| 生活のベースを軽井沢に移したら、一日をじっくりと生きるようになった。徒然なるままに感じた日々の記録。 | |||||
2010年03月13日
クロスズメバチの越冬
外の薪棚から薪を運び入れる時、小さな虫の姿をよく目にする。私たちには僅かな隙間でしかないが、越冬する彼らにとっては絶好のねぐらになっているようだ。我が家の薪に多いのは、カメムシと名も知らぬ黒と白のストライプ柄の蜂である。カメムシの薄っぺらい体は、このような隙間には絶好の形だ。対してこの蜂は、少々窮屈そうに丸まっていることが多い。春はまだだよ、しっかりお休み!

今まで、この蜂は何度も見てきたが、さして気にとめることはなかった。蜂にもいろいろあるのだし...それくらい。しかし、つい最近になって、この蜂が”クロスズメバチ”だと知った。クロスズメバチといえば、蜂好きの中では珍味!それが、こんなにいるなんて。食べるわけではないが、ちょっと嬉しい。
日当たりの良い場所を薪の乾燥スペースにあてたのは、ごく自然な流れだった。薪の間には氷点下の厳しい冬を過ごす虫が沢山いて、彼らの一部は鳥たちの貴重なタンパク源としての役割を担う。薪ストーヴを主暖房とする暮らしは、生き物との共生に繋がっていたのだ。
2010年03月12日
生の花 一際美しく
今日も沢山の雪に囲まれているが、朝からポカポカ陽気に恵まれ、窓を開けて思い切り深呼吸をした。こんな日は、人を誘ってどこかへ出掛けたくなる。ご近所さんに声をかけて、ランチに行くのもいいだろう。玄関のチャイムを押して現れた奥さんの唇には、既にピンク色の口紅がさしてあった。先約があったことに気づいた私は、「こんど○○へランチにでも...」と話題を変えた。すると奥さんは、「見て見て!」と玄関の先を指差した。そこには、ガラスの花器に春らしい花が。珍しい八重のチューリップにスイートピー、生き生きとした葉もののアレンジだ。「今まで自分はドライフラワーが好きだと思っていたが、こうして生の花を飾ってみると、その美しさに圧倒されてしまうわね。」
生の花、生花を飾るようになると、相手が生き物だからなのか?ピンと背筋が伸びる毎日になる。水を入れ替えたり、終わった花をつまんだり、その度に花の表情を自然とうかがうようになるのだ。”暮らしの中に心地よい緊張感が生まれる”そう言ってもいいかもしれない。

食事を囲むテーブルは胡蝶蘭で華やかに。

借景と薪ストーブの炎を愉しむための、大きくて低いテーブルには南国の草花を飾って。季節の対極にある植物たちにエネルギーをもらう。
地面が再び厚い雪に覆われたことで、いま、生き生きと咲く鮮やかな切り花は一際魅力的な存在となった。日常が瑞々しい野の花に囲まれるようになると、ドライフラワーの魅力は復活だ。素朴で温かみがあって、これもまた暮らしの一部に相応しい。
2010年03月11日
雪と氷の危険なロータリー
昨日の夕方、南の島から帰宅する旦那さんを迎えに駅まで車を走らせた。国道の両端には雪の塊がせせりだし、歩道にも雪は積まれたまま。限れらたアスファルトの上を、帰宅途中の学生が歩いていた。靴は既に雪まみれだが、気にしている様子はない。我が家の庭と同様に、今回の雪は行き場がないようだ。軽井沢で、今日のような光景はそうそう見れるものではない。紛れもなく、大雪だった。
軽井沢駅の南口へ向かうと、アウトレットの飲食街は若者でいっぱいだった。もう、春休みに入っているのだろう。ロータリーに入って、私は路面の悪さに驚いてしまった!四駆を運転しているが、それでも簡単に足をとられるような、ひどさ。これほど多くの人でごった返しているというのに、果たして除雪がされたのかどうか?を疑う。降り積もった雪が車や人に踏まれた後の、ぐずぐずのプールが広がっていたのだ。
時刻は4時過ぎ、この時間でも影のない豊かな日差しに照らされるのだから、春が確実に近づいてきた証拠だ。駅から下りてくる旦那さんを見つける。すると、私の車の前をベビーカーを引いた若い夫婦が通り過ぎていった。実際には、ベビーカーを引くことは困難で、旦那さんがずっと持ち上げて子供を運んでいたのだが...。見ていた私は、「これが、本当に観光地の玄関なのか!」と心の底から悲しくなってしまった。
除雪がなされないのは(あるいは、除雪が遅れるのは)、南口に限ったことではない。北口だって、いつでも除雪の痕跡が見えない”氷”の張りようだ。ふたつのロータリーが、常に雪と氷に閉ざされるのは何故なのか。曲がりくねった車道に除雪車が入らないとか、車が絶えないからとか、そんな理由なのだろうか?ならば国道と同じように、(安全のためなら)塩化カルシウムを撒く手だってある。これほど危険な新幹線の止まる駅は、きっとない。恥ずかしいことだ。
真冬の新幹線通勤の核心は、駐車場から駅までの”歩きの時間”だろう。ここがいつもツルツルに凍っているから、滑り止めのついた靴でないと東京へ行けないという人は多い。送り迎えがある場合でも、駅から一歩出て”車に乗り込むまで”が核心となる。定住者でさえ、凍った路面には冷や汗が出るもの。観光で訪れる人にとっては、間違いなく恐怖だ。
今頃、昨日見たあの雪のプールはどんな姿をしているのだろうか。昼間は3℃まで上がったが、町を一夜にして雪国に変えた積雪である。今夜は-5℃まで冷える予報。凍らないはずはない。
2010年03月10日
今朝の雪掻きは重労働
発達した低気圧の影響で、軽井沢も大雪の洗礼を受けた。昨日の午後から降りだした雪は、今が三月であることを忘れさせる、見事なザ・パウダー!このまま気温が氷点下を保ってくれたなら、明日は絶好のスキー日和になるはずだと少しだけ期待をしてベッドに潜りこんだのだが、明け方の4時に目覚めて外の様子を見ると、それどころではなかった。積雪はゆうに30センチを超え、停めてある車もすっぽり雪の中。デッキと庭の境目さえ曖昧である。雲は厚く、この時間にしては暗い空。外灯に照らされた雪は水分を含んで、キラキラと光る春の雪に変わっていた。残念!
薪ストーブに薪を二本足して再び眠りについたのも束の間、こんどはキツツキが薪を突く音で目が覚めた。暖かな朝である。ブラインドをスライドさせて、外の様子を見てギョッとした。「今日はスキーどころではない。まずは、家の周りの雪を何とかしないと...」車高の低い車は脱出することさえ困難な、軽井沢の感覚でいう”大雪(40センチくらい)”が降り積もっていたのだ。
今日はしっかりとした朝食を摂る必要がありそうだ。一杯のお茶で一息ついたら、ジャケットと長靴姿でデッキへ出る。雪を掻いてみると、これが嫌になるほどの重さ!湿りきった巨大な布団を、少しずつ解きながら落としてゆく、そんな作業の連続になった。やわな雪掻き棒なら簡単に折れてしまう、そんな雪の力をも感じた。日本海側に降る雪は、いつもこのようなものなのだろうか?ならば雪掻きとは、冬の間の立派な労働のひとつと認識しなければいけない。デッキの雪下ろしに30分、車と駐車スペースに30分、私道は、まず車が通れるように掻いていく。最初は、どうしてこんなに汗が噴き出すのだろう?と思ったが、今回の雪には降参だ。さすがの私も、体力的に、これで限界。雪の行き場も、見つからない。あとは空模様と相談して決めていこう。
午後の一瞬、雲間から太陽が姿を見せた。一面の雪で真っ白なキャンバスが出来上がっているから、眩しさは倍増、日差しも熱く太陽の威力を見せつけられる感じだ。デッキの表面で水に姿を変えた雪が、こんどは”青空を映しこむミラー”となったのも僅か数分間のこと。高地の日差しは強いものだ。水は瞬く間に蒸発し、水の姿を長くは留めない。

湿って重みを増した雪の布団は、屋根の上にも。いったい、重さは何トンくらいになるのだろう。水の塊が、こうして寛いでいる間も頭上に乗っていると考えると、ゾッとしてしまう。
2010年03月08日
誰よりも早く 垣根のない猫
薄っすらと粉雪の舞い降りた朝、玄関の扉を開けると猫の足跡があった。通い猫のトラオだ。

雄猫にとって縄張りを守ることは、天気にも左右されない大切な日課なのだろう。我が家のデッキも、庭も、車も、気づけば彼の所有するモノになっていた。だから、不用意に他の猫や動物は近づかない。許されているのは、ガールフレンドくらい。たぶん。
こうして、猫や鳥や動物たちが垣根を感じることなく暮らせる環境は、やってみてつくづくいいものだと思う。目には見えないけれど、テリトリーというものは現に存在しているし、存在できるものだとわかったから。地面も空も、繋がっていることを実感する暮らしは真新しいことでなく、大昔からあるもの。毎日が、大らかな気持ちになれる。



