| 避暑地軽井沢で骨に響く豊かな生活を目指して奮闘中。Yuuko のつれづれ日記。 | |||||
2007年08月31日
いつのまにか 秋
夕暮れを楽しんだ夏の日は、今となっては懐かしいほど呆気なく過ぎていった。
昨年より一週間遅れて咲いた庭のレンゲショウマが、冷たい雨の中ではなんだか寂しげに見える。
残暑見舞いを出すタイミングさえ見失った今年の酷暑の後は、いきなり秋の訪れ。
今頃になって、続々と友人知人からハガキが届きはじめた。
夕方、まだ明るい家に戻ると、乾きかけたデッキで通い猫のトラオが私の帰りを待っていた。グルーミングを大事にする猫にとっても、フラットな乾いたデッキは何かと都合が良いものらしい。
この夏は、庭の手入れが行き届かず荒れ放題に。少しだけ、石垣からはみ出した枯れ草の手入れをしようか。今年も、短い夏を楽しませてくれた緑たちよ、ありがとう。庭仕事をしたらまず顔を洗って、氷をたっぷり入れたアイス珈琲を飲むのが常だったが、今はもう熱い飲み物がいい。
部屋にこもって仕事を始めてそれほど時間が経っていないのに、窓の外を見ればいきなり真っ暗である。
秋の”日”は「つるべ落とし」とは、釣瓶が井戸にストンと落ちていくようにあっという間に日が沈むことを現した言葉。いつの間にか、いつものように夏が秋へと移り変わっていくことを頼もしく思う。
「日は、入る」と言い、「日は、出る」ものである。
そうした当たり前のことが、当たり前でなくなりつつある今。秋の夜長は、自分と向き合う時間をたっぷりとくれる。
2007年08月28日
部屋から見守る 皆既月食
まるで水墨画のような妙義の稜線を横目にして、軽井沢へ戻ってきた。
数日の間に、すっかり秋らしくなった。軽井沢の町より1000メートル高い高峰高原では、ムシカリはすでに真っ赤な実をつけて、ワレモコウ、フウロ、フジバカマ、マツムシソウといった野草が夏の最後を飾るかのように咲き誇っていた。まったく、自然の偉業にはかなわない。八ヶ岳と富士が雲海から姿を現す、ここからの雄大な眺めはいつ見ても素晴らしい。

今日は6年ぶりの皆既月食である。地球は太陽の周りを回り、月は地球の周りを回っている。この3つの星が一直線上に並んだ瞬間、月が地球の影を通るために起きる現象。
現在の時刻は20:00。動きの速い雲と次の雲とのわずかな隙間から、ときおり欠けたお月さんが見え隠れしている。秋の夜長は、リビングからお月見。こうして”月”というあまりに身近になりすぎた星を眺めていると、自分の住む星の全貌を一度でよいから眺めてみたいと思えてくる。
2007年08月23日
萩とミソハギ 秋の気配

ここにきて急に、朝晩がひんやりと涼しく(肌寒く)なった。
庭では、私ほどの背丈になる山萩がいたるところで咲き始めている。根本から切ってしまっても、毎年、逞しく新しい芽を出すことを知ったのはわずか2、3年前のこと。生え芽(はえぎ)が、萩(はぎ)に変化してこの名になったという。今では冬前に枯れ枝を集めて、薪ストーブの焚きつけに使うようになった。
そんなことを考えていると、すぐにお彼岸である。”御萩の餡はつぶあん”で、冬を超えて翌夏 お盆の”牡丹餅はこしあん”。子供のころは見るもの嫌だった餡が、今は好物の部類に入っている。保存食である豆は、収穫の秋から数え、その鮮度によって調理法を変えてきた。

ミソハギは、はぎという文字こそあるが、花・形はマメ科の山萩とはまったく異なるものだ。迎え盆には蓮の葉を皿にして水を汲み入れ、そこにピンク色の素朴な花を和紙で巻いて供えたものだ。それが、このミソハギである。お盆の軽井沢ではまだつぼみであるから、こちらではどんな花を添えるのだろう。

陽をいっぱいに浴びた、マルバの木やゲンノショウコの葉が、最近の寒暖の差でほんのり赤く色づいてきた。今日の最高気温は25℃。明日朝の最低気温はなんと14℃!
2007年08月18日
久々に七輪
今日は昼過ぎから曇り空。霧がわっさわっさと降ってきて、長袖でも良いくらい。クローゼットを引っかきまわして、必死でノースリーブを見つけていた昨日までの暑さが嘘のよう。
近くの別荘地では、子供テニス大会の表彰式が行われていた。家族とともに今週末で帰京する子供たちも多いのだろう。青々としていた芝生の端で、次第に深い霧に包まれていくススキの穂を遠目に眺める。
このまま秋になってしまうのだろうか。そう思うと急に夏らしいことをやりたくなる。
「夕食はどうしようか?」もうツルヤが閉まった時刻。だが、冷蔵庫にあるもので、急遽”七輪”を使った炭火焼をすることになった。今夜の涼しさでは、ご近所さんも窓を締めきっているはずだ。地鶏は庭のタイムとにんにく、塩、オリーブオイルでまずマリネ。紫玉ねぎや人参はそのまま焼いてよし。信州和牛は韓国焼肉のタレに軽く漬けこんだ後、さっと焼いて川上産レタスに包んでコチュジャンでいただく。炭火は素材の旨みを引き出す最高の調理法。たったこれだけで大満足。

例年なら、今の時期でも一度は薪ストーブを焚くのだが、今年はそんな日がない。だから、炎を眺めるのは久しぶりだ。忘れかけていたものを取り戻した気分になる。霧はさらに舞う。冷えた体に食後の温かい紅茶が嬉しい。
2007年08月17日
この夏は歴史的猛暑
昨日は、内陸部で40度を超える歴史的猛暑の一日になったという。やはり尋常な暑さではなかった。
さすがに心配になって実家の母に電話を入れてみると、油彩仲間から続々と残暑見舞いならぬ”酷暑見舞い”が届いているという。
今日は、秋の訪れを予感させる涼しい朝で一日がはじまった。お盆を過ぎれば車の数も徐々に減る。深ーく深呼吸して、目覚めの珈琲をひとりデッキで飲む。空を見ると、いつのまにか見事なウロコ雲が広がっていた。八ヶ岳ではもう咲いているというレンゲショウマも、我が家ではまだつぼみ。しなやかな長い枝に”赤”トンボを見つけた。
明日は全国的に暑さが和らぐというが、
都心 最高気温 29℃(-9) 最低気温 26℃
軽井沢 最高気温 27℃(-4) 最低気温 17℃ ( )内は今日との差
こうみると、軽井沢で「暑い、暑い!」を連発するのはいささか失礼である。今日の都心は38℃もあったのだから。昼夜の気温を見ればその差は歴然としている。
冬になると、ここでは「寒い、寒い!」が口癖になる。だが、「寒い」と言うだけでなぜかさらに寒くなってしまうものだ。当分の間は「暑い」という言葉を使わないようにしよう。避暑に訪れたみなさんは、今日も涼しい顔をしていた。
2007年08月16日
道に転がるテニスボール

今年のお盆休みは避暑地離れした暑さに見舞われた。昨日今日の最高気温はなんと32℃!家が完成した年、弟がプレゼントしてくれたイオン送風機をいよいよ地下室から上げた。軽井沢でこの暑さということは、都心はいったいどうなっているのだろうか?最高気温が40℃になるなんてことは想像だにしなかったが、日常的になる日も近いような気がする。ここ最近、ヒートアイランドという危機的な表現を頻繁に耳にするが、もうすでにヒートアイランド。その原因のひとつが照り返しからくる暑さだろう。草木の生えた土の庭はいつも水分を蓄えている。それが青山の住宅密集地の一角であっても涼しく感じるものだ。
国立公園の父と呼ばれるジョン・ミューアの言葉
「たった一輪のスミレのために地球がまわり、風が吹き、雨が降る」
「水があるから木が生える」のではなく、「木があるから水がある」
地面に根を下して暮らしてみると、この言葉の意味を実感する。
時刻は15:00。町の、いたるところに転がるテニスボールに木漏れ日が降り注ぐ。
2007年08月12日
足元に咲く小さな花
最高気温は連日のように更新され、この暑さの終着駅はどこに?と不安になるほど。夕暮れに飲むビールは最高だが。
ぽっかりと雲の浮かぶ夏空はもう何日続いているだろう。夏の風物詩である、ムクゲの花が天高く、毎日元気に花を広げている。とかく視線は空を仰ぎがちになるが、足元もしっかり見てあげよう。

ゲンノショウコの小さな白い花が咲き始めている。言わずと知れた下痢止めの薬草である。サイクリングを楽しむ中学生らしい女の子が、我が家の前で止まった。きっと、ハナイカダの実に興味を持ったのである。葉っぱの上に小さな花を咲かせ、それが実となり、この時期になるとその実が黒く色づくのだ。イカダの上に花が乗っているような、なんとも不思議な植物。

子供から大人まで、車の場合、自転車の場合、歩きの場合と注がれる視線の位置は様々だ。のんびりと木漏れ日の下、近くの別荘地を歩いてみる。すれ違う、ほとんどすべての方と挨拶が交わされる。

2007年08月09日
芸術の夜
こじんまりとしたジャズライヴに行き、そこに静かに集う人々から避暑地の緩やかな、だが洗練された空気を感じた昨夜。

一度はかじったフランス語でパーカッションのトマ・バラリニに話しかけてみたが、果たして通じたのだろうか。彼らはParisを拠点にしている3人組のユニットで、7月から日本を巡るツアーをしているという。それを聞いて「こんな生き方もあるのね」と話す知人。母の年代である知人から出たその一言に私は驚き、刺激を受けた。簡単に”生き方”なんて言葉を発するなんて、いや自然に発することができるなんて。Art や Music がこれほど自然に溶け込む町は少ない。音楽は世代や国境をも超えてひとつになる共通語なのだ。
明けて今日は、最高気温が30度という厳しい暑さに見舞われた。さすがに30度は格が違うというか、久しぶりに肌がべたついた。現在23:00の気温は20℃、家の窓はいくつか開いたままだ。
2007年08月08日
真夏のおいしい果実

全国的に猛暑を通り越して、”酷暑”が続いているのだとか。東京にいる旦那さんから、「今日はいつにもまして凄まじいー!(暑さ)」とメールが届いていた。
そうだろうなと思っても、こちらはもう秋の気配が漂いつつある。同じ日本列島なのに、何故これほど違いが生まれるのか。標高だけではないはずだ。
いま、ニレケヤキの下では百合(カサブランカ)が満開に咲いている。ムッとするような強い香りも、涼風に揺られるとちょうどいい濃度になるのか。先週から、訪れる方々が口を揃えて、「庭からいい香りがしてくるねー」と言っている。”いい香り”と口に出すのは今のところ女性陣だけだが、今日は訪れる男性陣の表情も和らいでいるように思う。適度な植物香には、きっと素晴らしい力があるに違いない。
私が真夏に食べたくなるものの中に、ブルーベリーがある。国産 ここ信州産のものが特にお気に入りだ。昨年は、わが庭にも20本ほど植え込んだが周りの木々の成長が著しく、日照不足に陥っている。実をつけるのは難しいだろう。
果物のうまさは、酸味にあると私は思う。酸味と糖度のバランスが整い、歯ごたえのあるものは、食べていても楽しい。
2007年08月06日
昼間はさすがに暑い!けれど
蝉によるBGMで目覚める、夏らしい朝が続いている。

土曜あたりから、軽井沢でも最高気温は30度近くまで上がっているようだ。ダイレクトに陽を浴びると、肌はじりじりと焦げ、悲鳴をあげるような強い陽射しである。標高が1000mということは、それだけ太陽に近い場所にいるということ。この時期の光もまた、たいへんに美しい。8月に入ると、花々の間を軽やかに舞うのは蝶だけではない。今日は、小刻みに風に揺れる枝先に黄色いトンボを見つけた。羽根が光り輝いている。どんなに私が近づいても逃げようとしない。これほど警戒しないとは、トンボにとって人はどういう存在なのだろうかと思う。お隣さんの庭では、早々と萩の花が咲き始めた。浴衣姿がちらほらと見られるのもこの時期ならでは。盛夏にあえて秋草の柄を身にまとい、涼風を呼ぶのは日本の夏の心遣い。27、28度が軽井沢の最高気温と思ってきたが、いやいや今年は30度を軽くマークした。
木々の間を旅してくる風は、純粋にまだ高原の姿をとどめている。梅雨が明けた今の軽井沢は、一日の寒暖差が10℃以上にもなる。最高に快適な朝と夕はデッキで過ごし、昼間は家の中に涼風を取りこんで静かに過ごす短い盛夏。いつの間にか、庭のヤマアジサイが行儀よくおじぎをしていた。梅雨のはじめから随分長いあいだ咲き続け、目を楽しませたくれた花がそろそろ終わる。気温だけ見たら一年で最高に暑い日々。だが、ここに流れる空気は避暑地の名に恥じないものがあると、東京から戻ってあらためて感じた。時折、聞きなれない犬の声が響いてくる。いよいよ、皆さんお盆休みだ。

2007年08月01日
林の奥から零れる 灯り
窓を開けると、ひんやりとした高原の風が部屋中を縦横無尽に駆け廻っていく。
「生きていてよかったー!」大袈裟だが、そう思ってしまうほどの心地良さだ。だが、もう8月ともなれば夏は始まりではない。秋を飛び越して静かに冬へのカウントダウンが始まっていることを、このひんやりとした風が告げている。だからこの時期の私は、何があろうと晴れた日は外で過ごそう!と決めているところがある。庭の草花をいくつか摘んで花器に投げ入れてみると、これが本当に楽しい。春の草花を切るには相当の勇気が要るが、いま咲いている草花なら切れる。なんだか不思議だけれど、きっと軽井沢や夏の短い地域に住んでいる方なら、この気持ちがわかるはず。

Tシャツでは肌寒く感じるようになった夕刻、空がピンクに色づいた。綺麗な夕暮れを見たのは随分久しぶりのことのように思う。限りなく黒い、いつも借景にしている林の奥から、ちらちらと灯りが零れはじめた。それから、話し声や笑い声がこちらへ響いてくる。
21:00の気温は17℃。涼しい夜である。街から来た身なら、かなり肌寒く感じることと思う。家々の窓が閉められると声は消えて、再びいつもの静かな夜が訪れる。だが、深夜まで灯りが消えることはない。避暑地の夜はつづく。



