| 避暑地軽井沢で骨に響く豊かな生活を目指して奮闘中。Yuuko のつれづれ日記。 | |||||
2008年05月30日
アイスランドで M6.2の地震
今月、中国 四川省を襲った地震。現在の町の様子や救助活動、医師の派遣といった映像は、連日のように海を挟んだ日本へ入ってくる。そして、こんどは北極圏に近いアイスランドでマグニチュード6.2の地震があったことを、今朝になって知った。地震が発生したのは、昨日(29日の夕方)であった。
アイスランドを旅してみたいなと思いかけていた矢先の出来事で、とてもショック。震源地は首都レイキャビクの東南東50キロ付近という。2000年にも今回のような規模の地震があったようで、同じ火山国、火山の町に住む身としては決して他人事ではない。中国で地震が起きた日?あるいはその翌日は妙に気温が高く、かけ流しの温泉の湯温がいつもより1℃以上高かったことを思い出した。浅間山噴火の時もそうだった。
やはり、ここはひとつの生きた星。星の自然な活動(生き方)に支障のかかる無理なことは今のうちからできるだけ回避して、上手に共存していく姿勢が大切と思う。今年になってやりかけていた緊急時の備蓄を再開しようと思い立つ。最低1ヶ月は自力で暮らせるだけの物や量を計算してみよう。我が家の場合、飲料や食事として使う水は一日4リットル×30日でペットボトル60本分。トイレットペーパーは一日1ロール×30日で30ロール。棚に並んだら大袈裟な数に見えるかもしれないが、最低限の量である。天災だけでなく、新型インフルエンザが大流行した場合(パンデミック フェーズ6)も考慮すれば、3ヶ月分の備蓄は必須になるだろう。ノートに必要な物をいろいろ書き出してみると、屋外で生活するのための備品はすべて持っていることに気づいた。山(クライミング)をやってきてよかった!テント、寝袋、登山靴、コンロ、防寒具、ヘルメット...登山用具は薪ストーブ同様に頼もしい存在だ。
昨年秋の台風の時、我が家周辺は約3日にわたって停電した。断水を免れたことや真冬でなかったことが不幸中の幸いだったと今は思う。その時の私がとっさにとった行動は、水道の水をできるだけポットや鍋に入れ、軽井沢じゅうの店のレジが停電で麻痺していると予測して佐久市まで走り、車のガソリンを満タンにしてから数日分の食糧を買うことだった。外は台風一過の晴天!太陽のエネルギーは有り余るほどあるのに、こんな時まで海を航ってきた異国の天然資源 ガソリンを必至で買い求めている自分が歯がゆかった。
(山のコンロ用の)ガス缶の数を割り出そうとしていたら、こんなことが思い浮かんた。
ーそもそも”電源が不要の”家庭用小型ソーラー発電機があれば、どれほど助かるだろうと。必要な電力量はお湯が沸かせる程度 つまり電子レンジ500W程度で充分ー
我が家のガスレンジも同じ原因で役立たずだった。日本には、海水を真水に変える技術まである。しかし、製品化されていて当然のようなものが無かったりするのだ。停電した夜に煌々としたライトは必要だろうか。家庭ならきっと蝋燭の灯りで充分。暗くなったらねぐらで眠るという、動物本来の生活ができればそれで事足りる。
2008年05月29日
霧の季節 はじまる
梅雨入り前の真夏日は、月曜がはじまりでピークだったようだ。火曜、水曜にかけては気温も日差しも日に日に力強さが薄れていった。昨夜遅く、終電となった旦那さんを駅へ迎えに出ると、水たまりのできた路面に様々な光が反射して走りはオドオド。「雨の夜の運転は、目を酷使するし、スリップしそうだから好きじゃないなぁ...」と一人ぼやきまで出る始末。その上、駅に近づくに連れてまったく予想外の霧が出始め、それは濃さを増していった。まさに濃霧である。もう何年も暮らしているけれど、霧の中の運転は迷路を彷徨うようであり、慣れることはない。しかも、”軽井沢駅の周り”だけは特に霧が濃いときている。地形的な問題、風の流れや溜まり...様々な偶然が重なっているのだろうけれど、車だけでなく人の出入りの多い場所がこれほど危険なのだから神経を遣う。
”あまりの静けさに外を見ると霧が出ている”そんな瞬間がこれからは増えていく。束の間の乾いた夏日はプレゼントのように嬉しいものだった。冬とはまた違う、静寂の日々はすぐそこに。こんどは瑞々しい植物の葉に囲まれた、生命力溢れる静寂だ。

2008年05月27日
植物がきっかけ
今朝は少し涼しい朝。掛け布団はもう不要と過信したために、寝起きから喉がいがらっぽい。開いた窓からスルリと入り込む空気は予想以上に冷たく、これから気温が20℃以上になったとしても、ひんやりとした冷たさは保たれるような気がした。庭に出ると、若々しい植物の鉱物香が鼻腔をくすぐって、まさに”薫風”とは今日のような風を言うのだろうと思う。一日の寒暖の差が20℃近いこんな日は、特に空気が澄むのだろう。光も風も、これ以上ないというほど洗練され、植物が一層輝いて見えた。
朝のまだ9時前に、珍しく山の上に住む友人から電話が入った。受話器の向こうから、いてもたってもいられない様子が伝わってくる。今日はまた朝からどうしたのだろう?と思っていると、聞きなれない山野草の名前が飛び出した。どうやら、彼女の庭を見に行った時に、そこにある植物の名を端からあてていった印象が強かったようなのだ。しかし、正直言って私は植物について詳しくはない。このブログを始めたころは、シラサギカヤツリのことをサギ草と勘違いしていたし、今でも思いこみによる間違いは多い。
「トリアシショウマは、ある?」
「ショウマ...はだいたい好きですね。レンゲショウマ、サラシナショウマは特に。でも、トリアシ?どこかで見たような気もしますが、はて?」
「花が鳥の足に似ているの。増えすぎてしまって、これから咲くものだから良かったら植えて!あなたならきっと気に入ると思う。この前、話していてわかったわ。今日はご自宅にいらっしゃるかしら?午後、山から下りるので、玄関に置いておきます。」
自分の親と同年代でありながら、気さくに相手をしてくれることが嬉しい。山の樹木や花を愛でる友人たちは、軽井沢らしい季節を存分に堪能しようと努める人でもある。ここで快適に暮らすために必要な共通点は、もしかするとそれだけで充分なのかもしれない。最近、植木屋さんでも山の樹木を欲しいという人が増えていると聞く。ツリバナ、ウワミズザクラ、ダンコウバイ、アブラチャン...植木屋を梯子しても見つからず、「山にはあるんだけど」と言われる。もとは軽井沢のいたるところに自生している樹木である。

この時期のツリバナは、ユニークな花だけでなく光に透ける葉脈にも注目して。たくさん日を浴びて、秋の紅葉も楽しみ。

なぜ、こんなに愉快な姿になったのか?クルマツクバネソウの花が咲いていた。

ヒメシャガはスッとした葉も涼しげ。やはり木漏れ日ができてからの方が快適そう。通い猫のトラオが庭に木陰ができたことに気づいてやってきた。我が家の庭に来るのは昨年の晩秋以来のことで、地面で転がってみたり、水辺鉢をのぞきこんだりしている。風の抜ける日蔭、張り詰めた冷気の中の陽だまり...猫が昼寝に選ぶ場所は快適の目印。そんな場所では一緒に私も転寝したい気分だ。
2008年05月26日
風に揺れる観葉植物
時刻は17:00。リビングの観葉植物が風に揺れている。今日の軽井沢は気温だけ見たら真夏のような一日だった。25℃...これは真夏の最高気温とほぼ同じ。
日差しはじりじりと肌を焦がすような強さ。しかし、なんだか今日はとても清々しいのである。庭の黒々とした地面にはいつの間にかまだら模様ができ、大木のニレケヤキの葉が完全に開いたことがわかった。木漏れ日ができたのである!この時を待ちわびていたのは私だけでなない。ミヤマオダマキやナルコユリも、先週よりずっと快適そうな表情をしている。
梅雨入り前の、今日のような晴天はとても貴重だ。クローゼットに眠る、出番は少ないが大切な衣装に乾いた風を通すことにしよう。早めに温泉で汗を流した後は、自宅のデッキで夕涼み。傾く西日が庭の木々の葉を順々に照らしていく。
2008年05月22日
楓の天井 涼しげな花
今朝はホトトギスではなく、カッコウの囀りで目覚めた。外の気温は5℃。室内は、高原の朝特有のひんやりとした空気に包まれ、朝日が作り出す障子明かりは寝起きの悪い私を変貌させる。自然光で目覚める朝は体に負担がかからない。この季節だけは、早起きの父の口癖「朝の空気を知らないなんて、まったく勿体ない!」に大いに共感するのである。カッコウの囀りを聞くのは今年はじめてのことで、今日がこれから真夏日になることがなんとなく予測できた。

気温は午前中からぐんぐん上がっていった。そして、ついに26℃!という暑さに。自転車という乗り物は面白いもので、歩いていては気づかない微妙な起伏や傾斜をすぐに察知する。長い上りが続くと、今日は体調が悪いのか?と思うほど汗ばんで、自転車は押して前へ進むための”杖”となった。アスファルトの大通りから逃げるように一歩小路に入れば、どこかの高山へ迷い込んだかのよう。楓の天井は、強烈な日差しをフィルターにかけて木漏れ日を作りだし、吹き抜ける風の質さえも変えてしまう。梅雨はこれからだというのに、真夏の洗礼を受ける一日。
昨年秋に友人からいただいたヒメシャガが、あまりの暑さに蕾を広げ、さりげなく涼感を醸しはじめたことが心憎い。それぞれの花が咲く瞬間はいつも最高のタイミングであり、自然は真の演出家なんだなーと思ってしまう。写真では大きく見えるが、花の大きさは3センチ以下。それなのに、圧倒的な存在感を放っている。

2008年05月20日
花で知る 木の名前

台風4号の雨雲が去って、青空が広がりはじめた11:00。ホトトギスのうっとりするような歌声が辺り一面に響き渡る。木々は、育ち盛りの子供のようにお腹いっぱい水を飲んだ様子。その上でこの光を浴びるのだから、新緑がいつにもまして輝くのはやはり雨上がり。
今年は、軽井沢の山林に多く自生する山桜のひとつ、ウワミズザクラの花つきが良い年だ。 白いブラシ状の花が風に揺れる様は爽やか。車窓からこの花を眺めていると、高原に初夏が訪れたことを知らせてくれるような存在と感じる。けれどもこの木、普段は非常に地味なもので、桜の一種であることは地元の人でも知らなかったりする。我が家のウワミズザクラも、元は落葉松林の中に混在していたものだが、家を建てるにあたって間伐したのが幸いした。いつの間にか屋根より高くなって、今日が見納めと言わんばかりに満開の花を咲かせている。木が花を咲かせる期間はほんの一週間という儚さ。だが、花はその木を知る大きなヒント、チャンスである。だから、この時期の私は町をとり囲む峠を越えて、時間を見つけては近県の山中をドライブすることにしている。強い風は台風の名残りだろうか。木の花、終わった花びらが雪のように空から降ってくる。
2008年05月16日
同じ町にあって

活火山である浅間山から季節を感じ取れるのも、裾野に広がる木々のおかげ。若葉のころの木は、各々の輪郭をはっきりと見せてくれる気がする。ひとつの山には多種多様な木が混在していて、日々淘汰され、それらが景色を作り上げている。

こちらはセゾン美術館。同じ軽井沢でも、ここはまだ春が訪れたばかりで驚いた。メタセコイアもようやく葉を広げたところで、野鳥の行動も丸見え。我が家周辺ではだんだんと葉が生い茂り、姿が見えにくくなっているというのに。それにしても、この美術館のランドスケープデザインにはいつも恐れ入る。元はどんな地形だったのだろうか。これからも永遠に、ずっとあってほしい貴重な景観の一つだ。
2008年05月15日
庭で過ごす 夏のような日
今年の春はこれから?と錯覚するほど、肌寒かった5日間が過ぎ去った。今日は20℃近くまで気温が上がるという。昨年は、ただの一輪も咲かなかった裏のウワミズザクラも満開に。

「こんな日は、なんとしてでも一日を庭で過ごしてみたい!」
と言っても...外にいたいのであれば、そこでは”何か”をしていなければね。同じように思っていたのはご近所さんも一緒だった。朝から、庭の手入れや、壊れかけた郵便受けのメンテナンスなどを和気あいあいとやっている。私は長い梯子を出して、外壁のカビ落としとペンキ塗り(家の東面 日当たりが良いため、ほとんど傷みはないのだが)をはじめることに。我が家の場合は平屋と言ってもかなり高所になるため、勇気が要る作業。だから、モチベーションが高まった時以外は、どんなにペンキ日和であっても手をつけないことにしている。クライミングと同じだ。
一仕事を終えて、私には珍しく夕方に温泉へ向かった。湯の温度は42℃といつもより熱めだったが、熱すぎると感じたのは今日が夏日であったから。新緑の季節は特に露天風呂が最高だが、西に傾きかけた日がまた美しかった。野鳥たちの食事の時間にも重なって、響き渡る彼らの歌声がなんとも心地よい。露天の桜が満開だった時は逃したが、風がどこからともなく山桜の花びらを運んできてくれた。それは、ただの一枚でも嬉しい出来事だった。時刻は16:30。自宅へ戻っても、まだ外で過ごせそうな西日と気温であることに驚いて、再び夏が訪れることが嬉しくて、一人デッキで赤ワインを傾けることに。つまみは目の前の新緑だけ!と言いたいところだけど、肉体労働した日はやはりお肉。

2008年05月13日
掌にカプチーノ
肌寒い朝と晩が続いている。からりと晴れた日はフクロウの深き声が夜の闇を支配して、何とも言えない安堵感に包まれるのだが、薪ストーブが要るほどの寒さが戻ってからはそれも消えた。落葉松やナナカマドの葉はすでに鬱蒼とした夏のもの。外で吹く風の強さは、これらの葉を通じてうかがい知ることができよう。それが夏だ。
今朝もまた、薪ストーブの温もりが残る中で目覚めた。ブラインドを上げると、デッキが水分を含んでしっとりとしている。風がいつの間に雨に変わったのだろう?低く垂れこんだ雲が、浅間山の裾野をすっぽりと覆っていた。雲と山肌の境目に目を凝らしてみる。すると、霧氷?いや、よく見れば薄っすらと雪がついているではないか。8時の気温は5℃くらいだから、山では氷点下になったに違いない。雲の隙間から一瞬だけ太陽が顔を出すと、様々な緑を着飾った山肌が照らされた。雨上がりの木々は、山は、どうしてこんなに光り輝くのだろうか。それが新緑なら尚更。

どうやら今日も雲が広がって、10℃以下の肌寒い一日となりそう。こんな日は温かい飲み物も冷めやすい。だから、いつものカップ&ソーサーはやめる。アメリカンサイズのマグカップにたっぷりのエスプレッソを淹れてから、70℃まで温めたミルクをホイップして蓋をする。フーフー言いながら、掌のカプチーノは体の中へ。飲み終えてから、部屋中がエスプレッソの香りに包まれていることに気づく。昨夜、風を知らせていたナナカマドには夏鳥 キビタキ(黄色が鮮やかなオス)の姿が。先週やってきたばかりだというのに、忙しく飛び回る日々だ。
2008年05月10日
雨の日はスケジュール
夜中に喉が渇いて目を覚ます...そんな乾燥した空気が続いていた。だが、今日は朝から冷たい小雨が降っている。気温も横ばいで5、6℃までしか上がらない。存在感のある朴の新芽が、途中まで開きかけてやめているように見える。芽吹きのアンカーを務めるのは、林の中で一際目をひく銀色の新芽 コナラになるだろうか。
遅い春が訪れてからの軽井沢は本当に慌ただしい。初夏のような”暖かさ”(まだ、暑さという言葉は出てこない)に幸せを感じて、半袖姿で自転車に乗ったのが数日前。外壁のカビをぬぐって、塗装をかけて、それだけで建物が2、3歳の若返りを果たしたのも一週間前のこと。梅雨前に煙突掃除をしようかな?と思っているところにこの肌寒さ。一雨ごとに春は過ぎ去り、今年もまた夏がやってくる。こんな日は、短すぎる夏を想いながら一年の、いや 数年先のスケジュールを詰め込んでみたい。できるかどうかわからないことだっていい。書くことでグッと現実味を帯びてくるのだから。
2008年05月07日
緑に 負けそう
ゴールデンウィークが一段落して、再び静かな町に。
コブシ、落葉松、梅、桜、ツリバナ、カツラ、楓、サクラソウ、レンギョウ、雪柳、山桜...僅か一、二週間という短い間にこの地の植物は長い眠りから目覚め、花を咲かせたり葉を広げていった。一週間くらい滞在された方ならば、日に日に緑が濃くなっていく様子をじっくり眺めることができたと思う。木々や地面から目が離せないという表現がぴったりで、別荘を後にする日には建物全体が来た日よりずっと生き生きとしていることに気づき、「せめて、あと一日いられたら!」と後ろ髪をひかれる思いがしたに違いない。
”木々の芽吹きは紅葉以上”と折に触れて書いてきたが、やはり今年もそのように感じる。葉っぱのグラデーションはまだまだ楽しめる。

しかし、目の前で繰り広げられる新緑の勢い、生命力には負けてしまいそうだ。飛びあがるほど嬉しい季節が訪れたというのに、気づけば焦りにも似た感情がふつふつと胸の内に芽生えている。もの言わず、生涯同じ地に根を下ろして、自然の営みを連綿と美しく繰り返す木々を眺めていたら、新しい世界へ一歩踏みだすことなど何でもないように思えてきた。”一度興味を持ったことは、最終的にすべてやることになる”ここにきて、そんな風に考えられるようになった。20代で暮らしのベースを移したことも、これから取り組もうとしていることも、私の中ではとても自然な変化なのだろうと思う。
2008年05月03日
すくすくと...
恵みの雨が上がって、朝から初夏のような青空が広がった今日の軽井沢。落葉松の新緑が目に眩しい。今年のゴールデンウィークは今日からが本番になる様子。行き交う車は多いが、タイヤの音やサイクリングを楽しむささやかな人の声は、圧倒的な野鳥の囀りにかき消されている。人と車の数を足しても、鳥の数には勝てないのではないだろうか。だから、ここでは静かにのんびりと、彼らの世界に仲間入りする感覚で滞在するが勝ち。

まるで雨後の筍のごとく、すくすくと若葉を広げはじめたリョウブ。やわやわとした新芽は天ぷらにすると美味しいと聞く。だが、今の私にはとてもそんなことはできそうにない。眺めているだけで充分ごちそう!芽吹く度に、ポンポンと音が聞こえてきそうだ。

夏のデッキで木漏れ日を浴びたいと今シーズン新たに植えた、イロハモミジ。高さは4m近くあり、今は小さな赤い花が無数に咲いている。木々の花が咲きだせばアブラムシ→天道虫→野鳥が群がるのが自然の摂理。生態系が整っていることがわかれば、消毒してせっかくの餌を消す必要はどこにもないことに暮らしてみて気づいた。日々の暮らしは、アプローチやエントランスの雰囲気づくりでがらりと変わる。モミジの枝をくぐって、葉に触れて、毎日家を出たり入ったり....忘れ物もなんだか楽しくなりそうで。




