようだ。ささやかでもいい。建物がどんなに密集しようとも、行き交う人や車が多くとも、そこに人の手が入った緑があればバランスの良い街だなと思えてくる。そのような景色の中では人も、人の表情までも美しい。住まう環境も大事だが、日中のほとんどを過ごす働く街の環境にも無関心ではいられない。

夏はこれから。日本には四季という季節の変化がある。働く街にも、人が美しいと感じる美の根源(私はそう思っている)”木漏れ日”が増えていったら、どれほど一日という時間が裕かになるだろうかと思うこのごろ。樹木や花との共存は決して容易なことではない。人は、街であっても山であっても手入れがされているものを美しいと感じるからである。しかし、気づけば人は部屋に花を飾り、好きな樹木を植えて育てたりしている。それはもしかしたら、動物の本能なのではないか。植物は、好きか嫌いか?の前に、私たちが生きていく上で必要不可欠なパートナーだからだ。
 
再び標高1000mの暮らしに戻ると、庭の菖蒲が一日のうちに花開いていた。
雨の似合う花 つぎつぎと。

posted:2008年06月07日 12:08

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