| 避暑地軽井沢で骨に響く豊かな生活を目指して奮闘中。Yuuko のつれづれ日記。 | |||||
2008年03月31日
名残り雪 ふたたび
3月最後の日を締めくくってくれたのは、春の雪だった。

ほの白い朝の光に自然と目覚めると、外は雪だった。昨日は小淵沢にいたが、天気予報を裏切ることなく、午後から雨が降り出した。それが夜には冷たい霙に変わり、野辺山では木々が真白に染まるほど雪が降りしきっていた。高原野菜の準備がはじまろうとしていた広大な畑の土色を眺めて”冬の終わり”を感じていたのが同じ日なのだから、春の一日は慌ただしい。
日付が変わろうとする時刻に、ようやく軽井沢にさしかかるとこちらもやはり雪。それが今朝まで静かに降り続いていたのかもしれない。この時期にしてはかなりの積雪量で、湿り気のある雪が木々の枝にビタリとついていた。華やかな雪景色、ふたたびである。最高気温は7℃というが、厚い雲に覆われたままでは午後になっても氷点下だろう。春の雪にしては長いことその美しい姿を留めてくれている。しかし、この雪景色は暖かな日差しと引き換えなのだ。「寒さは薪ストーブで凌げばいい」そう思って焚きはじめたら、少しづつだが雲は流れて雪の色がパーッと明るくなったり、元に戻ったり...。雲の隙間を見つけようとしているかに見える太陽の光は暫く不安定。安定した光が高窓からさんさんと届くようになると、そこには清々しい青空が広がっている。一口に青空といっても、今日は春らしいペールブルー。ほんの数時間前まで”綿飴”のようだった木々の枝に雪はかけらもない。地面ももう冬の冷たさではない。鳥の囀りものどか。屋根だけ白い雪に覆われているのが不思議なくらいで、手前にそびえるナナカマド。その赤い冬芽を鮮明に見せてくれたことが幸運。

2008年03月30日
煙をくぐって

小淵沢へ向かう途中、海ノ口にさしかかった所で偶然目にした野焼きの場面。のどかに見えるが、日曜日に男性陣が総出で行っているのは兼業農家が多いためだろうか。川のほとりや段々畑から流れてくる煙の隙間をくぐり抜けるように、幾つものトンネルを超えていく。
草木の新芽が出ないこの時期に野山の枯れ草を焼くことで得られる肥料は、これから生える若草のためであり、害虫を減らす効果もあると聞く。日本のような自然環境で草原を放っておけば、いつしか森林へと遷移していく。野山を森林とせずに、草地として継続的に利用するための手段が、この”野焼き”だ。
野辺山に入れば高原野菜のための土起こしが見られるようになる。広大な畑の中ではとても小さく見えて、緑と黄色のセンス溢れるカラーが目を引くJD社製のトラック(私はレタス車と呼んでいる)も、車道ですれ違えば大男のよう。長く厳しかった冬も遂に終わり。いよいよ高原の地面も、野焼きされる畑同様に目覚めの時を迎えようとしていた。
2008年03月29日
あっという間の木

春の空は不安定。昨夜は上空に寒気が入る前兆だったのだろう、厳冬の冬を思い起こさせる漆黒の夜空の中で、星々が光を放っていた。
そして今日は-3℃の肌寒い朝。最高でも9℃までしか上がらないというから、都心の桜を一気に満開まで導いた昨日の暖かさとはかなりのギャップ。空気は澄みわたり、雪化粧を繰り返す浅間山や黒斑山から冷たい空気が降りてくるのがハッキリとわかる。春霞に包まれた柔らかな景色とはまた違う、春山とも雪山ともつかない空を覗き見しながらキッチンで洗い物をしていたら、自分の目線より少し上でキラキラと光る銀色の蕾に気がついた。この時期は、日当たりの良い場所のコブシも産毛をたたえた蕾を膨らませているが、こちらは紛れもなくネコヤナギである。高さは3mを超えている。いったい、いつの間に!しかも、お隣さんの敷地から伸びているようだ。ネコヤナギは、正月を迎えるための生け花の中に必ずあったと記憶しているが、5.6年?いや2.3年のうちにここまで成長する生命力だ。春を告げるコブシよりも一早く咲こうとするのだから、きっと素敵な意味があるのだろう。
2008年03月26日
シュレッダーと紙綴じ
勤務先に机を持たない旦那さんは、メールとメールに添付される資料、スタッフと直接会っての打ち合わせやテレビ会議、緊急を要する場合は携帯電話で日々の仕事を進めている。これだけ聞くと、どこにも”紙”を必要としていないように思える。しかし、手渡された資料やプレゼン資料といった紙が少量だが存在する。極力プリントアウトはしない...これが彼のモットーのようだが、塵も積もれば山となる。自宅のカウンターの足元で増えていくダンボールの箱は見て見ぬふりをしてきたが、そこには間違いなく大量のA4用紙が詰まっているようだった。箱の側面には、入数8 ほっこり 産地トンガと表示され、そのままでも大人向けのクイズになってしまいそう(ちなみに中に入っていたのは かぼちゃ)。現在の日本の食卓は、紛れもなくインターナショナル。
しかし、春である。この時期の変わりやすい雲がもたらす雨が名残り雪を融かし、冬の間に溜まった汚れを洗い流している。その様子を日々眺めていれば、自分自身も身辺整理をしたくなるもの。彼もようやく重い腰を上げて、ずしりと重いかぼちゃの箱を片付けはじめた。投げ込まれていたのは紙だけではない。PP袋に入って宛名シールが張られたDM、同じく宛名シールの張られたはがき、クリアファイル、雑誌など、捨てるにはまず分類が必要で、それが思った以上に面倒なことに溜息をついていた。「リサイクルできるものはしたいから、シュレッダーにかける必要のあるものは分けておいて」そう私は言う。
数日後、省電力で静かな”紙だけをクロスカット”する安全性が高そうな最新のシュレッダーを買った。その売り場では、ホチキスまで裁断可能を売りとした従来品も堂々とオススメになっていたのである。これこそが、今のゴミ分別、リサイクル問題の現状なのだろうと思った。「さぁ、今日は一日紙との格闘だな」と決めて、裁断をはじめる。すると、厚めの資料のほとんどは”ホチキスで綴じられて”いたのである。それ以外にクリップもあり、ひと手間をかける数が半端ではない。これはいい教訓になると思った。今日もどこかで誰かが私と同じように、シュレッダーにかける紙からホチキスの針を取り除いているはずだと。私はガチャックが好きでよく使うが、ホチキスも(後のことを考えなければ!)確かに便利な発明だと思う。しかし、これからは先のことを考えていかなければ。
今日から我が家は、紙で紙を綴じる、針の要らないステープラーを使うことにしたい。資料の端には小さな穴が3つ開くが、自分が作るドキュメントははじめからこの穴が開くことを想定しておけばよい。ただ、それだけだ。

2008年03月24日
ドロドロのわるさ
車に乗って日々の生活を送るなど考えもしなかったが、ここではやはり必需品。走行距離は、昨年の冬に100,000キロを超えた。100,000と言えば、遥か彼方の数字だったはず。初めて買った車が無事にここまで走ってきたのだから、今でも信じられない思いだ。これといったトラブルもないから買い換えの必要に迫られてもいない。もう少しだけ、一緒に走ろうか。そう思いながら今日も私はハンドルを握って、車窓から流れる景色に”変化”を見つけようとしている。

そんなタフな愛車だが、先週は3日に渡って恐ろしい音と振動を立てて走るようになってしまった。これ以上走らせたらまずい!それほど危機感をおぼえる状態だった。恐る恐るディーラーへ持っていくと、その日は音もなくいつもと変わらない良きパートナー。整備士の方に同乗してもらい再点検してみたが、これと言って問題はないという。「あっ、もしかするとタイヤに大きな石が引っ掛かっていたのかもしれませんね」そう言われてハッとした。雪融けがはじまったばかりの、ドロドロにぬかるんだ地面を何度も走っていたのである。ボディーの下面も、塩カルを浴びて錆びているに違いない。軽井沢の冬は寒さだけでなく、塩害と似た状況も加わる。”山であって海である”そんな風に表現しても言いすぎにならない過酷な要素が多々あるのだ。日頃の感謝をこめて、今日は車の総点検をしてもらうことにしよう。代車として渡されたのはエッシーのネイルエナメル スプリングのような質感が新鮮な水色の車。シルバーの車はつまらないし、雪の中では保護色なので買わないと決めている私だが、こんなに優しく淡い色も自分で買うには相当の勇気が要る。景色はまだまだ冬枯れ。しかも冷たい雨の降りしきる日に、運転しているだけでパアーッと気分が晴れてくるのだから色の効果って大きい。
2008年03月23日
溶岩原を散策
日曜の午後は、帰路を急ぐ車とは逆方向へドライブに出ることが多い。これから向かう先は懸案の浅間山噴火跡地 鬼押出しだ。

手前の浅間山側にはこんなシュールな風景が広がっている。標高は1400mほどしかないのに、低い樹木ばかり。模型を見ているようである。溶岩に覆われた地表には僅かな土しかない。だから、大きく育つことができないのだ。


案内板に従って進むと、道は左右に分かれた。右へ行けば鬼押出し。左なら火山博物館とある。今日は行ったことのない火山博物館へ。駐車場には迷い込んでしまった車が数台あり、みんな右往左往。どうやらこちらはまだ閉館中のようだ。せっかくなので車を降りて、遠くから見えていた円形の古めかしい建物に近づいてみることに。すると、この建物は危険なので立ち入り禁止とある。住所は群馬県 長野原市。鬼押出し 浅間園とあった。舗装された遊歩道は除雪されていたため、少し歩いてみる。小さすぎる落葉松、葉を下げたシャクナゲ、コケモモ、シロタマノキ、溶岩に張り付く苔...標高は1400mしかないのに地を這うように群生する植物は2000m級の高山そのもの。まつぼっくりをたわわにつけた松の木とは対照的に鳥の声も姿も、雪面に動物の足音も見つからない。一番高い場所まで来て先方を眺めると、この通り壮大な眺め!しかし、次の瞬間には遠くに観覧車を見つけ、ごつごつとした無機質な溶岩地帯の中からは一際鮮やかな建物が目にとまるようになる。2、3度下の方から響いてきた鐘音は鬼押出しの鐘つき堂からだろう。確かにここは月面のようで、竜宮城のある海底のようでもある。だがきっと、そのままでも充分 地球の一端を知る場所になっていたはずだ。この景色のずっと先にまだ見ぬアイスランドの大自然を想像して、隣の町へ帰った。

2008年03月19日
スケート→鬼押出しへ
今日から、中軽井沢駅前から始まる国道146の看板が、”ようこそ鬼押出しへ”に変わっていることと思う。北軽井沢への入口としてご存じの方も多い、ゲートのような看板だ。私も、軽井沢へ通い始めた頃はよくこの文字に目がとまっていたし、”鬼押出し”と名付けられた浅間山の火山跡地にも少しだけ興味があった。観光気分で何度か出かけ、月面のような溶岩ばかりの僅かな隙間に可憐な高山植物を見つけた時は、植物はなんて逞しいのだろうと思ったものだ。それから月日は流れ、2004年に浅間山が噴火してからは近づくこともできずに、すっかり足は遠のいてしまった。実は、このブログを書きはじめたのは2004年の9月。まさかの噴火を体験したことが、軽井沢での暮らしを記録していこうと決めたきっかけだった。
人は、同じものが置かれた空間で永く過ごしていると、そこにあるものは既に見なくなっているのだという。新調したばかりの物や洋服には目がいくが、それ以外の変化していないものに刺激はなく注意は注がれない。今の私にとって、この看板もそんな代り映えのしない物体になりつつあった。カーリングの影にすっかり隠れてしまった”スケート”の文字に気をとめることはもはや無く(本当はやってみたいのだが、始める機会もちょうどいい場所も見つからないでいる)、鬼押出しへも数回そこへ行ったというだけで、私の中では完結した感があった。
それが、ある本をきっかけに変わろうとしている。ピーター・メンツェル&フェイス・ダルージオによる、あまりに有名な”地球の食卓”に続いて出版された”地球家族”は、
「申し訳ありませんが、家の中の物を全部、家の前に出して写真を撮らせてください」という、これまた大胆な企画だった。そこで紹介された30か国の中で私が一番興味を抱いたのがアイスランドだったのだ。たまたま紹介されたその一家が魅力的だったこともある。だが、北緯64度という極北の国がおかれた自然環境に近いものを感じたに違いなかった。特に、鬼押出しのような稀有な景観が身近な軽井沢とは兄弟のようだと。島国、火山、温泉、地震、高所、寒さ、魚をよく食べることなど、今の自分が送っている暮らしとは確かに親近感がある。そうしてアイスランドのことを少しでも知りたいと思い立ち、たまたま見つけたのが”地震と火山の島国”という、地球科学者が書き綴った本だった。なぜ、地震の研究者がわざわざ頻繁にアイスランドまで通っているのか?と思った。しかし、地震とはこの星の営みであるプレートの動きを調査することに他ならない。プレートは、大西洋の海底にある巨大な山脈(海嶺)で生まれ、地球上をゆっくりと旅して深海の奥底(海溝)でその姿を消す。海嶺の頂上付近がたまたま顔を出したのがアイスランドで、潜り込む場所が日本列島の下なのだという。海溝と聞けば、千島海溝、日本海溝、伊豆マリアナ海溝、駿河トラフといった名がポンポンと浮かんでくる。大好きだった理科の授業を急に思い出した。
この国の景色が浅間山と違うところは、車で何時間走っても鬼押し出しのような景色が続いていること
こんな風に、地球科学者の口から”鬼押し出し”という場所が頻繁に出てくるのであれば、近いうちにまた行くしかないだろう。そして、いつの日か、地球の歴史の上では生まれたばかりの極北の島へも足を運ぶ気がしている。ロンドンから3時間、近いうちに行くのだろうな...。
2008年03月18日
春霞と霧

花粉だけでなく、頻繁に黄砂が舞う今年の春。
落葉松が芽吹くその日までは、我が家からも浅間の山稜の片隅を眺めることができるのだが、今日も空は霞みがかっている。それがいつものことなのか?それとも黄砂の影響が出ているのかは定かでないが、この時期は何か一点を凝視しようと努める機会が多いような気がする。
暗くなって、氷点下でもないのに肌寒さを感じる静かな夜は、暫くすると屋根を伝って地面へ落ちていく水音に気づくことが多々ある。外は雨か?とブラインドを傾ければ、遠くの外灯がぼんやりと光を拡散させているだけ。水音も、静寂も、今は懐かしいとさえ感じる”霧”の仕業。今晩も、昨夜のように出てくれたら良いなーと期待している私がいる。春の夜霧は、空気中に混じりあった様々な粉を封じ込めて、明日の朝までにリセットさせてくれるような気がするから。
2008年03月16日
初夏の陽気にクラッと
全国的にポカポカ陽気となった今日は、軽井沢でも最高が18℃まで上がった。先日も15℃近くまで上がった日があったが、それ以上となると暖かいを通り越してとても暑く感じてしまう。寒さに慣れきった身体は20℃近い気温を思い出すのに精いっぱいで、すぐさま適応して元気に外で動き回るのはまだ厳しい。気づけば、景色の中に白い雪を見つけるのが難しくなっていた。ツグミの囀りも姿も消えた。茶色い庭の中央で、水辺鉢の水面がゆらゆらと揺れている。底までガチガチに凍りついていたのが遠い昔のようだが、先週までそうであったのだ。
「もう、永遠に(春は)来ないと思っていた...」山の上で暮らしている友人が極寒の2月に発した言葉である。わずかひと月の間にこれほど劇的に変化するのだから、やっぱり凄いことが起きているのだなと思う。早すぎる雪融けを眺めていたら、無性にリビングに瑞々しい空気が欲しくなった。部屋のあちこちに水を注いだグラスを置き、そこへ無造作に花を投げ入れていく。傾きはじめた午後の日差しを浴びて、光と影、そのコントラストが花の表情を魔法のように変えていた。

2008年03月13日
ほろ苦いが美味しい
四国出身のご夫婦が近くにいて、新鮮な”はっさく”をおすそ分けしてくれた。

子供の頃は、冬が近づくとどこからかみかん類や林檎が箱一杯届いて、食後やおやつの時間になると、「床の間から、みかんを幾つか持ってきて」と籠を渡されて取りに行くのが私の役目だった。時には、みかんだけでなく、「はっさくや伊予柑も持ってきて」と頼まれる。伊予柑はみかんより高級品で、はっさくは苦いものということは、子供ながらにわかっていた。だから、大人が、それも特に母や祖母、祖祖母といった女性陣が苦いはっさくを好んで食べているのが不思議でならなかった。
だが、私も大人に近づくにつれて、苦いものが美味しいことに気づいていった。最近までは、野菜もフルーツも甘くなることが大事とされてきたように思う。小さなトマトは、「あぁ、昔は何と言ったっけ?」とミニトマトという名を忘れかけるほど、今は甘いフルーツトマトが主流だ。昔ながらの、甘すぎない、さっぱりとした苦さのある果物は今となっては貴重かもしれない。そして思うのは、長い冬が明ける今こそ、そういうほろ苦さを身体が美味しいと感じていること。我が家のフキノトウも、そろそろ。熊も冬眠から覚めるころ。
2008年03月11日
ポケットから どんぐり
まるで”空から羽毛が降っている”ようだと、枕元から春の雪を眺めていたのが昨日。あまりにも幻想的だったため、写真を撮ることなど完全に忘れて見入っていた。木々は花が咲いたように華やかとなり、それはそれは見事な冬の一日が再現された。羽毛のような雪が天から舞い落ちる様は数分間、それが作り出した雪景色も数時間のことで、ただのひとつも面影を残さず姿を消していった。
そして今日は、最高気温が14℃まで一気に上がった。名残り雪の翌日は、初春を通り越して初夏のような陽気になるのだから、身体はあたふたと戸惑っているに違いない。春霞に包まれた浅間山は山肌に薄っすらと雪を残すだけで、軽やか。山の稜線を曖昧にする けぶるようなペールブルーの空は、これまでピーンと張り詰めていた冬特有の空気や緊張感をほぐしてくれるようだ。庭の根雪もこの気温と乾燥した空気ではぐんぐん姿を消すしかない。地面もいよいよぬかるみはじめ、長い間凍りついていた土からも水が浸み出ている。溶けかかったチョコレートのような厄介な土は靴底にペタペタとへばりつき、それを落とそうとする雪も僅かだ。今日のような日にあえて車に乗ることはない。ぜひ歩きたいと思う。しかし、それでは何を着たら良いものか?と本気で迷いだしてクローゼットから取り出したのは、中途半端な時期にしか出番のない薄手のキルティングジャケット。歩きはじめて何気なくポケットに手をつっこむと、コロンとしたものが幾つか入っていることに気づいた。触った瞬間、自分でも驚くほど鮮明に記憶が蘇った!昨年の乾いた秋の日に、庭に植えようと持ち帰ったどんぐり(ナラの実)である。あれからもう半年が経ったなんて。春の訪れに、あらためて感謝。

2008年03月08日
冬の終わりに 祝のテーブル
長い冬の終わりは、深く濃い霧が徐々に薄れて、その先の景色がはっきりと見えてくるのに似ている。
「そろそろ、落ち着いて山を降りてゆけるな」
そう、確信できる週末だった。
この冬は全国的に寒く、3月に入ったといっても思い切った”春”の装いに切り替えるのは勇気が要るようだ。いつもの東京よりずっとコートやブーツ姿が多く、梅の開花も遅れてちょうど見ごろを迎えていた。それがどこであっても、根を下ろした木々が花を咲かせたというだけで、冬枯れの中に身をおいてきた(正確には4月下旬まで冬枯れの景色は続く)私には新鮮な喜び。「春一番に咲く木は、まず花だけを咲かせるけれど、葉が出てこなければ春らしくないわね」悪気もなくサラリと発した東京の叔母の言葉をクールだなーと思ったが、それは環境の違いなのだとすぐに納得した。冬の間はまったく緑の葉のない土地と、常緑樹に囲まれた土地。待ち望んだ春に違いはないけれど、芽吹きや開花を見つめる眼差しは違ってあたりまえだ。

冬の間に飢えていた(?)美味しいフランス料理とシャンパンを味わいに柳館シェフの店へ。素朴で伝統的な地方料理を出す店なので力を抜いているように見えて、出てきたものを見て口にするとそうではない。さりげなく、いつも、完璧。こういうのが真の実力と言うのだろうな。今シーズンもまた”無事に越冬した”という我が家にとってはお祝いのテーブルになりました。

2008年03月06日
白い雪に思うこと
朝晩の冷え込みはマイナス10℃近く、日中の空気は再び5℃以下と冷たい日々。
昨夜は3月の夜空にしては鮮明に星々が輝き、早い時間から西の空に移動しているオリオン座を見つけた。真冬から劇的に変わった日差しや空の色と同じように、星の配置も季節が移り変わることを教えてくれる。夜空に浮かぶ光の点を、端から紐で繋げて星座にできたらどんなに素敵だろうか。
太陽光は、隙間を見つける天才だ。建物に設けたどんな小さなガラスも見逃さない。この時期になると、我が家のリビングは(高窓から差し込む昼の光だけで)30℃近くまで温められて、外気との差は25℃を超えるようになる。冬の洗濯物は乾燥した室内の調整役にもなるから、花粉症で悩む我が家には嬉しい現象だ。
こうなると、私は一日を同じ場所で過ごすことはやめて、ちょうどいい光に包まれる場所を探して忙しく移動するようになる。室内は空気が汚れることとは無縁な自然な暖かさで、その上 水道の水はキーンと冴えわたる冷たさ!そんな組み合わせだからこそ美味しいのが 冷たいざる蕎麦やアメリカーノ(エスプレッソの水割り)だ。その場所場所から眺める根雪はだいぶ減ったといっても、景色はまだ雪景色と言えるものだ。落葉樹は木々の根元まで光に照らされて、自らもエネルギーを根に注いでいる最中。雪の白さは光を効果的に集め、来月に迫った芽吹きを内から外からも後押ししているように見えてくる。
”雪は白い” いったい、それはなぜ? 子供の頃から、おそらくただの一度も疑問に感じたことはなかったことだろう。しかし、白だからの効果はきっと大きいのだろうなと今は思える。すべてはこの星が循環するため、役立つための、ひとつの現象なのだろうと。
2008年03月02日
アルバムの厚さ
弥生 三月は、日々薄くなっていく名残雪を眺めながら静かに春の訪れを待つ日々。
ここ数日の間に根雪はだいぶ縮んで、それを見た旦那さんが「春の雪になったね」とつぶやいた。今日の最高気温は昨日と同じで5℃だから、日中は2~3℃という空気の中に身を置いていることになる。気温だけ聞いたら決して暖かそうなものではないが、”氷点下ではない、長い昼の連続”はなんとも嬉しい変化だ。今はもう、外が5℃あれば薄着で飛び出すことに何も問題はないけれど、すぐに10℃が肌寒いとなる。極寒の地に暮らしていれば、そこにいるだけで身体はなんなく順応してしまう。今日の穏やかな日の光は、屋根に居座っていた最後の雪をドシン!!と勢いよく滑らせていった。いま、我が家の北面は雪と氷のブロックで覆われている。これでもう雪は降らないという確証はどこにもない。だが、昨年の12月から屋根に積もり居座り続けた何層にもなるミルフィーユのような雪の塊と、これから降るであろう春の雪では恐怖感が全く違う。屋根の上で凍りつくか、つかないかの差である。

日当たりの良い斜面やデッキまわりは特に雪融けが早く、昨日は長靴の底からふっとミントの香りが鼻をかすめていったことに驚いてしまった。それが結果として火をつけたのか?昨年撮った大量のデジカメ画像を思い切ってプリントし、今まで通りアルバムにまとめることに。瑞々しく光に溢れた初夏の一枚に手が止まり、「あぁ、どうしてこの冬枯れがこうも変化できるのか」と、目の前で繰り広げられる自然の営みに敬意の念を抱いた。いつの時代も”本”が消えないように、写真もまた手に取って眺めることが大事かと思う。思い出に浸るわけではないが、パソコンやメディアに保存した写真は保管したというだけで満足している気がするのだ。漢字は、読めても書けないものが出てくるし、ひとの記憶は本当に曖昧と感じるようになった。その瞬間を思い出せる材料がなければ、完全・完璧と思っている記憶も曖昧になり、いとも簡単に書き換えられ、いつしか葬られてしまう。やるべきことや、やり残していること、これからやりたいことを整理していくためにも、私の場合は日々の記録である写真をわかりやすくまとめていきたい。それにしても、アルバムの冊数は年によって増えたり減ったり。一冊に上手にまとまった年もあれば、昨年のように6冊を超える年も出てくる。年ごとに色分けしているので、その年をイメージした色や厚みで記憶が蘇ったらいいなぁと考えているのだが。問題はDELFONICSさん、このシリーズがどうか廃番になりませんように!



